2010.02.06

同じもの

昨夜テレビで『ポニョ』をやっていて断片的に見ていたら、「半魚人」という言葉が出てきて、思わずびっくりした。 なんだかすごく久し振りに耳にした気がする、「半魚人」という単語。

『ますたあ』とそのことを話していて、「半魚人」と「人魚」ではずいぶんイメージが違うよね、という流れになり、笑う。 「人魚」は容姿端麗で平和的関係が築けそうだが、「半魚人」だとヌラヌラした化け物のイメージで、逃げなくちゃいけないんじゃないかと思う。

言われてみれば「半人魚」という単語も使わないしなあ。

・・でも、「人魚」も「半魚人」なんだよね。 イメージは不思議だ。

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誰のせいでもないのか

父が尿路結石を持っていることは、以前から指摘されていた。 が、このところ痛みの訴えがひどく、泌尿器科で詳しく調べてもらったら、膀胱内にたくさんの石があって、根治には手術しかないとの結果。

現在でこそ『胃ろう(おへその近くから胃に直接通じる穴)』を作って、強制的に必要な栄養と水分と飲み薬等を流しこんでいるので過不足は無い筈だが、それ以前は数年にも渡って水分摂取不足の状態が続いていた。 とにかく飲み物を嫌がったのだ。 水やお茶はもう論外で、何とか気分をなだめようとジュースやコーヒーでだましだましすすめたり、ご飯を全粥にしたりといろいろ工夫をしたし、施設内でも様々な試行錯誤が繰り返されたものの、「嫌なものは嫌!」とばかりに飲んでくれなかったのである。 ゼリーなんかを増やすと今度は食事が入らなくなるしで、本当に手を焼いた。 そもそも何故にそれほど嫌がるのかでさえ、結局分からないままであった。 施設の医師によると、認知症が進むことによる一種の拘りなのではないか、という解釈だったが。

普通の人が相手なら、どうして水分を摂る必要があるのかをちゃんと説明して納得してもらえば、本人の好き嫌いに係わらずある程度は水を飲んでもらえる結果が期待できるし、どうして嫌なのかが分かればこちらも対策が立てられる。 また、どうして水を飲まなくてはならないかが理解されれば、自ずから習慣は変えられる。 しかし、父は認知障害のために通じなかったり、表現できなかったり、考えられなかったり、数分後にはすっかり聞いた話を忘れている状態だったり、自分の我儘を制御することができなかったりして、つまりは目の前のことしか頭になく「誰が何と言おうが、嫌なものは嫌!」に終始してしまっていた。 で、血液検査をすれば多血(血液中の水分が不足した状態、ドロドロ血とも呼ぶのか。)だし、膀胱炎は頻発するし、挙句の果てに、結石をたくさん作っていたということだ。

「だからあんなにみんな口を酸っぱくして言ったじゃないの。」などという理屈は通じる筈もない。

今は痛みの原因が結石であるということすら何回聞いてもすぐに忘れてしまい、理解できていないみたいだし、とにかく目の前の痛みが苦痛で、「痛い!痛い!!」と大騒ぎ。 人ごみの中、駄々をこねて泣き叫ぶ子供に近い。

で、手術となればまた入院で、多分父の状態では石を粉砕する処置を受けるにしても、自分でじっとしていることができないからそれなりの麻酔が必要で・・と、医療費が発生する。 自分たちが支払うお金云々のことを問題にしているのではなくて、その大半を社会保険で支払ってもらっていると思うと、本当に「世間様に足を向けられない」ともいうべき状況なことが、私にとっての問題だ。 自分が生活習慣の改善を拒んだことによって病気になり、それを他人の税金で治療してもらう・・、それってどうなんだろうと、あらためて思ってしまったのだ。

認知障害だから仕方がないと言えなくもないなだろうが、逆をとれば、全面的に判断ができない状況でもなく、ある程度自分で選びとれる中で飲むことを拒み続けてきたのだし。 何処までが本人が選びとった結果の苦痛なのか、どう線引きをすればいいのだろう。

これは考えてしまうと非常に広がりの大きな問題で、例えば生活習慣病の情報がこれだけ溢れているにも拘らず、生活を見直そうとしなかったり、見直せなかった人たちが発症し、それらの多くは保険という公費で治療されている。 それでも年齢が若ければ、治療を受けることでまた働いてもらい、社会的にお金を産んでもらえるという期待で成り立っているだろうが、じゃあ高齢者はどうか、とか、いったいどの病気のどこまでが自分で防ぎ得たもので、どこからがやむを得なかったのかの線引きは不可能、とか。 とにかくどこまで社会で面倒をみるべきで、どこからが自己責任の範疇になるのか、もうわけが分からない。

こんなことで多額の出費を社会に強いてしまって良いのだろうか? だからと言って、無理強いしてこのまま治療を受けさせなければ、それは私のエゴという名の責任の放棄になるだろうし、何よりも激しく痛がる父を目の前にして無視し続けるなどできる筈もなく、その前に私の気がおかしくなりそうだ。

なんだかんだ言っても、結局は、社会に甘えてすがって治療を受けることになるのだと思うけれど、私の心の中の葛藤は消えない。

父が暮している現状の中でこの手の葛藤は尽きることが無く、いつも私の心を包み込んでいる。 理屈が通らない因果応報のツケに付き合わなければならないストレスへの対処を、未だに私は学べていないようで、がっくり。

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2010.02.05

本でフード・ジャーニー

図書館の新着案内を見てタイトルに惹かれ予約を入れたのだったが、引き取りに行って想定外の大きさと重さに驚かされた。 まるで画集のようだ。 いや、画集で正しいと言えるかも知れない。

ナショナル・ジオグラフィック社がまとめた「世界の食を愉しむ Best500」は、食べることや料理が好きな人には文句無しの楽しさだと思う。 ありとあらゆる国の食材・料理・市場・酒・レストランが次々と紹介されている。 社が元々写真の質の高さに定評を持つことを随分昔に片岡義男氏のエッセイで読んで以来、社の写真を目にする度にいつも思い出すことではあったが、その力が何の惜しげもなく集約されている。 色鮮やかな食材や料理は当たり前のものとして、畑や海や建物といった光景や、そこで働く人々の表情に至るまで、これでもかという迫力だ。

食の背景には必ずそこの人々の営みがあり、文化があり、日々の生活がある。 現地の食べ物を通じて垣間見える人々の暮らしに思いを馳せるのも、また楽しい。 旅行者の目線で、訪れるに相応しいシーズンや、ちょっとしたアドバイスが織り込まれているのもオツである。

全く疲れないから、外出がままならない方や長期療養が必要な方へのプレゼントにしても、きっと喜ばれると思う。 私も、「これは借りてくる本ではなくて、手元に置いて思い出した時にぱらぱらめくりたい本だな」、と、思った。 が、私には高価なので躊躇する。 定価の7429円は正直ちょっとシンドイな。

●「一生に一度だけの旅 世界の食を愉しむ Best500 (FOOD JOURNEYS of a LIFETIME)」 日経ナショナルジオグラフィック社 2009年初版

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