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2005.01.31

「窯変 源氏物語」

ついに読み始めた。 橋本治氏の「窯変 源氏物語」を、だ。 現在2巻の「若紫」まで進んだところ。

どんな作家の場合でもそうだが、文体や表現の癖に読み慣れるまでに少し時間が必要で、はじめの内は読み進むのに時間がかかる。 しばらくして段階を越えると、その作家の文章体との付き合い方を体得して、すらすらと進むようになる。 今夜になって、どうやら私も橋本ワールドに馴染んできたみたいだ。

おもしろい。 それよりも、興味深いというべきかも知れない。 時々、物語の中に混じって、主人公の「源氏の君」に語らせるような形で、恋愛や人生についてのエッセンスのような短い、しかも濃い文章が出てきて、ドキッとさせられる。 大きく広がっている得体の知れない人間臭さを、バシッと的確に、ある意味において恐ろしいほどに要約し、濃縮し、しかも、私たちが普段何の気なしに使っている単語ばかりを使って表現してくるところに、橋本氏の並々ならぬ作家としての能力を垣間見る。 最近の作家の作品で、日本語の使い方にこれほど唸ったのは、初めてかもしれない。

この歳になってから、この作品に会うことが出来て、良かったと思う。 若い頃の、経験の浅い時代に出会っていても、多分投げ出してしまっていたのではないか。 そんな気がするのだ。

じっくり楽しみながら、読み進めるつもりだ。 じっくり、じっくり、自分を焦らすようにするのが、この物語には相応しいように思う。


余談になるが、表紙を見直した瞬間、去年の夏に他界した元TBSアナウンサーの林美雄氏のことを強烈に思い出して、同氏のアナウンスの声が脳裏をよぎってゆくのを覚えた。 なんだか無意識に泣きそうになった。 今まで血の繋がった人を含めて、また、職業上も、たくさんの人たちを見送ってきたというのに、どうして林氏の死だけが、いまだに自分に大きなダメージを与え続けているのか、自分でも理解できずにいる。 昔、「パックインミュージック」という深夜番組で、橋本氏の作品である「桃尻娘」をフィーチャーしていた林氏が、どこかで私を、この「源氏物語」と結び付けてくれたのかもしれないと、勝手に感謝したりしているのだが。

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解釈に悩む

先日の「海老とカニのクリームコロッケ」を食べた店に行き着くまでに見かけた妙な店。

国道の反対側に目立つ黄色ののぼりがはためいていた。 店の看板に「カツカレー専門店」とある。 口には出さなかったけれど、『ますたあ』も私も「おっ!良いじゃない。」と、反射的に思った。 お腹も空いていたし、何よりも「カレー専門店」でも「カツ専門店」でもない「カツカレー専門店」の文字に、店のこだわりが感じられたからだ。 国道を横断するために、少し歩いて次の交差点まで行き、反対側の歩道を戻って店を目指した。

店の前に来たら、ガラスの自動ドアにパソコンでプリントアウトしたひらひらの紙が貼り付けてある。 『本日のランチ 天丼(味噌汁つき)』

・・・おいおい。

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2005.01.29

似たもの同士

エビとカニにマグロが加われば、間違いなく「三大日本人の好きな食材」になるのだと思う。 ある旅館の広告に「海老カニ合戦」という名の宿泊プランを見つけて笑ってしまった。 夕食に伊勢エビとカニが両方ついてくるらしい。 カニ食べ放題をうたい文句に集客している宿やパックツアーがたくさんあることを考えても、やはり大半の人にとって、カニは食材として魅力的なのだろうし、エビも相当に親しまれた食材で、特に伊勢エビとくれば文句の付け様も無いのだろうと思う。

先日、熱海の某洋食店でお昼を食べた。 メニューにあった「海老とカニのクリームコロッケ」。 自称クリームコロッケ評論家?の私は、初めてのお店でこのメニューを見つけてしまったら、食べないわけにはいかない。 正直言って「海老とカニ」の部分はどうでも良かったのだけれど、最近では何も具の入っていないクリームコロッケを、メニューに載せているお店の方が少なくなってしまい、何かしら具が入っている状態も、あまり気にならなくなってきた。(それでも選べるならば、私は具を使わないクリームコロッケが王道だと思っているのだが。) メニューだけを見て想像したのは、二個お皿に載せられているクリームコロッケの、片方がエビ入りでもう片方がカニ入りのもの。 が、実際に運ばれてきたのは、初めて見る形態のものだった。

ころころに太ったエビフライのようなものがふたつ。 ちゃんとエビの尻尾が見えている。 ナイフで切ってみると、背開きにしたやや大き目のブラックタイガーを包むように、カニクリームコロッケの種が付けられ、揚げてあるというものだった。 確かに「海老とカニの・・」の文字そのまんまだ。

クリームコロッケとしては大変失礼ながら、「またアレを食べに行こう」とまでは思えないものだった。 ごく普通の味がした。 そこを除外して考えてみても、自分の中で出された結論は、「やっぱりエビとカニは合わない」ということだ。 エビとカニが口の中で喧嘩しているみたいで、マッチしていないのである。 不味くはないのだが、なんだか不協和音。 別々の方が良いなあ、と、食べながら思っていた。 それぞれの素材が強烈な自己主張をしていないのが救いだった。

似たもの同士が近づくと、逆に些細な違いが強調されて気になり、上手く調和がとれなかったりする。 人間関係も食材の組み合わせも、同じようなものかも知れない。 

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2005.01.28

やっぱり猫はわからない

このところ毎日のように昼前に猫がやって来て、物干し場の縁台で日向ぼっこしている。 別に食べ物を与えたりはしていないのに、じーっと部屋の中を気にしながら、ウトウトしたり毛づくろいしたりして、日がな一日過ごし、縁台の日が陰る夕方近くなると帰ってゆく。 洗濯物を干そうとしてサッシを開けると、見上げながらニャアニャア鳴く。 でも、よしよしなどと言って手を伸ばそうものなら、いきなりガブッと噛み付いてくる。 その上、どうしたいの?と、目を合わせて話し掛けると、フーッと威嚇?してくる。

数年前までは、同じ場所に毎日犬が来ていた。 その場合は相手の要求が非常にはっきりしていて、背中を掻いてほしい時には擦り付けてきたし、甘えたい時にはお腹を見せたり、自らお手などの芸をしたし、眠い時にはこちらがちょっかいを出しても無視して丸くなっていたので、とても解かりやすかった。 それと比較すると、今回の猫は複雑で解かりにくく、「やっぱり世間で言われるように、猫は気まぐれなのか。」と、もっぱら話しているところだ。

今日は猫がいる縁台に、座り込んでみた。 ニャアニャア甘えた声で鳴きながら、私の太腿に横から思いっきり頭突きしてくる・・何度も何度も。 小柄ながら全身でぶつかってくると結構な力だ。 「どう解釈すべきか?」と、首を傾げながら、これと似た光景を思い出した。 まだ看護学生の時代に、精神科の閉鎖病棟に実習に行った時のことだ。 精神科の入院病棟には開放病棟と閉鎖病棟があり、より症状の重い患者さんが閉鎖病棟に入院なさっている。 そこで、バイク用のフルフェイス型の赤いヘルメットをかぶっている若い女性に出会った。 婦長さん曰く、「この方は全身で頭突きしてきますから、驚かないでくださいね。」と、言い終わらぬうちに、私のお腹めがけて突撃してくる彼女が見えた。 で、気づいた時にはノートも本も床に散らばせて、倒れこんだ私がいたのだった。 まるでラグビーのタックル。 ・・彼女は強度のてんかん発作を制御するために、特殊な開頭手術を受けた結果、てんかんは収まったが言葉と感情の抑制能力を失った。 それで、嬉しいことがあると「嬉しい」と言う代わりに、全身の力をこめて壁や相手に頭突きする。 壁に頭突きして何度も怪我をしたため、起きている間はヘルメットをかぶって防御している。 てんかんの患者さん用の軽いヘルメットもあるのだが、「彼女の場合それでは強度不足」という話。 実習生の私たちを見て、新しい友達が来てくれたと喜んだ彼女が、精一杯の愛情表現をしたのだった。

病人の彼女を猫と比べるのは、大変に失礼なことだとは思うが、「この頭突きは猫なりの甘えなのかも知れない」と、気が付いて、昔の彼女にそうして愛情表現を返したように、思いっきり抱きしめてみた。 猫は一瞬呆然とした後で、思いっきり私のセーターの上から肘に噛み付いて逃げていった。 ・・通じなかったらしい。 やっぱり猫は難しい。 これに懲りずに、また明日来てくれるだろうか? 心配だ。 

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2005.01.27

あまり賢くはないので。

JAの直売店を覗いたら、店先に並べられた梅の苗木に小さな花が付いていて、優しい香りを漂わせていた。 ああ、もうそんな季節なんだな、と、忘れかけていた感覚をひとつ思い出す。  店の中には可愛らしい大根が売られていた。 白くて太い根に2倍近い長さの葉っぱ。 最近にしては珍しいほどアンバランスに見えたが、こんな小さな根で霜の中をがんばっていたのかと思ったら、なんだか急に愛着が湧いてしまい、一本買ってきた。 大きなワサワサとした見事な葉っぱ・・どうやって食べようか。 楽しみだ。

買い物に出かけた先で、たまたま複数の知り合いの方々にお会いしたことをきっかけに、『ますたあ』と禅問答のような(?)難しい話をずっとしていた。 物事の本質を探るような、会話を使っての作業。 昨日温存しておいた精神力をフル活用してガーッと考えていたら、夜になって身体が熱っぽくなってしまった。 ・・これこそが「知恵熱」だろう。 ギャップが大きくて、私が自分自身に付いて行けなかったのかも知れない。 情けないような気分で、半笑い。

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2005.01.26

無かったことにしたい

なんだか魔法にかけられてしまったように、時間の経つのが早い一日だった。
そんなに忙しかったわけではない。
どちらかといえば逆で、実のあることは何もしなかったような気もする。
ボケたかなと自分で心配になって、朝食べたものをわざわざ思い出してみた。
あれあれ??・・なんだっけ?! ヤバイぞ、これは・・と、本気で焦った。
しばらく真剣に考えて、やっと思い出した。
「そうだ、朝寝坊して食べられなかったんだった。」
ある意味、ホッとして、ある意味、呆れた。
とっとと寝て今日を終わらせて、リセットして、明日出直そう。

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いまさらながら

婦人科の定期検診でちょっと遠くにある総合病院まで足を運んだついでに、市立図書館に寄って、何冊か借りてきた。 細胞診の結果が出るまでには二週間必要で、ほんの貸し出し期限も同じく二週間なので、結果を聞きに来た時に返却すれば丁度良いことになる。 病院と図書館は道路をはさんで向かい側。 車を停めたままちょこっと足を伸ばせば済むのも大助かりだ。

借りてきたのは、「窯変 源氏物語」。 そう、あの源氏物語を橋本治氏が、口語訳で仕立て直したものである。 源氏物語は高校生の時、古文の時間でさんざん苦しめられたはずなのだが、古文独特の文法や訳す事に追われて、内容の方はうろ覚えだし、全く楽しめた記憶が無く、ちゃんと物語として読んでみたいと予てから思っていた。

橋本氏以外にも、瀬戸内寂聴氏や田辺聖子氏など、何人かの作家の方々が口語訳してくださっていて、どれにしようか正直迷った。 数ページそれぞれめくってみて、相性を確かてみる手もあった。 が、今回はちょっと考えて橋本氏のものを選んだ。 理由は橋本氏は男性作家にもかかわらず、「恋愛の対象は同性」だからである。 ご存知の通り源氏物語は、ちょっと歪んだ(?)恋愛を描いたもので、原作者は女性。 男性を恋愛対象にする男性は、ある意味において女性よりも女性らしいと私は思っているし、瀬戸内氏も田辺氏も、失礼ながら私の中ではどちらかと言うと「男性臭い女性」に分類されているので、ここは一発、橋本氏の内部に宿るであろう女性らしさに賭けて、恋愛を掘り下げていただこうと考えた次第だ。

まだ読み始めてはいない。 じっくり読みたいので、気の急く他の本を優先的に片付けてから、腰を据えて読む予定だ。 とりあえず8冊並んでいた中の2冊だけ借りてきた。 この冬の課題のような気分で、懐かしく楽しみたいと思っている。 

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2005.01.24

水の三態

昨日は「うわぁ、雪だ、雪だ!」と、寒がっている間に過ぎてしまった。 気温が低かったのでスキー場で出会うような細かいサラサラした雪粒で、風が吹く度に流れる方向が一斉に変化する様子を、厨房の大きな窓から飽きることなく眺めていた。 朝からチラホラしていたのだが、積もってきたのは午後になってからで、今朝起きたときには約3センチほどの積雪。 そして、お日様が高くなったら、屋根の上の雪が一気に雪解けして、どしゃ降りのような勢いでジャバジャバ降り落ちてきた。 雨どいに溢れたしぶきが、小さな飛沫になってキラキラ輝いている。 雪も水なんだなと、何かを思い出したような気分になった。

こんなに身近にあるのでほとんど意識しないが、雨も雲も雪も、霧も霜も冷蔵庫の氷も、みんな水だ。 それぞれの形態の水を見ながら、造形の美しさにぼーっとしたり、自分の内面を重ね合わせていろいろ考えてみたりする。 たかが水、されど水。 不思議なものだと思う。 自分の身体だってそのほとんどは水なのだし。 水に対して抱く身近な感覚は、単に環境が水に満ち溢れているからというだけではなく、生物としてのルーツの意味合いが、そこに含まれているからなのかもしれない。

1ccに対して539キロカロリー・・中学校で習った水の「態」が変化する時に必要な熱量である。 水が水蒸気になる時、それぞれこんなにも熱量を必要としている。 あんなクールな造形美を楽しませてくれながら、さり気なく、こんなにも大きなエネルギーを運んでいるところが、またすごいなと、妙に関したりしてしまうのだ。 

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2005.01.22

吉凶なし

何気なく流していたラジオで、番組のゲストが、初詣でおみくじを引いた話をしていた。

内容は「生まれて初めて『凶』を引いてしまい、新年早々ショックだった。」というものだったのだが、パーソナリティーが他のゲストに、「○○さんはおみくじ引いたりします?」と話を振った時の答えが、耳を疑うものだった。
「ああ、僕もおみくじ引いてきました。」
「で、結果は?」
「『吉凶なし』です。」
「そうでしたか。」

・・『吉凶なし』?? そんなおみくじがあるんですか? 生まれて初めて聞いた単語だし、もちろん引いたことも無ければ、引いた人に出くわしたことも無い。 パーソナリティーもそれを突っ込むでもなく、あまりにさらっと話が流れてしまったので、こちらは置いてけ堀をもろに喰った気分で、どうして良いのか解からない空気を、思わず『ますたあ』にぶつける。 「ねえ、聞いてた?今のラジオ。」
「いや。 なんか言ってた?」
「引いたおみくじが『吉凶なし』ですって。 何それ? 知ってる?」
「『吉凶なし』? 知らない。 おみくじなんだから『吉』なのか『凶』なのか、はっきりして欲しいよね。」
「どうやって解釈したら良いのか、悩みそうだよ。」
「お正月から『中途半端です』って言われているような気分になりそうだし。」
「おみくじの下の方に、具体的にどうして『吉』なのかすごく細かく書いてある所があるじゃない? 失い物見つかるとかさ、縁談がどうとかとか。 あそこ、どうなっているんだろうね、『吉凶なし』の場合は・・。」
「項目によって『吉』が半分、『凶』が半分ずつ?」
「それじゃあ『吉凶なし』じゃなくて、『吉凶半』になっちゃう。」
「そうだよねえ、『なし』だもんねえ・・。」
全くらちがあかない。

ネットで調べてみるが、「そういうものが存在するのは事実らしい」というところ止まりで、自分の知りたいことに、今ひとつ手が届かなくて、余計に気になってしまった。

どなたか、引いたことのある方、居られますか? 『吉凶なし』のおみくじ・・。

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元気なほうれん草

最近、新鮮なほうれん草が安く売られているのを、目にする機会が多い。 多分「路地もの」で、丈が短い割に軸が太くて、ずんぐりむっくりしている。 色も黒々とした濃い緑色をして、根元のピンク色とのコントラストも鮮やか。 見るからに力強い印象だ。

茹でる前にボールに張った水に放しておくと、根元に残っていた土が落ちてくる。 砂のような色が淡くて細かくさらさらの土のもの、粒の大きい泥の塊が落ちてくるもの。 育った畑によって土の様子も様々だ。 中には一枚の枯葉がプッカリ浮いてくるものもあって、「あ、雑木林でも近くにあったのかな?」と、一瞬和んだりする。

手元にあるほうれん草は、いったいどんな景色を見ながら、どんな音を聞いて育ってきたのだろう。 思いを馳せながらの厨房仕事も、またオツなもの。

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2005.01.20

これも立派な現実

風は冷たいが陽射しが強かったので、久し振りに近所を一時間ほど歩いてきた。 近所と言ってもこの辺りでは山と雑木林の林間コースだ。 グランドの周囲がトレッキングコースとしてそこそこ整備されているので、そこを歩いてくることが多い。

外の空気を楽しみながらのんびりと進むと、あちこちから小鳥が驚いて飛び去ってゆく。 お邪魔して申し訳ないような気持ちになりながら行くと、遠くの先に一台の軽トラックが見えた。 乾いたチェンソーの音が響いている。 近づいてゆくと見慣れた顔だ。 国道のそばに住むおじいさん。 ずっと林業で暮らしを立ててきたと聞く。 みんな愛情を込めて「きこりのシゲちゃん」と呼んでいる。 「よう、なんだい、運動かい?」 「そうなんです。 少し歩かないとね。」 「そうだよ、たまにゃ歩かないとなまっちまうよ。」

しばらく行くと、また遠くから軽トラックがゆっくりとした速度で近付いてくる。 路肩によけて見送ると、荷台には大き目のケージがいくつも並んでいる。 猟犬が乗っているのだ。 これは猟師さんの車。 今は丁度狩りのシーズンで野生の猪や鹿がハンティングされる。 山から狩りを終えて戻ってきたのだろう。

長くて急な山の上り坂を進むとガサガサと大きな音がして、何かが急斜面を駆け下りてゆく。 大きな茶色いお尻が辛うじて確認できた。 鹿だ。 ハンターから逃れてホッとしているのだろうか。 それに驚いてたくさんの鳥がピーピー鳴きながら飛び立ってゆく。

ここでは歩いていても、普通の人に会うことは滅多にない。 林業の方、猟をする方、シイタケを栽培している方・・会ってもそんな方々ばかりだ。 街に暮らす人たちには想像できないことだろう。 もちろんお店なんて無い。

主人公がひとりで山に入ってゆくと、きこりに出会い、続いて猟師に出会い、そして鹿に会う・・これってまるでアンデルセンの童話か、ロールプレイングゲームのシナリオみたいだな、と、気がついて、可笑しくなってしまった。

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2005.01.19

作り手の意図

お客様の料理に使ったブラックタイガー(エビ)が半端に余った。 『ますたあ』のリクエストで、中華風フリッターにして自分達の賄い食にまわした。 外側がカリッと中がフワッとするように、油で揚げる直前に衣を作り低温と高温で二度揚げして、手間がかかったが上出来のカリカリ具合に満足して食卓に並べた。 ちょっとした厨房の片づけを終えてから私が行くと、先に食卓についていた義父が自分の分のフリッターを、全てお味噌汁のお椀に沈め終わったところだった。 義父はお味噌汁に「天かす」を入れたものが大好きなのだ。 ・・せっかく苦労してカリカリに揚げたのに、台無し!! ちょっとしたショックで落ち込んだ。

なんだかしばらくブルーだったのだが、本人は全く気にする様子もなく、あっけらかんと「美味しかった」と言う。 まあ良いか。 美味しく食べてもらえたんだから、と、気を取り直して割り切った。

料理には、こうやって食べてもらいたい、という、作り手の意図が存在する。 でも、必ずしもその通りに食べてもらえるとは限らない。 香ばしく焼いた魚の皮・・一番の旨みが凝縮されていると思うから、わざと皮を引かずに調理しているのに、きれいに皮だけがお皿の上に残って返ってきたり。 このアイスクリームにこのソースをからめて食べたら最高だな、と思っても、ソースには手が付けられずじまいだったり。 なんでもかんでも卓上のコショウを振りかけて食べている方もあるし。 下がってきたお皿を見て、ちょっと哀しくなる。 思うようにはゆかないものだ。

でも、仕方ない。 好きなように食べてもらって、それで美味しかったならそれで良しとしなくてはいけない。 主役は作り手ではなくて食べる側の人なんだから、それで満足してもらえるなら一番の事だろう。 作り手の意図が通じないような料理を出した方にも責任は存在するのだし、またそこから工夫すれば良いじゃないか、と、自分に言い聞かす。

孤独に厨房でしこしこと働いていると、自己満足になりがちな傾向だって表れてくる可能性もある。 いつも主人公は食べてくれる人なのだという事を肝に銘じなくては、と、フリッターの浮いた義父のお味噌汁椀を見ながら思った。

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2005.01.17

こんなこと、あんなこと。

宿泊客の方々の中には、時々思いもよらぬ行動を取る方も居られて、びっくりしたり意表をつかれたりする。 小さなお子さんの場合は、何があってもおかしくないとこちらも思っているから、大抵の事では驚かないが、大人の場合はこちらの想定を超えた事が起きると、余計に目立つというか印象が強くなるのだろう。

客室に設置されているエアコン。 リモコンの電池が切れたので、交換しようとしてパカッと蓋を開けたら、蓋の裏側に誰かさんのツーショットのプリクラのシールが貼り付けてあった。 びっくりである。 まさかこんなところにシールが貼ってあるなんて、思いもしなかった。 多分この部屋に宿泊したお客様なんだろうけれど、もう、このシールを見ても名前と繋がらない。 どんな意図があって貼ったのだろうか? ・・申し訳ないが、はがさせてもらった。

お客様がある時は、ちょっとした時間を見つけてはトイレやお風呂場を点検しに行って、備品を調えたりするのが習慣になっているが、ある夜、バータイムにトイレの点検に行く度に、飾ってある花が一輪ずつ洗面台の上に落ちている。 花が傷む時は首を傾げるようにしなだれることはあっても、こんな風にポトリと落とすことはないので、「変だな」と思っていた。 もしかしたら、虫でも付いていて噛み切っているのかと覗き込むが、何にも居ない。 しばらくしてバーカウンターで飲んでいた中年男性が、「ここはトイレにもちゃんと花が生けてあって、心遣いが嬉しい。」というようなことを話し出した。 そして隣の奥様に一言。 「造花かと思ってつまんでみたら、ちゃんと生花だったよ。 全部生花だった。」 ははぁ、それを確認するためにわざわざ花を摘み取っていたのか! そこまでしなくても、と、正直思ったが、まあ気に入っていただければ何よりということで。

ディナーに鳥の骨付きもも肉を、そのまま利用して料理したことがあった。 食べ終わって戻ってきた皿には、骨があるはずなのに、きれいさっぱり何も乗らないで戻ってきた。 以前、ペットの犬を駐車場の車に残して宿泊されたお客様が、「犬にあげたいので」と骨だけ持ち出したことがあったので、そのパターンかなと一瞬考えた。 が、今日のお客様は公共機関を使っておいでになった方々だし、ペットを連れているとも思えない。 気になりながらもそのままパタパタとデザートやコーヒーを出して、ディナーが終わってから『ますたあ』に確認してみた。 「ねえ、チキンの骨が一本戻ってこないんだけど。」 「ああ、それね、お客さんが食べちゃったの。」 「?!」 バリバリと噛み砕いて、全部きれいに食べてしまったとのこと。 そんなことが可能なのかと驚き怪しんだ。 召し上がっているところを、見たかったな。

この手のネタには事欠かないが、あまりにリアルタイムに書いてしまうと失礼に当たるので、時効と思われるものから小出しにしてゆく予定だ。

この仕事、なかなかおもしろいです。

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2005.01.16

台風ですか

パソコンの画面のニュース見出しを目で追っていて、驚いた。
台風が発生している。
台風1号だ。
日本に影響してくるものではないらしいが、こんな寒い時期に「台風が発生しています」の一文は、なんとも不釣り合いに見える。
海水温が高いということなのだろうか?
やっぱり地球の気候が全世界的に変化しているんだと、身震いした。

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2005.01.15

融けちゃうな

しかし、どうして共通一次のテストの日は、毎年雪が降るのだろうか??

天気予報より一足早く、朝目覚めたら既に雪景色だった。 なんだかんだ文句を言っても、雪に覆われた世界はきれい。 太平洋側では年に何回かしか積もらないので、そんなのん気なことも言っていられるのだとは自覚しているが。

もうちょっとボーっとできる日に積もってくれれば、趣を楽しむ余裕もあるだろうに、と、ちょっと残念に思う。 大晦日といい、今日といい、宿泊客の予約が入っている日の積雪は、仕事の上ではかなり迷惑だ。 朝から除雪に追われるのはもちろんだが、次の朝の凍結も心配だし、何よりもお客様方が無事に着けるか気が気ではない。 交通情報を欠かさずチェックしながら、通行止になっていない道・すべり止めが無くても通れる道を把握しておき、途中から連絡をくださる方々を誘導しなくてはならない。 翌日のドライブプランの計画の見直しがあれば相談に乗る。 夕食の時間に間に合わない方が出れば、調整も必要になる。 雪を愛でている余裕が無いのが現実だ。 精神的に気ぜわしいだけでも、ずいぶんマイナス要因。

夕方から外は雨になっている。 雪景色をじっくり見ている間もなく、全部融けてしまいそうなどしゃ降りだ。 融けてくれれば凍結の心配が無くなってありがたい半面、心の片隅で「あーあ・・」と、残念がっている自分も居る。 なかなか複雑な想いで雨音を聞きながら、これからバーの時間が始まるところだ。

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2005.01.14

大根

今夜の賄い食はおでん。 ポピュラーなおでん種に加えてどんな具を入れるかは、それぞれの家庭で特色が出るものだが、たまには思いっきりオーソドックスに行こうかと思って、おなじみの顔ぶればかりを揃えた。 ただし、手元に大きな大根があったので、大根だけはいつもより大ぶりに切り、その上に数もたっぷり入れることに。 余ったら明日、別の煮物にでも仕立て直そうかと思っていた。

下茹でした大根は一番最初からおでんの汁で煮始め、味が染み込むようにする。 他のどの種よりも早く鍋の底に沈め、じっくりコトコト。 途中で汁の味見をしたら、いつもよりもずいぶん甘味が濃い印象だ。 味醂は使っていないのにはて?と、首を傾げたら、鍋底で大根がゆらゆら笑っている。 どうやら冬の大根独特の甘さが煮汁に移ってきたらしい。 こんなにたっぷりの煮汁をここまで甘くするなんて、見上げた底力だ。 塩を少し追加して、バランスをとる。

かくしてホッコリと美味しい大根が煮上がり、湯気を上げている鍋から食べるおでんに、胃の奥から温まった。 やっぱりおでんに大根は欠かせない。 あんなにたっぷり入れたはずだったのに、食事が終わった鍋には大根の姿はひとつも残っていなかった。 目論みは大外れ! 明日の煮物は、明日作り直そう。

ちなみに、他のパソコンでこのブログを見てきた『ますたあ』が「字が見え難い」と言って、背景色が白のテンプレートを採用した。 このテンプレートの名称は「山手線」だそうである。 言われてみれば・・で、ちょっと笑った。 派生してもうひとつ。 ウチのパソコンのモニターはシャープ製の液晶画面だ。 他社のディスプレーに比べて、かなり発色がよろしいと再確認した次第。 色だけではなくたくさんの意味で、他の人たちがどんな風に見えているのか把握しきれない所が、ウェブデザインの難しさだと思う。 今まで読み辛い思いをさせてしまった方々、ごめんなさい。 少しは改善しましたか?

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2005.01.13

違います

自営業をしていると、そこそこ頻繁にダイレクトメールが届く。 ご存知の通り、ウチの屋号は「メモリア」であるにもかかわらず、これまたそこそこに「メモリアル」などと、勝手に間違った宛て名を書いてくるものがある。
おいおい(-_-;) ・・嫌な気分になる。

「メモリア」はギリシャ神話に登場する女神の名前だ。 「記憶」を司る神様だそうで、確かにメモリアルの語源ではある。(ちなみにメモランダムやメモリーなどの語源でもある。 また、彼女の娘たちは「美しさ」や「芸術」を司る女神として有名なミューズやビーナスである。) 日本人には「メモリア」よりも「メモリアル」の方がなじみがある単語だとも思うが、だからといって勝手に宿の名称を思い違いされたのではかなわない。 一方的に自社商品の宣伝を送りつけてくるだけでも失礼なんだから、せめて、相手の名前ぐらい正確に転写してくるのは常識的な礼儀だろう。 しかも、日本の郵便局員は真面目で親切だから、「メモリアル」と書いてあってもちゃんと届いてしまう。

「メモリア」の建っている場所は、「スポーツバルト遊YOU天城」という長い名前の総合公園内なのだが、こちらも良く「スポーツバトル」と間違えられる。 「スポーツバトル遊YOU天城内 メモリア御中」などと書かれたダイレクトメールに至っては、開封する気にもなれずに、ただただ呆れてしまうばかりだ。

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ご遺体と細菌

実は人間の体は細菌まみれである。 皮膚の表面に膜の如くに張り付いているものの他にも、口から始まる消化管全体には細菌が渦巻いているし、女性なら膣にも細菌はいる。 しかし、「細菌が居ても良い場所」と「細菌が入ってきてはいけない場所」をはっきりと分けていて、「入ってきてはいけない場所」の境界にはウヨウヨと免疫細胞が寄り固まってバリアを作っているし、まあ様々な仕組みで侵入を防いでいるので、よっぽどの事が無い限りは、意識しなくても脅かされることが無い。

人間が生命活動を停止すると、生命体としての仕組みが成り立たなくなるので、もちろん免疫そのものも崩壊し、ただの肉の塊になる。 そうすると体中に居た細菌がいっせいにアタックを開始して、腐敗が始まる。 もともとたくさんの窒素を含んでいる人間は、栄養分の塊のようなものだし、おまけにたっぷりの水分も持っているので、あとは温度が適当に保持されれば、まるで細菌培養のための培地のようになってしまうのだ。

病院では亡くなった方のご遺体に、「死後の看護処置」を行う。 これは「エンジェル・ケア」と呼ばれる。 消化管に残っている残渣を取り除き、体を薄い消毒液で丁寧に拭いて清めるのは、体についている細菌の数をなるべく減らすためだ。 その後でなるべく涼しい冷房の効いた部屋に移動して、必要に応じてドライアイスを抱かせるようにご遺体に添わせる。 ご遺体そのものの温度を下げて、細菌の繁殖速度を遅くすると同時に、ご遺体が他の入院患者への感染源とならないようにするためである。 もちろん、ご遺体を清めるのは、残されたご遺族に対しての心理的ケアや、亡くなった方への尊厳の面も含まれているのは言うまでも無い。

例のスマトラ島沖の大地震では、いまだにたくさんのご遺体が気温30℃の中で放置されていると聞く。 その腐乱状態を想像するにつけ、頭を抱えるような気分に陥ってしまう。 多分、すごい腐敗臭が辺りに漂っているはずだし、二次的な衛生環境の悪化が本当に心配だ。 自分の拙い経験では、ご遺体の腐敗臭は一度鼻についたら、一生忘れられずに記憶の中で匂い続けるような臭いである。 その中で暮らさなければならない人、作業しなくてはならない人・・祈らずにはいられない。

ニュースの映像を目にする度、自分の記憶に染み付いているご遺体の腐敗臭が、鼻の奥に甦ってきて、複雑な気持ちになる。

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2005.01.11

卵かけご飯

たまに思い出して食べたくなるもの・・卵かけご飯。
夜の賄い食を食べている途中で急に食べたくなり、そのためにご飯をおかわりしてまで食べた。 久し振りだ。 卵はそこそこ食卓に上がるものの、生卵で食べるのはこの冬初めてなのではないかと思う。 一番シンプルなのに、あんまり登場の機会が無い。

子供の頃は生卵の白身が苦手で、黄身だけをご飯にのせて食べていた時代もあった。 いつのまにかそれはクリアされたが、今でもカラザだけは取って食べる。 舌触りがどうしても気になるから。

卵かけご飯を食べる時は、あまり余計なおかずが無いほうが良いように思う。 極端に言えば、卵かけご飯だけでも一食成立し得る。 が、栄養の問題上、少しは野菜も摂る方が望ましいだろうから、ささっと野菜炒めやお浸しなんかを相棒にする。 即席漬けなんかでも美味しい。 手の込んだおかずがあると、卵かけご飯の存在が薄れてありがたみがなくなるような気がして、勿体無い。 やはり卵かけご飯は主役にしておこうという意志が働くのだ。

サルモネラ菌の問題があるので、食品を扱う者としての立場上、夏場は卵かけご飯は食べない。 寒い時期、それも新鮮な卵が手元にある時限定である。 個人的には冬の楽しみのひとつ。 シーズン中にきっと、あと何回かは思い出して食べたくなるような予感がしている。

 

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2005.01.10

バラバラ

国際会議でイタリアに行った兄が、現地で見つけてきた珍しい食材をお土産に送ってくれたのだが、その中に乾燥させた豆の詰め合わせがあった。

何が珍しいかというと、たくさんの豆がミックスされている上、良くも悪くも形態がバラバラなのである。 2センチ近い白インゲン豆や紫色もきれいなキドニービーンズは丸のまま。 ヒヨコ豆もチラホラ見えている。 緑豆やレンズ豆も丸のままだが、3~5ミリほどの小粒。 それに半割にしてあるオレンジ色や薄緑色の種類のわからない豆。(もしかしたら、更に小粒のレンズマメを半割にしたものかな?という形だが、定かではない。) 見た目には非常にきれい。 色とりどりだし、粒の大きさも違うし、見ていて楽しくなってしまうような感じである。 ご当地では、主に肉の付け合わせに使われているものらしい。

さて、私も早速食べてみよういう段になって、少々頭を抱えた。 これだけ大きさが違う豆を同時に、適当な柔らかさに加熱するにはどうしたら良いのだろうか? 白インゲンに合わせたら、半割の細かい豆はピューレ状に煮溶けてしまうだろうし、自分の記憶ではレンズ豆なんてあっという間に柔らかくなるので、そんな加熱時間では白インゲンやキドニービーンズは歯が立たない固さのはず・・。 リゾットのように水分を数回に分けながら『煮ては足し』してゆくべきだろうか? それとも先にしばらく吸水させるべきだろうか?

迷った挙げ句に私がとった第一試行策は、お粥を炊いてその中で一緒に炊いてしまうということだった。 電気炊飯器のお粥モードをタイマーセットしておけば、吸水も放っておけば良いのだし、お粥を炊き上げる水の量は豆に吸い取られて多少減ったとしても問題無いし、お粥は弱火でじっくり炊かれるから豆の加熱にももってこいだろう。 とりあえず一回、どんなものなのか食べてみてから、次回の調理方法を考えようと目論んだ。

かくして炊き上げられた『豆粥』・・なかなかおいしゅうございました。 それでもやっぱり白インゲンはアルデンテの固さで、ぎりぎりセーフの歯応え。 一方、レンズ豆は皮がはちきれんばかりに膨らんで、これ以上加熱したら溶けてしまいそうだ。 半割の豆たちはどこへ消えたんだか・・(きっと煮溶けた。) よく見ると大麦も混じっていたらしいし。 ・・で、興味深く美味しいお粥になっていた。 シンプルな塩味が良く合う、素朴な美味しさだった。

さて次はどうやって何に使おうか。 じゃじゃ馬を手なずけるような気分で楽しみだ。 大き目の袋にたっぷり一袋入っている豆が使い終わる前に、納得のゆく形で料理できる技を見つけてあげたい。

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2005.01.09

デジャブで清宮監督を見た朝

朝の6時頃、キャベツを千切りにしながら、ふわーっとイメージが浮かび上がってくるのを覚えた。 たまにこんなことがある。 何の脈絡もなく、でも、遠くの光景がこちら側に近づいてくるにつれて、細部の状況まで見えてくるような感覚で、ふわーっと。 それは早稲田大学のラグビー部の監督を務める清宮克幸氏の泣き顔だった。 笑いながら泣いていた。 泣くというよりも涙だけ流れているような絵。 「あっ、これは早稲田が勝ったな。」、すぐに解かった。(こういう時の感覚では、先の事であるにもかかわらず、『勝つんだな』ではなくて『勝ったな』といった具合に、過去形の表現を使うのがぴったりとはまる。) 今日は14時から、大学選手権の決勝戦が対関東学院大学と行われる予定だ。

洗濯物を早めに取り込んで、テレビの放映開始の時間には全て調えて、試合を見ていた。 さすがは決勝戦、見応えのある内容だった。 緊張のためか、なんだかちぐはぐなプレイでトライチャンスを逃がしても、大学選手権の全試合を通して先行されたことの無い今年の早稲田が、後半関東学院に逆転されても、じっくりと安心して見ていることが出来た。 それは、朝のイメージが手元にあったから。 そして、最終的にはしっかり優勝を手中に収めた。

試合直後に清宮監督のインタビューが流れた。 涙は流れていなかったが、今まで見せたことの無いような笑顔と真っ赤な目をしていた。 「今日は泣きますよ。」と、笑っていた。 この顔だ。 今朝見たのはこの角度、このシーンだ。

デジャブを確認した後で、応援していた私も嬉しくなっているのに気付いて、なんとも言い様の無い不思議な気分がしていた。 『監督、今日は思いっきり泣いてください。』 テレビを見ながら心の中で思った。

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2005.01.08

198円の紅茶

昨年末に、普段は行かないスーパーマーケットに寄ってみた。 コーヒーや紅茶売り場を眺めていたら、見たことのないデザインの紅茶缶が。 どこの会社かな?と、手に取りながら値段表示を見ると198円とある。 しかし、掌の缶はずっしりと重たい。 裏書きを読むと内容量、つまり茶葉の量は300グラムだ。 300グラムで198円? 一桁ゼロを付け忘れているのではないかと、本気で心配になる。 スリランカ政府の産地認証マーク付きだし、ちゃんと缶の外側にセロファンのような包装が施されて、湿気が入らないようになっているし、封印のシールもそこそこに手の込んだデザインで、めちゃくちゃな粗悪品には見えない。 棚に目を戻すと、同じデザインで色違いの缶が、何種類か並んでいる。 ダージリンとウバ、アッサム、ジャスミンティー、そしてアールグレイの5種。 まあ198円だと思えば、例え不味かったとしても納得できるだろうし、いざとなったらアイスクリームにでも仕立ててしまえば良いのだし・・と、考えて、買ってみることにした。 とりあえずはアールグレイを一缶。

恐る恐る缶の蓋をこじ開けると、見た目には結構良い感じの茶葉だ。 少々ブロークンの状態のものが混じっているものの、十分に許せる範囲内。 早速淹れてみると、これがどうして、美味しいではないか! 某国内メーカーのアールグレイよりは数段上を行く。 香りも上品でなかなかよろしい。 今度また、あのスーパーマーケットに行く機会があったら、まとめ買いしてこようと目論んでいる。 侮れないな・・。

しかし、この安さは一体どういう訳なのか? 安すぎて気になる。 輸入元の会社の名前や所在地などが記載されていない所も、良く見ると怪しげだ。 なんだか良くわからない紅茶なのだが、まっ、美味しいから良いか。   

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2005.01.07

霊感

お客様の中には霊感が強い方々も居られるようで、バーカウンターでもたまにはそういった話題になる。 そういう能力をお持ちの方というのは、どうやらいつでもどこでも敏感にわかるらしく、車を運転していても「あっ、この場所はヤバイな」などと、すぐに察知するらしい。 高速道路だったら時速100キロ近くで走っているのだから、「あっ!」と思っても、距離にしたらすごい移動になりそうなものだが、あちらの世界では距離や時間を超越した何かがあるのだそうで、走って振り切れるものでは無いとのこと。 不思議だ。

私は別にそういう話を否定も肯定もしていない。 わからないのである。 わからない以上は、あるとも無いとも言えない。 話を聞けば、そういうものかなと思い、頭ごなしに嘘っぱちだとも思わない。 そんなスタンスである。 時折、お客様のリクエストに応じてタロットカードを展開することがあるが、そんな時にはよく、「霊感があるのですか?」との質問を受ける。 「いいえ、全く無いです。」と答えると、安心したような、且つちょっと残念なような表情を返される場合が多い。 しかし、霊感が強いという方は、「図柄を見せてください」と言って、私の使っているタロットカードに触ろうとしてから手を引っ込めることがほとんどで、当然、場は解かれているにもかかわらず、「このカードの力が強いので、触れません。」などとおっしゃる。 使っている本人は全く感じていないのに、妙なものだなあ、と思う。

中には、旅行の二泊目にメモリアに来てくださる方も居られるが、「いやあ、昨夜の宿は霊がたくさん居る所で、眠れませんでした。」などと平気な顔で報告されると、こちらはびくっとしてしまう。 そういう方には、「もし、メモリアで霊が出ていたら教えてくださいね。」と、必ずお願いしているのだが、おかげさまで皆さんから「大丈夫でした。」と、お墨付きを頂いている。 自分にはわからない感覚の分野で、自分では下すことの出来ない評価を頂く・・やっぱりあちらの世界については、不思議の一言に尽きるというものだ。

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2005.01.06

再利用

例えば果物のコンポートやワイン煮。 主役は当然果物の実なのだけれど、この煮汁は絶品だ。 美味しく出来たコンポートやワイン煮であればあるほど、煮汁も絶対に美味しい。 砂糖とバニラ・シナモン・クローブなどの香辛料、それに果物から染み出たジュースが渾然一体となっている。 ある意味においては主役よりも、煮汁のほうが美味しかったりする。

で、これを何かに利用しない手は無い、とばかりに、いろいろ考える。 夏だったら冷たい炭酸水で割るだけでも十分だし、ワインで割ってサングリア風、また更に暖めてホットワイン。 濁りが無ければ『ますたあ』の居るバーカウンターに運んでカクテルシロップとして使うこともある。 煮汁にリキュールを足してデザートソースにしたり、ミルクアイスクリームにかけたり。 ケーキの土台となるスポンジに染み込ませることもできる。 肉料理のソースにも使う。 豚や鴨やジビエなどに使えるし、鶏にもちょっと工夫すれば十分楽しいソースができる。 フルーツトマトをマリネするような時に加えれば、香りがプラスされてまろやかになるし、ドレッシングにも流用する。 とにかくいろいろ使い回しが効いて、それを考える過程も楽しい。

美味しい副産物は、それだけでも十分ご馳走の素だと思う。 市販のシロップには何がどんな風に混じっているのかわからない怖さがあって、例えば保存料とか添加物の具合が心配だが、自分で作る分には全部わかっているから、最後の煮汁まで安心して使える。 手作りの利点はそんなところにあるのかも知れない。

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2005.01.05

正月明けの冬眠

眠り、眠り、また眠って、食べて、また眠りに落ち・・そんな感じで時間が過ぎていった。 更新もせずに、ごめんなさい。 いただいた年賀状に「楽しみに読んでいます」と、書いてくださった方々も居られたのに、すっかり年始から裏切ってしまいましたかね。^^; そろそろ目覚めてきたので、少しずつ普段のペースに戻ってくるんじゃないかと思っている次第で。

トップシーズンの直後はどうしてもこんな風に、ガックリと眠り続けることが多い。 お客様が集中するということは、当方にとっては仕事が集中するということであり、やはりどうしても一時的な「働き過ぎ状態」であることは否めない。 しかし、閑散期になればお客様もカックンと減るので、その間の分まで収入を得ておかなければならず、働ける時に働いておかないといけない。 コンスタントに通年を通して、平均して、お客様が分散してくださったら良いのだけれど、ただでさえ休暇が取れない忙しい社会の中で、旅行に出かけられる時期が限られるのは仕方の無いことで、その方々を相手に商売をしているこちらとしても、その影響をもろに受けるのは当然の事である。

とにかく集中して働き、その後で集中して眠ったり休んだりする。 その繰り返し。 結構激しい差が存在する。 開業直後の数年は、このギャップを体が体得することが出来ずに辛かったが、年齢も若かったので、勢いで乗り越えることが出来た。 現在は加齢によって体力が落ちていることは認めざるを得ないが、学習効果が高まったので、忙しい時期に備えて個人的な準備をしたりして工夫できる。 プラス・マイナスでゼロくらいだろうか。

ハードワークで落ちた体重も、ゴディバのチョコレートやハーゲンダッツのアイスクリーム、それに珍しい輸入ビールの数々に、お餅など、その上にこれでもかの睡眠で、すぐに回復!! 回復以上に増えすぎないようにコントロールしなくては。

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2005.01.02

「らしい」かも

バータイムにご家族連れのお客様方が二組で、それぞれカードゲームをしていた。
一組はトランプ、もう一組はウノ。

親御さんの「バータイムの飲み放題」が終わる時間になって、『ますたあ』がトランプ手品を披露した。

展開されている光景の全てが、なんだかお正月らしいかも・・と思った。
ペンションらしいかも、とも言えそうな気もするが。

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2005.01.01

元日の朝に

●図らずも初日の出を見た。 辛うじて3時間だけ眠った後、寝起きの悪い頭でおせち料理の盛り付けをしていたら、厨房の窓の外が急に明るくなって、お日様が昇ってきた。 目を細めながらしばらく手を止め、はっと我に返って作業を再開し始めてから、初めて、「あっ、これってもしかして初日の出?!」と、やっと認識。 ・・まったくありがたみのわからん奴です、はい。

●年末のお客様がお土産に舟和の芋ようかんを持ってきてくださった。 とりあえず早朝の低血糖を予防しておこうと思って、一切れパク付いたら、思いっきり喉に詰まらせた。 牛乳の力を借りて、事なきを得る。 やっぱりサツマイモとの組み合わせは、牛乳の右に出る物が無い。

●年賀はがきの山が届けられた。 後にすればいいのにやっぱり気になって、駆け足で流し読みする。 12月29日に宿泊してくださった方からの年賀状が早速混じっていた。 「今、このはがきは、メモリアの2階の客室で書いています。」  大うけした。 (なんだ渡してくれればよかったのに・・って、そういう問題じゃないですよね。)

●てんびん座生まれにとっては12年に一度の幸運な年回りらしい。 どれほどラッキーなのか、全部受け止めてやろうじゃないの。 かかってきなさい!

・・というわけで、以上、寝不足で半分壊れているリーボーが、元日の現場からお伝えいたしました。
今年もどうぞよろしくお願い致します。

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