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2005.02.28

吊るし飾り

雛祭りも近くなった。 この歳になって・・とも思いつつ、雛祭りは春の訪れを告げてくれる行事のようにも感じられて、なんとなく嬉しい。 

伊豆の稲取周辺では昔から「雛のつるし飾り」という、独特の飾り付けがなされてきたようだ。 手持ちの縮緬などを使って、ひとつ5センチ前後の小さなマスコットを作り、それを丁度「どんど焼きのお団子」よろしく、等間隔で木の枝や糸で吊るし、高い場所から下に向かって飾る。 トラディショナルな飾りは、手毬や貝などを模ったマスコットのようだが、最近はいろいろ工夫するご家庭もあるようで、ポケモンのキャラクターや流行物もあったりして面白い。 これはきれいで可愛い、ということで、手先の器用な奥様方の中には、「お正月用の吊るし飾り」を作ったり、地場産品のマスコットを作ったりする方も居られて、伊豆ではあちらこちらで「吊るし飾りブーム」が起きている。

実際を見れば華やかだし、可愛いし、おめでたい感じもして、いかにも女性好みの飾りだ。 ただ、個人的には「吊るし飾り」という語呂が、ちょっと汚く感じられて残念に思っている。 例えば「枝垂れ梅」にちなんで「雛の枝垂れ飾り」なんていう呼び方にするだけでも上品さがぐっと増すのに、勿体無いなあ・・なんて、ついつい考えてしまうのだ。 これは、以前書いた「温泉の『かけ流し』」と同様な、個人的こだわりではあるのだが。

日本語は微妙で細やかな表現が可能な言語だ。 つまり、日本語が潜在的に持っている可能性は、非常に高いのではないかと思う。 それを使いこなせるかどうか、奥行きをどこまで引き出せるかは、使い手の力量にかかっているのだろう。 こんな風にして、毎日少しずつ文章を書きながら、自分もそのトレーニングをしているのかもしれない。

この時期に伊豆においでになる機会があれば、ぜひどこかで「雛の吊るし飾り」をご覧いただくことをお勧めしたい。 特に女性同士の旅行なら、喜んでいただけるのでは・・?

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2005.02.26

風邪が流行のようで

PCが風邪に罹患しかかったので、まあ、これもよい機会だからと、頭の中を大掃除してあげることになった。 忘れるべきものは忘れてもらい、必要なものは覚え直していただいて、ちょっとは頭の回転が速くなったか?! 若しくは、頭の中に余力ができたか?!

そんなこんなで、更新ができませんでして・・。 お詫びします。

一昨日は朝から、たくさんのウィルス添付ファイル付きメールが届けられまして、いやはや珍しくすごい量。 ○○から数えて何日目、とかいう種類のものだったのかも知れません。 『ますたあ』がサーバーのメールボックスの中に在るうちに、片っ端から削除している光景を、寝起きの頭で眺めていたもので、詳しくはわかりませんが。

人間界のインフルエンザ・ウィルスも流行しているようです。 どうぞ皆様、お気をつけください。

今日はとても寒い一日で、風に乗ってふわふわと雪が飛んでいました。 先ほどカーテンの隙間から外を覗いたら、うっすらと雪景色になっていて、びっくり! 寒さに身震いしながらも、「きれい・・」と、暫しうっとりしていました。 お風呂上りの濡れた髪のまま、そんなことにうっとりしているから、ウィルスを貰ってしまうんでしょうな・・気をつけなくては! 

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2005.02.23

「本生ゴールド」を飲む

アサヒビールから新しく発売の発泡酒「本生ゴールド」を、早速飲んでみた。 ご存知の通り私は発泡酒が苦手で、美味しさを見出せずにいた。 が、「本生ゴールド」を飲んで、今までの発泡酒が持っていた違和感が払拭された。 全体のバランスが整っている。 ビールの持つそれぞれの要素が、バランスはそのままに、全体が薄まった感じ。 薄いけど、美味しい。 喉が渇いたときや、暑い日に合うと思う。 薄さが幸いして料理の邪魔をしないので、食事の合間に何の抵抗も無く飲めるのも良かった。

好きなビールとは完全に別物と割り切れば、これもアリかな・・と、思える発泡酒を、やっと見つけてうれしい気分だ。

発泡酒と缶チューハイは次々に新しい製品が出る。 最近では各メーカーともデザインを揃えて色違いにしているので、店頭に並べられているのを見ていても、結構きれいだったりする。 ちょっとだけ嫉妬の気持ちも混じりながら、眺めていた。 この時期にしては妙に暖かな、春一番の吹いた日。 これからは休日、それも昼間から、外の陽だまりで缶ビールを飲み、開放感に浸るのも美味しいものだ。 杉花粉が心配なのはさて置き、やっぱり春は待ち遠しい。

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2005.02.22

もめてますね

ニッポン放送を買収されたくないんだったら、フジテレビがライブドアの株を買い占めて、逆に乗っ取っちゃえば良いのに。

なんて、きっとそういう問題じゃないんでしょうけれど・・。

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2005.02.21

アボカドを抱卵?(その後)

さて、昨夜は本当にアボカドと一緒に寝た。 こんなことは多分一生の内でも、今回が初めてで最後だと思う。 いや、思いたいものである。 アボカドを小さな清潔なふきんで包み、念のためビニール袋に入れてからできるだけ空気を抜いて、口を縛った。 寝ている間にビニール袋がワシャワシャと音を立てると嫌なので、柔らかくて音のしないものを選ぶという念の入れようだ。

布団に潜り込んでから、枕もとに用意しておいたアボカドを静々と毛布の中へ。 いったいどの辺にポジションを取らせれば良いのやら? 腕の横に置いてみたが、腕は動きが大きいので相手もコロコロと落ち着かない。 腰の横はどうか。 温度は高くキープされそうだが、寝返りが心配だ。 首の横は? 上から冷たい空気が入ってきてしまう。 しばらくの間、密かに毛布の中で「ああでもない、こうでもない」していた最後にやっと落ち着いた場所は、なんと、脇の下!であった。 これは穴場だ。 真上を見ていても、横向きになっても、脇の下だけは小さなデッドスペースができる。 それも丁度アボカド1個分くらいの。(^^ゞ そこにすっぽりと収めて眠りについた。

寝ている間に気になるかな?との心配をよそに、朝までぐっすりと、何事も無かったように寝た。 目覚めてすぐにはアボカドの存在を忘れていたほどだ。 すっぽりと納まったまま、保温されつづけたアボカド。 重ね重ね妙なものだ。 「何やってんだ、アタシ?」、と、頭の片隅から声がする・・。

布団に入ったまま、ビニール袋を解き朝日に当てて、恐る恐る見てみると、これがまた驚くほどに大成功!! 真っ黒に均一に熟している。 見るからにいい感じ。 もう温めなくても大丈夫なほどに立派に追熟されている。 厨房で成果に見惚れながら、そのまま室温で放置し、午後になってから剥いてみた。

全く文句の付け様も無い、見事に丁度良い熟し加減だ。 端っこを一切れ食べてみる・・「おー、旨いではないか!」 もちろん普通の美味しいアボカド。 何も知らなければそれで済んでしまう。 でも、内心自分が一生懸命抱卵し続けたアボカドかと思うと、美味しさもひとしおなのである。 予想を越えた出来栄えに満足しかり。

これで判った。 手の施し様も無いアボカドであっても、体温で温め続ければ約一日で十分追熟できる。(これって、トリビアになりませんか? なりませんよね。^^;) いざという時のために覚えておこう。 ・・いや、多分こんな経験は忘れろと言われたって無理だ。

ちなみに今夜のお客様にもアボカドの料理をお出ししましたが、それは、私が抱卵して熟させたものではなく、熟したものを仕入れてきています。 念のため。

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2005.02.20

アボカドを抱卵?

3週間前に買ってきたアボカド。 確かに買ってきた時は、まだ緑色でいかにも「未熟です」という顔つきをしていた。 で、早く食べられるように熟させようと思って、リンゴと一緒にジップロックに入れておいたのに、気温が低いためかほとんど追熟が進まずに、一緒に入れておいたリンゴの方が傷む始末・・。

電子レンジでほんの少しマイクロウェーブを当てると成熟が進むというので、10秒照射してから新しいリンゴと一緒に入れておいたが、全く黒くなる気配もないまま、更に1週間が経過してしまった。 トホホ。

こうなったら最後の手とばかりに、なんとか暖かい場所を持続的にキープできないか、頭をひねった。 いくら暖かくても、相手は生ものだから、ボイラーやストーブの上に直接というわけにもいかない。 微妙に30℃くらいの熱が間接的に当たる場所、しかも持続的に当たりつづける場所。 ウーン、そんなところあるか?!

さんざん考えて、無い知恵を搾り出し、ようやく見つけたのは自分のポケット。 アボカドが入るたっぷりの大きさ、それに中でゴロゴロ当たって傷つかないように柔らかな素材・・フリースだ。 ユニクロさんのフリース製部屋着のパンツのポケット、その中にぽっこりとアボカド。 我ながらなんとも妙なことになっている。

かくして、朝からその「妙な状態」のままアボカドを抱卵し続けた結果、現在13時間を経過して、アボカドは確かに追熟されつつある。 皮の色がだいぶ黒に近付いてきたのだ。 まだ食べるほどの成熟には至っていないが、今までの3週間に比べたらすごい進み具合だ。 この調子でゆけば、明日の夜あたりには食べられるようになるかもしれない、と、期待をかけている。

さて、夜寝る時はどうしよう? ミニタオルにでも包んで、一緒に布団に入れるしかないだろうな。 眠っている間に寝返りでも打って潰さないか、ちょっと心配だ。

明日、またご報告します。

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チューリップの体温

寒い一日になった。 春の気配を感じて油断していたところに、この寒さは堪える。 起きたらもう10センチ近い積雪で、一面真っ白の世界が展開されていた。 屋根の上に雪が乗っているせいもあって、暖房効率が悪いのか、レンジやオーブンを使っていても、厨房内で息が白くなるほどに底冷えしていた。

お米を研ぎながら水の冷たさにゾクッと寒気を覚えていたところに、お客様の到着。 ウェルカムドリンクと温めたおしぼりを運んでいった『ますたあ』が、花束を抱えて厨房に戻ってきた。 何かと思ったらお客様からのお土産・・きれいな「お日さま色」をしたスリムなチューリップが3本、優しげにセロファンに包まれていた。 花束を受け取ると、ほんのりと温かい。 多分乗っていらした車の中の暖房の空気が、花束の内部に残っていたのだと思う。 そんなことぐらい当然判っているのだが、私にはそのぬくもりが、チューリップの命の体温のように思えてならなかった。

スリムでしなやかな茎を活かすようにして、曲線を楽しむような花活けに挿す。 すっと伸びた茎のラインが冷えた空気の中で、凛として見える。 やっと解けかけたような優しい黄色のチューリップに、仕事の手を止めて暫しウットリとした夕方だった。

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2005.02.18

飲まなくちゃ、やっていられない夜もあるさ。

自分のいる社会や日本という国が、ますます自分の考える姿とは離れていっている・・そんなことを思い知らされるような出来事やニュースが続いた一日。

多分ストレスで、夕方からカクンと耳の調子が悪くなった。 抱えているイライラの解決方法を見出せずに、夕食時のビールに逃げ込む。 ビールを飲めば耳の具合は悪くなるが、どうせ飲む前から悪いのならば、飲んでも同じことだ。(これは酒飲みにしか通用しない理論に違いない。^^;)

逃げ込める場所があって良かったなと思う。 逃げ込んだからといって、すぐに解決方法が見つかる筈はないが、それでも少しだけ気分は楽になる。 心のエネルギーを充電してから、もう一度前向きに姿勢を修正すれば、何かが開けるチャンスも無い訳ではないだろうと、自分を慰める。

自分の考えを捨てて大勢になびけと言われているのだろうか? もがいている自分が馬鹿馬鹿しくなりもする。 自分を追い詰めているのは自分自身なのではないか?、そんな思いが胸を横切る。 戦っても戦っても届かないその先から、矢継ぎ早にとんでもない知らせだけが届けられる毎日。

くじけずに前を向いて顔を上げるだけの勇気の源を、何に求めればよいのだろうか? もう、夢とか理想とかではごまかしの効かない大人になってしまった自分が、少し哀しい。

とっとと寝よう!

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2005.02.17

貰ったお皿の、その後。

今年も「ヤマザキ春のパン祭り」が始まったらしい。 去年のこの時期に勢いで交換してしまった2枚の白いお皿も、手元にしてから一年経ったことになる。

勢いで交換してしまった手前、使わないわけにはゆかなくなってしまったというのが正直なところだが、その分を差し引いても、思ったよりもお皿は活躍してくれた。 ちょっと奥行きのあるシンプルな形が幸いしたのかも知れない。 果物を盛ったり、サラダを盛り付けたり、ちょっとした煮物やお饅頭など、賄い食の卓上を飾ってくれた。 2枚という数も良かったと思う。 ひとりに1枚には足りなくても、皆で取り分けるような場合には重宝した。

だからといって、今年も交換しようとも考えてはいない。 余りバラバラに食器が集まるのは趣味ではないし、同じような役割を持つ器が増えてしまったら、きっと今持っている器の出番が喰われてしまうだろうと思うので。 それに割れたり傷が付いているわけでもないのに、捨ててしまうのも忍びない。 手持ちの物の可能性をなるべく最大に引き出すことを、自分のポリシーとして掲げていたい。 とりあえず新しいものに手を出す前に、手持ちのもので何とかできるようにしてゆきたいのだ。

たかがお皿、されどお皿。 去年新しく加えられた白いお皿2枚が、結果として自分達の日常に馴染んでくれて良かったと、内心ホッとしている。

なんでもないことなのだけれど。

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2005.02.16

造形としての足

最近では女優の飯島直子さんが、発泡酒のコマーシャルでミニスカートをはいていた。 ちょっと昔に比べると、30歳代後半から40歳台前半くらいの年齢の女性が、若く生き生きとした様子が、テレビでも多く見かけられるようになっているようで頼もしい。 飯島さんはおっとりした感じがソフトでスタイルも良く、少なくとも中年独特のぶくぶくと太った感じが見受けられないので、「努力なさっているのだろうなあ」、と、思っているが、膝小僧の辺りに微妙に年齢が現れているのは、隠せなかったようだ。

若い人と年齢を重ねた人とでは、当然身体の様子が外見的にも変わってくる。 姿勢、皺や顔のシミは当然の事、首筋の皮膚のたるみ。 初老と呼ばれるような方々が、ハイネックを好むのも納得だ。 そして、どこよりも膝の関節近辺・・これは案外皆さん気付いていないのではないかと思うが、すごく正直に年齢を暴露する。 若い人の膝は、完全に足の一部としてその存在が埋没している。 つまり、正面から見ても膝を膝として意識しない。 なのにいつからか、どうしても膝がぽっこりと目立ってくる。 足の中で膝だけが浮いているように見えてくるのである。 膝関節を形成している骨が前へ出てくるためなのか、それとも膝関節を支えている筋肉量が減ってくるためなのか、専門的なことは判らない。 でも、確かに大きく違っているのだ。

若いとも老人とも呼ばれない立場の女性が、若い人には負けたくないとミニスカートを「がんばって」はいている姿を、そこそこに見かけるが、ウエストの細さ、バストやヒップの美しさの問題以前に、実は膝小僧の辺りがとても残念なのを、本人は気付いていないようだ。 ちょっと丈の長いスカートをフェミニンに着こなしたり、ヒップに自身があればパンツスタイルにすれば、簡単にごまかせるのだから、そうしないのは惜しいなあ、と、他人事ながら残念に眺めることが多い。

やっぱり、ミニスカートは若い女性のためにあるのではないかと思う。

余談ではあるが、私が現在、芸能人の中で最も足が美しいと感じているのは、佐藤江梨子さん。 短期間しか放映されなかったが、資生堂の入浴剤のテレビコマーシャルで美しい足をさらけ出して、すっと立っていた彼女の様子は、同性としても賞賛に値するものだった。 彼女のおみ足、まだご覧になっていない方は是非!

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2005.02.15

バレンタインデーの後始末

バレンタインデー直後の、まさにこのタイミングを狙って、毎年大き目のショッピングセンターに足を伸ばすようにしている。 お目当ては製菓材料の値引き。 せこい話ではあるものの、結構バカにできないほどに安い。

バレンタインデーにプレゼントするための、チョコレートやチョコ味のケーキ等を手作りする人を狙って、どこのお店でも製菓材料を特設コーナーに仕立てて並べ立てる。 それが役目を終えて、売れ残りが一斉に放出される。 30~50%も割り引かれることが普通だ。 普段は製菓素材もプロ用のルートから仕入れているのだが、なにせプロ用は購入単位が大きく、何を仕入れるにも大袋で買わなければならないことが多い。 しかし、自宅でたまに趣味でお菓子を作る人のための素材は、小袋で丁寧に包装してあるし、痒いところに手が届くような可愛い素材もあるのでありがたい。 アザランと呼ばれる金や銀の小さな砂糖粒や、ミモザやスミレの砂糖漬けなんて、ちょっぴりあれば足りてしまうのだから、一般用に売られている小袋で十分だ。

安売りのワゴンを見ながら賞味期限をチェックして、使えそうなものを探す。 今日はチョコレートチップや上新粉なども仕入れてきた。 (なぜそこに上新粉が混じっていたのか、不思議だ。 バレンタインデーに和菓子でも作れということだったのだろうか? チョコレート団子?? そんなの貰っちゃったら、相手は引きそうだと思うが。) こんなに安く並べるなら、スーパーはそんなに仕入れなければ良いものを・・と、余計なお世話で心配になる。 

つい先日まできれいな包装紙に包まれたチョコレートが並べられていたと思しきスペースには、もう、ひな祭りのお菓子や白酒が並べられていた。 こんな風にして、季節は移り変わってゆのだな、と、しみじみした気分で眺めていた。

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コンポスト処理

昨日はコンポストの中身を土に返すための作業をした。 だいたい半年から一年弱に一度、恒例のようにやっている。 メモリアでは生ゴミの処理はコンポストだ。 かなり意識的に生ゴミの排出量を押さえているつもりなので、今のところはコンポスト処理でも、なんとかなっている。

コンポストのすぐ近くの土に穴を掘る。 大きな穴、人が入れるくらいの穴だ。 そこにコンポストの中身を埋め、土をかぶせる。 元々コンポストに生ゴミを入れる際、少量の土や特殊細菌の種菌などを混ぜておいてあるので、下の方に貯まった生ゴミは、既に土に近い状況になっている。 上の方の未分解のものも、土中の細菌やミミズなどの生物が自然に分解してくれる。 自分たちには直接関係がなさそうなアメーバ―だの、虫の幼虫だの、ミミズだの・・が、不要になった食品を分解してくれている・・ありがたい話だ。

やはりどうしても臭いは出る。 土をかぶせた後の夜中に、野生のイノシシなんぞがわざわざ掘り起こして漁っていったりすると、朝一番にプーンと臭ってくる。 臭いがなるべく漂わないように、冬の厳寒期を狙って作業しているのだが、その時期は山にも餌が少ないので、いろいろな動物が狙いに来るのだ。 まあ、それもそれとして諦めているので、埋めてからの一週間ぐらいは、夜に掘り返すヤツと昼に埋めなおすヤツとのせめぎ合いになってくる。 これも恒例化している・・人間なんて所詮ちっぽけなもの。

慣れないスコップ作業で汗をかき、気付けば掌に豆をつくり、臭いに顔を歪めながら、生ゴミを土に戻す。 料理を作っている者として、この作業を担えることはとても意味があることなのではないかと思っている。 この作業を知っているから、普段のゴミ減量化に気を遣う事が出来る・・肉体的には大変でも満足度も高い作業だ。

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2005.02.13

雛人形のある光景

ここ数日になって、冬が緩んできた気がする。 寒さは相変わらずだし、気象上の最高気温の数値だって何ら変化は無いし、当然身に付けている洋服も同じレベルのものだ。 なのに、どこかが違う。 厳しい寒さの奥底の一番深い辺りが、ほんのちょっと『ふっくら』しているのを感じる。 こういう感覚は言葉にして伝えるのが難しいけれど。

ダイニングの片隅とフロントのテーブルの上に、雛人形が飾ってある。 立春の日に出してきた。 まだ雛菓子を買ってきていないので、とりあえずでキルシュワッサーのきれいなボトルと、フォションの金色の紅茶缶、それにちょっとした花をお供えしているのだが、こんな品揃えではお雛様もびっくりだろう。 穏やかな顔で「これはなんでしょうねえ?」「お酒みたいだよ」なんて、お話なさっておいでかもしれない・・そんなことを想像すると、何となく可笑しい。

窓の外の陽射しを向こうに、遠くを見るような眼差しをしてすっと姿勢を正している姿は、そこの周りだけ確かに華やかで、ふっと春の気配が具体的に見えるような気がする。 雑巾や掃除機を手に走り回っている中で、ふくよかな白いお顔が視野に飛び込んでくると、なんとなくホッと和む。 お似合いの品の良い雛菓子を、早く見つけてきてあげよう。

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2005.02.12

甘いラム

よく働いて、更新もサボって?、今夜になってからやっとお酒を飲んだ。(何たる表現だ。)

とりあえずビールを飲み、その後でいつもの通りラム酒に手を付ける。 「今日は飲んでも大丈夫」と、身体が言っている時には、ラム酒が甘い。 一口飲んで、すぐにわかる。 甘い日は酔わないし、宿酔いも無い。

ラム酒はサトウキビから作ったお酒だ。 蒸留酒だから原料の味はあまり残ってはいない。 だから、普通のお酒の味であって、例えるなら梅酒のように砂糖を添加しているわけではないから、実際は甘くは無い(はずだ)。 だが、甘く感じる時は、たまにある。 こういった時に他のお酒を飲んでも甘く感じるのかどうか、試してみたことは無いので、なんとも言えないが、別の言い方をすれば、身体がお酒を歓迎しているサインなのかも知れないとも思う。

身体にとってはアルコールは毒物の範疇に入るだろう。 でも、心が求めている時もあるし、身体と心の両方があるのが人間なのだから、実際は身体と心のどちらがアルコールを求めているのか、境界は明確ではない。 毒を甘く感じるということは、少なくとも拒絶はしていないのだろうから、ありがたく思って?飲ませてもらう。

・・今日は午後から、ラグビーの日本選手権の2回戦をテレビで観戦する予定で、朝から必死で働いて時間を作っていた。 ところが、直前でテレビ欄を見たら放映が中止されていて、ガックリ疲れが出た。 もう、NHKサンたら、何やってんだか!! 夕方、私の代わりにパソコン検索をかけてくれた『ますたあ』によれば、抗議の電話が殺到して、結局は予定通りに放映されていたらしいと言う。 ・・それを聞いて、二重にガックリ! ビールと、ラム酒でだいぶ楽になったので、午前2時からの録画放映で楽しむことに割り切って、気分の良い夜を過ごしたいと考えている。

残るは睡魔との戦いか?

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2005.02.09

奥ゆかしい感じも好き

本来メモリアのウェブは、宿泊客の方々の為に存在すべきものなので、アクセス解析ソフトが乗せられている。 お客様方が何の目的で、どこのサイトからメモリアを見つけて来訪し、どこのページをどのように見ていったのかを分析して、よりニーズに見合ったサイトにするための参考資料にするからだ。 (もうご承知の通り、この論理でゆくと「リーボーですよ!」は完全に目的外使用である。 が、マニアックな来訪者の一部には好評なので?こうしてサーバーのスペースを分けてもらっているのが現状だ。 まあ肩身の狭い思いもせずに済んでいるが、大きな顔も出来ない。)

アクセス解析の結果は気になるので、結構頻繁に読んでいる。 数は少ないがIPアドレスから個人を特定できる方もあって、もちろん、個人情報の管理には相当気を遣っているが、懐かしい人が読みに来てくれた足跡を見つけると、なんとも言い尽くせない気持ちになる。 それが昔からの友人であったりすれば、なおさらのことだ。

もうそれぞれに家庭を持ち、仕事も忙しくしているのだし、ましてや私は伊豆に住んでいるので、多くの懐かしい友人からは地理的にも離れた存在だ。 何となく照れくさいような気持ちも相まって、年に数回の手紙やメールのやり取りはあるものの、それさえも遠慮しがちになる。 ふとしたことで思い出して、会いたいな、とか、話したいな、とか、思っても、すぐには実行できない理由を互いに抱えているのが現実だろう。 うまくことが進んでも数年に一度会うのが精一杯。

別に、ウェブを見に来てくれたからといって、メッセージや書き込みを残すでもなく、黙って去ってゆく。 こちらがアクセス解析を見なかったら、来てくれていたことさえも判らない。 それでいいのだと思う。 相手を思い出させる「足跡」の奥ゆかしさが、何となくちょうど良い距離のような気がする。 お互いの邪魔にならない程度に、でも、時々思い出して、相手も忘れずにいてくれることを間接的に知る。 夢で会うのと似たようなものかもしれない。

アクセス解析に特定のIPアドレスを見つけると、私の心の奥で、小さな灯火がポッと灯る。 ちょうど冬の冷たい風の中で、梅の老木に小さな白い花がひとつ開いたのを見つけた時のように。

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2005.02.08

「窯変 源氏物語」 その2

だいぶ読み進んできた。 とはいえ、まだ4巻・・全部で14巻あることを思えば、先はまだまだ長い。 「源氏の君」は27歳になった。 物語の中だけ、時がどんどん流れてゆくのが、なんとも妙な気分だ。

ひとつ訂正しなくてはならない。 読み始めようとしていた時点のブログに「源氏物語は歪んだ恋愛の話である」などと書いてしまったが、これは大きな誤りであった。 確かに、私が高校時代の古文の時間に学んだ、始めの数編だけを読めば、そうととらえられなくも無いのであるが、読み進めてゆくうちにどんどん様相が変わってきている。 色恋のことばかりをテーマにしているのではないし、男と女の有り様を通じて、何かもっと本質的なものに触れたがっているような、そんな気配が感じられる。 この長い物語が何を読者に伝えたかったのか、そのことについて考察するのは、全巻読み終えるまで「おあずけ」にしておきたい。 やはり、生半可な知識で物事を語るのは良くないことだな、と、反省している。

今朝は診療予約を入れておいた病院に、定期検査の結果を聞きに行ってきた。 受付を済ませ、待合室で一心不乱に読みふけっていたところに、床の清掃に来た職員がモップを滑らせながら、いきなり話し掛けてきた。 「何読んでんの?」(病院の清掃職員は、愛想がよくて人懐っこい人が多いみたいだ。 馴れ馴れしく話し掛けられても、別に知り合いでもなんでもないのだが。) 思わずこちらもびっくりして、「源氏物語!」と、人懐っこく返事をしたら、オジサンは二ヤッと笑いながら、「オツだねぇ。」との言葉を残して踵を返していった。 モップを動かしつづけているオジサンの後ろ姿を見ながら、「妙な会話をしたもんだな」、と、ひとりで苦笑した。 「そうか、『源氏物語』はオツなものなのか・・」 ひとつ教えられたような不思議な気分がした。

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ホットミルク

どんよりと曇った一日。
お客様の「春のメニュー」を考える。
不思議なものでメニュー構成を考える時、いつも頭の中は「字や文章」ではなくて「絵や画像」だ。
やっぱり右脳優位の奴なのか?

久し振りにホットミルクを飲んだ。
ちょっぴり砂糖を入れた。 その甘さを頼って肩の力を抜いた。
懐かしい友人から届いた手紙。
見慣れた優しい文字を眺めながら、全ての物事に対して全力投球しなければ気が済まなかった若い日々のことを思い出す。
あの頃は自分に厳しさを要求してくる冬という季節が、一番好きだった。
大人になるのも悪いもんじゃないな、なんて思えるようになったのは、ごく最近のことだ。
生きることは今でも変わらずに「大変なこと」だが、良くも悪くも少し力配分を考えるようになった。

明朝は早起きしなくてはならない用事がある。
夜半から「何か」が降り始めるらしい。
白く雪が積もっていたら、それを言い訳にしてエスケープしてしまおう。

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2005.02.06

グルーミングの日曜日

夏休みやゴールデンウィーク、お正月を除けば、この仕事はどうしても週末の土曜日が、一番忙しくなることが多い。 日曜日の朝、お客様方を送り出してからは、まず掃除。 一通り片付けるともうお昼ご飯だ。 食事を終えるとカックンと気が抜けてぼんやりしてくる。 読めなかった土曜日からの新聞をまとめ読みしたり、洗濯物をたたんだりしてくだらない野暮用を片付け、音楽を聴いたりと、物静かに過ごすことが多い。

ふと手荒れが気になって良く見ると、ひび割れて血が滲んだりしている。 ありゃありゃと慌ててハンドクリームを塗りたくる。 塗りながら変な痛みを見つけ、原因を除きこむと、指先に小さな火傷の水ぶくれ。 なんでその時に気付かないのかが不思議だが、こんな風に、どうでも良いことは日曜日の午後に見つけることがほとんどだ。 あれ、そろそろ足の爪が伸びてきたから切らなくちゃな、とか。 本当にどうでも良いこと。

発見の日曜日とでも言うべきか、集中が解けてからになって見えるものがあるのは、それはそれでおもしろいと思う。 きっと集中している時と、ぼんやりしている時は、見えているものが違うのだろう。

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2005.02.04

豆まきの思い出

豆まきといえば、自宅でやるこじんまりしたパターンと、神社で年男・年女、時には有名人を招いて壇上から豆をまいてもらい、参拝客がこぞって拾うパターンがある。

社会人になって間もない頃、同期のメンバー数人で鎌倉に小旅行に出かけた。 手に入れた地図を片手に散策しながら寺院を巡り、庭を見たり、あんみつを食べたりして楽しんだ。 さて、宿にチェックインする前、最後に寄った小さなお寺では人がたくさん集まっていた。 お寺の規模からしても不自然なほどの集まり様で、しかも警備員までいる。 何があるのかと思って尋ねてみると、あと15分ほどで豆まきが始まるらしい。
「どうする?」
「あんまり興味は無いよね。」
「そうだね。」
「でもせっかくだし、見ていっても良いかも。」
「急ぎ旅でもないしね。」
「じゃあ、見てから行こう。」
傍観者の気持ちで、集まった人の輪の一番外から、ぼんやり光景を眺めていた。

やがて、裃のようなものを着た数名の年男たちが現れ、誰かわからないが力士まで登場、そしてやたらにきれいな目立つ若い女性・・隣のオバサンの話が聞くとも無く聞こえ、どうやら宝塚の有名な女優さんらしい。 みんな手に大きな枡を抱えている。 「なんだか凄い事になってきちゃったじゃん!」、私達は顔を見合わせた。 周囲の歓声がうるさくて、会話どころではない。 顔を見合わせた次の瞬間、歓声がなお一層大きくなり、頭の上から何かがバラバラと落ちてきた。 そう、ついに豆まきが始まったのだ。 何がなんだか圧倒されつつも、いつの間にか私たちも必死に豆をめがけて手を伸ばしている。 ワーワー、キャーキャー、体育祭の騎馬戦のようだ。

あっという間に豆まきは終わり、壇上の力士や女優さんが手を振りながらどこかへ見えなくなった。 ふと気付くと、隣にいた仲間がいない。 きょろきょろ見渡すと、みんなバラバラな場所に散らばっている。 それぞれいつの間にか豆に必死で、離れてしまっていたらしい。 「いやあ、こんなはずじゃなかったのにね。」 みんなで笑った。

豆は一辺3センチくらいの4面体に薄い和紙で包まれていて、ひとつに15粒くらい入っていたと思う。 中には新品の5円玉が一緒に入っていたり、コンペイトウが包まれているものもあって、宿でみんなで分けて食べた。

ひとりスエードのローヒールのパンプスを履いていた仲間がいたのだが、神社の境内に敷き詰められた砂利の上で、人と押し合い圧し合いしている内に、ヒールが捲れあがってしまい、翌朝ボロボロになっているのが発見された。 「あなた、そんなに必死で豆拾いしてたの?!」なんて冷やかしながら、帰りがけ鎌倉の駅近くの靴屋で新しい靴を皆で見立てて、割り勘にしてプレゼントした。 その場で履き替えて帰りの電車に乗ったのも楽しい思い出だ。 

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2005.02.03

マヨネーズを混ぜながら

マヨネーズを作る。 ただひたすらに一定のリズムで泡だて器を動かしながら、オイルをタラタラとボウルに流し込んでゆく。 ひとりなので右手は泡だて器、左手にはオイルの入った計量カップ。 カタカタと泡だて器がボウルの壁に当たる音だけが、冷えた厨房に響く。

自分で作るマヨネーズは、どうやっても市販品の味にはならない。 何をどうやって味付けすればあの味が出来るのか、不思議で仕方が無い。 もちろんそこが企業秘密なのだろうけれど。 マヨネーズという名前は同じでも、全く別物だ。 使い道によって、市販品も利用するし、自分でも作る。 それぞれに適した使い道がある。

卵黄とフレンチマスタード、それにビネガーとオイル。 基本の材料はこれだけだ。 ひとつひとつ取り上げれば個性の強い食材ばかりなのに、全部混じってマヨネーズになると、もう原料が何かわからないほどに別の物になっている。 見事なまでの個性埋没、いや、個性の融合と言うべきなのだろう。

最近、ごひいきにしているロックバンドのメンバーのひとりが、単独で他のロックアーティストとコラボレーションして、アルバムを発表した。 それぞれがそのまんま存在している印象が強く、コラボレーションしていることを活かしきれていない感じがして、個人的にはとても残念だった。 買ってきて手元に置いたは良いが、聴く気になれず、そのまんま飾ってある。 今後、また元のバンドで活動する上で、経験が活かされることに期待したいと思う、親心のようなファン心理というところだろうか。

個性というものの扱いの難しさについて、マヨネーズに重ね合わせて、ぼんやり考えていた。

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2005.02.02

生意気について考える

ずっと以前から、私が仲良くしたり惚れたりする男性や、腹を割って本音で話の出来る女性は、周囲から生意気であると言われることが多い(らしい)。 「生意気だと言われた・・」と、会話の中で相手が報告してくれると、「おっ、やっぱり来たな」などと、内心ニヤリとする。 とやかく言う私自身も、十分に生意気なガキだったと思うし、学生時代や社会に出てからも環境が変わる度に、生意気だと言われてきた者だ。 だから、生意気と言われる状況がどんなものかわかるし、言われた側の気持ちもよく理解しているつもりではある。

生意気と言われる人は、少なくとも嫉妬を受けている。 年上の相手や先輩・上司など、一般的には自分よりも目上とされる立場の人が、出し抜かれたり、自分の立場を大切に扱ってくれない後輩に対して、使うことが多いのではないかと思う。 その場合、言う側の人は、経験が長いというだけで立場を尊重されるべきだという価値観を持っている方がほとんどで、言われる側の人は、一言で言えば能力主義・実力主義の価値観を持つ場合が多い。 「立場がどうであろうと、仕事が出来なくちゃ、しょうがないじゃん!」と思っている人が、言われるのだ。 先輩側も「君はこの部分で私に報告してから、ことを進めるべきだった。 なぜなら、君の仕事であるだけでなく、組織(会社など)としての仕事でもあるんだから。」と、いうように、具体的に指摘してくれるのであれば、後輩側も意見を述べることが出来て、建設的に事を進められるのだろうが、相手の意見など聞く気が無く、論理での解決を拒否している場合に、「生意気だ!」の一言で片付けようとする。 それは、論理でなく感情なのだ。 立場や協調性を重視するあまり、本来の自分の持つ能力を発揮しきれずにフラストレーションが溜まっているところに、自由にやりたいようにやっている相手を目の当たりにして嫉妬する。 言われる側の人は、能力はあるものの相手の立場を尊重する姿勢に欠けている、と言うことも出来るだろう。 ある意味においては、協調性に乏しいのかも知れない。

ここで、言う側と言われる側の価値観の違いが浮き彫りになる。 つまり、言う側は協調性重視で社会序列を乱したくないと考えているのに対して、言われる側は能力の高い者にこそ価値があると思っている。 前者で行けば何事も丸く済む場合が多いし、秩序正しいシステムになりやすいが、変化が生まれないのでナアナアになりがちになったり、やったことの評価が曖昧になったり、時代の変化に遅れる場合もある。 後者で行けば、格差が広がり、何かにつけて波風が立ちやすい。 その代わりに常に刷新的なことが出来たり、独自色の強いものが生まれやすくなるだろう。 変化への対応もしやすいはずだ。 どちらがどう、という問題ではない。 その両面が備わって、どこかでバランスが取れていることが大事なのだろうと思う。

ひとつ言えることがあるとすれば、「生意気だ!」と言っても、価値観の違う相手の心底には響かないし、それは感情をぶつけているだけで、問題の解決には繋がらない、ということ。 生意気だと思わなくても済むように、相手を誘導したり、共通のルールを定めておいたりして、自分側に存在する問題の原因となる穴を事前に埋めておくことが必要だろう。 と、同時に生意気な相手は能力があるのだから、それを自分の有利なように活用する方法を考えれば良い。 自分の掌でのびのびと能力を発揮してもらえるように、懐を広げれば良いのである。

私を含め生意気だと言われるような人は、「協調性なんてどこかで見切らなければならないものだ」くらいに思っているのではないかと思う。 いや、もう既に、見切っているのかもしれない。^^; そこを自分自身で知った上で、謙虚な姿勢で臨むべきなのだろう。 他の部分においては相手を尊重する姿勢を持っていることが、人間として大事なのだと思う。

自分で自分に言い聞かせつつ・・。

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2005.02.01

ふきのとう1号

昨夜からぴゅーぴゅー音をたてて、冷たい風が吹き荒れていた。 身震いしながら布団から出て、雨戸を開けカーテンを束ねていた時、視界の隅っこに薄緑色のまとまりを見つけた。 枯葉が残る地面の上にホワホワと何かが顔を出している。 「こんな寒い時期に生えてくるものなんてあったかなぁ?」、まだ寝ぼけた頭でぼんやり考えてから、はっとした。 「もしや、あれは・・!」 サンダルを突っ掛けて風の中を確かめに行くと、やっぱりそうだった。 ふきのとう。 一面に茶色の土の上で、黄緑色に白絵の具を混ぜたような淡い緑色が、鮮やかに目立っている。 ガサガサと枯葉をどけると、ひとかたまりになっているふきのとうが姿を現した。 まだ頭の先も開いていない、すっぽりと閉じたままの丸いふきのとう。 このまんまパックに詰めたら、売り物に出来そうなきれいな形だ。

早速午後から小さなボールとフルーツナイフを持って、地面にしゃがみこんで、収穫開始。 目が慣れてきたら、あちらこちらに顔を出しているのを発見し、数えてみたら11個にもなっていた。 数個だったら「蕗味噌」にして、豆腐田楽にしようと目論んでいたのだが、こんなに豊作ではちゃんと「てんぷら」でも作ってあげないと申し訳ないような気分になり、揚げ油を熱しだす。 薄い衣の向こうに、淡い緑色が見え隠れして、なんとも上品な春の揚げ物が出来上がった。

塩だけぱらっと振りかけて、夕飯の賄いに。 まだ顔を出したばかりのせいか、苦味も薄く、穏やかな緑の味と香りで、食卓に一足早い春を運び込んでくれた。

ちゃんと立春にあわせて顔を出してくれたところなんぞ、なんともオツなもんだな、などと心の中でつぶやきながら、暖かい次の季節を待ち遠しく思った。

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