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2005.02.02

生意気について考える

ずっと以前から、私が仲良くしたり惚れたりする男性や、腹を割って本音で話の出来る女性は、周囲から生意気であると言われることが多い(らしい)。 「生意気だと言われた・・」と、会話の中で相手が報告してくれると、「おっ、やっぱり来たな」などと、内心ニヤリとする。 とやかく言う私自身も、十分に生意気なガキだったと思うし、学生時代や社会に出てからも環境が変わる度に、生意気だと言われてきた者だ。 だから、生意気と言われる状況がどんなものかわかるし、言われた側の気持ちもよく理解しているつもりではある。

生意気と言われる人は、少なくとも嫉妬を受けている。 年上の相手や先輩・上司など、一般的には自分よりも目上とされる立場の人が、出し抜かれたり、自分の立場を大切に扱ってくれない後輩に対して、使うことが多いのではないかと思う。 その場合、言う側の人は、経験が長いというだけで立場を尊重されるべきだという価値観を持っている方がほとんどで、言われる側の人は、一言で言えば能力主義・実力主義の価値観を持つ場合が多い。 「立場がどうであろうと、仕事が出来なくちゃ、しょうがないじゃん!」と思っている人が、言われるのだ。 先輩側も「君はこの部分で私に報告してから、ことを進めるべきだった。 なぜなら、君の仕事であるだけでなく、組織(会社など)としての仕事でもあるんだから。」と、いうように、具体的に指摘してくれるのであれば、後輩側も意見を述べることが出来て、建設的に事を進められるのだろうが、相手の意見など聞く気が無く、論理での解決を拒否している場合に、「生意気だ!」の一言で片付けようとする。 それは、論理でなく感情なのだ。 立場や協調性を重視するあまり、本来の自分の持つ能力を発揮しきれずにフラストレーションが溜まっているところに、自由にやりたいようにやっている相手を目の当たりにして嫉妬する。 言われる側の人は、能力はあるものの相手の立場を尊重する姿勢に欠けている、と言うことも出来るだろう。 ある意味においては、協調性に乏しいのかも知れない。

ここで、言う側と言われる側の価値観の違いが浮き彫りになる。 つまり、言う側は協調性重視で社会序列を乱したくないと考えているのに対して、言われる側は能力の高い者にこそ価値があると思っている。 前者で行けば何事も丸く済む場合が多いし、秩序正しいシステムになりやすいが、変化が生まれないのでナアナアになりがちになったり、やったことの評価が曖昧になったり、時代の変化に遅れる場合もある。 後者で行けば、格差が広がり、何かにつけて波風が立ちやすい。 その代わりに常に刷新的なことが出来たり、独自色の強いものが生まれやすくなるだろう。 変化への対応もしやすいはずだ。 どちらがどう、という問題ではない。 その両面が備わって、どこかでバランスが取れていることが大事なのだろうと思う。

ひとつ言えることがあるとすれば、「生意気だ!」と言っても、価値観の違う相手の心底には響かないし、それは感情をぶつけているだけで、問題の解決には繋がらない、ということ。 生意気だと思わなくても済むように、相手を誘導したり、共通のルールを定めておいたりして、自分側に存在する問題の原因となる穴を事前に埋めておくことが必要だろう。 と、同時に生意気な相手は能力があるのだから、それを自分の有利なように活用する方法を考えれば良い。 自分の掌でのびのびと能力を発揮してもらえるように、懐を広げれば良いのである。

私を含め生意気だと言われるような人は、「協調性なんてどこかで見切らなければならないものだ」くらいに思っているのではないかと思う。 いや、もう既に、見切っているのかもしれない。^^; そこを自分自身で知った上で、謙虚な姿勢で臨むべきなのだろう。 他の部分においては相手を尊重する姿勢を持っていることが、人間として大事なのだと思う。

自分で自分に言い聞かせつつ・・。

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