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2005.03.31

先のこと

自分はどのくらい先の約束まで、責任を取れるものだろうか。

極端な言い方をすれば人は誰でも「一寸先は闇」なのだから、数分後のことだって保証の限りではない。 多分大丈夫だろうとか、きっと変わりないはずだとか、その程度のものだろう。 それでも大抵はいつも通りに翌朝が来て、いつも通りに時は進む。 そのような状態に慣れているから、実はそれは大それたことだなどとも考えたりしていない。

メモリアの宿泊予約は3カ月前からの受付になっている。 これは3カ月先までにおいては、とりあえず宿として業を成すことをお客様に保証することになる。 お客様の立場からしても、そのくらい先までなら何とか状況が読めるかな、という、お互いの立場でぎりぎりの保障期間なのではないだろうか。 社会の仕事のシステムが変化し、「忙しい人は馬車馬のように働き、仕事にあぶれた人は時間があってもお金が無い」現状においては、旅行にお金を使える「普段忙しい人」は仕事に追われて休日の予定が立てられないと見えて、宿泊予約もどんどん期日直前になってきている傾向が目立つ。 つまり、保証できる期間がどんどん短くなってきているのだ。 「もしかしたら、今度の週末は休めるかも知れない」と、水曜日ごろに考える・・その程度がやっとのことというのが現実に違いない。

父の入院した病院に面会を兼ねて必要なものを届けに行ったら、ロビーでとある病人のご家族と病院のスタッフが相談をしていた。 入院期間が3カ月を過ぎたら、別の病院への転送を考えてもらう必要が出てくるので、今のうちからそのことを考えておいてください、ということらしい。 家族は「病人がこの3カ月の間に、どの程度回復しどのような病状に変化しているのか予想もできないので、新しい病院はまだ選ぶことを考えられない」と、スタッフに半分抗議していた。 聞くともなく聞こえてしまったのだが、ごもっともな話だと思う。 と同時に、そのくらい猶予を持って手配をしておかなければならない「地域のベッド数の不足を背景に抱えた病院事情」も手に取るようにわかって、ウーン・・と考えてしまった。

いつものように明日が来て、いつものように暮らし、先の心配を抱えないで過ごせる・・そんな「なんでもない当たり前の事」は、実はものすごく幸せなことなのかも知れない。

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2005.03.30

思わぬ事態

義父が入院した。 脳梗塞。 病変はあまり大きくはないが、若干の麻痺が出ている。 早朝に救急車を呼んでからすったもんだして、沼津の病院に落ち着くまで約10時間かかった。 気付けばほぼ一日飲まず食わずで対応に追われ、今やっと家に帰ってきて落ち着いたところだ。 めまぐるしい一日だった。 患者本人がケロッとしているのが、何よりの救いだろう。 急性期を過ぎればリハビリの日々になる・・がんばっていただかねばなるまい。

病院でMRIや脳血管造影の写真を見ながら、「老化と病気」について考えていた。 異変に気付いて病院で検査を受け、病変が見つかれば「病気」だが、「年寄りだから、こんなものだろう」くらいにしか思わず、家でそのまんま過ごせば「老化」である。 境界線は医学の進歩や救急医療の進歩で、ずいぶんと「病気」側に進んできた。 寿命が延びるという現象は、こういうことが底辺にあるのだろうと思う。 そして、社会全体の医療費は膨れ上がっている。

疲れのせいか考えがまとまらない。 とりあえずお風呂に入って明日に備えよう。

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2005.03.29

チーズに呼ばれる

ここ数日、何故かチーズが食べたくてしょうがない。 おかげで頻回にチーズが食卓に上る。 チーズは良い面を見れば「高カルシウム含有で高蛋白質食品」だが、別の面では「高脂質食品」でもあるので、冬の寒い間に皮下脂肪を蓄え続けた身体のことを思うと、ちょっと気になるのは事実。 でも、無性に食べたいということは、イコール身体が欲しているということだろうと勝手に解釈して、結局は食べている。

仕入れの具合に関係なく「チーズが食べたい状態」に陥ったので、手元には気の利いたナチュラルチーズの持ち合わせが無くて、あるのはプロセスチーズとピザ用のシュレッダーにかけたエダムチーズとクリームチーズのみ。 昨日の夕方に焼いたアップルパイに使った甘酸っぱく煮たリンゴが数切れ余っていたので、今朝はそれとプロセスチーズをトーストに挟んで食べた。 「ああ、ブルーチーズの一切れでも残っていれば・・」と、上を見ればきりがないが、プロセスチーズでもまあそこそこに美味しかったので、強制的に自分を満足させた。

チーズはそのまま食べるのと加熱したのでは全く別の表情になるし、一緒に組み合わせる食品によっても色々な味わいが生まれてくるので面白い。 ナチュラルチーズでは熟成の具合によっても、味や香りが全く違っている。 いつ購入しても同じような商品に出来上がっているプロセスチーズは、逆に凄いと感心させられたりもする。

今度出かけたら、自分用にナチュラルチーズをいくつか見繕ってこよう。

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2005.03.28

真夜中のトマト

かつて新生児を専門に看護する部署で働いていた頃、夜中に良く相談電話がかかってきた。 夜は人間の心理状態が一種独特のものになることが多いようで、それは「夜中に書いた手紙は、朝に読み直してから出せ。」という言葉に集約されているように思う。 まして初めて赤ちゃんを抱える新米ママやパパにとっては、昼間にはなんでもないことでも、急に不安が募ったりしたって当然だ。 ご近所の手前もあり、赤ちゃんが夜中に泣き止まなかったりすると、居たたまれなくなって電話してくる・・そんなことも多かった。

ある夏の夜に電話があった。 赤ちゃんのオムツに血が付いているという。 しかもべっとり・・。 電話を受けたのは後輩で、これは自分の手には負えないと思ったのか、電話を保留にして「病児室」に篭っていた私の所へやって来た。 下血となれば一刻を争う。 でも、「赤ちゃんは元気もあるし、おっぱいも普段通り飲んでいるし、ぐったりした様子も無い」とのこと。 おととい退院したばかりだと言うので、まだ新生児室に残っていたカルテをチェックするが、考えられるリスクも見当たらない。 ふとカルテの住所を見ると、病院からそう遠くない場所だ。 電話をかけてきたご両親の心配も強いし、尋ねれば車で5分もかからないと言うので、念のため新生児室に連れて来てもらうことに。 「血のついたオムツを持ってきてくださいね」と、後輩は念を押して電話を切った。 赤ちゃんは病気になるとあっという間に進行してしまうので、新生児室の中に必要最低限の検査機材が揃っているし、スタッフが使いこなせるよう訓練も受けている。 万が一に備えて準備を整えて、家族の到着を待った。

赤ちゃんはすやすやと眠っていた。 お腹を触診して目を覚ましても、どう見ても病気の赤ちゃんには見えないし、一通りの検査にも、全く異常値は現れない。 でも、持ってきたオムツには確かに赤い血便のようなものがたっぷりと付着している。 「んー、どうしたんでしょうねえ」・・心配顔のご両親を横に、私たちも首をひねった。 目の前にはきょとんと手足をばたつかせている元気な赤ちゃん・・。

「あれ?、もしや・・!!」 ふと思いついて尋ねてみた。 「あのー、念のために伺いますが・・この赤ちゃん、おっぱいやミルク以外の物を、飲んだりしていませんよね?」 しばらく考えた後、ママが「あっ!!」と、大きな声をあげた。 「トマトをあげました!」 「トマト?」 「夕方、おっぱいは足りているはずなのにどうしても泣き止まなくって、何か違うものが飲みたいのかと思って、冷蔵庫にあったトマトを。」 「食べさせたんですか?」 「絞って哺乳瓶で飲ませました。」 「どのくらい?」 「50ccくらい・・」 「それだぁ!!」 トマトを消化できなかった赤ちゃんは、若干の水分だけを吸収した後でオムツにそのまま排泄したのだった。

生まれて一週間でトマトを食べたという奇特な経験をした赤ちゃんは、元気に帰っていった。

昨夜、夜中にひとりでトマトサラダを食べる夢を見た。  せっかく夢で見たので、朝ご飯にトマトを切ってサラダにした。 こんな赤ちゃんのことを思い出しながら、「変な夢だったな」と思いつつ美味しく食べた。

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2005.03.27

ハッピー・イースター

イースターに相応しい、いかにも春めいた陽気。

昨夜はとにかく良く眠った。 普段の私にしては睡眠時間が長過ぎたせいであろう、明け方は変てこなつじつまの合わない夢を立て続けに見たが、それはそれで、夢でしか遭えないような人と会話したりして面白かった。 おかげで体はすっかり楽になり、今朝は普段のペースで事を進めることができ、内心ほっとした。 イースターの言葉通りに復活したような気分がすることを、面白く感じた。

暖かな風に誘われて、布団を干す。 ふと空を見上げると、建物に覆い被さるような山桜の木に、つぼみが膨らんでいる。 すやすやと寝入っている間に、春はまた一歩先へ進んだみたいだ。 水仙のつぼみもいつの間にかパッカーンと開いて、同じ背の高さに見事に並んで風に揺れていた。 ゆっくりと、しかし、確実に進んでゆく季節を目の当たりにして、うかうかしていられないな・・何故かちょっとだけ焦った。

妙な商品を扱うDMが届いた。 (こんな物は当然ながら開封もせずに「受け取り拒否」のメモを貼り付けて送り返す。) ハンディーサイズの?お地蔵様を売っているらしい。 「幸せ」を髣髴とさせるような、家族円満・商売繁盛・合格・交通安全などの文字が並び、お地蔵様の頭をなでている写真が封筒に印刷されている。 「なんだかなぁ」と、呆れて笑ってしまった。 100人にDMを送って、ひとり買ったとして、99人分の郵送代や諸々の人件費、印刷料その他たくさん上乗せされているような商品は、いくらなのか知らないがとても買う気にもなれないし、よりにもよってお地蔵様だ。 お地蔵様を商品として扱うこと自体、罰当たりなんじゃないかとも思うのだが・・。

まっ、お地蔵様信仰は持ち合わせていないので、興味ないんですがね。 苦笑。

『ますたあ』は午後に洗車をしてくれていた。 彼の洗車と私の布団干しとで、「雨を呼ぶもの」がダブルで重なり、やっぱり天気予報でも明日は雨降りらしい。 また一段と季節が進むのかもしれない。

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2005.03.26

眠くて

眠くて眠くて、どうしようもない。 どのくらい眠いかと言うと、朝目覚めた時からもう眠かった。 昼間もあくびを連発で。 紅茶を飲んだりしても効果無し。 自分で呆れかえるほどに、ひたすら眠い。

とにかく今夜はとっとと寝ることにして、とりあえず様子見・・。

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2005.03.24

庭の水仙

庭の水仙が花を開きだした。 別に何の手入れもしてあげていないのに、毎年同じように丁寧な大きな花をつけてくれる。 逆に何もしてあげていない分だけ余計に、申し訳ないような恐縮した気持ちになる。

開業した時に球根をくれた友人は、「球根に養分を貯めるために花は摘んでしまい、切花として楽しんだ方が良い」と教えてくれていた。 花が開くといつも鋏を持って切りに行くのだが、実はまだ一度も切って帰ってきた試しがない。

見返りを求めないで、自分に与えられた役目を毎年きちんとこなし、しゃんと背を伸ばして咲いている。

やっぱり今年も切れないで終わりそうだ。 深々と頭を下げたくなるこんな気持ち・・一体何なんだろう?

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2005.03.23

優しい雨

八百屋さんの店先で小カブが目立っていた。 白いカブはぴかぴかに白く、葉っぱはふさふさに鮮やかな若葉色。 そのコントラストがきれいで、なんだかうっとりするような光景だった。 半分屋根の外にはみ出して重ねられている所へ、折りしも春の柔らかい雨が当たって露のように光っている。 時として、食材は美術の素材に見えることがあるから不思議だ。

何気ない日常の光景。 普段とさほど変わらない生活の中で、ふと立ち止まる時間。
「恵みの雨」という言葉を思い出していた。

春はいろいろなものが、なんとなく優しい。 光も雨も風も匂いも色も。

私もあやかって優しくいよう。 優しく穏やかな言葉を使おう。 優しい声で話そう。
そして、優しい人を思い出そう。

春だ。 優しい夢を見よう。

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2005.03.22

スローフードの偉大なる力

たまに、見るからに「心が荒んだ感じ」のお客様がチェックインする。 ご本人は気付いておられないのだと思うが、こちらに対する不信感みたいなものが、丸見えである。 もう知っている・・こういう感じの方は、別にメモリアや私たちだけに具体的な不信感があるわけではなくて、大袈裟に言えば日ごろの全ての出来事や知らない人・初めて会う人みんなに不信感を持つのだ。 自分を解放できないから、何を見ても、やっても、心から楽しめないし納得できない。 本人も辛いだろうが、その原因が自分にあることも判っておられない方が多いようだ。 そして、そのようなパートナーと一緒に居ると、だんだん感化されてくるのか、旅行のお相手も似たり寄ったりの形相を呈しているのが不思議である。 ウニ若しくはイガ栗みたいに、「見えない刺」がその人の周りにびっしりと付いていて、何かあれば一発触発のような際どさのオーラが見て取れる。

景気の悪い時代が続く中で、こういった感じのお客様は増えているように思う。 仕事が忙しくて大変なだけではなく、仕事そのものに納得できていなかったり、給料に不満があったり、職場の人間関係に心をすり減らしていたり、自分にはどうすることもできない仕事上のシステム構造にいらいらしたり・・。 話を聞いているだけでも「いつから日本はこんな社会になっちゃったんだろう?」という思いがする。

さて、軽症の場合は、チェックインしてウェルカム・ドリンクなどをお出ししながら、ラウンジで少し会話するだけで、もうほぐれてくる場合もあるが、夕食ぎりぎりに到着なさった場合は、お話もそこそこにすぐ客室へのご案内となるので、そんな機会も失われる。 で、いきなり夕食の時間になる。 おいでいただいたことのある方にはお判りだと思うが、ディナーの時間、お客様の対応は全て『ますたあ』が受け持つ。 私は厨房から出られないので、『ますたあ』指示してくれるタイミングに沿って料理を作るだけだ。

人は不信感が強いと、そこで出される食事も喉を通らなくなるようで、上手くは言えないのだが「妙な残り方」でお皿が厨房に戻ってくるものだ。(商談などのお客様が多い料亭などでは、さぞかしこの部分に気を遣って料理しているに違いない!) 要するにものを食べることに集中できていないお客様の気を、どうやってこちらに呼び込むか、そこが大事になる。 メモリアの食器は決して高価なものではないし、見るからにゴージャスな食材を使うほどの材料費もかけられない。(これでもがんばっているつもりではあるけれど。) でも、『ますたあ』は言う。 「ウチの食事を食べると、人が変わる」そうだ。 不信感の刺が取れて、本来あるべきその人の様子になってゆくのが見えるらしい。

決して特別なことをしているわけではないから、きっとスローフードの力なんだと思う。 

旅行を終えて仕事の日々に戻ってしまったら、また刺が生えてくるのだろうと思うけれど、ほんの少しの間でも「楽な気持ち」で過ごしていただくことのお手伝いができれば、それは私たちの幸せでもある。 サービス業ってそういうものなのだろう。 ウチではファーストフードはお出ししておりませんので、準備のために然るべきご予約が必要になっていますが、何卒ご理解・ご協力の程をお願い申し上げたく・・。^^; 

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2005.03.21

イースターの思い出 その4

また別の病棟で別の実習が始まり、日常に追われているうちに時は過ぎていった。 イースターが近づき、病院のあちらこちらに色付けしたゆで卵の「イースター・エッグ」とひよこの人形などが飾られる。 ちょうどそんな時期に、私が実習していた病棟の指導者を通じて、外科の婦長から呼び出しがあった。 何か大変なミスでも犯したのかと蒼ざめた私に、「大丈夫。 前の受け持ち患者さんのご家族が、どうしてもあなたに会いたがっているらしいので、お昼休みを前倒しして外科に行きなさい。」とのこと。(実習病院はこういう場面で人の気持ちを無碍にしない、温かい人間的な病院だった。) 外科のナースステーションで待っていたのは、亡くなったおばあさんの一人娘の、あの中年女性だった。

「あっ!」と、お互い顔を見つけた瞬間、何故だか分からないままに二人とも泣いた。 外科のスタッフも一緒に苦笑いしながら、とりあえずご挨拶して廊下の長椅子に腰掛けてお話をした。 お嬢さんのお話では、前の週末に納骨を済ませたので、皆さんにお礼に来たという話だった。 「大変でしたね」とか「少しは落ち着かれましたか」などと他愛の無い話の後、あの日向ぼっこの話に。 今となってはもうずいぶんと昔の話のように思える懐かしい思い出を、皆で分け合った。 お嬢さんが言った。 「じつはお墓を新調して、お墓の引越しもしました。 今までのお墓はお寺の裏庭にあって、周りが高層マンションに囲まれてしまって薄暗い所で。 新しいお墓は、ちょっと遠いんですけれど、山を切り開いた丘の上にあって、晴れてさえいれば一日中、日がさんさんと照るような場所です。 母は日向ぼっこが大好きだったから、一目で決めました。 母も喜んでいると思います。」 そして、遠くを見るような眼で「夏は暑そうなんですけどね。」と笑っていらした。 廊下の出窓には、藤の籠に積まれたイースター・エッグが陽だまりの中でピカピカ光っていた。 私はあの時のおばあさんが少女のようにはしゃぐ姿を思い出して、「あんな陽だまりを見ると、お母様がそこに笑っておられるような気がします。」、ふと口にしたら、「あっ、私も今同じことを言おうと思ったところでした!」と、お嬢さんが驚いて言われた。

それまでキリスト教の授業で、どんなに「ご復活」のことを聞いてもピンと来ないし、正直「マユツバものだな・・」くらいにしか思っていなかったのだが、この時初めて、「こんなふうに亡くなった方が復活されているのだとすれば、素敵なことなのかも知れないな。」と、私は思ったのだった。

あれから随分経ってしまった。 結婚・引越しを経由しながらも、そのときの実習レポートは今も大事にとってある。 臨床から離れた私には、あの時の課題は今もそのままに置き去りのままだ。 イースターが近づいてくると、毎年なんとなく思い出して祈りたくなる・・それはきっと、あのおばあさんがちゃんと復活して、「あなた、大事なものを忘れてはいけませんよ。」と教えてくださっているのかな、とも思う。

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2005.03.19

イースターの思い出 その3

翌朝、実習に出て行った私たちが見たものは、もぬけの殻になった彼女の病室だった。 「!!」 婦長が私を見つけるなり話し出した。 「○○さん、昨日の夜に亡くなったのよ。」 眠ったまま全く苦しむ様子も無く、穏やかに亡くなっていったという。 本来ならば受け持ちの看護学生がついている場合、寮に呼び出しがかかるのだが、臨床的に見られるはずの「死の予兆」もほとんど無く、尚且つ、本人の苦痛を最小限に抑える意味で家族の同意の下、心電図モニターなどもつけていなかった上、巡回で夜勤のスタッフが異変に気付いてから心臓が止まるまで、本当にあっという間のことで、ほとんど何もできなかったし、当然、家族や受け持ち学生への連絡も間に合わなかったということだった。 ご遺体も夜のうちに家へ引き取られて行ったという。 綴じられたばかりのカルテを読みながら、目で字は追いかけているものの、私はほとんど呆然としていた。

臨床指導者の配慮で、その日、私は学内でレポートを書くことになった。 受け持ち患者の死に接したのは初めてではなかったが、「今の気持ちを残さずしっかり文章にまとめておきなさい」ということだろうと、私は理解した。

臨床経過をまとめるのは、さほど困難ではなかったが、テーマはどうしても「死を迎えようとしている患者への看護」に絞られる。 書いているうちに「あの日向ぼっこでの無謀とも言える喜びようが、彼女の死を結果として早めてしまったのではないか? それは看護に関る者として、本当に相応しい行為だったのか?」という大きな疑問が、私を縛り付けた。 文献を集めて読み漁ってはみたものの、自分の中ではどうしても結論を出すことができないまま、看護の評価表を空欄にして、「考察」ばかりがやたらに長いレポートのまま提出した。

受け持ち患者を亡くした学生は、すぐに次の新しい受け持ちを与えられる。 病歴や病態生理、検査結果の分析、使っている薬の効果や副作用、社会的背景など、調べ物に追われながら過ごしていた所に、ご遺族になったあのお嬢さんから病棟に葉書が届いた。 「最後の最後に、日光浴という願いが叶えられて母は満足したのだと思います。 母が逝ってしまったことは寂しい事ですが、これでもう苦しむ姿を見なくても済むのだと思うと、どこかほっとしている気持ちもあります。」 長い間付き添ってきた人だけが言える言葉で、簡単なお礼が書かれていた。 その後一週間ほどで外科病棟での実習を終えた私は、また別の病棟へ移ることになった。

手元に戻ってきたレポートには、臨床指導者・学校サイドの指導者・そして外科婦長のコメントが赤いボールペンで添えられている。 「あなたの抱えている矛盾は良く理解できるつもりです。」というようなことが述べられた後、「長く生きることよりも思ったように生きられることへの看護アプローチをしたと思えば、それも評価に値するのではないでしょうか。 本人がお亡くなりになってしまった以上、感想を本人に確かめることはできませんが、あの喜びようが、何よりも多くを語ると思います。 いつかあなたの中で答えが出せるのか、出せないのか分かりませんが、その矛盾を持ちつつも看護の経験を積むことが、今のあなたの十字架でしょう。」、そのように婦長が書いてくださっていた。 (まだ続きます)

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2005.03.18

イースターの思い出 その2

何とかして日向ぼっこの気分だけでも、味わわせてあげることはできないだろうか。 気持ちだけは強くあるのだが、いい考えが浮かばなかった私は、スタッフに持ちかけてみたが、皆一同に「うーん・・」と首をかしげるしかなかった。 寮に戻ってから友人たちにも話をしてみた。 そのおばあさんは入院期間が長かったので、私以外にも以前受け持ったことのある学生も複数いたし、受け持ちではなくてもどんな状況なのかは外科病棟の実習生なら皆知っていたから、話は早い。 「とにかく、動かすことはできない」・・これは最低条件だった。 ある友人が、「布団を干してあげたらどうか」と言い出した。 布団や毛布を干してお日様の匂いを包み込んで、それを彼女に掛けてあげる。 なるほど、それならできる。 でも、既に意識レベルが落ちてきている彼女には少々インパクトが弱いし、認識してもらえないかもしれない。 そんなこんなの内、反射光を射し込ませることはできないか?という話が持ち上がった。 廊下の反対側の6人部屋、その窓際に鏡を置かせてもらって日光を反射させる。 他に一・二箇所の鏡を中継すれば、何とかなるのではないか。 やれるだけのことをやってみようということで話がまとまり、次の日、昼食の休憩時間を利用して実験が始まった。

外科病棟の倉庫には、退院していった患者さんの忘れ物の鏡が何個かあったので借りることにして、とりあえず6人部屋から廊下まで、光を反射させる。 廊下を横切る形で一度中継し、彼女の病室のドアまで導く。 最後にドアから彼女の枕元まで反射させる、こんな計画だ。 既に布団と毛布は朝のうちに屋上に干してあった。

なかなか思うように事は進まなかったが、退院をまじかに控えた大部屋の「暇を持て余している元気な患者さん」や、ちょっと手の空いたスタッフ、たまたま病棟に顔を出した医師なども面白がって協力してくださり、すったもんだしながら午後の2時近くになって、ようやく小さな光を彼女に届けることに成功した。 最後の鏡は角度を微調整できるように手鏡を使ったので、彼女を照らしたのは直径7センチほどの小さな楕円の日光だった。 お嬢さんが彼女の耳元で、「お母さん、日向ぼっこしましょう。」と、話し掛け、反射光を顔に当たるように調節した時、驚くべきことが起きた。

それまでずっと低い意識レベルだった彼女が大きく目を見開き、さっと目に力を宿したかと思うと、少女のように声をあげてキャッキャとはしゃいだのだ。 辛うじて動かせる肘から先を小さな楕円のお日様にかざしては、身体に塗りつけるようなしぐさを繰り返した。 廊下まで響くような大きな声で「嬉しい!嬉しい!!」と繰り返した。

皆、彼女の変わりようにびっくりして、そのすぐ後でもらい泣きした。 お嬢さんもぼろぼろだったし、スタッフも私も黙って泣いた。 元気な入院患者さんまでいつのまにか彼女の病室に入ってきて手を取り、「ばあさん、良かったな。」と顔をくしゃくしゃにしていた。 冬の短い日はあっという間に傾き、数十分間で景色は夕暮れの匂いを濃くした。 眠り込んだ彼女の布団を、干し上げてふかふかのものと交換して、私たち学生は病棟を後にした。 (まだ続きます)

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2005.03.17

イースターの思い出

もうすぐイースター。 春分の後の最初の満月の次の日曜日・・今年は27日が当たる。 イースターは日本語では復活祭で、十字架に架けられて人間に刺し殺されたキリストが復活したことを記念するものだ。 この根拠を以って信者は死を恐れないし、死んでいった人々も実はキリストのように復活していて、自分たちの間に存在していると信じている。 イースターには生命の象徴として殻に飾りを施したゆで卵を飾ったり、仲間と交換したりする。 日本ではキリスト教のお祭りといえばクリスマスがあまりにも有名だが、本来はイースターのほうが重要で大きなお祭りである。 季節もちょうど春を迎えて木々や草花も芽吹き、命の再生の時期なので、昔から人々もなんとなく心躍る時期だったのだろう。

イースターと言うと必ず思い出す人が何人かある。 そのひとりは看護学生時代に受け持った、とあるおばあさんだ。 原発巣がどこだったか忘れたが、彼女の癌細胞は既に全身に転移していた。 当時はまだ終末医療という考え方が一般的ではなかったので、普通の外科病棟に入院しながら痛みのコントロールを受けつつ、残された日々を大切に生きる日々。 いつ急変してもおかしくない病状だったので個室に入院されていたが、差額費用のかからない北側の、日の差し込まないような部屋だった。 彼女を最も苦しめていたのは脊髄への転移巣で、胸椎から腰椎にかけてが大きくやられていた。 痛みの強さは言うべきにもあらずだが、癌細胞によって骨の組織がぼろぼろになっていて、身体をほとんど動かすことができない状態。 寝返りを打つだけでも骨折の危険が大きかった。 ギプスベッドと呼ばれる硬い固定ベッドで脊髄を保護したまま、ずっと上向きのまま。 腹膜や胸膜に転移した癌によって内部に水が溜まって、彼女の身体を重くしていることも、脊椎への負担を増やしていた。

彼女の一人娘さんだという、中年の女性がいつも彼女の病室に付き添っていた。 鎮痛剤が効いてうとうとと眠っている時間がほとんどだったし、積極的な治療もなされないので処置も多くは無く、面会時間などは良くお嬢さんとお話をさせていただいた。 ある日、ぼそっとお嬢さんが言った。 「母がね、うなされたように言っているんですよね。 日向ぼっこって。」 何のことかと思ったら、こういうことだった。 病状が進んでからは家事もほとんどできなくなり、家でもずっと床についているような毎日だったそうだが、彼女は縁側に陣取って毎日サンサンと日を浴びていたそうである。 お嬢さんが幼い頃から、気付けばお母様は時間を見つけては縁側の日向に居て、時間を過ごしていたらしい。 「今となってはもう寝返りも打てないのですけれど、日向ぼっこのことを思い出しているんじゃないでしょうかね。」と、お嬢さんは寂しそうに笑った。 クリスマスが近づいた真冬のことだったと思う。 ナースステーションの横でクリスマスツリーの電飾が光っていたのを覚えている。

なんとか、日向ぼっこをさせてあげたい・・私は思った。 このじっとりと寒い北側の部屋から出して、明るいお日様をもう一度浴びさせてあげることはできないだろうか。 それが彼女の人生へのはなむけになるような気がしたのだ。 が、現実を考えると頭を抱えた。 寝返りさえ打たせられない彼女を、食事のために起き上がれない彼女を、車椅子に移動させたりするなんて到底無理だ。 そのことがもう彼女の命を奪ってしまうだろう。
 (続きます。)

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2005.03.16

飲んだらこう言っちゃうよ

某ソフトドリンクのテレビコマーシャルで、キャラクターがジュースを作ろうとしてミキサーに果物を一杯詰め込んだ挙句、なかなか撹拌されず、やっと回ったと思ったら水分の少ないボテボテのピューレが出来てしまい、グラスに注げないばかりか、ボテッと一気にでてきてグラスから溢れてしまってがっくり・・というアニメーションが流れている。

これは凄く共感できて、いつも目にする度に苦笑いしている。 様々な素材でポタージュスープを作るが、よく似たような経験をするからだ。 ポタージュスープの基本は、材料をバターで炒めてからチキンブイヨンで煮込み、ミキサーで粉砕する。 これを裏ごししてから牛乳やブイヨン、クリームでのばして適当な濃度に整える。 つまり、ミキサーを使う段階では、結構濃くてボテボテとした状態。 その上に繊維質が粉砕されるのでますます濃いピューレになっている。 で、水分量の調節に失敗すると、まさにテレビコマーシャルの状態になるのだ。 スイートコーンやカボチャなど登場頻度の高い素材については、経験が積まれているので大体の感じが体得されている。 しかし、出回る季節の短い素材や、目新しい素材などでは感覚が掴めずに、ミキサーの傍でブイヨンのカップを片手にスタンバイしていたりする・・そう、ミキサーが回らなくなったら、その場でブイヨンを注ぎ足しするために。

ミキサーで粉砕した際に、どのくらいボテボテのピューレになるかは、素材によって大きな差がある。 豆類は大量の水分を必要とするし、逆に芋類は繊維が多そうに見えて、以外にも少ない水分でも回せる。 カブや大根、人参に至っては、煮込んだ素材だけあれば余分な水分をほとんど必要としない。 見た目によらず予想に反することも多いので、わからないものだな、と思う。 素材に対してブイヨンが多いほど素材の味は薄くなるので、ミキサーが回る限りはできるだけ水分の量を少なく収めておきたいのだが、そこの微妙な加減がなかなか難しい。

コマーシャルでキャラクターが作っているのは、フルーツオレのようだ。 あの甘いような酸っぱいような「おこちゃま味」は、私も大好きなので、そのうち一度飲んでみたいと思っている。 キャラクターも私も、ミキサーにもてあそばれているような気がしなくも無いのだが、まあ、出来上がったものが美味ければ、結果オーライということで善しとしよう。

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2005.03.15

ミズナ

冷蔵庫にあると何かと重宝する野菜の代表選手とも言うべきミズナ。 生でも良いし加熱した時のしゃきしゃきした感じも捨てがたい。 数年前にちょっと「こ洒落た」居酒屋に行くと、必ずというほどミズナのサラダがメニューに載っていたものだが、最近はどうなのかな、なんてちょっと思う。

緑の葉っぱの部分はサラダにしても美味しい。 和風や中華風のドレッシングに良く合うみたいだ。 ゴマ風味でも醤油風味でも。 茹でた魚介類と一緒にさっと和えるのが好きだ。 特にイカとの相性をおすすめしたい。 油と出会うとすぐにしんなりしてしまうので、直前にできれば卓上でドレッシングをかけるのが唯一のコツ。

軸の部分はだし醤油でさっと煮て「当座煮」に。 京都風に言えば「炊いたん」だ。 油揚げや厚揚げなどちょっとこくのあるものと一緒に、薄味でさっと火を通す。 だし汁ごといただくような薄さで。 生でも食べられるものだから、仕上げに鍋に入れて、ミズナから出た水分が飛ぶくらいの加熱で十分だ。 しゃきしゃきと歯触りも楽しい。

昨晩は胡麻和えでいただき、今夜の賄いではさつま揚げと合わせて煮た。 大きな太い軸を切ったら、中心から小さなつぼみが育ちかけていた。 トウが立つ、と言うのだろうか。 春をひとつ見つけたような気がして嬉しく思った。

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2005.03.14

おめで鯛

『ますたあ』が同業者の若旦那の結婚式にお呼ばれしてきた。 可愛らしい奥さんだったとか、新郎のお父様のスピーチが大笑いだったとか、久しぶりに飲んだワインが美味しかったとか、なんだかんだ話しながら、厚紙の表紙のついた会場の席次表を見せてくれた。 話を聞きつつ何気なく席次表の表紙を開いたら、一番最初に飛び込んできたのは、何故か「金目鯛」の太文字。 「?!」こんなところでお目にかかるとは想像もしていなかった三文字に、思わず思考が止まって、目が釘付けになる・・「ちょっと待って。」、とりあえず『ますたあ』の話を手で制した。 「どうしたの?」 「なんか妙な物を見つけちゃったみたい」 そう答えながら席次表の全体に視線を配ると、そこには鯛ワールドが展開されていたのだった。

パーティーやレセプション会場では、円卓の一つ一つに名前が付けられていることが多い。 たいていは「松・竹・梅」とか「福・寿・慶・鶴」といった縁起が良いとされる漢字一文字が使われることがほとんどだ。 円卓の中心にキャンドル立てのような細長いく背が高い金属製の台が設けられていて、先端に名前の一文字を書いたカードが取り付けられている。 会場に入ってきた参加者たちは、その一文字を目安にしながら自分の円卓を探して着席する。 そして、円卓を囲む全員が揃うと、係りの人が金属製のカード台をスマートに運び去ってゆく・・そんな光景だ。

今回の結婚式では、その一文字が全て鯛の名前に入れ替わっていたらしい。 真鯛・石鯛・黒鯛・甘鯛・姫鯛・そして金目鯛。 それらは全て円卓につけられた名前だったのである。 これは初めて見る光景だ。 伊豆だからそうなのか、それとも関西圏の文化ではこうなのか、謎は深まる。 まあ別に名前を置き換えてしまうなら、花の名前とかをカタカタで書いてあっても何の不思議も無いけれど、よりによって鯛の名前というところが、なんとも中途半端な雰囲気を醸し出していて、マニアックな思考回路を持つ私には思わずグッときた。

ここまでは善しとして、席次表の末席の方(ご親族が座られるあたり)にはこんな鯛もあった。 錦鯛・千年鯛・金時鯛・・そんな鯛、知らないぞ?

鯛ワールドも奥が深そうである。

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2005.03.13

どこか切なく

とっくの昔に解散してしまったバンド「MOON CHILD」のベストアルバムが発売になるので、予約した。 メンバーそれぞれに今はもう別々の活動をしている。(厳密に言えば、その中のお二人は、新たなバンドでも一緒だが。)

個人的には過ぎていったものに執着するのは好きでないし、既に終わっているという認識なのは確かだが、正直に書けば、解散してからの活躍がかつてを上回っているという気持ちに、どうしてもなれないままなので、未だに「終わっているはずのバンド」のアルバムを楽しみに待っている自分が切ない。 どこか申し訳ないような、後ろめたい気分を抱えながら、でも反面、期待が大きいのも事実で複雑だ。

これって、過ぎてしまった若い日々の恋愛を、ふと切なく思い出す気分に近いか・・。

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2005.03.11

雨降りに乗じて

朝から雨の一日。 少し前まで雨が降っていれば、雪にならないかが心配の種だった。 この気温なら大丈夫だと思うと、ずいぶん気が楽なものだ。 雨を楽しむと言うと変だが、そのまま雨を受け入れるだけの余裕がある。 雨音を聞きながら、なんとなくのんびりとしたペースで仕事をしていた。

同じ量の仕事を、同じ時間内に済ませなくてはならない場合でも、気持ちの持ちようでそれに伴うストレスには大きな差が生じる気がする。 焦っている気持ちのままでは、常に追い立てられるような状態になり、やがて疲れ果ててしまう。 わざとでも良いからある程度肩の力を抜いた方が、結果として効率が上がったり、疲れも少なく済むことが多いのは、経験上でも確かなものだと思う。

何時間も持続的に仕事をこなしてゆかなければならない状況下では、はじめの内はそこそこリラックスできていても、だんだんと集中度が高まり、それに伴って余裕がなくなっていることに気づいたりする場合もある。 学校の講義のように、5分程の小さな「休み時間」を設けるのは有効だ。 身体にはどうかとも思うが、ちょっと何かつまみ食いしたり、飲み物を飲んだりするのも効果が高いような気がする。 伸びやストレッチをしたりもする。

今日のようにのんびりとしたペースで毎日過ごせていれば、何ら問題は無いのだが、なかなかそうもいかないのが現実。 意識しない間のストレスと上手に付き合いたい。

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2005.03.10

「いご海苔」

私の両親の実家は東京と新潟だ。 二人ともかなり標準語に近い日本語を使っていたので、私も言葉では苦労した覚えが無い。(これは非常にありがたいことだった。) なので、自分が使っている日本語は標準語であると錯覚している感があり、たまにポロッと「実は方言だった」という単語が見つかるとショックである。 この歳になるまで標準語だと思っていた言葉が、実はそうではなかったとなると、ショックと同時に脳内回路の修正が難しいのも事実だ。

父と、幼い頃に一緒に暮らしていた父方の祖母は、「ひ」と「し」の区別が怪しい。 私も大人になるまで、布団は「ひく」ものだと思っていた。 「布団をひくから、そこをどいて。」と言って、何度『ますたあ』の訂正を受けたことか。 「敷き布団っていう立派な単語があるじゃない」、と指摘されれば、なるほどと納得するのだが、会話の中ではどうしても「ひく」が顔を出す。 「布団に付随してくる動詞」を自分が間違えている自覚があるので、まず、頭の中で漢字変換して「敷く」を思い描く。 で、この漢字を読み取るようにしてからは、「しく」と言えるようになった。 いまでも自然には出てこない。 漢字変換のひと手間が欠かせないのである。

新潟には「長まる」という動詞があるようで、これは「横になる」とか「ゴロンと横たわる」といった意味だ。 多分、体を長く伸ばすことに由来しているのではないかと思う。 食事の後、お腹がいっぱいで半分眠くなりかけているような時に、「長まれば楽だよ」と話し掛ける、そんな感じで使われる言葉だ。 これも私は標準語だと思っていた。 結婚して間もない頃、『ますたあ』に「長まれば」と話したら、「今なんて言ったの?」 「長まれば、って言ったけど。」 「それ、どういうこと?」などというやり取りがあって、標準語でないことが発覚した。 この「長まる」に関しては、『ますたあ』の方が慣れてくれたので、我が家の中では限局的に通じる日本語として使われている。

母をはじめ新潟の人の中には「い」と「え」が混乱する方も多い。 江戸は「いど」、井戸は「えど」なのだ。 これは母も自覚していて直そうとするあまりに、更に逆を言ってしまい、結局間違った発音になったりしていた。 私は「い」と「え」に関しては間違えていない自信があったのだが、先日とんでもない事実が発覚した。

新聞の別冊に旅行の特集があり、新潟と佐渡島が取り上げられていた。 郷土料理のコーナーに、海草を砕いてから火を通し羊羹のような形に固めた食べ物が紹介されている。 海草の味だけで固め、それを薄くスライスし、酢味噌やわさび醤油で食べるものだ。 私も大好きで新潟に行くと必ず買ってくるのだが、幼い頃からそれは「えご海苔」と呼んできた。 ところが、新聞には「いご海苔」とある。 ・・えっ?!いご海苔だったのか・・。 あまりのショックで呆然としてしまった。 ショックが大きかったので修正できるのではないかと思っているが、さて、どうなりますやら。

自分が何の疑いも無く使っている言葉の中には、まだまだ、「実は間違っているもの」や「実は方言」が混じっているのかもしれない。 ちょっと自信がなくなってきた。

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このテーマに触れないわけにはゆかないでしょう

いやはや、凄まじき量の杉の花粉が舞っている。 車に乗ったらフロントガラスがやけに汚い。 「あれ? 何でこんなに汚れたんだ?」と、いぶかしくよくよく見ると、一面にうっすらと杉の花粉が張り付いているのだった。 ・・こんなの見ているだけで鳥肌が立つ。

お客様のチェックインの時間直前に、テーブルを水拭きし直す。 と、ここでも布巾に花粉が・・。 緑と茶色との中間のような色で、白い布巾が色付いている。 ヤダヤダ!

メモリアの周辺にも杉林は多い。 国道からの1キロ近い上り坂を通っていると、杉林の中に、木全体が赤茶色に見えるものが混じっている。 枝先に大量についた杉の花で茶色く見えるのだと判った時から、なるべく見ないようにした。 心理的には視野から削除してしまいたい画像である。

今年の飛散量は、半端じゃないらしい。 確かに生活の中で実感する上記のような「目に見える花粉の量」も、例年に無く派手だ。 せっかく少し暖かくなったというのに、また憂鬱の種ができて、思いやられる。

そうそう、ちょっとご報告。
まつげを少し切ってみた。 2ミリ分くらいか? 眉毛用の先の細い小さな鋏を使い、ウィンクしながらあいている方の目で鏡を見て、つぶっている目のまつげをチクチク切った。 考えていたよりもスムースにことは済んだが、やっぱり若干長さの不揃いが生じている模様で・・^^;

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2005.03.08

まつげ

処方されている点眼薬の残りがわずかになってきたので、ちょいと車を走らせて、かかりつけの眼科に足を運んだ。 現在は2種類の点眼薬を使っている。 昨年に新薬ができて試してみたら調子が良い上、それまで朝と晩の2回の点眼が必要だったのに、1回で済むというので使っている薬があるのだが、その薬には妙な副作用がある。 なんと「まつげの多毛症」だ。

初めて医師から説明を受けた際に、思わず「はあ?!」などと間抜けに聞き返してしまったことを覚えている。 「・・だから点眼して5分くらい経ったら、必ず顔を洗ってくださいね。 5分もすれば必要な成分は吸収されていますから、流しちゃって大丈夫です。」 頭の中でまつげをボサボサにした自分の顔を思い描きながら、なんとも信じがたい気持ちで聞いていた。 かつて眉毛がやけに長い某首相がいたが、まつげが濃くて目立つ人なんて見たことが無い・・こりゃあちゃんと言う事をきいて顔を洗わないと、漫画のようなえらいことになりそうだな、と、内心恐怖感を覚えた。

わざわざ寝起きのボーっとした頭で、朝の忙しい時間に慌しく点眼することも無いだろう。 昼間は日焼け止めを顔に塗っているので、洗い流してしまうのも厄介だし。 で、結局試行錯誤の結果、夜、入浴の直前に点眼することになった。 湯船で温まった後で洗顔すれば、面倒くさくも無い。

さて、その結果、今のところはまつげの密度はさほど変わらないように見受けられるのだが、明らかに、まつげが伸びて、その上太くなってきた。 下手をするとかけているメガネのレンズの内側にまつげの先が当たっている。 ちらちらして落ち着かない。 もともと目が大きいし、お化粧なんてマメにやるタイプではないので、ビューラーでカールさせたりする習慣は無かったのだが、レンズに当たると不快なので、仕方なくビューラーを使うようになった。 しかし、これがまた剛毛で?なかなか思うように巻けない。 あまりにも元気の良いまつげというのも困りものである。

「ちょっと切っても良いでしょうかねえ・・?」、今日医師に恐る恐る尋ねてみた。 「良いけど、切った毛の先が尖って、余計に気になるかもしれませんよ。 それに、そんなところに鋏を使うのも、なんだか怖そうだな。」と、笑われてしまった。 いや笑い事じゃなくて、本気ですってば、先生!

「毛」でお悩みの男性は、世の中に多いと聞くけれど、逆は逆で困ってしまう。 上手くいかないものだ。

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2005.03.06

チューリップだって開きたいのだろう

春らしいチューリップを花瓶に挿しておいた。 エアコンで空気が温まったのだろう、いつの間にか花びらが反対側に反り返るようにまで開いてしまった。

チューリップと言えば、掌に窪みを作ったまま左右の手を合わせた時のように、ふっくらと丸いつぼみの姿が「当たり前」に思えて、それに対して何の疑いも抱いた試しが無かった。 しかし、確かにあの姿はつぼみで、当然やがて花びらは開き、そして散ってゆく。 花としてはこんな風に花びらの一枚一枚を開き、大きく普通の花のように咲く姿が当然だったのだ。 そんなことを改めて発見して、あっけに取られてしまった気分で眺めていた。 お客様の目に触れる花だ。 この見事に開ききったチューリップをパブリックのスペースから引っ込めてしまおうかと、一瞬迷ったのだが、「こんな開いた花の姿も珍しくて、たまにはいいかな?」と、思い直して、そのままに飾っておいた。

花びらがくっ付いている茎の部分には、小さな斑点のように黒いスポットがある。 そんな所まではっきりと見て取れるほどに、おしべもめしべもさらけ出して、パッカーンと咲いている。 その姿に「無防備な美しさ」を見る気がして、頭の中でイメージが広がっていった。 美しく見せる計算をしないが故の、罪なほどの美。 「ああ、こんな風に開けっぴろげにすべてをさらけ出しても、構わないんだな」・・そんなことを教わっているような気分になったのだ。

意識しなくても、実は我慢していることって、日常の中にたくさん存在するものだと思う。 抱え込まずに、ちょっとずつ開放してみようかな・・。

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2005.03.04

お仕事です

明日から、個人的趣味で入会しているロックアーティストのファンクラブのイベントがあって、皆さん泊りがけで某温泉地へ出向き、内輪ならではのライブなぞを楽しむ企画がある。 第一回目だけは参加できたのだが、それ以来、ずっと欠席だ。 この仕事に就いている以上、週末を拘束されるのは必須で、こればかりはどうしようもない。 開業して十年も経過すると、欠席だからといってもたいして悔しがる様子も無く、「はいはい、行ってらっしゃい。 楽しんできてね!」みたいな気持ちだ。 別に開き直っているわけでもなく、淡々と受け入れている。

ただでさえ、ライブは週末に重なることが多い上、耳鼻科の主治医にライブ禁止令を出されたりして、何かとついていない。 単にCDやDVDを買ってきて聴いているだけなら、別にファンクラブに入らなくても一緒のような気がしなくも無いのだけれど、なんとなく新しい情報が欲しいのと、やはり動向が気になるので、押さえておかないと気が済まない。 その辺りが微妙なファン心理である、ということにしておきたい。

「仕事」と書くと、客観的にそれ以上のものが含まれず、そのまんまだが、「お仕事」という表現に変えると、微妙にニュアンスが変わる。 「お仕事」には意思が含まれており、背景に何か抑圧されたものの存在を感じる。 違う意味でどちらも楽しいことがふたつ重なった時、自分が優先させているのが「お仕事」なのだろう。

CDを流しながら、しっかり「お仕事」に勤しむとしますか・・ね。

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2005.03.03

魚へんに春と書いて

そう、サワラだ。 思いっきり春を背負っている名前である。

昨日、仕入れに出かけた魚屋さんの店先に見かけたので、なんとなく引き寄せられるように買ってしまった。 高知であがったものらしい。 まだ小型で、三枚おろしにしても身が薄いのは仕方がないことだろう。 初物だからな・・と、思いながら骨を抜く。

サワラは癖もないし淡白な魚なので、洋食にも使いやすい。 少し身が軟らかいので、調理の過程でいじり過ぎないようにさえ気をつければ、いろいろなソースとの相性もオールマイティー。 何に仕立てようかと考えるのも楽しいものだ。 冬の魚には身の味に酸味が強いものが多く、洋食に使うには難しい場合もあって苦労する。 ブリやサバ、イワシやアジなどには酸味が強いので、どうしてもサケ、タラ、カキやホタテ貝等に頼りがち。 酸味の強い魚は、スパイスたっぷりにして「スパイス焼き」のような形態が無難ではあるのだが、果たしてそれは魚の個性を生かしているか?と、問われると、美味しいけれどそうではないような気がするので、お客様のメニューにはあまり登場しない。 刺身になるような新鮮な魚を、表面だけちょこっと火を通すようにして、前菜に仕立てるくらいの量に留めているのが現状だ。 サワラが出回るころになると、魚のみならず、出回る食材の種類がどっと増えて、使い勝手の良い物も選べるようになり、メニューに悩むのも楽しくなってくる。 サワラはまさに、その訪れを告げる食材なのだ。

魚屋さんのオジサンが、「まだ可愛い大きさで、悪いねえ。」なんて恐縮しながら包んでくれていたのを思い出した。 これからどんどん出回るようになるのだろう。 今夜はまた雪が積もるらしいと、ニュースで言っている。 せめて、食べ物から春を呼び込みたい、そんな寒さだ。 もう少しの辛抱!

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2005.03.01

「窯変 源氏物語」 その3

ついに読み終えた。 14巻・・こんなにまとめて本を読んだのは、久々のことだった。

まあ、国語問題の解答的に一言で示すならば、「女性が自立した生き方を選べなかった時代に、それを悔しく思った女性執筆者が、登場人物の生き様を通して、時代の光と影を切り取ったお話。」、とでもなるのか。 書かれてからこんなにも時代は動いているのに、人間って奴はちっとも変わっていないものなんだな・・と、読んでいてしみじみ考えていた。 登場人物の一人一人が、「ああ、こんな男って居るよなあ。」とか、「こんな女も居る居る!」という感じで、非常に身近な印象なのだ。 表面的な生活は全く異なっていても、本質の部分では、現代社会と何ら変わりはない。 題材の中心が「男と女の恋物語」だから、余計にそうなのかも知れないが。

当然ながら、登場人物の出世に伴い、肩書きの呼び名がころころと変化するので、それについてゆくのは大変だった。 各章の冒頭に、登場人物たちの人間関係を示した図があるのには、大変助けられた。 「現在の右大臣は誰だっけ?」、そんな場合には、すぐにその図を見直して確認する・・そんな作業が続いた。 もともと狭い社会でのお話だ。 血縁関係のつながりは濃く、尚且つ極めて政治的で、婚姻は特殊な場合を除いては基本的に策略絡み。 お姫様達の存在は、政治的策略の駒として使われた。 女性としてはたまったものではない世の中だったのだろう。 まあ、当時は、それを当然と思うような教育を受けていたようなので、問題にはされなかったようだ。

宮人達の日常の生活描写も、ずいぶん興味深かったのだが、ちょうど今はお雛様の時期なので、「段飾り」の様子と重ね合わせながら読むと楽しかった。 右大臣・左大臣、官女達、橘の木、御所車・・そのままの世界が本の中で展開されている。 ただひとつ違ったのは、雛飾りでは鼓や太鼓を持った人形があるが、源氏物語の中に出てきた楽器は琵琶・横笛・和琴・唐琴だけで、打楽器は登場しなかった。 実際はどうだったのだろうと、興味が増す。

当時の時代背景を考えれば、キスの話題に触れるだけでも、相当な官能小説だったのだろう。 後半にはなかなか大胆な描写も出てきて、驚かされたりもした。 著者の開き直りのようなものを垣間見たような気分。 橋本治氏の「女心・男心」の描写は、的確ですばらしく、読みながら何度唸ったことか知れない。 この本を選んで正解だったとつくづく思う。

雛人形を見ながらしばらくの間は本の余韻に身を委ねていたい、そんな気分だが、現実はそうもさせてくれないようである。 あわただしい毎日の中で、断片的に思い出しながら、少しふわっと穏やかな気分になるのが精一杯みたいだ。

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