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2005.03.17

イースターの思い出

もうすぐイースター。 春分の後の最初の満月の次の日曜日・・今年は27日が当たる。 イースターは日本語では復活祭で、十字架に架けられて人間に刺し殺されたキリストが復活したことを記念するものだ。 この根拠を以って信者は死を恐れないし、死んでいった人々も実はキリストのように復活していて、自分たちの間に存在していると信じている。 イースターには生命の象徴として殻に飾りを施したゆで卵を飾ったり、仲間と交換したりする。 日本ではキリスト教のお祭りといえばクリスマスがあまりにも有名だが、本来はイースターのほうが重要で大きなお祭りである。 季節もちょうど春を迎えて木々や草花も芽吹き、命の再生の時期なので、昔から人々もなんとなく心躍る時期だったのだろう。

イースターと言うと必ず思い出す人が何人かある。 そのひとりは看護学生時代に受け持った、とあるおばあさんだ。 原発巣がどこだったか忘れたが、彼女の癌細胞は既に全身に転移していた。 当時はまだ終末医療という考え方が一般的ではなかったので、普通の外科病棟に入院しながら痛みのコントロールを受けつつ、残された日々を大切に生きる日々。 いつ急変してもおかしくない病状だったので個室に入院されていたが、差額費用のかからない北側の、日の差し込まないような部屋だった。 彼女を最も苦しめていたのは脊髄への転移巣で、胸椎から腰椎にかけてが大きくやられていた。 痛みの強さは言うべきにもあらずだが、癌細胞によって骨の組織がぼろぼろになっていて、身体をほとんど動かすことができない状態。 寝返りを打つだけでも骨折の危険が大きかった。 ギプスベッドと呼ばれる硬い固定ベッドで脊髄を保護したまま、ずっと上向きのまま。 腹膜や胸膜に転移した癌によって内部に水が溜まって、彼女の身体を重くしていることも、脊椎への負担を増やしていた。

彼女の一人娘さんだという、中年の女性がいつも彼女の病室に付き添っていた。 鎮痛剤が効いてうとうとと眠っている時間がほとんどだったし、積極的な治療もなされないので処置も多くは無く、面会時間などは良くお嬢さんとお話をさせていただいた。 ある日、ぼそっとお嬢さんが言った。 「母がね、うなされたように言っているんですよね。 日向ぼっこって。」 何のことかと思ったら、こういうことだった。 病状が進んでからは家事もほとんどできなくなり、家でもずっと床についているような毎日だったそうだが、彼女は縁側に陣取って毎日サンサンと日を浴びていたそうである。 お嬢さんが幼い頃から、気付けばお母様は時間を見つけては縁側の日向に居て、時間を過ごしていたらしい。 「今となってはもう寝返りも打てないのですけれど、日向ぼっこのことを思い出しているんじゃないでしょうかね。」と、お嬢さんは寂しそうに笑った。 クリスマスが近づいた真冬のことだったと思う。 ナースステーションの横でクリスマスツリーの電飾が光っていたのを覚えている。

なんとか、日向ぼっこをさせてあげたい・・私は思った。 このじっとりと寒い北側の部屋から出して、明るいお日様をもう一度浴びさせてあげることはできないだろうか。 それが彼女の人生へのはなむけになるような気がしたのだ。 が、現実を考えると頭を抱えた。 寝返りさえ打たせられない彼女を、食事のために起き上がれない彼女を、車椅子に移動させたりするなんて到底無理だ。 そのことがもう彼女の命を奪ってしまうだろう。
 (続きます。)

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