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2005.03.19

イースターの思い出 その3

翌朝、実習に出て行った私たちが見たものは、もぬけの殻になった彼女の病室だった。 「!!」 婦長が私を見つけるなり話し出した。 「○○さん、昨日の夜に亡くなったのよ。」 眠ったまま全く苦しむ様子も無く、穏やかに亡くなっていったという。 本来ならば受け持ちの看護学生がついている場合、寮に呼び出しがかかるのだが、臨床的に見られるはずの「死の予兆」もほとんど無く、尚且つ、本人の苦痛を最小限に抑える意味で家族の同意の下、心電図モニターなどもつけていなかった上、巡回で夜勤のスタッフが異変に気付いてから心臓が止まるまで、本当にあっという間のことで、ほとんど何もできなかったし、当然、家族や受け持ち学生への連絡も間に合わなかったということだった。 ご遺体も夜のうちに家へ引き取られて行ったという。 綴じられたばかりのカルテを読みながら、目で字は追いかけているものの、私はほとんど呆然としていた。

臨床指導者の配慮で、その日、私は学内でレポートを書くことになった。 受け持ち患者の死に接したのは初めてではなかったが、「今の気持ちを残さずしっかり文章にまとめておきなさい」ということだろうと、私は理解した。

臨床経過をまとめるのは、さほど困難ではなかったが、テーマはどうしても「死を迎えようとしている患者への看護」に絞られる。 書いているうちに「あの日向ぼっこでの無謀とも言える喜びようが、彼女の死を結果として早めてしまったのではないか? それは看護に関る者として、本当に相応しい行為だったのか?」という大きな疑問が、私を縛り付けた。 文献を集めて読み漁ってはみたものの、自分の中ではどうしても結論を出すことができないまま、看護の評価表を空欄にして、「考察」ばかりがやたらに長いレポートのまま提出した。

受け持ち患者を亡くした学生は、すぐに次の新しい受け持ちを与えられる。 病歴や病態生理、検査結果の分析、使っている薬の効果や副作用、社会的背景など、調べ物に追われながら過ごしていた所に、ご遺族になったあのお嬢さんから病棟に葉書が届いた。 「最後の最後に、日光浴という願いが叶えられて母は満足したのだと思います。 母が逝ってしまったことは寂しい事ですが、これでもう苦しむ姿を見なくても済むのだと思うと、どこかほっとしている気持ちもあります。」 長い間付き添ってきた人だけが言える言葉で、簡単なお礼が書かれていた。 その後一週間ほどで外科病棟での実習を終えた私は、また別の病棟へ移ることになった。

手元に戻ってきたレポートには、臨床指導者・学校サイドの指導者・そして外科婦長のコメントが赤いボールペンで添えられている。 「あなたの抱えている矛盾は良く理解できるつもりです。」というようなことが述べられた後、「長く生きることよりも思ったように生きられることへの看護アプローチをしたと思えば、それも評価に値するのではないでしょうか。 本人がお亡くなりになってしまった以上、感想を本人に確かめることはできませんが、あの喜びようが、何よりも多くを語ると思います。 いつかあなたの中で答えが出せるのか、出せないのか分かりませんが、その矛盾を持ちつつも看護の経験を積むことが、今のあなたの十字架でしょう。」、そのように婦長が書いてくださっていた。 (まだ続きます)

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