チューリップだって開きたいのだろう
春らしいチューリップを花瓶に挿しておいた。 エアコンで空気が温まったのだろう、いつの間にか花びらが反対側に反り返るようにまで開いてしまった。
チューリップと言えば、掌に窪みを作ったまま左右の手を合わせた時のように、ふっくらと丸いつぼみの姿が「当たり前」に思えて、それに対して何の疑いも抱いた試しが無かった。 しかし、確かにあの姿はつぼみで、当然やがて花びらは開き、そして散ってゆく。 花としてはこんな風に花びらの一枚一枚を開き、大きく普通の花のように咲く姿が当然だったのだ。 そんなことを改めて発見して、あっけに取られてしまった気分で眺めていた。 お客様の目に触れる花だ。 この見事に開ききったチューリップをパブリックのスペースから引っ込めてしまおうかと、一瞬迷ったのだが、「こんな開いた花の姿も珍しくて、たまにはいいかな?」と、思い直して、そのままに飾っておいた。
花びらがくっ付いている茎の部分には、小さな斑点のように黒いスポットがある。 そんな所まではっきりと見て取れるほどに、おしべもめしべもさらけ出して、パッカーンと咲いている。 その姿に「無防備な美しさ」を見る気がして、頭の中でイメージが広がっていった。 美しく見せる計算をしないが故の、罪なほどの美。 「ああ、こんな風に開けっぴろげにすべてをさらけ出しても、構わないんだな」・・そんなことを教わっているような気分になったのだ。
意識しなくても、実は我慢していることって、日常の中にたくさん存在するものだと思う。 抱え込まずに、ちょっとずつ開放してみようかな・・。
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