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2005.04.02

病院に顔を出すようになるといろいろなことが見えたり、また、思い出されたりして、なんとも表現のし難い胸の内を抱えながらの日々。 今のところ、全くその必要性もないので、「一般ピープルでーす!」という表面(おもてづら)だし、現にこれだけ長い間臨床から離れてしまえば一般ピープルも同然である。 知りたがり屋の『ますたあ』がきょろきょろ物珍し気に辺りを見回しながら、「あれは何に使う機械?」とか「どうしてこうなってるの?」とか質問してくる時だけは、それらしく?解説しているが、その程度のことだ。

面会に行って洗濯物を引き取った帰りの車で、「我々には欲がないから、いざという時でもあっという間に死んでしまいそうだね」なんていう話をしていた。 急な心臓発作や予期せぬ事態が身体に起きた時、「私でなければできない重大な仕事を抱えている」や「何があっても孫の顔を見るまでは絶対死ねない」、「あの金は誰にも渡さない」などと、世俗的な欲が強い人ほどしぶとく生き延びることができる。 ・・これは客観的に経験上も感じていたことだ。 最後には気持ちで負けたものが生き残れない、ということなのだろうと思う。

こんなことを言うと呆れられることが多いが、自分の中では「もう人生はいつ終わっても構わない状態」で、さほどの欲もないし悔いもほとんど無いので、「あっ、これは死ぬかも知れない」と自分が認識したら、すぐ周囲に「今までありがとうございました」とか言ってしまいそうだし、死ぬまでの目安が予測されるような病気がわかったら、さっさと身辺整理を始めてしまいそうである。

父が入院してまず気にしたことは、「すこしお金を置いておいてほしい」だった。 自分では起き上がることもできないのに、である。 「気持ちはわかるけど、集中治療室にいる間はとりあえず余計なものを持たない方が良いよ。」と、話すと、笑いながらろれつの回らない口で、「いや、そうだけどさ、病院の売店ってお赤飯とか菓子パンとか、美味しそうなもの売ってるじゃない。」 ・・こちらは苦笑である! と、同時に「こりゃあ、大丈夫だ!」と確信して、もう一度笑ったのだった。

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