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2005.05.31

納得しかねるお茶

料理を作る者の端くれとして、「どうしても納得できない市販の食べ物」がいくつか存在する。 不味いとか調理方法がうんぬんではなくて、「食品として不自然」と思われる素材のことを指し、例えばミルキークイーン(米の品種の名前)出現以降のコンビニのお弁当のご飯・・確かに冷めてもベトつかないしポロポロになることもない代わりに、まったく米の味・香りを欠いている。 これは納得できない。 日本人としてこんなご飯を美味しいと感じてはいけない、などと、余計なことを思ってしまう。 それから、スライス済みの流通大手の食パン・・日が経ってもいつまでもフワフワで、カビすら生えてこない。 これも不自然過ぎる。 そして同様に納得できないのが、回転寿司で使われている日本茶のティーバックも・・あれは一体どうなっているのか、昔から相当疑問なのだ。

まず、湯呑みに入れっ放しにしておいてもオーバードリップ状態になった試しが無い。 つまり、濃いお茶にならない。 次に、そこそこの温度のお湯を直接注いでいるにもかかわらず、麦わら色に変色することも無く、いつまでもきれいな緑のお茶色なのも妙だ。 家であんな風にしたら苦味ばかりが強い、黄色いお茶になること請け合い。 しかもティーバックはお湯に漬かりっ放しだというのに。 そして、どんな風に焙煎された茶葉を使えば、あれほど香りや味の無いお茶っ葉が出来上がるのか?! 謎は深まるばかりである。 昔、お寿司屋さんのお茶といえば、粉茶を使う濃~いお茶が定番で、湯呑みの底が見えないような色で、苦味も香りも思いっきり濃縮したようなものと相場が決まっていたものだが、このご時世「いまどき真っ当な寿司屋」を選んで行かなくては、そんなお茶にも巡り逢えなくなってしまっている。 正に忌々しき事態だと、このオバサンは嘆きたい。

過日に沼津の整形外科に受診した折、数年ぶりに国道1号線沿いにある、有名な全国展開チェーンの回転寿司屋に入ってみた。 サービスと言い、バイトのオネーチャンと言い、なかなか突っ込みどころ満載で久しぶりに大笑いするほどのお店であったが、「そうそう、このお茶だよね・・」と、訝しく飲みながら、納得できないことを再確認する機会となった。 そのお茶をキャッシャー横で、自信満々にお持ち帰り用としてちゃっかり売っているところも、また笑えたのだった。

やっぱり、外食産業に携る人や会社は、もっと文化や安全や食育に係ることの責任を感じるべきだと思うのだが、どうも経済とかお金に目がいっているように見受けられて、なんだか悔しい思いがする。 その部分もまた「二極化」しているのかも知れない。 「真っ当な食品」に出会うためには、それなりの対価を求められているのだろう。 そのうちにお金を払っても美味しい物にめぐり合えないような世の中になってしまうのだろうか。 不安が募る。

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2005.05.30

最後のイチゴ

お客様のデザートに作ったストロベリーのムースの残りを、おやつに食べた。 材料として使ったイチゴの残りは、夕食後のフルーツとして。 こんな時期になって図らずも「イチゴ尽くし」の午後。

このイチゴは八百屋の店先で見つけた物だが、ジャムにしても良さそうに小粒で可愛かった。 無理もないだろう、もう5月も終わろうとしている。 クリスマスの頃からずっと売り場に並んでいたイチゴのシーズンも、さすがにおしまいだ。 売り場のスペースもすっかり狭められて、すぐ傍には温室育ちの小玉スイカが並んでいた。

小粒でもさすがに露地もののイチゴは、香りも味も濃くて色も濃い。 プチプチした食感を楽しみながら、春と5月を見送ったような気持ちになった。 

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2005.05.28

戦うべきは自分か

数日前から朝の8時前後に、決まってどこからかガラス窓をノックするような音が聞こえてくる。 近くの農家の方が野菜などを届けてくれる時のノックに近いので、慌てて勝手口に行くのだが、行ってみると誰もいない・・そんな事が続いた。 不審に思いつつ、音の主を探してしばらく待ち伏せしてみたら、犯人は思いもかけずヒヨドリだった。 ガラス窓に映った自分自身の姿を、縄張りを荒らしにきた敵と勘違いして、攻撃を仕掛けているらしい。 羽ばたいたままヘリコプターのホバーリングよろしく、ガラスをコツコツとくちばしでつついている。 しばらくしては近くに飛び去り、一周してまた戻ってコツコツ。 なんという不毛の作業にパワーを使っているのかと哀れになると同時に、ここにガラス窓さえなければそんな混乱を与えることもなかったろうに、と、ひどく申し訳ない気分になった。 この敵は倒せないのだと、早く学習してくれることを期待している。

昨日は整形外科に受診。 経過は順調らしい。 「だいぶ歩くことに自信がついたみたいですね」などと喋りつつ、いきなり怪我したほうの膝をぐっと屈曲する先生のずんぐりむっくりの手!! 「痛たたたた・・先生、曲げるなら曲げるって言ってくださいよ」と、嘆くと、「だって曲げるなんて言ったら、力入れちゃうでしょ?」、やんちゃ坊主のように笑って言われたら言い返す術がない。 「よし。 では、そろそろ筋力トレーニングを始めることにしましょう。」 大腿四頭筋や膝の裏側の腱のストレッチなどを組み合わせたメニューを説明され、本格的なリハビリ開始である。 今まで膝を伸ばした状態でずっと固定していたので、膝を曲げるという当たり前のことのために、わざわざリハビリが必要なのだ。 なんだか情けない。 「手始めはお風呂で温めながらやってください。」 多分今まで感じなかった痛みが出現するだろうから、と、湿布剤をたんまり処方された。 やってみると確かに痛い。 痛いからといって放っておいたら、いつまでも膝が曲がらない。 無理のない程度に自分をだましだまし、一日に数回、毎日確実に続けることがポイントだそうだ。 「完治まで、ここから、あと2ヶ月です。」との説明を受けて帰ってきた。

朝目覚めて、トレーニングメニューをこなしてから湿布を貼り換えていたら、今日もヒヨドリがやって来た。 コツコツと響くガラスの音を聞きながら、「お互いに、戦う相手が自分っていうのは、なんだか切ないよね」と、思った。

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2005.05.26

麦ミルク

先週から麦茶を冷蔵庫に常備しだした。 お風呂上りなどちょっと喉が渇いた時に、気軽に飲める甘くない飲み物があるという事実は、私個人としては非常に満足度が高い。 もちろん体調が万全であればビールに越した事はないのだが、まだ膝が完治していないので一応は?控えている。

都市部のカフェで去年の夏、「麦ミルク」というメニューを見つけた。 何かと思って尋ねてみたら、麦茶の牛乳割りとのこと。 「なんだ、そんなものなら、こっちは子供の頃から飲んでいるわい!」などと内心思いつつも、売り物になるほどの「麦ミルク」は、果たしていかなる物であるかを確かめてみたかったので、注文してみた。 いつもの飲み物もきれいでスマートなグラスに注がれて、華奢なストローなど刺さっていると、なんだか別の飲み物に見えるのが不思議だ。 ミルクピッチャーに入れたメープルシロップが添えられていて、「お好みでお使いください」とのこと。 麦茶を甘くするのは本当に子供の頃以来のことで、思いっきり懐かしく感じながら、遠慮なくたっぷり使わせていただいた。 メープルシロップの独特の香りが、麦茶の香ばしさと相まって、なかなかのコンビネーション。 この部分が「自家用」と「売り物」の差なんだなと感心した。

麦茶は濃い目に煮出しておくのがポイントだ。 そのまま飲むと若干の苦味が気になるくらいのほうが、「麦ミルク」に使うなら適している。 麦茶3対牛乳1、若しくは半々くらいにお好みで割る。 コクのある感じが好きなら牛乳に生クリームやコーヒーホワイトを追加しても美味しいし、甘いお菓子などがあれば低脂肪乳を使うとサラリと軽くなる。 微糖程度に甘くすると、香ばしさが引き立つようだ。 上白糖でもハチミツでも、メープルシロップやガムシロップでもそれなりに美味しい。 フロートのようにバニラアイスクリームを浮かせたのも、なかなか美味しかった。

私は麦茶は煮立てて作るが、その際にストレートで飲む麦茶を先に冷茶ポットに移し、その後でやかんに残った麦茶の上で、ティーバックをぎゅっと絞ってしまう。 そうするとティーバックの中から濃ーい麦茶が滴って、普通の麦茶に混じり、「麦ミルク」用の濃い麦茶ができる。 温かいうちに砂糖を溶かしておくのも良いかも知れない。

これからまたあの暑い夏が来る。 今年も麦茶に活躍してもらうことになるのだろう。

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2005.05.25

スナップ×スナック

昨日の夜のこと。 『ますたあ』がスナッエンドウと言うので、それはスナッだと指摘したら、「えっ??」ということになり、早速調べてみた。 私が食品の名前で困った時にまず頼るのは、女子栄養大学出版部から出されている「食品成分表」である。 お客様から栄養制限食を希望された時に大活躍する以外にも、ちょっとした和え衣のレシピや「しょうゆ大さじ1杯は何グラムか?」など調べたい時、手元に置いておくと何かと重宝するので、訂が変わる毎に買い換えている。 さて、その本によれば表向きはスナッエンドウであったが、『参考 別名スナッエンドウ』とある。 どっちなのよ?!

さて、この件を調べてゆくと、どちらが正しいと言うものではないらしい。 一応、農林水産省はスナッで統一する指針を出してはいるものの、一般的にはスナッも頻回に使われている。

http://www.maff.go.jp/soshiki/syokuhin/heya/qa/alt/altqa030707.htm

ちなみに某検索エンジンにヒットした件数を単純に比較しても、スナッエンドウが13600件だったのに対し、スナッエンドウは16100件と、圧倒的に勝利していた。 個人でレシピをインターネット上に公開しているような方にはスナッが人気が高そうか?

『ますたあ』と私のように「あれっ?」と思う方も少なくないようで、ブログに書いておられる方もいらっしゃる。 それによれと英語としての立場はスナッが優位に立っている様子・・。 スナッとスナッはなんとなく語呂が似ているだけに、混乱して広まってしまったのだろうな。 ふたつの名前を持つ面白い野菜だ。 まっ、美味しければどっちでも良いんですけどね。 

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2005.05.24

みどり・緑・ミドリ

5月の色は緑色。 木々の新緑も鮮やかだし、田植が済んだばかりのホヨホヨした苗もきれい。 新茶も鮮やかな緑。 そして今日はたくさんの絹サヤとスナップエンドウをいただいた。 ご自宅で採れたとのこと・・。 透明なビニール袋の向こうに鮮やかなピチピチした緑色がぎっしり詰まっていた。

予定を変更して早速いただくことに。 中途半端に残っていたツナ缶にすりおろしたニンニクを少々、ブラックペッパーをガリガリ挽いて混ぜておき、新タマネギをスライスして和える。 そこへ市販のポン酢しょうゆを適当に入れて、さっと茹でて色も鮮やかな絹サヤをたっぷり加え、彩りにサイコロ切りのトマト。 全体をささっと混ぜ合わせれば、きれいな5月色のサラダが出来上がった。 スナップエンドウは手始めにお味噌汁の実として。 お相手はマイタケと麩。 シャキシャキした歯ごたえとほのかな甘さが楽しい。 お椀の中でぽっかり浮かぶ様子も可愛かった。

サヤエンドウの仲間は、すじを引くひと手間がまた楽しかったりする。 作業の途中でなんとなく青い匂いが漂ってきたりすると、「ああ、5月だな・・」と、思う。 明日はベーコンと合わせてパスタにしよう。

たくさんのミドリ、ごちそうさま!! 

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2005.05.23

あれもこれも

「いたたたた」・・多分明け方近く、怪我で固定している側の膝が痛くて目が覚めた。 身体を動かしている昼間ならまだしも、寝ている間にこんな痛みを覚えるのは、やって以来初めてのことで自分でも少々焦る。 覚醒してみると、関節固定用の強力なサポーターを付けているにもかかわらず、膝を曲げようとジタバタ動かしていた僅かな記憶が残り、確かに強引に膝を曲げたようとしている形になっている。 そろそろと足を伸ばして、筋肉の緊張を解いて、「何でこんな無理をしようとしたんだ?」、と、自問してから思い出した。 そうだ、夢の中で何か恐ろしいものに追いかけられて、全速力で走って逃げていたんだっけ・・。

膝を曲げないということは、フトモモの前側の筋肉である大腿四頭筋があまり使われないということだ。 もともと筋肉注射を打ち込めるような大きな筋肉で、普通の生活においては運動量も多い部位だから、いざ使えないとなると筋肉が暇を持て余しているらしく、「手持ち無沙汰ですぅ~!」とでも言っているような感覚が自覚されていた。 人は夢の中で無意識に欲求を発散していると言われる。 だとすれば、怪我で壊された部位が修復されてきて、身体が「そろそろ動きたい」と自己主張しているのかもしれないと思った。

人間は欲張りな動物だから何かを禁止せざるを得ない状況になると、それが例えちっぽけなことであっても、ひどく損した気分になるものらしい。 普段そんなにお酒を飲む習慣がないくせに、病気で医師からお酒を飲まないように言われると、なぜだか無性に飲みたくなったりするし。 かつての職場仲間の栄養士さんも、こんなことを話していたっけ。 「糖尿病の人に『あれ食べちゃダメ、これも食べちゃダメ』って言うと、栄養指導は絶対聞き入れてもらえない。 だから、わざと『なに食べても良いんですよ、大丈夫』って言って、相手を安心させてから、『なに食べても良いけど、量を少し減らしましょうね』と、話をすれば、上手くいくことが多いのよ。」 さすがは百戦錬磨の栄養指導の鬼(?!)だと感心したものだ。 欲求は満たしつつ、上手に制限とつき合う・・ちょっとしたテクニックがストレスを減らすに違いない。

膝の靭帯に負担がかからない程度に、筋肉のセッティング運動(筋肉の長さを変えないまま、筋肉の収縮を行う運動)をしながら、「もう少しの間の辛抱だからね」と、筋肉の欲求をごまかしてみた。

 

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2005.05.21

久しぶりの勉強

義父の入院しているリハビリ専門病院で、家族のための勉強会が開かれたので参加してきた。 脳梗塞や脳内出血の患者の家族ばかりが集まり、病態生理から今病院で行われている医療行為の解説、これから退院に向けての具体的方向など内容は多岐にわたり、院内で患者に直接関わっている全ての部門から講師が集まるという、気合いの入った2時間の講義だった。

久しぶりに机に向かって講義を聞きながら、人が生活するということはこんなにも総合的なことなのだな、と、感慨に近いものを感じた。 病気によって歯車が狂ってしまった患者へのアプローチを、それぞれの切り口から分析すると、ご立派な内容が積み上げられる。 それらを全て完璧にこなそうなどとは思っていないが、理想の状態を頭の片隅に一度インプットしておけば、日常生活の指針にはなるだろう。 そのような意味付けにおいて興味深く聴いてきたし、聴いたからといってプレッシャーになることも無さそうだ。

それぞれの家族にそれぞれの患者があり、それぞれの事情がある。 それなのに同じ病気でハンディーを背負った患者を受け入れる側には、何だか独特の仲間意識のようなものがあって、不思議な雰囲気だった。 退院が近くなればそれぞれの家族が、患者の現実を直視しなくてはならない。 きっと病気を受け入れなければならないのは、家族の方なんだろうな・・。

見えない何かを突きつけられたような気配を感じたような気がした。 

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2005.05.20

豆モヤシ

午後から、久しぶりに買ってきた豆モヤシの「ひげ根」を摘み取る作業に集中。 座ったままできるので、膝に負担がかからなくてありがたい。 一袋を15分ほどで終了・・ただそれだけのことだというのに、いつの間にか無心で行っていたようで、顔を上げた瞬間立ちくらみがした。 何だか情けなくもあり、思わず苦笑する。

豆モヤシはパスタを茹でるくらいの塩を入れた湯の中で、5分ほど下茹でしておく。 冷蔵庫で保管すれば、そんなに早くは傷まない。 モヤシの歯ごたえとちょっと青臭い豆の味が組み合わさって、私は好きだ。 中華風のサラダに使ったり、炒めたり、ナムル風の和え物にしたり。 すりゴマにラー油か胡麻油を少々、塩と一つまみの砂糖、あればすりおろしたニンニクやみじん切りの長ネギを少々、これをすべて合わせて下茹でした豆モヤシを和えるだけ。 ごくごく簡単なナムル風だが、ちょっとした箸休めやビールのお供に良い。

常備するような野菜ではないかも知れないが、たまに使うと「こんな美味しさもあったな」と、再発見するような気持ちになる。 たまにはいかがですか?

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2005.05.18

コンビニでびっくり

コンビニの駐車場で窓を全開にしたまま車を停めていたら、右側の方から「小型の何か」がすごい速さで近づいてくるのが見えた。 「ん?」と思う間もなく、それは運転席側の窓枠から車内に飛び込んできて、ハンドルの上に。

なんとスズメが一羽。 まだ子供なのだろうか、ずいぶん小型に見える。 びっくりして目を丸くしたまま動けない私を横目に、車内をひと見渡しすると、同じ窓からさっさと飛び立って行ってしまった。 ・・呆然・・。

この時期は子スズメたちが飛び回っている季節のようで、好奇心旺盛で怖いもの知らずの彼等は、時々とんでもないことをしでかしてくれる。 数年前も、こんなことがあった。

ある日のお昼前、宿泊客のチェックアウトを終えた館内の窓ガラスを大きく開けて換気しながらベッドメイクをしていた。 客室でシーツを引っ張りながら作業していると、なんだかどこからかチュンチュンと騒がしい。 屋根にでもスズメがとまって鳴いているのかと思いながら、しばらく気にもせずにベッドメイクに集中していたのだが、それにしても騒がし過ぎる・・何があるのだろうと、客室から廊下に出てみたら、廊下の木製の手すりに子スズメが3羽並んで仲良く鳴きまくっていた。 漫画のような光景にびっくり! スズメの方も突然人が現れてびっくり!! で、一斉に慌てて飛び上がったは良いが、パニックになった様子でどこが出口なのかを見失い、館内をバタバタと飛び回る羽目に陥ってしまった。 慌てふためいた挙句に壁にぶつかったりしながら、至る所にフンを置き土産にして退散していったのだった。 そんなことがあって以来、網戸のついていない窓は、この時期には全開にしないように気をつけている。 それがお互いのためだ。

いくらエンジンを切って停車中といっても、まさか自動車にまで飛び込んでくるとは思っていなかったので、本当に驚いた! むこうも相当焦ったに違いないだろうな・・。 ちょっと油断していた。 今回は「置き土産」が無かったことが幸いだ。

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2005.05.17

正しい野菜

修善寺にあるスーパーマーケットへ出かけたら、通常の野菜売り場の横にちょっとした棚が備え付けられていて、地元で取れた野菜が100円で並んでいた。 小松菜、長ネギ、シイタケ、キャベツ、大根・・。 どれも本来の売り場のものに比べ半額ほどになっている。 大ぶりで存在感のある見た目に強いインパクトを覚えながらも、「どうせ自分達で食べてしまうのだから、見た目を気にする必要もないし、安いに越した事は無いし。」と、いくつかを買い込んで来た。

さて、それらの野菜の使い勝手はと言うと、これもなかなかインパクトが強かったのでご報告。 まず、すべての野菜がよく言えば「繊維がしっかりしている」、悪く言うと「硬いまたはこわい」。 長ネギは極端に表現するとジョリジョリした感じだし、キャベツは炒めても歯ごたえがある。 普段のキャベツはフライパンの余熱でも十分にしんなりするのだが、今回のキャベツはちょっとやそっとの加熱にはへこたれない強さがある。 そして、青い野菜は青臭い味がするし、野菜それぞれの味や香りがとても強かった。 小松菜は茹でてからしっかりさらさないとアクが残ったし、長ネギは生のまま刻んでいたら涙が出て、香りも辛味も立派だった。

何も言わずにテーブルに料理を並べて食事をしていたら、『ますたあ』が「今日の野菜はどれも美味しいね」と、言う。 地場産品のコーナーで買ってきた野菜ばかりだと説明すると、妙に納得した表情である。 確かに味も香りもひと昔前の野菜のそれだ。 でも、この歯ごたえはお年寄りや歯の弱い人にはつらいだろうな。 自分達の子供の頃は、どんな野菜を食べてもこんな感じだったと話が弾んだ。 野菜嫌いの子供たちも多かったし、辛くて困るような大根おろしも頻繁に遭遇していた。 いつから今のように自己主張の少ない、きれいな姿の野菜ばかりになったのだろう。

品種が違うのかそれとも育て方の違いか、どこでこんなに大きな差がでるのかが不思議で仕方ない。 こういう素材こそを使ってお客様の料理も作りたいと思う反面、これだけ癖が強いと残すお客様も出てくるかなとも、不安が頭をよぎる。 最近のお客様は自己主張の少ない、柔らかい野菜に慣れているからな・・。 作り手の腕を見込んで来店してきてくれる街のレストランのお客様方と違い、ある程度客層のターゲットを広げなくてはならない観光地の宿泊施設の哀しさが身にしみる。 メモリアのお客様を信用して、正しい野菜を使うかどうか・・ひとり頭の中でウーンと唸っていた。

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2005.05.16

セミの初鳴きに強がりを少し

ジジ・・ジ・ジ・・と遠慮がちに、グラウンドの向こうの雑木林からセミの初鳴きが聞こえてきた。 しばらく気温の低い日が続いた後、今日はやっとすっきりと晴れて湿度も下がっている。 まだ大きな段差が越えられない私に代わって、『ますたあ』が布団干しをやってくれた。 物干し竿の上に広げられて布団が眩しく見えるのに誘われて、私もヒョコヒョコと玄関先まで出てみる。 陽射しの強さに目を細めながら、草の匂いを吸い込んだ。 どんどん背丈を伸ばして小さなピンク色の花を開いた道端のヒメジオンが、やけに健気な感じを漂わせていて、なんとなく立ち止まる。

少し周辺をお散歩してみようかとも思うが、相変わらず杖をつきながら危なげに歩いている様子を見られてしまうのも如何なものか、なんて考えてしまい、庭先だけちょっと歩いてすぐに引っ込んでしまった。 考え過ぎなのだろうとは思うけれど、この辺りの方々はこのブログを読んだりはしていないだろうから、出くわしたときに説明するのも何だか面倒だし、怪我してますよ~って自ら言いふらすようで気になるので、まだ篭っている。 田舎の生活は噂が早いし、他人の日常に首を突っ込みたがる人も多いので、こんな時はちょっと面倒。 無名の誰かさんとして雑踏に埋没できる街の気楽さが、妙に懐かしく思い出されたりもして。

まっ、図らずも、この時期の強い紫外線を避ける生活を送れて、ラッキーだとでもいうことにしておきましょ! 

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2005.05.14

8の字巻き

・・と言っても、伊達巻きや太巻き等の食べ物の仲間ではない。 放送関係で使うような長いコードなどを、短くまとめたり、しまったりする際に使う、『巻き取り方』の名前である。

長いコードはそのままくねくねと等間隔で折り曲げると、折り目に当たった場所に力がかかって、内部に包まれている配線が切れてしまったりする。 また、折り曲げた形に癖がついて、使おうとして伸ばしても折り目が残ったまんまギザギザ線のような形になってしまう。 それらを防止するために、コードにかかる負担を少なく、また、巻きを解いた時にまっすぐに使いやすいように工夫されたものだ。

やり方は、長いコードを床で文字通り8の字を書くように置いてゆく。 ふたつ縦に並ぶ丸の、ひとつの直径は大きい程良いが、マイクコードなら30センチくらい、線の細いスピーカーコードなどではもっと小さくても構わない。 で、全ての長さが8の字になったら、真中の部分即ち上の丸と下の丸の交点で、対照に二つ折りにする。 両側の丸の交点の反対側(丸の底の部分とでも言おうか・・)を合わせて、ひもなどで結ぶ。 これで出来上がり。 これを輪っかのまま保管するのだ。

こんな方法を何のためにご紹介したかと言えば、普段の生活で非常に重宝しているからである。 例えば私が8の字巻きを使っているものは、洗濯機の風呂水ポンプのコード、テレビ等電化製品の裏で余っている電源コードやアンテナ線、庭の散水用ホース・・とにかく長いものは全てこれで片付けていると言っても過言ではない。

高校時代の部活で先輩たちから教わったものなのだが、一生ものの知恵になってしまいそうだ。 ありがたや。 ちなみに当時の仲間たちも、みなそれぞれ家庭を持ったり、仕事に忙しくしているが、ある時「洗濯機の風呂水ポンプのコードを8の字巻きにしてしまう」と、言ったら、「私も!」「私もやってる!」と、一同大笑いになった。 そのくらいに、みんなが重宝しているということなのだろう。

なにかの機会に是非お試しあれ。

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2005.05.13

美味しそうに食べる

テレビをつけると、どこかのチャンネルで必ず誰かが何かを食べているほどに、ものを食べる場面が頻回に流れている。 役者さんから一般の人まで映されている人は様々だし、食べ方や表情・表現も当然人それぞれ。 テレビで「美味しい」と伝えているからといって、本当に美味しいとは限らないとしても、やはり素直な感想はそれなりに表情に表れているように思う。

最近殊に目立つのは、体格が良いことで知られる某お笑いタレントのIさんで、「まいう~」という言葉を流行らせた番組でも馴染みが深いが、実は私は彼の食べ方があまり好きではない。 人が善さそうな好印象は多分本当に間違いが無いのだろうし、食べることが大好きな様子もまた事実だと見て取れるのである。 にもかかわらず気に入らないのは、わざとハフハフして故意に一口で頬張らなかったり、ごっくんといきなり飲み込んでしまったりするオーバーアクションが目に付くからだ。 CMで編集されたものを見ているなら、何も気にならずに処理されているが、それなりに録画時間の長い番組では、どうしても鼻についてくる。 そうでなくても、口に物を入れたまま笑いを取ったりするのは論外だろう。

一方、最も美味しそうに食べているなあ、と、いつも感心するのは、中華料理のレトルト調味料のシリーズでCM出演している「とんねるず」の木梨さん。 あそこに出演している家族役の方々は、みんなとっても美味しそうに食べているのだが、父親役の木梨さんは秀逸だと思う。 ガバッと口をあけて、どどどーっと口に運び、ほっぺを膨らませてニンマリしている様子は、決して上品ではないのだけれど、間違いなく美味しそうだし、うっかりこちらまで「今夜は中華にしようかな・・」などと考えたりするほどの勢いがある。(これはスポンサーの思う壺ってことですな。) 人が物を食べている光景を映した作品の中で、あのCMのシリーズは本当に良くできていると唸って見ている。

食事をしている場面には、人柄や普段の何気ない生活の様子が表れると言う。 逆に何の緊張も無く食事そのものを楽しめる相手とは、本当に腹を割って付き合っている証拠にもなるだろう。 カメラを相手にひとりで美味しそうな様子を作り出さなければならない役を演じるのは、かなり大変なことに違いない。 今日も日本各地で行われているであろう食事場面のロケに思いを馳せながら、出演者たちにちょっと同情。

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2005.05.12

すっぱい甘夏柑

買ってきた甘夏柑。 剥いてみたらとてもすっぱくて唇が尖ってしまった。 2・3粒食べたら、もう続かない。 文字通り閉口している私を横目に、『ますたあ』は「全然平気!」と言いながらパクパク平らげてしまった。 見ている私の方が、想像だけで口がすっぱくなってしまい、おばあさんのような顔つきに。

『ますたあ』はすっぱい果物を抵抗無く食べる。 レモンもそのままかじってしまう。 で、けろっとしている。 例えばトンカツのお皿にレモンの櫛型切りが添えられていても、トンカツにかけたりはしない。 全て食べ終えた後でデザートとしてレモンだけを食べている。 私は極端にすっぱい果物は苦手で、レモンをそのまま食べるなんてできない。 酢の物などお酢の料理があまり好きでない『ますたあ』が、どうしてすっぱい果物を平気な顔で食べることができるのか、不思議で仕方が無いのだが、本人に言わせると「酢と果物のすっぱさは大違い」と言う。 そこだけは、判るような気がしなくも無い・・私はお酢は平気なのだ。

甘夏柑は全部で5個もある。 それも立派な大きな粒。 『ますたあ』にはそのまま食べてもらって、私は皮を剥いて細かくしてからハチミツにでも和えようかと思っている。 こんなにすっぱいくせに、夏柑なんて名乗って欲しくなかったなあ・・。

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2005.05.10

朝食のことを考える その2

これだけ豊かな食事ができる国になり、「国民総成人病時代」などと称され摂取熱量過多となると、朝食を抜いたからといって、好ましい結果がでる人の方が多いのではないかと思ってしまう。 『ますたあ』のように食事を摂らなくても体がなんともない人にとっては、摂取熱量の総量を減らすことができるメリットの方が、表に出てきそうな気さえする。 現に世の中では、何年も食事を摂らなくても大丈夫だったという人が、本を書いたりしているのだし、テレビで見たアフリカの小さな国では、習慣的に食事は1日一回だけ。 それも毎日、穀物の粉をお湯で練ったものだけだった。 別に朝・昼・晩と3回に分けて食事をする必要もないのかもしれない。

ところが先日、とある管理栄養士さんが講演しているのを聞いて、目から鱗が落ちた。 簡単に要約すると以下の通りである。

人は何のために食事をするかと尋ねると、大抵の人は「栄養を摂るため」と、答える。 つまりエネルギー源を補給するのが目的だと思っている。 それは決して間違いではないし、専門家の誰が見ても正論だ。 しかし、実際に人が食事をしている時に体に起きている現象を研究してみると、実はもの凄くエネルギーを消費することが解ってきた。 咀嚼や嚥下(噛むことや飲み下すこと)に運動エネルギーを使うだけでなく、消化するために胃や腸が活発に動き、血液の循環も盛んになるから脈拍も上がり、呼吸も速くなる。 その上、食べ始めて5分もすると体温が上がり始める。 それらは全てエネルギーを消費することばかりであって、実際に人が食べたものをエネルギーとして利用できるまでには更に15分近くを要する。 つまり、エネルギーの先行投資がなければ、人間はエネルギー源を吸収できない。 だから食事は、エネルギーを使う習慣を体に覚えさせる行為でもあり、これは別の言い方では基礎代謝が亢進されるとか、太りにくい体質になると言うことに他ならない。 だから、太らない体を作るためには、ちゃんと3回食事をするべきだし、統計学的にも「3食摂っている人は肥満が少ない」というデータも得られている。 特に睡眠中に代謝が低下している体を、活動の前に代謝を活発に戻すという意味において、朝食を摂ることには大きな意味がある。 逆を言えば、これから眠ろうとしている前に摂る夕食は、量も少なく軽くても良い。

代謝を活発にするための食事、そう考えると、必要性もずいぶん違って見えてくる。 私個人としては、この考え方の方がしっくり納得できるので、何故朝食が必要かと尋ねられたら、この理論を使おうと思った。

確かに昨日書いたお客様の奥様も私も痩せ型だし、朝食を摂らない習慣の『ますたあ』は太り気味だ。 やはり基礎代謝に関係があるのだろうか。

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2005.05.09

朝食のことを考える その1

朝食は摂るべきだという意見が主流である。 私も子供の頃から何かに付けそのように言われて育ってきたし、そのように他人に指導もしてきた。 朝食を摂るべきだとする根拠は、行動を開始する前にしっかりエネルギーを補給し、頭と体を動かす準備をしておく、ということの外に、そのまま昼食までエネルギーの供給がないと、脱水や軽い飢餓状態により身体的負担が増えてしまうので好ましくない、ということも言われる。 その他にも数々の理由があるが、私が最も強い拠り所にしていたのは、つまりは自分が朝食を摂らないと低血糖で吐き気や眩暈・頭痛を起こし、使い物にならないからであった。

どうもこの体は燃費が悪いと言うかエネルギーロスが大きいと言うか、代謝が活発だと言えるのかも知れないが、とにかくしっかり食べないとあっという間に低血糖症状に襲われる。 極端な説明をすれば、朝布団の中で目覚めた瞬間にもう空腹で気持ちが悪いことが、週に何回かはあるのだ。(ちなみに現段階では糖尿病は無い。) だからとにかく朝ご飯を食べてからでないと、何も始められない。 若い頃は「おめざ」を枕元に置いてから寝る習慣もあったが、元々甘いものが得意ではないので最近はやらなくなった。 昼食も夕食もちゃんと食べる。 時間がずれ込むことがわかっている時は、バナナとか小さなおむすびと牛乳などで繋がないと辛い。 そんな調子だから、世の中の人々もきっとそうなのだろうと信じて疑わなかった。

ところが、『ますたあ』は私と正反対だったのだ。 食事なんか摂らなくても平気な上、摂ると眠気やだるさが来て作業効率が低下するので、できれば摂りたくないなどと平気で言う。 結婚する前にドライブに出かけた際にも、『ますたあ』は美味しそうなお店が見つかるまで食事を先延ばししたり、昼食を摂らずに夕方に早夕飯を摂ってもOKなのに対し、その隣りで私はどんどん気持ちが悪くなり不機嫌極まりない、そんなことが多かった。(だから『ますたあ』と出かける時は、必ずお菓子袋や飲み物を持参することを学習した。) そんな人なので、未だに『ますたあ』は朝食をほとんど摂らない。 朝起きてすぐに物を食べるなんて信じられない、と言われる。 彼の場合、食事を摂る為にはどんなに早くても、起きてから1時間は必要に見える。 私だったらその1時間の間に吐き気で倒れているかも知れないと言うのに!

結婚した当初こそ朝食を摂るように薦めてはいたものの、どんなに言っても彼の体がその必要性を感じていないので、やはり最終的には通じない。 いつの間にかあまり言わなくなってしまった。 だから今でも朝食は私独りで食べている。 珍しく『ますたあ』が気が向いた時だけは食べるけれど、自主的には年に何回もない。 午前中から外で体力を消耗するような仕事があったりする場合に限られる。 それも体が欲しているのではなくて、「食べておいた方が良いのかなあ?」くらいに頭で考えて我慢して食べている感じだ。

以前、この話をお客様ご夫婦に話したら、「あっ!ウチと同じ!!」ということになり、ご主人と『ますたあ』、奥様と私が、それぞれに同情し合うこととなった。 独身時代のドライブでの逸話も、大方同じような経験を4人はそれぞれしていて笑ってしまった。 低血糖に対する自覚症状の出かたには、男女差があるのだろうか? それとも男性はより大脳皮質部が優位に立ち、動物的欲求をコントロールできるのに対して、女性はより本能に近い形で生きているということなのだろうか?

あんまりそういった話で男女差というのは聞いたことが無いのだが、詳しく調べてちゃんと統計を取ったら、何か見つかるのかも知れないと思う。 ちなみに今日の私の朝食は、残り物のご飯と納豆、レタスとトマトにドレッシングを少し、これまた残り物の切干大根の煮付け、ホットミルク・・大抵こんな感じで「残り物の片付け」が大事な役割となっております、はい。 食事を管理する身にとっては、残り物の片付けも重要な目的なのかも知れない。

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2005.05.07

食にまつわる小さなこと

現在はフラットな床面を歩く際、片側だけの松葉杖または一本足の短い杖を使っている。 この許可が下りたのは昨日なのだが、正直に白状するとゴールデンウィーク前半には、見切り発車で自主的にこの状態で歩いていた。 厨房で料理を作るためには、どうしてもせめて片手が自由に使える必要があったからだ。 片手だけでも空けば、すぐに物を運べるし持ったまま移動できる。 口にくわえるか首から掛けるかしか選択肢が無かったことに比較すれば、この差はとてつもなく大きい。

久しぶりに午後に紅茶を淹れた。 今まではそのまま厨房で立ち飲みだったが、トレイに載せて運んでから座ってゆっくりと飲んだ。 たったそれだけのことがひどく「人間らしいこと」に思われて、心の奥からほっとした。 厨房で立ち飲みしたって紅茶は紅茶だ。 それに紅茶の出来栄えだって、そんなに大きな開きがあるわけじゃ無し、本当になんでもないくらいの違いしかない。 でも、この感じ方の違いは何だろう? 荒んでささくれ立っていた状態から、だいぶ潤いが広がってきたような、または、イライラと攻撃的な状態から、穏やかな平和な状態へ変わるような、自分でも驚くような違いが存在しているのに気付いた。

立ち食いや立ち飲みをしないこと、ちゃんと器に移して食べたり飲んだりすること、座って落ち着いて味わって食べること、温かく食すべきものを温かくたべること・・なんでもない、そんな普通のことが、どれだけ気持ちのありように関わってくるのかを、思い知らされた気分だ。

「食育」という言葉が注目されて久しい。 「スローフード」という単語も相変わらず注目されている。 それらは皆、こういった小さななんでも無いことの積み重ねから始まるのではないかと、そんなことを考えた。

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2005.05.06

レイコさん

もう一段階行動範囲を広げても良いと、整形外科の医者のお墨付きをもらえたので、受診の帰りに早速義父の入院しているリハビリテーション専門病院へ、足を伸ばした。 義父はちょうど作業療法へ行くところ。 こちらは洗濯物の引き取りなどがあったので、とりあえず車椅子を見送って、病室での片づけを終えてから作業療法室を覗きに行った。

10人ほどの患者さんが、それぞれに合った訓練を受けている。 パズルのようなものをやっている人、積み木を正確に重ねていく人、パソコンの画面と向き合っている人、スプーンで右から左のふたつのお茶碗にピンポン球を移動している人。 義父はぎりぎり届くくらいの高い位置にある輪投げの柱に、ワッカを通すのに一生懸命だ。 いろいろな素材があるんだな・・などと感心しながら、部屋の片隅で見学させてもらっていたら、奥にいた白髪のおばあさんが、作業の手を止めて私にニコニコしているのに気付いた。

付き添っていた療法士さんが、おばあさんの視線を追いかけてから「あの方は、患者さんのご家族ですよ。」と、説明すると、そのおばあさんは、私に微笑んだまま大きな声ではっきりと、「いえ、あの人はレイコさんよ。」と言う。 「・・??」 レイコさんって誰だ?

病気による認知障害が、私をレイコさんに仕立て上げたのか、はたまた、レイコさんに似ていたのかは疑問だが、訓練の邪魔になってはいけないと思い、軽くおばあさんに会釈して、そそくさと作業療法室を後にした。

帰りの車の中で、深い意味も無く、本物のレイコさんに会ってみたいなと思った。

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2005.05.05

静かって言えば、そうですけど。

このゴールデンウィークは何だか静かだ。 トップシーズンに限ってかかってくる「勘違い電話」(例えば当日の夕方になって、「(大人)10人と幼児2人泊まれますか?」とか、「5000円で2食つけて泊まれませんか?」みたいな当方からすると無鉄砲だなあと思うような電話。)も無かった。 おいでいただいたお客様方も常識的な「精神的に大人の方々」ばかりだったので、館内の雰囲気も落ち着いていた。 何よりも違ったのは、グラウンドを利用しているスポーツ団体が皆無に等しかったことで、朝から掛け声や気合いの声が響くことも無く、のんびりと野鳥が歩いていたり、たまに人影があってもお散歩を楽しむ方で、騒いだり大声を発したりすることもなく、小鳥の鳴き声だけが響いていた。 山の下を走る国道を爆音を立てながら通り抜ける車の音も響いてこなかったし、強くブレーキを踏んだときのタイヤの音やサイレンも無く、穏やかに時が過ぎていった。

静かで穏やかな環境の中で過ごせるのは、精神衛生上はとてもありがたいことではあるものの、観光地としては少々心配である。 「大丈夫かな?」とか、ついつい考えてしまう。 いや、伊豆も世の中も、ちっとも大丈夫ではないだろう。 不況とかゆとりの無さなどに限局した問題ではなく、旅行そのものに求める内容の変化の大きさを、最近痛感している。 一つの時流ができてもそれが長続きせず、あっという間に価値観そのものが変化してゆく。 時流そのものも多様化し分散し、「みんながこぞって」という大きな流れではなく、「ある一部の人々が」という小さな流れだし、ますます小さく小規模になっているみたいに見える。

このところ自分の頭の中で滞っている「無味無臭」というキーワード・・どういう意味があるのか、まだ私にも分析できていないが、近い将来の何かを象徴するものなのかな、という予感がする。

緑の眩しい5月。 まだ自分でできることの少なさに閉口しながら、自分の内部にあるストレスと戦っている。

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2005.05.03

新ジャガと新タマネギ

ずっと食材の仕入れを『ますたあ』に依頼していたのだが、連休前の買出しでは自分もお店へ足を運んだ。 どうしても食材の顔を見てからでないとメニューの組み立てができないし、料理のイメージも湧かないものだ。 当然のことながら、食材のラインナップも春から初夏へ移行している。 松葉杖をついていた間にすっかり季節にオイテケ堀を食らったような気がして、少々焦った。

ふと見ると通常の皮が茶色のタマネギのとなりに、白く瑞々しい新タマネギが。 あのシャキシャキした歯ごたえと、香りの割には辛くなく甘味が残る味が脳裏をよぎる。 「今夜の賄いにはオニオンスライスだな」と、勝手に決め込んで即決で購入決定。 タマネギの隣りには親指と人差し指で円を作ったくらいの大きさの、コロコロと可愛い新ジャガが、大きな袋に詰め込まれて並んでいる。 薄い皮の向こうにある土の味は、この時期ならではの贅沢だ。 揚げてよし、煮てもまたよし。 たくさん買ってきてもいつの間にか無くなってしまう。

目新しい食材は、なんとなく嬉しい。 買うのも、料理するのも、食べるのも嬉しいのは不思議だ。 季節が四つもある国に生まれた幸せを思う。

ありとあらゆる食材を車に運び込む『ますたあ』にお礼を言いながら、何をどうやって料理しようか、頭の中で思い巡らせていた。 ・・早く歩けるようにならなくちゃな。 早く季節に追いつかなくちゃな。 

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