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2005.07.15

自分の判断

プライベートでのことだが、義父の件で義父に代わって『ますたあ』と判断をひとつ下した。 もう、サイは振られたので、あとは今後の流れがスムースに進展することを祈るのみだ。

以前に臓器移植についての話題に触れた際にも書いたが、自分のことを自分で判断することは、生きてゆく上でとても大事なことだと思う。 そして、その判断能力が病気や事故によって失われたとしても、元気な間に示された本人の意思に沿って第三者が実行できるような社会システムを構築して欲しい。 その判断を家族に委ねられると、家族は迷いに迷い、どのような結論に達しても「これでよかったのだろうか」と割り切れない思いが募るし、家族の中で考え方をまとめるのも責任を負いかねる。 普段から自分の考えや判断を自分の力で行い、なるべく客観的記録に残しておくことや、信頼のおける誰かに伝えておくことも役立つはずだ。 それは家族でなくても構わないだろう。

現状の生活に比べて、法律や社会のしきたりは未だに「家庭」を単位にしている。 そのギャップが思ったよりも大きくて四苦八苦。 課税も社会保険制度も戸籍も、個人単位のほうが実態に即しているのではないかと思うことも多い。 郵政法案が参院を通るの通らないののニュースを横目に、未だ夫婦別姓すら法律上は認められていない現実を思って、ひとつため息をついた。 法律も社会の変化に伴って変わってゆかねばならないものなのではないか? どうも、その辺りが立ち遅れているような気がしてならないのだが。 ぶつぶつ・・。 

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コメント

はじめまして。社会は意外にも個人単位へとシフトしているようにも感じますが、何よりも意識が家族単位を堅持しているような気もします。もちろん、家族単位で支え合うのも大事ですが、結婚したら氏も立場も無理に家族に帰属するという感覚は不都合が発生していると懸念しております。

投稿: 夫婦別姓を待つ身 | 2005.07.18 12:54

『夫婦別姓を待つ身』さん、コメントありがとうございます。 意識を変えてゆくのは時間がかかるし、働きかけも難しいですよね。 その人が幼少時代に受けてきた教育やその時代の社会的環境が、大きくその後永年にわたって意識に影響をもたらすのだと、自分の親の世代を見ていて強く感じます。 すぐには変えられない意識同士が議論しても、水掛け論になってしまうことも多いような気がして、少々空しいですし。 意識がかみ合わない場合は、法的な整備をして、意識の根拠と言いますか拠り所を保証することも近道なのでは?と、思うわけです。 我々夫婦も結婚してずいぶん経ちますが、今でも「事実婚でも何ら問題ないよね」なんて、よく話をしております。 夫婦別姓を地で行くといろいろ面倒くさい問題にぶつかることが多いともお聞きします。 応援していますので、めげないでくださいね!!

投稿: リーボー | 2005.07.18 20:41

ありがとうございます。とても勇気づけられました。
私自身は昨年離婚届を出して法律婚から事実婚にしてしまい、いまのところ厄介な問題には直面してないため開き直りつつあります。しかしこれから問題に直面するカップルが絶えないことを思うと心苦しいです。

投稿: 夫婦別姓を待つ身 | 2005.07.19 10:02

そうなんですよね。 私の友人も事実婚を選んでいますが、「戸籍上結婚していないばかりに、こんなに面倒くさいのはウンザリする」と、ぼやいています。 それぞれのカップルが、それぞれ納得のゆく形態を選べるようになれば良いのですけれど。 はぁ~。 地道に声をあげ続けることが大事なのかも知れませんが、それにしても、もうちょっと早いスピードで前に進んで欲しいものです。(TBをありがとうございました。)

投稿: リーボー | 2005.07.19 14:04

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