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2005.08.31

♪流されて~

手術で入院中だった実家の母をお見舞いに行ったら丁度抜糸で、何もなければ翌日には退院できると言う。 ついでなのでそのまま実家に泊めてもらうことにして、退院と退院後の家事全般を手伝ってきた。 思いもよらない3泊の旅行・・。 思ったよりも手術後の回復は順調で、何よりもありがたいことだ。 私も何だかホッとして、逆に疲れが出てきた感じ。

今夜で8月もおしまい。 懐かしいオフコースの「I Love You」という曲から「ああ早く9月になれば」というフレーズを思い出して、梨を厨房で剥きながらなんとなく口ずさんでみた。 落ち着かなくて、けたたましくも思えた8月が終わる。 明日からは少し腰を据えて自分のするべきことに時間を使えるかな?

お気に入りのラム酒をワンショット分だけ、ぐっと飲み干した。 涼しい夜の空気を深呼吸して、鈴虫の音色を聞いた。 穏やかな気持ちで秋を迎えられそうな、そんな気分になった。 このイメージを大事にしておきたい。  

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2005.08.26

サマリー

台風が去った後の暑い暑い日。 やっとシーツや枕カバー、肌掛けなどを洗濯できて肩の荷が下りた気分。 湿度が高かったので乾くかどうか心配していた不安を、強い日差しが払拭してくれた。

いただいていた暑中見舞いや宿泊していったお客様からの手紙の返事を書きながら、今年の夏のことを思っていた。 7月のことなんて、もうずいぶん昔の事のように感じるのが不思議だ。 時間の流れではなく経験した事柄の濃さによって、人間の感覚は支配されているんだろう。 自分はそこからどれだけのことを学び、どれだけのことを身に付け、なにを割り切り、なにを選び取ったのか・・。 そのサマリー作り、そしてその評価が、今日からの私の仕事になる。 冬前にはしっかりした評価を持って、次のステップに進みたいと思う。

冷蔵庫の中で過剰気味なミンスミート(ドライフルーツやナッツなどを香辛料と一緒に洋酒に漬け込んだもの)やフルーツの砂糖漬けなどを消費させるために、フルーツケーキやクッキーなどを焼こうと、紙型をたくさん仕入れてきた。 秋のバザーシーズンに役立ててもらおうと思う。 何も考えずにバターをホイップしたり、粉を振るったりすることに集中したいと思うのは、ある意味においてはわがままで無い物ねだりなんだろう。 他の人のために何かできることは幸せなことなんだということは重々承知の上で、一言だけ言わせてもらえるならば、自分の足元を確認する時間が欲しい。

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2005.08.25

嵐の中でオフ日

台風11号の接近により、朝から大荒れの天気に。 それを言い訳にして今日はオフ日を決め込み、久しぶりにゆっくりと過ごしていた。 最近何をそんなにバタバタとしていたかと言えば、お盆に引き続いていたお客様方を見送った22日、そそくさと厨房の掃除をしてから上京し、翌日に手術を控えて緊張のあまり情緒不安定いなっていた実家の母を病院に見舞い、翌日は朝の8時からの手術に付き添い(なんでそんなに早い時間設定なのか、未だに疑問であるが。)、翌日も朝から病院へ詰めて、夜に伊豆へ戻ってきた。 夕食を済ませてから、今度は義父の退院の準備、そして翌日は退院と施設への入所である。 もろもろの手続きや片付け等で、夜自宅に戻ってきたときにはヘロヘロになっていた。 何だか数か月分の仕事を数日でこなしてしまったような気分だ。

実家の母の手術は無事に終わった。 経過も順調で、まあ開腹手術だからそれなりの苦痛は本人にはあるものの、少々医学的知識を叩き込まれた当方にとっては、「全て予想の範囲内」である。 腫瘍が見つかっての除去術ではあったが、手術後に見せてもらった組織を見た瞬間に「これは大丈夫だな」と思えるほどに、きれいに整った様子だったし、腹腔内の「ぬぐい液」からも異常細胞は発見されなかったので、とりあえずは一安心だ。

脳梗塞で身体の自由をかなり奪われた義父は、施設のお世話になることが決まった。 見学に行った父が施設を大変気に入ったことが大きな決め手となったのだが、やはり年をとると新しい環境への適応力が格段に落ちるので、入所を目前にして不安を訴えたり、実際に施設を訪れてからも「見学した時の部屋と違う」と言い出すなど、混乱が見られた。 実際は同じ部屋、同じスタッフであるにもかかわらず、彼の中の不安が違うものに捉えさせているのである。 人間の気持ちはいかに繊細で、思考が気持ちにいかに大きく影響するものかを、すごく考えさせられた。 介護の問題はどんな根拠でどんな結論を選んでも、最終的に完全な納得が得られないというか、「これで良かったのだろうか?」みたいな気持ちが残るのは何故だろうか。 父も一週間も経てば慣れてくれることだろうと思うけれど。

とりあえず久しぶりにゆっくり眠らせてもらった。 暑さに慣れた体には肌寒いような嵐の中、これまた久しぶりに自分たちのためにお茶を入れて、かつての職場の後輩が送ってくれた「ずんだ餅」をいただいた。 上手く説明できないけれど、何だか少し泣きそうになった。

夏の終わりはやっぱりどこか切ない。

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2005.08.24

残暑お見舞い

おいでくださっている方々、更新できずにごめんなさい。

あちらこちらへ駆けずり回っておりまして、
さすがのリーボーも少々バテ気味でございます。

気持ちは元気なんですけどね、体がついてこない感じ・・
これって俗に言うところの「年」ってヤツでしょうかね?
悔しいので認めたくありません。
「そんなことないやい!」って強がって、ビールで飲み下してしまいましょう。
なんたって高性能ビールエンジン搭載??ですから、
大丈夫、大丈夫。 任せておいて!

明晩になったら元気ないつものリーボーでお会いしたいと思います。
皆様もどうぞお体に気をつけて。

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2005.08.20

仕事の魅力

毎日届けられる衆議院選挙関連のニュースを見ていると、どうも不思議だなと思うことがある。 それは、それほどまでに政治家という職業は魅力的なのだろうか?、という、素朴な疑問だ。

あれほど政治家を毛嫌いする発言を繰り返していたライブドアの某社長が、あっけらかんと立候補を表明したことにも驚かされたが、そんなものは序の口だ。 近い過去に有罪判決を受けて議員辞職に追い込まれたような候補者たちが、たくさん名を連ねている。 そこまでして政治家に戻りたい気持ちが、私にはどうしても理解できない。 なってみなければ解らないような「何か好いこと」があるのだろうか。

世の中にはたくさんの仕事が存在するが、政治家という仕事については、どうも感覚的に理解ができないような妙な気分がする。

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2005.08.19

もう少し

そろそろボディーブローのように夏の疲れが、じわじわと効いてきているのが分かる。 ちょっとした時間があればゴロンと横になったり足を高くしたりしながら、体を休ませるように意識している。 気持ちに関してはバータイムにお客様と話をしながら、私もちょっと飲ませていただいたり、お気に入りのバンドのDVDを一曲分だけ見たり。

それでも今年の夏は例年よりも睡眠時間が確保できているみたいだ。 時間そのものも大きな問題だが、寝つきの早さや目覚めのタイミングも大切で、これらが比較的スムースに進行しているのは大変ありがたいと思う。

冷蔵庫や冷凍ストッカーに入るだけ詰め込んでいた食材が、順調にコンスタントに使われてゆき、庫内にだいぶ隙間ができてきた。 冷蔵庫も「やれやれ、疲れましたな・・」くらい言っていそうに見えて、心の中で、ご苦労様、もう少しだからね、なんて話しかけてみる。

夏休みの仕事がひと段落したら、今度はプライベートで山積されている種々の仕事を片付けてゆく予定になっている。 疲れが出て寝込んだりしないように気をつけなければ、と、自分に言い聞かせているところだ。

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2005.08.16

今日という日

数日前からクツワムシがガチャガチャと大きな音色を奏で始めた。 いつの間にかヒグラシはいなくなり、夜ともなれば秋の虫たちが大合唱だ。 汗を流しながら働いているこちらや、夏休みを楽しんでいる宿泊客の方々を差し置いて、季節が一足早く進んでいる。

義父の介護保険の認定が降りた。 介護度4。 5段階中の4。 同封されていた介護度4の人用のリーフレットには「重度の介護が必要」と記されている。 義父には認知症がないし問題行動もないので、介護度5にはならないだろうと思ってはいたものの、改めて4を突きつけられたような気分になって何だかため息が出た。 認定書類は家に届いたから、病院に入院中の義父本人にはまだ見せていない。 「介護度4だったよ」とだけさらりと報告して、「重度の・・」は見せないでおこうかな、なんて、ちょっと悩む。

お昼前に二階の客室でベッドメイクに汗を流していたら、階下のエフエムラジオから山下達郎さんの懐かしい甘いバラードが流れてきた。 いろいろな思い出の断片が一斉に胸の奥で反乱を起こして、思わず手が止まりそうになった。 音楽は不思議だ。 たくさんの思い出の断片と結びついていて、楽曲だけを客観的に聞くことは逆に難しい。 時間に追われるときに限ってこんな曲を偶然に聞いてしまうのも不思議なものだ。 夏の終わりの切なさを味わえるようになったら、昔のCDでもひっぱり出してきて、じっくり聴いてみますかね・・。 

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2005.08.15

誰の?

『ますたあ』が厨房の私に声をかけてきた。 「お客さんから預かった冷蔵保存の薬、こっちの冷蔵庫に入れておくからね。」 大抵はフロント近辺に『ますたあ』が居るのだが、何かのきっかけで離れたときに私が対応する段になると困るので、私も自宅用の冷蔵庫に足を運んで薬の場所を確認しに行った。

小型のバイアルが一本。 中に薄く白濁した薬剤が入っている。 バイアルに入っているということは、即ち注射に使うことを意味している。 「この白濁具合はインスリンだな」・・一発でピンと来るのは昔取った杵柄だ。 しかし、本来バイアルに貼り付けてあるはずの薬剤名や力量などの記載が全く無い。 何だか怪しげな薬に見える。

「インスリンのように見えるけど?」
「うん、糖尿病だってさ・・」
えっ?今日は調整食受け付けてないし、他の人と同じ食事で大丈夫?と、すごい勢いで思考回路が働き出した途端に『ますたあ』が続けた。
「・・ワンちゃんが。」

「へ?!」などと間抜けな返事でほっとしながら、「糖尿病の犬かぁ・・」と、考えてみる。 そりゃあ犬だって哺乳類だし、こんな飽食の時代だし、糖尿病になったとしても何の不思議も無いだろう。 しかし、インスリン注射を受けている犬を見たのは初めてだった。 駐車場の車の中でおとなしく丸まっている。 糖尿病が原因で目が見えなくなっているらしい。 現れてくる症状まで人間と一緒なんだな、と、妙に感心してしまった。

「ご時世だな」と、つくづく思った午後だった。

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2005.08.12

種々雑多

この夏はメロンやスイカにはずれが無い。 はずれとは甘さののっていないもののことだ。 慎重に選ばなくても大丈夫なくらいに、ことごとく美味しい。 7月の暑さがメロンやスイカに向いていたのだろうか? 無駄に暑かった訳ではないのかも、と思えば、我慢してきたこちらとしても救われた気分だ。 せいぜい甘い果物を満喫させてもらうことにしよう。

これだけ地球の環境が変化してくれば、それぞれの生物学的分類の中においても、適した種とそうでない種がそろそろはっきりしてきているのではないかと思う。 または、それぞれがこの環境に適応するための工夫を、遺伝子上で行っていたとしても不思議ではないだろう。 進化や適応と言う側面から考えれば、一世代が短くて早いサイクルで世代交代するものの方が適している面もある。 突然変異で「変なヤツ」がたくさん居た方が、適応できる環境の条件は広く、種を絶やさないで済む・・そんな観点からは。

現代社会で問題になっている、主に精神科領域の病気や社会への適応障害の数々も、実は何かの進化に繋がっている事なのかも知れないんじゃないかと、たまに思う時がある。 受け入れるのは難しいことなのだと百も承知の上で、やっぱりいろいろなタイプが混じっていることにも意味があるのだと思いたい。

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2005.08.11

体の癖

私は寝不足になるとたちまち体重が減る。 ずっと昔からそうだから、多分「体の癖」なのだろうと思う。 看護学生の頃は肉体的・精神的にはかなりハードだったにもかかわらず、入学以来卒業までずっと増加の一途。 そして、卒業時には人生で一番太った記録を作り、社会に出てから増加はしなくなったものの横ばいに推移した。 ところが、約半年経って他の先輩方に混じって夜勤をこなすようになったら、すごい勢いで痩せ始めた。 風船がしぼむ様に日に日に痩せてゆく私を見て、職場の先輩方は「どこか悪いのでは?」と、心配し、看護学校の先生方は「やっぱり社会人は大変なのね」と、同情するような眼差しを向けてきた。 でも、本人は体調も良いし学生時代ほどいろいろなことに神経をすり減らしているわけでもなく、ただ単に不規則な勤務に慣れずに睡眠不足だっただけだった。 夜勤に入るようになって約一ヶ月を経過した頃には、看護学校入学時の体重に戻り、ウエストは9センチ細くなりジーンズを買い直す必要に迫られた。 食べる量も同じもしくは逆に増えていたし、献血してみたが貧血もまったくないまま体重だけが減った。

そんな「体の癖」は今でも健在で、宿泊客が集中する時期になるとスパッと痩せてくる。 お正月やゴールデンウィークは期間が長くないから、せいぜい痩せても3キロ止まりだが、夏休みは1ヶ月も続くのでかなり意識して高カロリー食を摂るようにしないととんでもないことになる。 この仕事を始めた頃はなかなか対策がとれないまま14キロ近く痩せた年もあって、当然のように9月にダウンしたが、さすがにそんなことは繰り返すわけにいかないからいろいろ工夫するようになり、今ではどんなことがあっても8キロ以内に収めるようにしている。

一番効くのはとにかく寝ることだと分かってはいても、お客様はたまの旅行で楽しんでゆかれるから、どうしてもお相手で夜が遅くなる。 早く掃除が終わった日には短い午睡を取って代用。 そんなときに限って、どういうわけか営業の電話がかかってくるのが不思議で仕方ない。 今日は「馬肉のスペアリブ」の売り込みの電話・・丁重にお断りして午睡の続きを10分。 せっかく楽しんで夜起きているのに、この「体の癖」は少々残念に思っている。

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2005.08.10

名残惜しい

ボトルの底に残っていたラムを、氷の入ったグラスに移す。
ちょうどシングルで一杯くらいの量。
ずっと飲んできた同じお酒なのに、「このボトルもこれで最後か」なんて思ったら、何だかいつもより美味しく感じた。
名残惜しさが生み出した、ちょっとした変化。

真夜中の厨房には外からの鈴虫の音色が響き渡っていた。
いつの間にか夜の網戸に張り付く蝉の数も、めっきり少なくなった。
秋の気配を感じて神妙な気分になる。
日中の暑さは未だになんの代わり映えもしないけれど、やがて確実に今年の夏も終わるのだと思うと、暑さを満喫しておかなくてはならないような気持ちにもなるから不思議。

夏休みのお客様のピークは、まだ先だ。
Memoriaの夏は続く。

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2005.08.08

評価 その2

サービス業というものは不思議なものだと思う。 サービスの対価としてお金をいただくのだが、その割には「お客様本位」の考え方が必要で、サービスを提供する側とサービスを享受する側のどちらもが主役だとも言える。

自分もお客になっている時にはそうだが、サービスを享受する時は、「やってもらって当然」とか「そのくらいはしてもらえるだろう」という風に、あれもこれもとついつい多くを望むのが普通で、ともすれば「こっちはお客なんだから・・」くらいに考えてしまうものだ。 つまりお金を支払う側に主導権があるという前提が存在している。

一方サービスを提供する側としては、全ては対価であるお金をもらう手段なのだから、「やってあげるけどお金はいただきますよ」もしくは「お金を払ってもらえるならやります」というのが仕事の本質だ。 ホテルに宿泊する場合を思い出していただければ一目瞭然。 「お洗濯ですか?ええ、できますよ。 その代わりワイシャツ一枚500円です」、「ルームサービスで朝食、もちろんお運びします。 コンチネンタルで1800円です」というように、基本のルームチャージにどんどん加算されてゆく。 当たり前のことだ。 しかし、そんなことを前面に押し出すと印象が悪くなることを懸念して、約款にはしっかり明記しておくけれど、あまり「お金、お金」と言わないのも暗黙のルール。

Memoriaでもたまにあるのだが、チェックインは15時からとご案内してあっても、「早く着いてしまったので。」と玄関のチャイムが鳴る。 「早く着いてしまった」のではなくて「早く着いた」のだろうが、使えるものなら部屋に入れて欲しいと言わないが言っている。 こちらも掃除さえ済んでいれば対応できないことも無い。 だが、部屋に入れば空調も使うしテレビも点けるしお風呂も使うかもしれないから、当然水道光熱費が他のお客さんより多額に発生するし、すぐそばで掃除機をガーガーやるわけにもいかなくなる。 だから、「この時間にチェックインなさると、規約により別料金が加算されますが、よろしいですね?」と言うと、ほぼ全員の方が「じゃあ、いいです、15時に来ます。」と言って帰ってゆく。 このような対応をする際に必ずいつも「サービス業とは不思議なものだ」と思う。

このようなお客様を別料金をとらずに受け入れれば、評価は上がるのかもしれない。 しかし、同じ料金を払って宿泊している他のお客様は知らずの内に損したことにもなる。 そのような不公平を、サービスを提供する側が発生させてはならないと思う。 だから、別料金を加算するのだ。 もっと言ってしまえば、同様に宿泊客が予約の際に利用した旅行代理店によって同じサービス内容にもかかわらず、宿泊料金に差があってはならないと思う。 それは何よりもお客様に失礼なことをしているという自覚が、宿泊業者や旅行代理店には不足しすぎているとも考える。

お客様側の評価基準と、サービス業経営者としての評価基準は、ある意味では相反する存在だ。 サービスすればするほど、経営上は損するのが普通だからである。 だから、サービスの現場に立つ人間と、サービス業の経営者は分けておかなくてはならないのかもしれない。 きっとMemoriaのように経営者がサービスを提供していてはいけないのだ。(苦笑) 


 

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2005.08.07

評価 その1

看護学生だった頃、評価について叩き込まれた。 当時は、看護行為を行うに当り一連のプロセスに沿うように教育を受けていて、それは情報収集→問題点の抽出→目標の設定→具体策の立案→実施→結果→評価というものだった。 日々の実習レポートもケースサマリーも全てこの流れに沿ってまとめてゆくのだが、慣れないうちは必ず「評価」でつまずく。 評価すべき段になって評価できないことを知るのだ。 教授には良く注意された。 「評価ができないということは、つまり、到達目標が具体的でないということです。」 例えばお風呂に入れない患者さんの体を絞った熱いタオルで拭き清める計画を立てたとする。 目標は皮膚を清潔に保ち二次的な感染症を防止することと、皮膚の汚れに対する不快感の軽減だとしよう。 ここで大事なのは、どういう状況が二次的な感染症を防止したことになるのか、何を持って不快感が軽減できたとするのか、具体的にしておくことだ。 感染症にかかると身体的サインが現れる・・熱が出る、発疹が出る、痛みが出る等もあれば、血液検査で炎症反応が陽性化したり白血球が増えたり、白血球の組成が変化したりする。 そういったサインが現れないことを一つ一つ確認しなければ評価にはならない。 また、患者さんが体を拭いた時や後で「気持ち良い」と言ってくれたり、穏やかな表情になったり、笑顔が現れたり、という快感を表現する何かが出現することを目標にしておかないと、本当に気持ちよかったのかどうか評価できないのである。

昨日書き込んだ内容についての続きをいろいろ考えているうちに、経営の評価とはいったい何か?という問題が出てきた。 一般的には倒産や破産したりしないこと、利益がなるべくたくさん出ること、一言で書けば儲かることだろう。 当たり前だ。 だが、現場ではたくさん儲けが出ているのにちっとも楽しくないと感じる日もあれば、付帯売り上げは少ないのにすごく楽しく仕事できる日もある。 そもそも儲けだけを考えているなら、夜遅くまで空調やライトを煌々と点けて電気代を嵩ませ、とっくに時間を過ぎているのにバーカウンターを営業していることすら間違っている。 一般的な経営の評価からは外れるはずだ。 しかし、楽しくなかった日のお客さんは一度きりの来訪になることが多いのに対して、楽しかった日のお客さんはレピーターになって将来何度も売り上げを付けてくれる。 そう考えると長い目で見れば経営の視点から外れているとも言い切れない。 お客さんが美味しくお酒を飲めたり、美味しく食事ができたり、ゆっくり休むことで元気になったり本来のゆとりを取り戻したり、良い表情になったりして、それを見て私も喜ぶこと。 その上、そこそこにお金も儲かること・・これら全ての要素が経営の評価であって欲しいと思うのが今の正直な気持ちだ。 ただ儲かればそれで良いのではなくて。 どういう相手からどういう内容のお金をいただいて儲かったのか、それも大事だと思いたい。

こんな考えは、やはり経営の基本から外れているだろうか。 いろいろ難しいことだとは思うが・・。

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2005.08.06

開き直り

今年の夏は良くも悪くも精神的に持っていたボーダーを卓越してしまったので、Memoriaにいらっしゃるべきでないお客様の予約は、電話の段階でことごとくお断り申し上げている。 少し前までの私ならば、予約をお断りすることは大きなストレスだったし、電話を切ってからも暫く悶々としたものだ。 だが、今は違う。 宿泊客の方々が気分良く旅行できる権利を守るために、申し訳ないが切るべきところは切らせてもらっている。 傲慢かも知れない。

夏の初めに小さな事件が発生した。 社会の変化、もしくは常識の変化なのだろうとは思いつつも、とあるお客様のとった行動が私はどうしても許せなかった。 対応していない施設の設備や、Memoria運営のソフトウェアに問題があるのだろうと考えるべきではあるが、社会の変化・常識の変化に合わせて多額の投資をすることを追求するつもりもないし、投資したお金を料金に上積みして宿泊客の方々から取る気もしない。 だとしたら、そのような方々は利用をお断りするしかないという結論に達した。

宿泊業は見ず知らずの相手を自分の建物に招くので、相手を信用することが前提にある。 そんなたいそうな事では決してなくて、ごく普通の相手ならば安易にクリアできるレベルのものだ。 Memoriaが未だに電話の直接予約しか受け付けないのも、理由はここにある。 直接会話することで最低限の信用関係が築けることを確認しているのだ。 旅行代理店経由の名前と住所しか知らされないような予約代行システムや、第三者に成りすますことを完全に見抜けないネット予約では、他の宿泊客の方に対する責任をとるだけの自信も根拠も無い。 それでもそのようなお客様にも対応できるだけの設備や施設、ソフトウェアや人材が確保できていれば問題は無いだろう。 しかし、Memoriaのような家族経営の小さな宿では、とても限界がある。 投資できる額も限られる。 夏の初めの小さな事件のおかげで、私は暫くの間、宿泊客の方を信用することができなくなってしまった。 仕事の熱意も失せ、何よりもそんな自分が哀しく辛かった。

残念ながら以前から、こちらの信用を裏切るような行動に出るお客様のパターンは決まっていて、そこだけをカットさせてもらえればリスクがかなり軽減できることも解っていた。 ただ、経営上不利になることは否めないので、踏み切れなかっただけだ。 そして、ついにそのボーダーを私は超えることにしたのだった。

皮肉なものでボーダーを越えて開き直ったら、気持ちの上でちょっと余裕ができた。 自分自身が責任をまっとうできる仕事の限界を見極めて、残念に思っても線を引くことだって時には大事なのだということを、ひとつ学んだ気がしている。

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2005.08.05

シシトウの謎

ナスとインゲンとシシトウを揚げ浸しにした。 シシトウには稀に「当り」が混じっていて、やたらに辛かったりする。 まるでルシアンルーレットまたは、何かの罰ゲームのような気分になる。

「当り」を食べて火を噴くような状態になりながら、ぽたぽた汗を流した。 せっかく冷たいビールでクールダウンしたのに、一気に台無しだ。

何とか外見から見分けることはできないものだろうか?

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2005.08.04

憎らしいほど

夕食の賄いの用意を食卓に並べていった。
枝豆、茹でたトウモロコシ、鰹のお刺身、桃、茄子のお味噌汁・・。
煮物を運びながら遠景に眺めて、つくづく「夏の食卓だなぁ」と、思った。
憎らしいほど夏の食材が揃っている。

やっと暗くなった庭から、ヒグラシの蝉時雨。
ちょっとバテ気味の体を抱えて、ひとつため息をついた。

言いたくないけれど、やっぱり夏は暑い。
季節の野菜から元気をもらおう。

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2005.08.03

「アクティブ系」と「だらり系」

例年のことだが、夏休みのお客さんは大きく2パターンに分かれる。 ひとつは「アクティブ系」、もうひとつは「だらり系」である。

「アクティブ系」は「それ!夏休みだー!!」と叫ばんばかりに貪欲に遊びまわる。 たとえば幼い子供連れのご家族や、カップルでもこのような方々が見られる。 朝早く街を出発して、海に行ったりプレイスポットを精力的に回る。 寝る前に翌日の計画を立てて、お昼ご飯のお店もチェック。 早朝から散歩をしたり虫捕りに出かけ、朝食前に朝風呂に入る。 で、朝食は出発の用意を済ませてから食べて、あっという間にチェックアウトしてゆく。 『ますたあ』と違って朝は厨房に篭っている私にとっては、「あれ?いつの間にかもう行ってしまったのね」、などというパターンだ。

片や「だらり系」はとにかく休むことが目的で、食事、お酒、お風呂、睡眠、以上の繰り返しになる。 二泊なさる場合も多いが、朝食を済ませるともうほとんど部屋から出てこない。 夕方になってから軽く外出しても、なぜかすぐに戻ってくる。 夕食の後でもうひと眠りして、22時くらいからお酒を飲み(このパターンの方は何故か酒豪が多いのも特徴)、日付が変わる頃になってお風呂に入り、朝ものんびりと寝ている。

同じ建物の中で「アクティブ系」と「だらり系」が混在している様子が、我々にとっては「いかにも夏休みの光景」で、夏休みの実感でもある。 バータイムやお風呂の利用時間も、なんとなくパターンによって住み分けられているので、混乱はほとんどおきない。 不思議なものである。 どちらかといえば普段から「だらり系」のお客様が多いのがメモリアの特徴でもあり、ひと眠りする毎にどんどん表情が豊かになって人間らしさを取り戻してゆくのが見て取れるのも面白い。 それで、チェックアウトの時には「ゆっくりできました」とか「生き返りました」とかおっしゃる・・よっぽど日常で疲れ果てているのだな、と、社会の歪みを垣間見る気持ちになる。

私自身も夏休みが終わると「だらり系」になる人間なので、「だらり系」の気持ちは良く解るつもりだ。 上手に気を抜く時間も、また必要だろう。 きっと「アクティブ系」の方々も、家に帰ってから「だらり系」になっているのかもしれない。 そう考えると、両者の違いは何処でだらりとするかだけのようにも思われる。

どうぞ皆様、それぞれに良い夏休みを!

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2005.08.02

水羊羹とライブのお知らせと

最近どうしたことか、あんこが無性に食べたい。 もともと甘いものは無くても大丈夫な性質なので、こんなことは珍しい上、暑さで食欲も冴えない状態の中で何故あんこなのか?、私自身も不思議だ。

それで、冷たい水羊羹を食べた。 滑らかな口当たりとすっきりした甘さ。 お腹の奥に落ちてからもひんやりと冷たくて、何だか背筋がしゃきっと伸びたような気分になった。 思いの外すいすい食べてしまって、もっと買って来るんだったと、少々後悔・・。

小豆を煮たあんこには利尿作用があり、夏の体が蓄えすぎた余分な水分の排泄を促してくれるらしい。 夜になると怪我した方の足がまだ浮腫むので、体が求めているのかも知れない。 寒天とあんこがあれば自分でも作れそうなので、今度は作ってみようかな。 牛乳寒と二層に固めても美味しそうだし。

ロックバンドの「SCRIPT」のファンクラブから、冬のワンマンライブのチケット先行予約のお知らせ葉書が届いた午後。 冬の冷たい空気を思い出せずに戸惑いつつも、気持ちに元気が出た。 水羊羹と葉書に感謝。 耳鼻科の主治医の反対を押し切って、たまには行ってこようかな。

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2005.08.01

ちゃっ、ちゃっ、ちゃ!

メモリアには冷蔵庫が何台もあって、それぞれはあまり大型のものではなく、完全に使い分けされている。 お客様に使う食材と賄い用を区別しておく為でもあり、ビールやワインを冷やし過ぎないようにするためでもあり、いろいろな意味があって現在のような形に落ち着いている。 ただし、いくつかどうしても「お客さま用と自分たち用」が区別できない種類のものがあって、そのひとつが夏の間に登場するお茶類だ。

メモリアのチェックインは15時から受け付けているが、比較的早い時間にチェックインするお客様には、お絞りとちょっとした飲み物をお出ししている。 秋・冬・春はホットコーヒー、夏の暑い時期だけは冷たいお茶にしている。 麦茶か緑茶か紅茶、その日によって違う。 あらかじめお茶を抽出しておいてボトルごと冷蔵庫で冷やしておくのだが、その日によってやたらと皆さん早く着く日もあれば、18時近くになっても誰も着いていないような日もあり、従って冷やしておいたお茶の減り方の差も大きい。 で、残ったお茶は私たちが飲んで、次の日にお客様に出すお茶は新たに作り直す。 そのサイクルが出来ている。

たくさん作っておいたのにぜんぜん減らなかった日のお茶は、たっぷりとボトルに残ってしまい、いくら私たちでもそんなに飲みきれないので、2・3日の間キャリーオーバーされることもしばしばで、冷蔵庫の扉に麦茶、日本茶、紅茶のボトルが勢揃いしていることもある。 それに牛乳やジュース、缶ビールまでもが並び、飲み物には事欠かない状態・・悪く言えば場所をとって邪魔だったりも。 まあ、その時の気分や状況によって飲み物を選ぶ自由があることは、決して悪い気はしないけれど。

基本的には全て無糖だ。 これだけ飲み物が充実していれば脱水症の心配は少ないな、とか、災害時に役立つかな、とか思ったりもする。 スペースのことをあまり気にせずに何本ものボトルを並べておけるのも、冷蔵庫が何台もあるおかげだ。 この夏の時期に冷蔵庫のストレスが少なくて済むのは、何よりも感謝しなくてはならないことかも知れない。

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