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2005.10.30

ラザニアにやられた

一昨日のお昼にラザニアを作って食べた。 久しぶりで美味しかったのだが、軟口蓋(口の中の上顎の中央にある膨らんだ部分)を思いっきり火傷した。

今とても痛い。 酸っぱいものもしみる。 塩味もしみる。 温かい物も痛い。 固いものはもっと痛い。 ・・参った。

ただでさえヤバイお年頃だと言うのに、眉間のしわが一気に深まったような気がする。

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2005.10.29

もうすぐスキーシーズン

とある一人の男性をめぐる二人の女性のお話。

男性は学生の頃からスキーが趣味で、毎年冬からゴールデンウィークの頃までは、仕事が休みの日はほとんど全部スキー場に通っていた。 彼にはお付き合いと言うほども無いけれど親しいガールフレンドが二人居て、彼女達は二人ともスキーをしたことが無く、別に強い興味も持ってはいない。 ただ、スキーシーズンが来ると彼はデートの時間も作ってくれなくなるので、とても寂しく感じることが共通点だった。

一人の彼女は言った。 「あなたをスキーに取られるようで寂しいのよ。」
 「だったら君もスキーを始めれば良いじゃないか。 そうしたら僕と一緒に時間を過ごせるようになるんだし。」
かくして彼女はスキーを始めた。 始めてみたらどんどん楽しくなって、彼氏以上にのめりこむようになった。

もう一人の彼女にも同じ事を言われた彼は、同じように答えた。
 「だったら君もスキーを始めれば良いじゃないか。」
しかし、彼女はどうしてもスキーを始める気になれずに、彼が捕まらない冬の間は、自分の時間として有意義に過ごす方法を見つけ、いつの間にか彼に会わなくても寂しくないようになっていった。

何年かが経って、前述の彼女は彼と結婚した。 今では彼を放ってまでもスキーに出かけている。 そして、後述の彼女は彼と友達の関係のまま、彼女自身それなりの充実した日々を送っている。 三人とも実在のノンフィクションである。

どちらがどうということではない。 ただ、相手の趣味をどのように受け入れてどこまで同調するか、という問題は、パートナー選びのひとつの基準になり得るのではないかと、そんなことを思っているだけのことだ。 スキーの話題を目にする度にいつも三人のことを思い出す。 そろそろ雪便りも届き始める頃・・スキーヤーにとっては血が騒ぐシーズンの到来だろう。 趣味は自分への贅沢なご褒美の時間でもあり、また、時に厄介者であるのかも知れない。 人生って不思議。

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とばっちりを食らう

親しいと言うか、私の知っている限りの親類の中で、少なくとも医学の基礎に足を踏み入れたのはを私だけなので、何か健康上の問題が生じると質問が集中する。 そういう内容はやはり年配者に多いから、電話がかかってきたり、ご丁寧に手紙が届いたりするのだ。 大抵はそんなにたいした?問題でもなく、健診を受けたら正常値からはみ出ていたがどうしたら良いかとか、これそれの病気になったが日常で気をつけるべき事はあるか、という内容がほとんどなので、差し障りの無い範疇で話すようにしているのだが、「何でその質問が私に向けられたのか?」という根本的な部分に問題が隠れ見える。 

病院にかかっているのなら主治医に尋ねれば良いし、理解できなかったら看護師に聞けば良いし、地域の住民健診の件だったら保健師がいるのだし、結果をかかりつけ医に持って行って解説してもらっても良いはずだ。 それをしない人々側の問題と、尋ねる機会や雰囲気を作らない医療者側の問題が相まっている。 これだけ一般の市民が高度な医療を均等に受けられている国も少ないはずなのに、それが活かされきれていない現実があるのではないだろうか。 もったいない話のように思われる。

昔に比べれば診療の場で、医師は患者に丁寧に説明するようになったと思うし、患者を見下すような医師も減っているから、患者も話しかけ易いはずだと思う。 でも、家に帰ってから心配がぶり返して、もう一度説明を聞きたくなったり、病気じゃないんだけれど病気の元ではないかと心配になるようなことを、気軽に質問できる場が少ないのだろう。 かつて病院で働いていた時にも、同様なことを感じていた。 ちょっと手が空いた数分間に患者の近くに行くと、それだけで話しかけられる。 その内容のほとんどは「今さっき○○だと言われたのだが、それはどういうことなのか?」と、詳しい解説を求める声だった。 相手の不安を探りつつ、なるべく医学用語を使わずに日常の中の比喩などを多用して話すと、それだけで納得してもらえるケースばかりだった。

人件費が高くなり、何事にも効率が求められる世の中で、どこもギリギリの人数で仕事をこなさなくてはならない現実はある。 そんな中でも、全体を見渡せるような「あと一名」が配置されていたら、声をかけ易いだろうし気軽に質問も出来るかも知れない。 せかせかした印象を相手に与えないことは、特に医療の現場では大事なのではないかと思う。 ちょっとのゆとりの存在意義は大きいのではないか。

そして、学生の内に特に義務教育の間に、もっと人体の基礎や健康を維持するために必要な基礎知識を、身に付けておくことが必要だと思う。 これはパソコンにOSを載せていないと役割が果たせないのと一緒で、医療サービスを与える側と受ける側が共通の言語を持ってるのと同様の役割を果たすはずだ。 健診は受けさせることが目的ではなく、その結果を各自が活かすことによって、予防医学としての有効性が増すだろう。

誰かに尋ねられる度に、自分の中の知識を更新する機会を与えてもらっていると考えれば、それはそれでありがたいことと捉えるべきなのかも知れないのだが、正直ちょっとウンザリ気味なのだ。

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2005.10.27

日本酒ってこんなでしたっけ?

ここ数日、珍しく日本酒を飲んでいる。 某有名な銘柄の開栓済みの一升瓶が中途半端に残っていたので、味が変わらない内に飲んでしまおうと思ってのことだ。 かつては飲み友達の一人に大の日本酒好きが居たので、その人と飲む時には必ず「地酒が揃った居酒屋」に行ったりしていたのだが、ここ10年ほどは日本酒にはあまり縁が無く、たまに少し飲むくらいの状況だった。

久しぶりに日本酒を飲むと、酔いの回り方や回ってきた時の印象、醒め方が、ビールやラム酒のそれとは明らかに違うことを自覚して面白い。 純アルコール量に換算して同じ程度の量になるように飲んでも、酔いが軽い感じで、抜けも確実に早い。 変な例えをすれば、日本酒ならそこそこ酔っ払っても仕事が出来そうだ。(そんなことは実際はしませんよ!) 回っていても思考回路がクリアーで、「感覚にまとわりつくような」重たい酔いではない。 ふーん、日本酒とはこういった回り方をするお酒なのか、などと再発見した気分である。 もちろん感じ方の違いなので、個人差は大きいだろうけれど。

若かった頃に比べて、お酒の味や香りなどといったそれぞれの違いがかなり判るようになったのに、それに反して、年齢と共に量は入らなくなってきているのも事実だ。 せっかく美味しさが判ってきたのに、たくさん飲めなくて残念でもある。

かつてはほとんど飲まない、若しくは受け付けられなかったお酒(私の場合はシェリー酒や芋焼酎など)も、改めてトライしてみたら案外魅力を発見できるのかもしれない。 これを機会にいろいろ手を伸ばしてみようかな。 

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2005.10.25

しゃぶしゃぶ

いきなりしゃぶしゃぶを食べたくなった。 深い理由も無い、いい肉でなくてもかまわない、別に豚肉だっていい。 とにかく「自分でしゃぶしゃぶして、ごまだれで食べられれば」それでいい、と、思った。 肉は何とかなる、ごまだれもポン酢も何とかなる・・よし、出来るじゃないか、早速しゃぶしゃぶだ!、と、いう所まできて、いきなり「おや?」・・考えが止まった。 「しゃぶしゃぶの野菜って、何を使うんだったっけ?」 急にわからなくなってしまったのだ。

こんな時は魔法の箱PCのサーチエンジンに限る。 「しゃぶしゃぶに作り方なんてあるのかなぁ?」などと疑いつつも『しゃぶしゃぶ レシピ』を入力。 出てきた出てきた! たくさんのサイトが、ご丁寧にちゃんとしゃぶしゃぶの作り方を解説してくれている。 本当にありがたい世の中。

長ネギあり、豆腐あり、シイタケあり。 ニラやシラタキなんていうのもある。 えっ、白菜?大根?ふーん。 ああ水菜ね、確かに。 お餅か、美味しそうだな。 きりたんぽ??それってきりたんぽ鍋じゃなくて?? ・・要するになんでもありのようだ。

結局冷蔵庫にあったあり合わせの、白菜、春菊、長ネギ、エノキダケ、ちくわぶのスライスで間に合わせた。 ニンジンもあったのだが、これはキンピラゴボウに使ったので見送ることに。 思いついたものをタイミング良く食べることが出来て満足だった。 「なんでもあり」という所が如何にも「鍋物の特徴」を反映しているような気がして、「しゃぶしゃぶなんて気取っているけれど、やっぱり鍋じゃないか。」と、思った。 なんだか、急にしゃぶしゃぶを身近に感じた夕食だった。

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2005.10.24

幕引き

いつもの巡回先Blogのひとつに興味深い内容が書かれていた。 「みりんさん」は、少なくとも私の知っている限りにおいて、常識や人付き合いのマナーを十分にわきまえている素敵な女性であることを、書き添えておきたい。 お師匠さんが亡くなったという知らせは、それほどまでに大きなダメージを彼女に与えたということだろう。

普段から、自分が死んだ時には一切の儀式は省略して欲しく、とっとと焼いて骨にして、合法的で尚且つ自分が望む方法で骨を処分し、全てが済んでから私の命の時が満ちて他界したことを知らせる旨の葉書を、然るべき人たちに送り届けて欲しい、そんな風に望んでいた私が「みりんさん」の文章を興味深く感じたのは、つまり、そのようにしたら「お別れがしたかった」と残念に感じる方が居られる可能性がある、という事実に直面する機会を与えられたからだ。

死に対する考え方は人それぞれだし、死を取り巻く儀式に求めるものも人それぞれに違うだろう。 だからこそ、葬儀の運営の場でいさかいが起きたり、文句を付けたりする人が出てくる状況も、何度も目撃している。 血縁者だからこそ強くは言えないような事態に陥った場合、喪主の立場を守るためにも、また、参列してくださる方々に納得していただく為にも、故人がどんな風に送られることを望んでいたのか、しっかりと客観的に残しておくことは、大きな手助けになるのだろうと思う。 だからこそ、折に触れていろいろ考えたりしているのだけれど、やはり最後は自分の我侭を通させてもらうしか無いのかな?、というのが、現時点での仮の結論だ。 『ますたあ』は「死んでしまったら自分のことは何も出来ないのだから、残された人が好きなように片付ければ良い。」と言う。 しかし、私は自分の影響力が及ぶ範囲においては、最後まで出来る限り自分らしくありたいという希望が強いので、その通りにしてもらえるかどうかは別としても、こうやってもらいたいという希望を伝えておきたいと考えているのだ。

どんな状況であっても「お別れがしたかった」と言ってもらえることは、「みりんさん」のお師匠さんにとって、何よりのはなむけであり、その気持ちこそが亡くなった方へのお祈りなのだと思う。 そう思ってもらえていることが、亡くなった方の素敵な生き様を象徴している。

なにも死に限ったことでなく、退職、離婚、恋人との別れ、子育て・・人生の中にたくさん出てくる「幕引き」のシーン、どれひとつをとっても扱い方がとても難しい。 事を始めることの容易さに対して、いかにして幕を引くかは自分にとっていつも大きな課題だ。
  

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2005.10.23

変わったロールキャベツ

今夜の賄いはロールキャベツのトマト煮。 キャベツがくたくたになるまで煮込んだロールキャベツは、肌寒い季節のご馳走だ。

ロールキャベツはまとめて仕込んでおいて、ブイヨンで固めに火を通してから、食品用のビニール袋にブイヨンと一緒に収めて冷凍しておくことにしている。 使う度に解凍して、その時の気分で味を変えて煮込み直せば便利だ。 トマト味も良いし、ベシャメルソースで煮込むのも優しい味。 もちろんそのままブイヨンで煮詰めても。

ちょっと大人の味に仕立てたい時はレモン味。 レモンを熱湯で洗いワックスや防カビ剤を落とし(もちろん無農薬のレモンなら、それに越したことは無い)、皮付きにまま1センチ弱の輪切りに。 それをロールキャベツの上に乗せるようにして、いつものようにブイヨンで煮込む。 仕上げに火を止める直前に白ワインを少々振り入れれば、より美味しさが増すようだ。 4~5個のロールキャベツに小さめのレモン1個くらい。 苦味が気になる方なら、半量のレモンは皮を剥いても良いと思う。

どちらかといえばお子様味の優しい感じのロールキャベツも、レモンの苦味とワインの香りで、ぐっとどれすあっぷした感じになる。 これからのシーズンのおもてなしにもオススメだ。

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2005.10.21

優雅さについて思う

洗濯物を取り込んでいたら、いつもの蛇が散歩中だった。 ヤブカラシと呼ばれる麦わら色の蛇だ。 どうやらこの辺りをテリトリーにしているらしく、週に2~3回位の割で見かける。 体調1メートル半くらいだろうか・・? 初めはお互いにびっくりして慌てふためき、私は家の中へ、あちらは雑木林の中へ、それぞれ一目散に逃げ込んでいたのだが、最近では「向かって来る蛇ではないらしい」または「ここには人間が住んでいるが、攻撃して来る事は無さそうだ」と、それぞれに学習したようで、お互いに「あっ、どうも・・」みたいな感じのマイペースである。 とは言え、自然とお互いの距離を離す方向に移動するから、私はいつも蛇を雑木林の中へ見送るような形になる。

蛇は優雅だ。 音も立てずにスススッと逃げる。 動き自体はゆっくりなのに、そのスピードは速い。 優雅とは一切の無駄をそぎ落とした上で、初めて生まれてくるものなのだろう。 ちなみに、年に数回、私も病院などで採血を受けることがあるが、上手な手技者は見ていてすぐに解る・・優雅なのだ。 道具を揃えて駆血帯を巻き、消毒して針を刺す、その流れに無駄や迷いが無い。 一見のんびりと事が進んでいるようなのに、実際は隣の手技者より早く終わっていたりする。 学生時代に聞いた、「看護師は鉄の指に絹の手袋。」なんていうフレーズを思い出した。 正確な手技、しかし、温もりと優しさを身に付けていなくてはならない、という意味である。 蛇は自然の喰うか喰われるかのサバイバルの中で余計な無駄な動きをそぎ落とし、優雅さを身に付けたのだろう。 無駄や迷いが無いということは、とても美しいことなのかも知れない。

蛇はいつも雑木林に逃げ込む前に、一度だけ頭を上げてこちらの動きを確認している。 その流し目を送るような姿が、また言うに言われず色っぽいような、本当に優雅な感じで、怖がりながらもついつい見とれてしまうのだ。(決して蛇を飼いたいなどとは思えないのだけれど。)   

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2005.10.20

イカをさばきながら

中くらいのヤリイカが一山300円で魚屋さんに並んでいた。 賄にはちょっと多いかな、と、思いつつも購入。 帰ってから数えたら7杯も入っていた。 大きさはさほどでないものの、肉厚のしっかりしたイカだった。 一度には食べきれそうもないので、とりあえず下処理。 胴から足を引き、軟骨をはずし、エンペラをはがして、ゲソから目とくちばしを取ってから吸盤をこそげる。 2杯分ずつラップで包んでから冷凍庫へ。 ふと気付けば、やけに集中して手だけを動かしていたようだ。 時計を見て、思いの外時間が経っている事に驚いた。

魚をさばいたり、枝肉を切り分けたり、丸鶏をさばいたりする時は、いつの間にか集中していることが多い。 周りのことが見えなくなっているというほうが適切かもしれない。 あまり話しかけられたくない時間でもある。 無意識ながら自分の作業に美意識を追求しているような、何か不思議な感じなのだ。 料理の過程における他の作業でも、それなりに集中してはいるのだけれど、包丁を持っている分だけ集中力が上乗せされているようだ。

実家の父は魚のお刺身が大好きなのだが、「さばくのも楽しみの内」と、よく言っていた。 「気分転換になるんだよなあ」、とも。 雑念を排除して集中する独特の快感・・父の言っていたことが、イカをさばきながら理解できた気がした。   

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2005.10.19

カチッとチーズケーキ

この時期は私の中では、なぜかチーズケーキの季節だ。 カチッと焼いたニューヨークタイプのベークドチーズケーキ。 小さめの角度で切るとしっかりエッジが出来るようなタイプのもの。 別にチーズは一年中手に入るのだから、いつ食べても美味しいことに変わりは無いはずなのに、どういう訳か秋も深まりつつあるこの時期に特に、食べたくなるし作りたくなる。 クリームのたっぷり乗ったふわふわ系のケーキでは、どこか頼りないような優し過ぎるような、そんな気がしているのかとも思う。 本来はモンブランのシーズンと言うべきなのだろうが、今やモンブランも一年中店頭に並んでいるし、甘露煮やマロンペーストを使う分には生の栗の出回り時期とは無関係になってしまっているのも、何だか哀しい話ではある。

チーズケーキはお酒の相棒としてもなかなか良い仕事をする。 食事を終えてからのんびりスピリッツなどを楽しんでいる時に、薄めにカットしておくと案外ぺろりと食べしまうものだ。 これもスフレタイプやレアチーズケーキではこなせない、ニューヨークタイプならではのことのように思われる。

有名なお店では『どこそこのチーズを使って・・』などとこだわりがあるものも多いが、個人的には普通のスーパーで手に入るクラフト社の「フィラデルフィア・クリームチーズ」で作ったものが一番好き。 これぞ王道と言うべき味に仕上がる。 奇をてらわないストレートな、ホームメイドの味がする。 箱の裏側に、誰でも失敗しようの無いオーソドックスな作り方が印字されているので、ちょっと慣れてきたら好みのフルーツを混ぜ込んだり、土台のスポンジを変えたりして楽しめば良い。 ちなみにメモリアでは土台はチョコレート系の味にして、チーズ生地にバニラを加え、切りやすくするために生地にコーンスターチを少々混ぜ込んで焼くことが多い。 表面には杏ジャムをワインで伸ばしたものを塗ると格段に美味しくなるので、このひと手間だけはがんばっていただきたい。

食べ残したら冷凍して保存することも出来る。 小さなカップに流しいれて焼けば、短時間で焼きあがるので楽だし、切り分ける手間も省ける。 スフレタイプのチーズケーキと違って、ケーキ初心者でも失敗のリスクは低いので、おすすめだ。 ケーキで苦い経験がある方も、この秋、リセットのつもりでトライなさってみたらいかが?

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2005.10.17

夢で逢えたら

久しぶりにしっかりと夢を見た。

なかなか会うことがままならない実在の相手と、半日ほど一緒に過ごすという内容だった。 お昼前から20時過ぎまで、都内の数箇所を移動しながら行動を共にした。 行った場所も移動手段もちゃんと現実の理に適うリアルな夢で、細部に渡って事細かに正確な場面設定・・。 久しぶりに逢って、夢の中でさえもお互いに少し緊張しているのだが、言葉を超えてお互いに信頼しているのがはっきり解るという、静かな温もりに包まれた不思議な夢だった。

基本的にはきれいな良い夢だったものの、あまりにリアル過ぎて目覚めてから不気味な感じさえ醸し出してくれたのは、ちょっと余計だった。 「何かあったのかな?」と、ついつい心配になってしまうのは、私の癖のようなものだ。 メールでも送ってみようかと少し考えたのは事実だが、今回は止めておくことにするつもり。 その代わりに、相手のことを思いつつ祈ってみた。 元気でありますように、あの人らしく暮らしていますように、そして、今夜は私が相手の夢の中で静かな温もりを残せますように。

夢のお礼は、夢でお返ししたい。 あなたへの信頼感は、なかなか逢えなくても何ら変わりなくちゃんと維持されています・・そのことが夢で伝えられたら、どれほど素敵なことだろう。 夢の話はファンタジーくらいでちょうど良い、と思う。

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2005.10.16

お酒バトン!

某方からお酌をされたので、お応えしましょう。 呑み助としては、いただいたお酒は断らない主義です、はい。

【1】今、冷蔵庫に入っているお酒の容量は?
クアーズ缶とのどごし生缶がひとつづつ、キリンクラシックラガーの中ビンが一本、自家製のキーウィー酒とイチゴ酒が少々。 それにギルビーのウォッカとサントリーのホワイトラム、ゴードンジンがそれぞれ半端に一本づつ。・・結構あるなあ、味が変わらないうちに早く呑まなくちゃ。

【2】好きな銘柄は?
本当にいろいろあるので、ひとつひとつ挙げるのは困難かと。 見たことの無い銘柄に出会えた時は、とりあえず必ず呑んでみることにしています。 好き嫌いは体調やその場の雰囲気によっても違いますし。 お酒は大抵のものは美味しくいただけます。

【3】最近さいごに飲んだ店は?
長野新幹線の車中でモルツを。 (って、店じゃないか。)

【4】よく飲む、もしくは思い入れのある5杯
1杯目 とりあえず毎晩ビールを最少でも一缶。
2杯目 ラム好きです、出来ればダークラムを。 ヘビーなタイプをオンザロックでいただくのが好きです。
3杯目 ラムが無ければジン。 ジンならゴードン。 ボンベイサファイアはあんまり。
4杯目 ビールも大好きですが以前ほど量が入らなくなりました。
     若い頃は二人でピッチャーを5杯平らげたりもしていたのですが、もう無理。
5杯目 気の置けない相手と楽しく飲んでいれば、それだけでご馳走です。

【5】ジョッキを渡す5人。
お酒はその人のペースで飲んでもらいたいので、ジョッキはここに置いておきます。
自分も手酌の方がやりやすい性質です。
気が向いた方があったら、どうぞお持ちくださいませ。  

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そろそろかな

この時期は晴れた日と雨の日では、体感温度に大きな差がある。 秋空が広がる元でちょっと体を動かせば、汗ばんできて半袖になりたいし、しとしとと雨が降る中をじーっとPC作業をしていれば、長袖の上にもう一枚羽織たくなってくる。

家で過ごしている日は大体午後に一度、お茶の時間を設けるようにしているのだが、これも天候と自分の活動具合によって、冷たいものになったり熱いものを選んだりとまちまちだ。 数日前に行ってきた軽井沢周辺では、飲み物を売る自販機の半分くらいが「あったか~い」になっていたっけ。 ああ、標高が高いんだな、やっぱり寒いんだな・・と思いながら眺めていた。

八百屋の店先にも白菜やキノコが目立つようになって、「そろそろ鍋物も選択肢に加えてくださいね」、と、言われているような気分になる。 今年はまだ賄い食の『おでんデビュー』をしていないのだけれど、そろそろかな・・と。

自分用に『剣菱』でも一本、買っておきますかね。

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2005.10.14

サブ目的

久しぶりに看護師としてアルバイト的なことをやってきた。 それぞれ持病や手術後で健康不安を抱える血縁の老人達の旅行の付き添いである。 付き添いといえば聞こえは良いが、つまり、交通費や宿泊費用、食事代等はこちらが負担するし、そこにビールぐらいは付けるから、一緒に温泉旅行に行ってもらえないか?、ということだった。 体調とそれぞれの薬の管理、入浴のちょっとした介助、必要とされたのはそのくらいであったが、要は万一の時の安心が欲しかったのだと思う。 旅行先は信州で、そこでは私も大好きな「OH!LA!HO BEER」が飲めることを知っていたので、二つ返事で了承したのだった。

老年期に入ると誰でもそこそこにわがままが出てくる。 相手の話を聞かなかったり、自分の話したいことばかりを話したり、と・・何をするにも統一が取れないような。 その割りにはご本人達は満足していたようなので、こんなもんなのかな?と思いつつも。 まあ、いろいろ大変ではあったが、楽しい旅行だった。 皆がかなり早い時間に就寝した後で、のんびり温泉に浸かり、湯上りに「OH!LA!HO BEER」をのんびり飲みながら、充分に「来た価値があったな」と感じられたほどだ。(その代わりといっては何だが、翌朝は5時半から起こされた。 老人の朝は本当に早い。) いつ飲んでも「OH!LA!HO BEER」の出来は上々。

万一の際に専門職としてどこまでの責任を問われるのか、といった問題はあろうかと思うので、血縁ではなくて第三者だったら、しっかりとした事前の契約の明文化は避けて通れないながらも、こういった老人仲間での個人旅行の付き添いという商売は、成立するのかもしれないと思った。 そこそこに需要がありそうに思う。 どなたか起業されてみてはいかがでしょう?(じゃあ、あなたやりなさい、とか言われてしまいそうだけど。) 

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2005.10.12

Blogとバックフォー

この辺りでは地域で何かのイベントをしようとする際、会場の設営も自分たちでやってしまう場合がほとんどである。 それがまたプロっぽいというか、とても素人技ではないレベルのことまで自分達でやってしまう。 ちょうどこんな様子である・・。

とあるイベント会場になる川原を整地する必要があって、どうしようかと実行委員で話していたら、ある人(若くて可愛らしい女性だ。)が言った。
「どこかでバックフォー貸してくれないかな?」
「ああ、それなら知り合いの○○で借りれるよ」
「じゃあ、整地なんて一発じゃん。」
「でも、誰がオペレーターやるの?」
「あたしだって、そのくらい出来るわよ!」
「じゃ、そういうことで。」
正直、このやり取りを理解するには、当方には解説が必要だった。 上記の話題は、つまりこういうことだ・・

バックフォーというのは某建設重機メーカーで作っているユンボ(ショベルカーみたいなヤツ)の機種名で、それを誰か知り合いでタダで使わせてくれないかな?と言う。 で、すぐに貸してくれる当ての見当が付いて、じゃあ誰が実際にユンボを操作するのかと尋ねたら、彼女が「女だからって見くびらないでよ!」と言った・・そういうこと。

まず、ユンボがあれば「あの程度の川原の整地なんてすぐできる」という知識を、常識として身に付けていることが凄い。 次にユンボの貸し手がすぐに見つかるところも凄い。 そして、可愛らしい女性が普通にユンボの操作方法を身に付けていることも驚きである。 ・・この辺りで地元の方同士がこういった話題を取り上げていると、こちらは驚きの連続で、尊敬の眼差しになってしまうのだ。 これは、決してこの女性に限ったことではなく、地元の方が10人ほど集まれば大抵の重機は揃い、誰かは操作でき、一端の土木作業はあっという間に出来てしまう。 それが常識なのだ。

一方で、パソコンやインターネットに関わる常識等においては、全く論外とも言える現状が存在する。 先日、『ますたあ』が依頼を受けて、地元団体の会員向けブログを作った。 で、「出来ましたよ」と連絡したのに、いつまで経っても誰も何も書き込まないし、当然カスタマイズもなされない。 挙句の果てに「今度使い方を教えてください」とか言われてしまう。 横で話を聞いていた私が、「教えるも何も、ヘルプファイル読めば基本的な使い方ぐらいは書いてあるんでしょう?」と尋ねると、「パソコンのことは『他人に教わるものだ』というのがこの辺りの人の感覚みたいなんだよね」とのこと。 ヘルプも解説書も無いバックフォーは誰でも平気で動かせるというのに、読めば解る若しくは使えば解るブログは取り組もうともしないのである。 何か怖いものに触れているような状態らしい。 「インターネットって怖いんでしょう?」などと真顔で尋ねられると、本当に返事に窮する。

不思議なのは、現在のこの辺りの子供達の中でさえ、PCやインターネットに興味を持つ生徒は少なく、どちらかと言えば「バックフォー組」というべき興味の方向性を持った子供が大半のようだ。 教育の違いか?それとも、生育環境の違いか? 自分が小学生だった頃と比べても、子供達の様子の違いに戸惑うことは多いし、ましてや同年代の大人たちとの違いは、カルチャーショックにも近い。

ここに住むようになってもう10年以上経っているのだが、こういった違いは時代の変化を超えて、初めから今もなお同じ差の大きさで存在し続けているのが、不思議で仕方ない。

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2005.10.11

メビウスの輪

ひとつのことが何らかの理由で終わりを迎えたとする。
続きが無ければ、失敗だったと言われても反論できないかもしれない。
しかし、何かが新しく始まれば、経験という形で活かされてゆく。
表になり裏になり、次から次へと続いて終わりの無いもの。

生きてゆくってそういうことなのかもしれない、などと考えた。

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2005.10.10

謎のキノコ

毎日雨続き。 ♪ここにはスコールさえもない・・なんて伊藤銀次さんの懐かしい曲を口ずさみながら、小雨の中、生ごみを片手に裏庭のコンポストまで。

足元のプランターにふと目をやると、なにか赤茶色いものが視界に入ってきた。
「ん?」 そこには確かスペアミントが生えていたはずだが?
よく見てみれば、なんと謎のキノコが!!
エノキダケを一回り大きくしたようなひょろひょろとスリムな赤茶色のキノコ。 10本近くまとまって生えている。

どこから胞子が来たのやら、いつの間にこんなに育っていたのやら。
ある意味たくましくて頼もしく、ある意味にくたらしくもあり。

全く自然は油断も空きもありゃしない。

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2005.10.09

モリゾーの作り方

久しぶりにちょっと昼寝した。 正確に言うと、目覚めてから気付いたので、いつの間にか寝ていたらしいと言うのが正しい。

三連休というのにグラウンドも静かで、秋雨がしょぼしょぼと降り続き肌寒い日になってしまった。 まさに「寝日和」である。 掛け布団に包まれた温もりのシアワセを感じていたら、もう意識がすっ飛んでしまっていた。 こんな昼間に布団に潜り込んでしまった事自体が過ちだったと知ったが、もう後の祭りである。 まあこれで体力と気力を少し充電したということで、自分を納得させた。

目覚めてから鏡に映った自分の顔を見ると、寝ている間に暴れたのか、髪の毛が逆立って「えらいこと」になっていた。 何かに似ている・・と、しばらく考えたら、それは、愛知万博の「モリゾー」だった。 苦笑。

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2005.10.07

「相性」ってある

餃子とビール。
焼き芋と牛乳。
この二組が自分の中の王道かな?!

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2005.10.06

ひと雨毎に

周囲の雑木林の中でも気の早い山桜の葉が、はらはらと散るようになった。 玄関先にある桂の木も丸いハート形の葉を鮮やかな黄色に染めている。 今年も押し葉にしてクリスマスカードに同封しようと、傷が無い小型のものを選んで分厚いレシピ本に挟み込んだ。 降り続いている秋雨の合間を縫って外へ出ると、昨日より色づき度合いが強くなっているのが見て取れる。 ひと雨毎に秋が進むとはよく言ったもので、日本語の豊かさを身に沁みて感じた気分。

庭には夜毎何か動物が来ているらしく、『ますたあ』が秋の草刈を済ませた土をぼこぼこに掘り返している。 寒くなる前にたくさんの食べ物が要るのだろう。 雑木林の向こうから鹿が寂しそうな甲高い声で鳴く・・毎年繰り返される秋という季節。 当たり前のことがありがたいから不思議だ。

午後のお茶にバニラティー。 暑い間はうっとうしいようにさえ思えた甘い香りも、人恋しい季節にはちょうど良い感じがする。 夕食にはサンマの塩焼き、そして、食後の果物は二十世紀梨と巨峰。 登場する食べ物にも、秋が深まってきた。

まだ冬の気配を感じないで済むこのくらいの秋が、私は一番好き。

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2005.10.05

他人(ひと)の手

鎖骨骨折をした義父の痛みは、だいぶ和らいだようだ。 表情も明るくなったし、今日は差し入れしたカステラのようなお菓子を、怪我しているほうの手でパクパクと平らげた。 こちらもホッとする。 父が見ていたテレビでは、紀宮さまの結婚式の日取りを伝える儀式の様子が放映されていた。

父が事故を起こす原因の中には、「他人の迷惑になりたくない」若しくは「自分のことは自分でやりたい」という考えが、根本にあるような気がする。 自分でやりたいのに体は麻痺で動かない、そのギャップが事故に繋がる。 自分でやろうとすることが、結果として他人の手間を生み出しているという現実を、すぐに受け入れろといっても無理なのだと思う。 私も膝蓋骨を脱臼した時に相当なストレスを感じたので、その気持ちは良く解る。 ただ、どこかで割り切らなくてはならない。 自分の限界を知ってできないことは他人の手に任せる、その勇気も必要なのだ。 でも、それは自分で自分を知って、自分で線引きしなくてはならないことで、他人が線引きできることでもないような気がする。 ただでさえ高齢で適応力や、客観的な判断が難しくなっている父に、今それを求めるのは無理なのかもしれない。

紀宮さまはモスグレーのロングドレスをお召しだった。 見るからに仕立ての良い生地。 背筋をピンと伸ばした姿は美しかった。 あいにくの雨の中、車から降りた後の数歩の間にも、ロングドレスの裾は泥水を引きずって黒く染みた。 「ああ、もったいない・・」ついつい思ってしまったのは、私だけではないだろう。 あのドレスの裾は、誰が洗うのだろうか? 手間ひまかけて清められ、何も無かったように宮さまの元に戻ってくるのだろうか?

誰かが洗ってくれる世界から、自分で洗わなくてはならない世界に嫁ぐのは、大変なことなのだろうな・・。 ふと、そんなことを考えた。 そして、全く同様に、自分でできる生活から、誰かにやってもらわなくてはならない生活に慣れるのも、大変なことに違いない。 口には出さなかったけれど、父を見てそう思った。

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2005.10.03

うま味について思うこと

「なんだこれ?!」と、思わず突っ込みを入れた料理コンテストの告知。 日本うま味調味料協会という団体の存在もかなりのインパクトであるが、うま味調味料をつかったレシピって・・?! うま味自体は料理の主役にはなり得ないんだし、普通のオリジナルレシピにうま味調味料を入れたら、もう応募可能ってことになっちゃうんでしょうか? それなりの大胆な使い方をしなくてはならないのかと考えると、ますます頭の上に「???」が並んでしまう。

だいたい近頃の外食の味付けはうま味に頼り過ぎだ。 不自然にダシの味ばかりが強い。 鰹の一番だしや丁寧にとったコンソメの味は、香りを残して後味を残さずにスッと消えてゆくものだが、その引き際の潔さがない。 つまりは後味が汚い食品が多過ぎると思っている調理人の端くれとすれば、十分に突っ込みどころ満載なのである。 ちゃんと手をかけて作ったら絶対に出せないうま味の濃さ・・何かでうま味だけを足しているのだ。 それをよしとするか否かは別問題としても。 昔に比べて素材そのものの味が薄くなっているからといって、うま味で補ってしまったなら、ますます素材の味は埋没してしまう。 何の素材を使っているのか、どうでもよくなってしまうだろう。

濃いうま味に慣れると、次はますます濃くしないと美味しさを感じなくなる。 そのトレーニングを子供の頃から受けて育ってしまったら、もう取り返しがつかないのだ。 幼い、敏感な味覚を持っているうちに、「本物の薄さ」を身に付けておく必要があるのではないか。 私がメモリアで「お子様用プレート食」を作る時に、いつも注意していることだ。

食育に携わる方々、ご自宅でお子さんのお食事を作っている方々、がんばれー!!

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2005.10.02

いたちごっこ

このところ、俗に言われるアダルトサイトへのリンクが掲示板に張られていたり、このブログにトラックバックされていたりすることが多く、ため息が出る。 張っている人は同じ人のようだが、まあよくもマメにリンク張ってくるものだと思う。 PCを開く度に、とりあえずフィールドを一周巡回して、それらしきリンクを削除しトラックバックを解除し、しばらく作業をして、閉じる前にもう一度巡回すると、もう元の木阿弥。 いたちごっことはこういうことを言うのだろう。

「アダルトサイトへのリンクをお断りします」の一言でもウェブ上に書かなくてはならないのかもしれないが、あんまり言いたくないんですよね、そういう「常識でしょう?!」みたいなことは・・。 私が時間や手間を喰われるのは、まあ我慢できるとしても、見に来てくれている方に迷惑がかかるのは許せない気持ちになる。 もういい加減に止めにしません?

アダルトサイトを見に行くような人は、何が何でも自分で探し出す根性のある人だと思うので、そんなに人寄せしなくてもいいんじゃないか、なんて、ついつい思ってしまうのだが。 どんなもんでしょう?

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2005.10.01

パインの葉

ここにも何回か登場している例の八百屋のオジサンが、先日買い物に行った時にも声をかけてきた。 柿が盛られている篭の前で品定めしている私の横で、「今日はね、パインだよ、パイン!」と言う。
「パインなんて一年中食べられるんだから、今日じゃなくてもいいんじゃない?」と、私が悪態をつくと、
「いやいや、今日のはホントに美味しいって。 俺がこんなこと言うのも変だけどさ、買っておいて損は無いって。」
・・すごい気合の入りようだ。
そんなに言うなら、と、パインの前に行くともうプーンとパインの甘酸っぱい香りが漂っている。
「大丈夫? 熟し過ぎてない?」
「大丈夫だって。 保障するよ、ほら葉っぱを見てみなよ。 干からびたり変色したりしていないだろう?
 これは新しい証拠だからさ、こうやって見分ければいいんだよ。」
なるほど、濃い緑色の葉っぱがつんつんと元気そうに上に向けて跳ね上がっている。
「わかりました。 いただいていくことにする。」そう答えた私にオジサンはよしよしと言わんばかりに笑って、何本かを手にとって比べてから、その中の一本を選び出してくれた。
「葉っぱどうする?」
私が何を聞かれたのか理解できずに首をかしげると、
「葉っぱ、落としちゃって良い?」と、尋ねなおしてくれた。
「お願いします。」
すると、オジサンは素手で葉の付け根を逆手に握ったかと思うと、グイッと捻り取ってしまったのだ。
あまりの早業に唖然とする私・・。
「そんな風に葉っぱがはずせるなんて知らなかった。」
「ええー?!常識じゃん! 今までどうやってたって言うのよ?」
「包丁で実の一番上の所を切り落としてた・・。」
「それじゃあ実が傷ついて傷みが早くなっちゃうでしょ。
 こうやって捻って取ればほら、切り口だってこんなにきれい。
 新聞紙に包んで野菜室に入れておけば、そこそこ日持ちするよ。」

またひとつ勉強になった。
今度は自分で捻り取ってみたいものだ。
あんな簡単に、ちゃんと取れるだろうか・・?

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