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2005.10.05

他人(ひと)の手

鎖骨骨折をした義父の痛みは、だいぶ和らいだようだ。 表情も明るくなったし、今日は差し入れしたカステラのようなお菓子を、怪我しているほうの手でパクパクと平らげた。 こちらもホッとする。 父が見ていたテレビでは、紀宮さまの結婚式の日取りを伝える儀式の様子が放映されていた。

父が事故を起こす原因の中には、「他人の迷惑になりたくない」若しくは「自分のことは自分でやりたい」という考えが、根本にあるような気がする。 自分でやりたいのに体は麻痺で動かない、そのギャップが事故に繋がる。 自分でやろうとすることが、結果として他人の手間を生み出しているという現実を、すぐに受け入れろといっても無理なのだと思う。 私も膝蓋骨を脱臼した時に相当なストレスを感じたので、その気持ちは良く解る。 ただ、どこかで割り切らなくてはならない。 自分の限界を知ってできないことは他人の手に任せる、その勇気も必要なのだ。 でも、それは自分で自分を知って、自分で線引きしなくてはならないことで、他人が線引きできることでもないような気がする。 ただでさえ高齢で適応力や、客観的な判断が難しくなっている父に、今それを求めるのは無理なのかもしれない。

紀宮さまはモスグレーのロングドレスをお召しだった。 見るからに仕立ての良い生地。 背筋をピンと伸ばした姿は美しかった。 あいにくの雨の中、車から降りた後の数歩の間にも、ロングドレスの裾は泥水を引きずって黒く染みた。 「ああ、もったいない・・」ついつい思ってしまったのは、私だけではないだろう。 あのドレスの裾は、誰が洗うのだろうか? 手間ひまかけて清められ、何も無かったように宮さまの元に戻ってくるのだろうか?

誰かが洗ってくれる世界から、自分で洗わなくてはならない世界に嫁ぐのは、大変なことなのだろうな・・。 ふと、そんなことを考えた。 そして、全く同様に、自分でできる生活から、誰かにやってもらわなくてはならない生活に慣れるのも、大変なことに違いない。 口には出さなかったけれど、父を見てそう思った。

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