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2005.11.29

プチおでん

おでんは比較的お手軽に作れるし、次の日に食べても美味しくて、私も好きな鍋物のひとつなのだが、唯一気になることといえば「味の単調さ」である。 からしを使ったり、「しぞーか(静岡)おでん」風に粉鰹や青海苔を振りかけてみたりしても、やっぱり後半は飽きてくる。 なので、最近は鍋物というよりも煮物の感覚と量でおでんを煮ることが多い。 勝手に「プチおでん」と呼んでいる。

その時に手持ちの素材3~4種くらいで、一般的な煮物の量程しか作らない。 味はいつものおでん味。 この時期はだいたい大根を持っているから、それに昆布やこんにゃく、練り物が一品。 彩りにニンジンでも入れば十分な感じ。 それぞれの切り方もいつものおでん風に、野菜は大きく練り物はほとんどそのまま使うので、本当に手間要らず。 あとはじっくり味を染み込ませて・・つまりは、早い時間に煮ておいて放っておくだけである。 ダシに味を出すためにも、やはり練り物は一種類加えた方が良いみたい。

ゆで卵やジャガイモなど入れればボリュームが出るし、他に肉や魚の料理があればサイドメニューにも便利で、コントロールが利く。 いざとなったら翌日食べられるのも、気分的に楽でありがたい。 それを見込んで二日分の種を煮ておけば、ダシもより美味しくなって一石二鳥。 ちょっとした発想の転換に過ぎないが、おすすめしたいと思う。


このところ何故か頭の中で考えがまとまらないような日々で、更新が滞ってしまった。 何があったと言う訳ではない。 でも、例えば神様が居られるとしたら、「それについては深く考えない方が良いですよ」とでも言われているような感じで。 何か卓越してしまったような、遠くから日常を見て過ごしているような、奇妙な感覚だったのは事実だ。 触れない方が良さそ気なことらしいから、自分でも深く追求しないでいる。 あまり味わったことのない妙な感覚だ。 いつか判る時が来るだろうか? 時が満ちるまで封印しておこう。

前線の通過で突風が吹き荒れ、メモリア周辺の雑木林の枯葉が一斉に落ちた。 竹箒で掃きながら、種々雑多な葉っぱが混在している様子を見るともなく眺めていた。 整ったものや全て同じ種類のもの、単調なものは、配列も整っていないと美しく見えないものだが、色も大きさも形もまちまちなものがランダムに混じったことによって生じる調和というものはあるな、と、そんなことを思った。 がらんどうになった雑木林には光が通って、ひとしきり明るい。 冬本番の前の断末魔のような暖かさを楽しんでいる。   

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2005.11.25

Confusion

沼津の病院に入院中の義父を見舞いに。 年齢的なものと病気によるものの両側面から、入院前よりちょっとした混乱が見受けられていたが、今回の入院によりそれが強くなってきている様子だ。 一生懸命に何かを伝えようとしているものの、単語が出てこないので詰まってしまい、単語を思い出している間に思考回路が暴走し、義父はもう次の話題に移ってしまっているように見受けられる。 勝手に話の内容があちらこちらに飛び回るから、支離滅裂で辻褄が合わなくなる。 そして、そのことに本人は気付いていない。 まだ私もそんな義父との会話に慣れていないので、ついつい全て真に受けてしまうと混乱が伝染する。 私の顔も認識したりできなかったりしているらしく、初めのうちはいつもの呼び方で話しかけていたのに、途中から何故か『花田さん』になって、勝手に『お姉さんが3人いて、妹もひとりいる(って、5人姉妹か?!)』という設定らしい。 もう、何がなんだか・・で、ある。

帰りの車の中でがっくりと疲れが出た。 完全に現実と違っていれば、それはそれで割り切って会話することもできるのだろうが、正しいこととそうでないこととがいつの間にか混じり合っているから、こちらは余計に混乱するのかもしれない。

病院への通り道に最近オープンした「ドンキホーテ」に寄ってみた。 洗濯の際に使う柔軟仕上げ剤が少なくなっていることを思い出し、陳列棚に何気なく並んでいた輸入品の『サフロン』という名前に大笑いして、ついついそれを選んで買ってしまった。 『ソフラン』でも『アクロン』でもなく、ましてや『サクロン』でもない微妙なズレ具合が義父の様子と重なって、混乱の後の疲れを助長した。 果たして柔軟仕上げ剤としての効果は如何程か?、期待していないながらも楽しみではある。 はぁ~。

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2005.11.22

3つの小さなキス

朝起きて、パジャマのまま玄関先に出て、身震いをひとつ。 放射冷却でキーンと冷え込んだ空気に追い立てられるように、小走りに車の傍へ。

今日は新車の納車の日。 そして、愛着の染み込んだ車が引き取られてゆく日。 一台はもう廃車になって、もう一台は中古車市場で新しいオーナーを探すことになるそうだ。 そんなに毎日乗っていたわけではないけれど、路線バスも電車も届かない山の生活の生命線として、一緒に過ごしてきただけに思い入れもひとしおである。 特に廃車になる古い方の車は、東京に住んでいた時に買ったもので、今まで「どこに行くにも一緒」だった。 さすがにご老体でいたる所にガタがきていたから、本当にご苦労様という気持ち。

2台の車の鼻先にそれぞれ「ありがとう」の小さなキスをした。 車体の表面に降りた朝露が冷たく私の唇に移った。

新車を運んできたディーラーさんが、代わりに運転して去ってゆく様子をずっと見送っていた昼下がり。 きれいに澄み渡った空から、クヌギの落ち葉がヒラヒラと舞う中を、見慣れた後姿が消えていった。 季節にふさわしいきれいな絵・・なんだか映画のラストシーンのように見えた。

納車されたばかりの新顔は、ディーラーさんによる確認の説明の短い間にも、もう屋根の上に落ち葉を乗せて、すっかり山の光景に馴染んでいるので笑ってしまう。 おまけにリアウインドゥでは四つ星テントウがのんびりと散策中だ。 オーナーより先に土足で上がるとは図々しいぞ、と、少しばかり嫉妬。 自分たちが新しい車に馴染むのも、時間の問題だろう。 楽しみだ。

別れと出会いの繰り返し。 生きてゆくうえで繰り返される摂理。 切なさとワクワクと。

新車にも「よろしくね」の小さなキスをした。 ボンネットは秋の陽射しを浴びて温かかった。

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2005.11.19

移り目に「柿ピー」

ここ数日、「11月ってこんなに寒いんでしたっけ?」と言いたくなるような気温が続いている。 冬型の気圧配置が強まると、ローカル的な狭い範囲でのメモリア周辺では、一日中どんよりとした雲が陽射しを遮断しているので、余計に寒さが堪える。 一昨日にはじっとしていたら胃の裏側辺りに「冷えの塊」ができてしまい、気分が悪くなったので、今日は早々に湯たんぽをつくって抱え込んでみた。 暖房で空気を暖めるのと違って、顔が火照らないのはありがたいのだけれど、お腹が温かいと眠くなるのは如何なものか・・? まだ体が寒さ慣れしていないので、あちらこちらで戸惑いが起きているみたいだ。 親しい人達の間でも、風邪をひいている人が目立っている。

大きなマグカップにほとほとと紅茶をたっぷり淹れて、午後のお茶。 頂き物の「バターピーナッツ」と、別の方からの頂き物の「柿の種」を交互に食べた。 こういう組み合わせって、止まらなくて危険。 以前から『ますたあ』に指摘されていたが、確かに「ピーナッツ入り柿の種(俗に言う『柿ピー』)」を買うよりも、「バターピーナッツ」と「柿の種」をそれぞれ単独に買ってきて自分で混ぜた方が格段に美味しい。 それぞれの完成度がある程度に達していないと、一緒にした時にも美味しくなかったり面白みにかけるということだろうか。 なんだか人間関係にも似た部分があるような気がする・・、などと、頭の中で思った。

ルノーの納車が22日に決まる。 なのにルノーのオーナーになる心積もりができていない・・大丈夫か、自分?! (多分)おてんば娘をちゃんと手なずけられるのだろうか? なんだかちょっと怖いな。 義父はICUから一般病棟に移って、食事も始まった様子だ。 昨日は地域の公民館のお掃除を済ませ、お見舞いのついでに寄ってくれた義姉夫婦を迎えて、夕方不要な中古釣具を引き取ってもらいに伊東まで一走り。 何にもしていないような、それでもそこそこに忙しいような、変な気分の日々が続いている。 達成感の欠如が問題の本質にあるのだろうな。

季節も暮らしも心も、移り目はなにかと落ち着かない。 事故を招かないようにだけ注意しなくては。

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2005.11.17

変なの

用事があったので『ますたあ』がコ○コーラに連絡して、担当者に来てもらうことになった。

夕方に電話が鳴る。
受話器をとった私に相手の人が言った。「あの、コ○コーラですけど。」
「はい、お世話になります。」と、私。
「・・・ (暫し沈黙)」
「?もしもし?」
「あっ、はい。」
「コ○コーラさんなんですよね? どうかなさったんですか?」
「今朝のことなんですけど。」
「ええ、それが何か? 担当者に代わりましょうか?」
「いえ、あの、今、店の前まで来ているんですけど・・。」
「はあ?いらしているんですか?!」
「はい。」
「なーんだ。 じゃあ行きますから、お待ちください。」

玄関先で「インターホン押してくださればいいのに。」と、言うと、ピンとこない表情をされてしまった。

若い人らしいケータイの使い方と言われてしまったら、何も返せないのだけれど、やっぱりちょっと変じゃありません? 営業としてどうよ?、大丈夫かあ?・・どうしても納得出来ずにいる。

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2005.11.15

大人なので

義父が脳梗塞で倒れてから、こちらもなんだかんだと慌しく過ごしていたので、向こうも遠慮していたのだと思う・・実家の(つまり私の実の)両親が、「機会があればそちらのお父さん(つまり『ますたあ』の父であり、私の義父)のお見舞いに行かないと・・。」と、言う。 状況を頭に思い描いてから、私は「うーん」と言葉に詰まるような思いがする。

お見舞いというのはどういうわけか、疲れる。 一緒に暮らしている相手でさえもそうだ。 ましてやその入院先に、認知症の方等が多ければ余計だ。 『ますたあ』や私でさえ、お見舞いに行く度にカックンとくる感じを否定できないのに、同じような年代の実家の両親がその環境を目にしたら、絶対に自分の将来と重ね合わせて私たち以上にいろいろ思い煩い、なんとも言えない暗い気持ちになることは目に見えている。 そんなことを考えると、返答に困ってしまう。

実の両親だから何でも言えるし、自分達の娘のことだから思考回路も良く判っていることだろう・・そんな曖昧な根拠を拠り所にして、そのままに思う所を伝える。 その上で義理の付き合いをを気にする人達ではないから、心配は要らない、との旨を付け加えた。 「それでも是非ということであれば機会を作るから、もう一度言って。」

なんだかいろいろとややこしい。 まあ、これも大人の社会勉強ということで。

やっと濃いお酒も口の中で全く沁みなくなった。 普通に何も意識せずに飲み込めた時、これでラザニアの火傷と口内炎から卒業できたと思った。

今度はなんだかお酒が心に沁みた。

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2005.11.14

割り切らないと

やれSCRIPT(←ごひいきのロックバンドの名前です)のライブだ、お盆に行けなかったお墓掃除だ、などと、大忙しの上京の間に、伊豆ではまた義父が入院する騒ぎが起きていた。 意識レベルが一時的に下がったらしい。 念のためICUに入院している。 日曜日のことだったので当直医が対応してくださったようだが、命がどうの・・という問題に直結する様子ではないみたいでホッと胸をなでおろす。

いかなる理由であれ、急変した現場に自分が居合わせられなかったことには、なんとなく負い目を感じてしまう。 居たからと言って決して何かができたというわけではないにしても、どうしてもそんな風に感じてしまうのは、仕方がないことなのかもしれない。 体はひとつしかなく、片付けておかなくてはならないことを抱え、ましてや、いつ起こるかもわからない急変に備えているのは無理なのだから、割り切らないといけないことなのだろうな。

冷たい言い方だが、義父はこれからも、こんな風に小さな急変を繰り返してゆくことになるのだろう。 自分もいろいろな意味で、出かけるときには覚悟しておかないといけないな、と、肝に銘じた。

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2005.11.13

考え方の根本が違う

今年になってから脳梗塞で麻痺になった父は、申告によって「特別障害者控除」というものが受けられて、所得税が安くなるらしい。 で、その申告に添付するための書類を請求する手続きについての郵便が、市役所から届けられた。 簡単な説明文が添えられているのだが、それによると月割換算で3万5千円の控除になるという。 ところが、社会保険庁から届いた別の説明書類によれば、同じ「特別障害者控除」なのに年額40万円ということになっている。 35000円×12ヶ月では42万円になるはずで、年間40万円に比べたら2万円も多いことになる。 この差はいったい何なのか?という疑問が出てきたが、どこにも解説されていない。

インターネット検索をしながら、ああでもないこうでもないとイライラし、根拠となる条文を読んでも40万円の記載は出てくるが、月割換算の3万5千円という数字はどこにも見当たらずに困っていた。 最後にたどり着いた個人の会計士さんのホームページに、「源泉徴収のための月割換算の金額を、12倍しても控除額とは違ってくる場合がある。」との記載を見つけ、これのことかと判るが、根拠は不明のままだ。(その場合は、当然確定申告後に調整されるとのこと。) 何故に「初めから調整が必要と判っている処理をさせて、二度手間を取らせるのか、と、ますますイライラ。

月割換算を12倍した金額と実際の控除額が違う例で、双方の数字を比較した表をウーン・・と唸りながら暫し見入った後、ふと気付いた。 月割換算の金額は下三桁が「000円」か「500円」のどちらかでしかないし、控除額の金額は下四桁が必ず「0000円」なのだ。 つまり、法律で定められた控除額になるべく近い数字で、なおかつ12で割った時に下三桁が「000円」か「500円」となる数字を割り当てていたのである! 総額が違うことよりも「きりが良い」ことが優先なのだった。 なんじゃそりゃ!?

こんな発想の計算は理系人間には絶対できない。(と、思う。) とんでもない法則を見つけて、呆れ返ってしまった真夜中の0時過ぎだ。

だから税金の申告書類って大嫌いよ!

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2005.11.11

不景気な気持ち

偶然にも「多くの商品の中から欲しいと思うものをひとつ選ぶ」という機会が、三回も重なった。 分厚いカタログをぱらぱらめくったり、実際に手に取ったりしながら、頭の中で比較してどれかを期日までに選ばなくてはならない。 どのケースも初めのうちはなんだかワクワクして、「あれもいいな、これもいいな、迷っちゃうな。」みたいな感じでいたのだが、スペックをよく読み検討を重ねるうちに「よく考えると要らないな、手元にあっても困るな、使い勝手が納得できないな、デザインや大きさが今ひとつだな。」と、変化してゆき、しまいには選ぶのが憂鬱になって「正直どうでもいいのだけれど、それでは先方に失礼だったり、勿体無かったりするから。」などと、半強制的な気分になってしまった。 あまり歓迎すべきでない自分の気持ちの変化に少し戸惑う。

元来私は物品欲が乏しいというか、物をたくさん買い揃えることが嬉しいタイプでは無いので、余計にそうなのかも知れないし、義父に頼まれて部屋の片付けなどをしている内に「物をたくさん持っていても使わなければゴミと一緒だ」という感覚が強くなったりしてしまったのかも知れない、とも思う。 少なくとも若い頃はこんな風には考えなかったし、「お金をためて次はあれを買おう!」という気持ちもたくさんあったことを思い出せば、単に年をとったということなのかも知れないのだが、どうもそればかりでもないような気もする。

改めてカタログや商品群の一つ一つを考えてみると、どうも個性に乏しいのだ。 そこそこの見栄えはするし、表面的な工夫は多いのに対して、コンセプトに遊び心が見出せないとでも言ったら良いか、コアの部分にポリシーが無いと言うか、そんな印象が強い。 ぐっと来ないのである。 「小さかったり量が少なかったりするけれど、間違いなく素材が良い物」とか「逆に使い手を選ぶような物」が見つからない。 どれひとつを取っても万人に好まれる無難な線を逸脱できていない。 どうしても「如何にして安い原価を見抜かれないように表面上を飾るか」に終始しているように見えてしまう。

これだけ効率が問われる自由競争の世界だから、仕方がないのかもしれない。 「みんなと同じじゃなきゃ、逆に不安」という若い人たちの考え方を見れば、この品揃えも当然なのかもしれないけれども。

うまくは書ききれていない気がするが、お金が手元にあってもそれを使おうとしない人達の中には、今の私のような気分のケースも、そこそこ含まれているのではないか。 お金は使わなければ循環せず、景気は良くならない。 基本的にはお金は使ってこそナンボと思っている私が、こんな風なつまらない気持ちに支配されてしまった中に、不景気の仕組みを垣間見たような気がしている。

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2005.11.10

勘弁してほしいです

夕方、突然に「ん?!」、と、気付く。
部屋のどこかでカメムシが、例の異臭を発生させたようだ。
発生源が判らない上、鼻の奥に匂いが染み付いて離れない。
窓を開けてもやすやすとは消えてくれない匂い・・。

勘弁していただきたい。

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2005.11.08

一宿一飯

国道からの長い上り坂の道沿いには、もみじの木が植えられている。 久しぶりに眺めたら鮮やかに紅葉していた。 ここ数日は風が強く、「これが冷たくなったら木枯らしになるんだろうな」などと思いながら、洗濯物を丁寧に洗濯バサミで固定する日々。 風が強い分だけ良く乾くのも確かだが、朝夕の冷え込みは日に日にきつくなるのが手に取るようにわかる。

昨夜、お風呂上りに何かちょっと飲もうと厨房へ行ったら、カサコソと音がしていた。 あまり使用頻度の高くないシンクの乾いた底を、大型のコオロギが一匹歩いている。 上へ這い上がろうと壁を登るのだが、数センチ登るとステンレスに滑ってまた底へ落ちる。 それを繰り返している様子。 気の毒に思いつつも、もう日付も変わっている時間だし、こちらも少々面倒臭かったから、「朝になったら外へ出してあげる。」と、言い聞かせて、一度立ち去った。 でも、コオロギがシンクの底にすとんと落ちる音が繰り返される度に気になってしまい、パジャマのまま再度厨房へ。 せめてものおもてなし・・という事で、水道の蛇口を少しだけ開いて直径2センチほどの小さな水溜りを作ってあげた。 何のためらいも無く何の疑いもせず、コオロギはそそくさと歩み寄ると、表面張力で丸く膨らんだ水の隅っこに口をつけて、一心不乱に飲んでいる。 「ありゃ、あなたお腹が空いていますね? それじゃあ落ち着けないわね。」 夕食に使った削り節のパックが使いかけで出してあるのが、ふと目に留まったので、水を飲んでいるコオロギの後ろ側に、一つまみ置いてみた。 湿気らないように小袋の口を畳んでクリップで留めてから、もう一度シンクを覗き込むと、早速コオロギが口に小さな削り節をヒラヒラさせているではないか。 こちらの意図を見抜くかのように飲み食べする様子に、もう一度「朝になったら外へ連れて行ってあげるから、今夜はそこで静かにしていて頂戴。」と、言い聞かせて、私も安心して寝た。 例え相手がコオロギであっても、以心伝心ということがあるのかも知れない、と、ちょっと思った。

さて、今朝。 コオロギはちゃんといた。 小さなビニール袋に誘導して中に納まってもらってから、朝露の降りた草むらへ。 削り節は半分ほど減っており、シンクには小さな黒いフンが点在・・(苦笑)。 クレンザーでの磨き掃除が、今朝の最初の仕事となった。 コオロギの成虫が果たして越冬するのかどうかわからないが、元気であって欲しいと願った。

冬が少しずつ近付いている。 こんなに良い天気だと、明日の朝は放射冷却がきついかな・・?

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2005.11.06

焼きリンゴ

食べたりお話したりする時に、だいぶ口の中の痛みを意識しないで済むようになってきた。 書いていたように食欲そのものは関係なく旺盛なので、物を食べることに勢いが付きつつある。 減った体重の5キロ分はあっという間に取り返せそうな予感・・。(それ以上にならないように、心してかからなくては。)

秋に恒例のアップルパイでも焼こうかな、と、思ったものの、あのパイ皮のバリバリが口の中で暴れることを考えて躊躇してしまった。 だったら中身だけ・・ということで『焼きリンゴ』。

本来なら一人一個を丸のままオーブンでじっくり焼くべきものだが、今回は手軽に半量をトースターで作ることに。 手元にあったリンゴ(千秋)を半分に切り、真ん中の芯と種をティースプーンでくり抜く。 無塩バター大さじ半分と砂糖大さじ1弱、シナモンパウダー少々をペースト状に混ぜ、くり抜いた穴に。 それぞれをアルミホイルで包み、オーブントースターで15分加熱する。 その間にクラム作り。 バター大さじ1、砂糖大さじ1、小麦粉大さじ1半を指先でぽろぽろになるまで混ぜておく。 リンゴのアルミホイルの上部を開けてリンゴにクラムを乗せてから、またオーブントースターで15分。 途中で焦げてきたなら、上から新たなアルミホイルをそっとかぶせて調節を。 焼きあがったらそのままあら熱を取っていただく。

もっと甘くしても良かったかな?とも思うくらいだったが、リンゴの味が凝縮されてなかなか美味しかった。 温かいおやつも、こんな肌寒い雨の日には美味しい。 アッサムティーと一緒にほっこりと。

「ちゃんと治ったら、気合を入れてアップルパイを焼こう!」と、何故か意気込んでいる。

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2005.11.04

予想外の敵

口の奥はわずかに回復の兆し・・単にこの状態に慣れてきたのかもしれない。 食事時間に合わせて使っている鎮痛剤を、そろそろ止めてみようかと思っている。 なにせ食事は一日に3回もあるので、こちらとしてもそれなりに学習してきた。 なにをどうやったら、どのくらい食べられるのかの手加減が解ってきたようだ。

固いものはまず考えられないと思っていたのだが、ポイントは噛んですぐペースト状にこなれるかどうかの問題で、そのものの固さは関係が無い。 例えばクラッカーとかも大丈夫。 ただし、一口分の量は思い切り少なくして、そう、カルビー社の『じゃがりこ』のコマーシャルのように、かりかりと・・。

意外にも重要なのは味だ。 味がついているものはかなり厳しい。 表面に醤油をつけて食べるものは『冷奴』のように柔らかくてもダメだし、噛んだ時にじゅわっと味が染み出てくる『大根の煮物』や『がんもどき』などはもっての外。 特にしょっぱい味と酸っぱい味には敏感に反応する。 試していないが、グレープフルーツなんて考えただけで頭が痛い。

今は全粥に味をつけないおかずを少々・・さすがに飽きてきたが、お腹は普通に空くので文句を言っている場合ではない。 秋だし。

しばらく前からチョコレートが食べたくて、『ますたあ』に買ってきてもらった。 これなら口の中で溶けるだろう、と、何も疑わずにポイと口に入れたら、思いっきり沁みて飛び上がりそうに! 甘い味も濃いとダメみたいだ。 ちゃんと身構えてから口に入れないと、えらい目に合う事も学習した。 油断は禁物ということか。

日ごろ何気なく食べている食事というものは、意外にも消化管の粘膜にとっては強い刺激になっているものなのだな、そりゃ癌もできるわなあ、と、思う。 などと書いていても、治ったらケロッと忘れてしまうのだろう。 まさに「喉元過ぎれば・・」とは、このようなことを指すか? 

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2005.11.02

降参して受診、ついでに・・?

あまりの痛さに観念して耳鼻科に受診。 問診票を読みながら医者が「はい、あーんして・・ああ、これね、こりゃあ痛いでしょう?」と聞く。
「とっても痛いです。」
「そうだね。 なに食べたの?」
「ラザニアを・・」
「水ぶくれできたでしょう?」
「できました。」
「で、潰れたでしょう?」
「潰れました。」
「それが1.5センチくらいあるんだけど、そこに口内炎が4つもできてるんですよ。」
「4つも、ですか?」
火傷の跡に口内炎ができるのはよくあることらしいのだが、大抵は大きな口内炎がひとつできるだけで、こんなに密集しているのは珍しいらしい。 写真を撮られた。 数が多いと発生する速度もまちまちなので、それだけ痛みが強いのでしょうとのこと。 トホホ・・。
「食事、食べられますか?」
「根性で食べてます(苦笑)。 でも、離乳食みたいな物を。」
「ハハハそうだねえ、沁みるからね。 牛乳とかプリンとかで何とか2~3日繋いでください。」
あと数日でそこそこ食べられるようになり、一週間も経てばかなり楽になるのではないかと。 『ケナログ』を処方されて車に戻る。

せっかく遠出をしたので、『ますたあ』と日用使いの買い物を済ませてから、ダイハツとスズキのディーラーを冷やかして軽車両の中に使えそうな車種を見落としていないか、チェックする。 車内の大きさや小回りが効く様子などは「軽」でも十分と思うが、やはりチャチな感じで普通車に見慣れている身としては見劣りする。 ドアを閉める音がパシャンと軽い感じが心配だ。 シートとかもおもちゃっぽいし。 ・・ここ数週間は機会を見つけてはディーラーを回っていたが、これで希望する排気量ランクの国産車はチェックし終えた。 結論→「やっぱり欲しい車が無い!!」

ここまでいろいろな車を試乗すれば、初めに目をつけておいたルノーの「ルーテシア」を見ても簡単に比較ができるはずだと、ダメ元で沼津まで行ってみることに。 連絡もせず急に訪店したので、担当者にはかなり驚かれたが、実際に乗せてもらえた。 やっぱり良いわ・・悔しいけど。 春に新しくバージョンアップするのを待つつもりだったはずが、車高も高くなり車長も伸びることが判ってしまったので、なんとか旧バージョンで手配してもらえないかを調整中だ。

まさか本当にルノーを選ぶとは、思ってもいなかった。 『流れ』はいつも自分の予想の範疇を超えるのが不思議である。 しかしながら、日本のコンパクトカーはコンセプトが同じ過ぎる、と、つくづく・・。 シャシーなどを使いまわしているから、仕方ないのだろうか?ぶつぶつ・・。

michiさんのブログにあった「ルーテシア」の可愛いお尻はこちら
 


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2005.11.01

気分転換に

軟口蓋は相変わらずただれ放題でとても痛い。 火傷の場所がアンラッキーだった。 食事もほとんどピューレ食にしている。 なんだか離乳食みたいだ。 過疎地のこの辺りでは内科や外科以外の医師を受診するのは容易ではなく、しかも、一番近くにある常駐の耳鼻科の開業医を私は個人的に信用していないので(!?)、近くで受診するには木曜日まで待たなくてはならないし、かと言って二番目に近い耳鼻科は大学病院になってしまう。 長い時間待たされた挙句に「ラザニアで・・」などと言うのも恥ずかしい。 『禁じ手』で飲み残しておいた『ロキソニン』を使い(良い子は真似しないでね)、ようやく強引に状況を押さえ込みながら回復を待っている感じだ。

お腹は空くのに思ったように食べられないストレスを解消しようと、午後から散歩に出かけた。 気付けばだいぶ紅葉が進み、風も冷たくなっている。 もう11月か、早いなあ、と、つくづく思いながら歩く。 メモリアの周辺は市営のスポーツ公園なのだが、立派なテニスコートを使う人も無く、野球場も、メモリアが面しているグラウンドも当然のように人気(ひとけ)が無い。 独り占めしているみたいで、勿体無いような贅沢なような複雑な気分だ。 大きなお世話だがこれでは赤字だろう。 フェンスには勝手に絡まった山葡萄が実を熟させ、大きなアケビがぱっくりと口を開いている。 アケビの種が火傷に当たりそうなので、指先でほんのちょっと摘んで味見。 爽やかな強い甘さ・・グラニュー糖の味。 土から吸い上げただけの養分と光合成の力で、こんなにも純粋な甘さを作り上げる自然の仕組みにはお手上げだ。 黒字の経営にするには施設の回転率を余程上げなくてはならないだろうし、そうなったら自然環境も台無しになるに違いない。 かと言って、自然豊かなスポーツ施設というだけのままでは、便利さや快適さを求める利用者の人気は集められないから赤字が続き、地方交付金が益々削減される中、赤字分は市民が税金で負担しなくてはならない。 結局人間なんて勝手なもので、自然環境との共存なんて無理なんじゃないか、少なくとも、この日本の経済活動下では机上の空論なのではないか、などと、そんなことを漠然と思いながら歩いてきた。

きれいに広がる青空を眺めながら、一時間ほどの散歩。 気分転換としては十分に役割を果たしてくれたと思う。 

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