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2005.12.08

優位に立つ責任

しばらく前にバラエティー情報番組で、やたらと秋葉原の「メイドカフェ」を取り上げていた時期があった。 その中で実際に来店している客に、「あなたにとってメイドカフェの魅力とは何ですか?」と、インタビューしていたのだが、一人の男性の回答が妙に印象に残った。 「ここに来たら、自分が優位に立てるじゃないですか。 女の子たちはメイドさんな訳ですから、自分より立場が下で、自分の好きなようにできるじゃないですか。 そこが魅力です。」 テレビの映像を見ながら、どうした訳か、腑に落ちないような、一方で「うーん」と唸るような、複雑な気分になったのだ。

上記の内容を商売という点から見れば、メイドカフェはまさしく「してやったり」である。 客にいかにもイニシアティブを持っているかのように思わせておけば、客は気分良くお金を落としてくれるだろう。 料金設定は経費を差し引いたって儲けが出るようになっているはずだから、それを安いと思ってもらえれば何よりだ。 儲けているのはお店の経営者やメイドさんとして雇われている女の子達なのだから、本来優位に立っているのはお店側のはずだが、サービス業の基本は「そうは思わせないこと」である。 下に下に出て気分良くたくさんのお金を落としてもらう、そこがポイントなのだろう。 客商売の見本のような店とも言えるかもしれない。

次に客の言ったことを思うと、「人の優位に立つことは、そんなに魅力がありますか?」と、聞いてみたい心境に駆られた。 お金を払ってささやかな優位を買う・・日常の生活の中で余程虐げられているのだろうか? いつも誰かに優位に立たれて、その下でイライラしていたのだろうか? そこまで大げさに考えてしまったのは、最近の小学生の女の子をターゲットにした凶悪事件の根底に、同様のものを感じているからだ。 大人は幼い子供を相手に、体力的にも精神的にも簡単に優位に立つことができる。 好きなように思う通りのことをして、挙句の果てに命まで奪う。 性的対象や事件のターゲットを幼い子供にしたのは、大人相手では優位に立つことが難しかったからに違いないだろう。 そこそこお金が使える人は、メイドカフェに代表されるような店や、きれいなオネーサンが優しくお酒を注いでくれるような店に行って、お金で優位を買って欲求を晴らすことができる。 そのお金を用意できない人の中で自制が利かなくなった人は、道を踏み外してしまう。

私はサービスを提供する仕事に携わったから、お客を優位に立たせるべき役割については身をもって理解したつもりだ。 ただし、そこでどちら側の立場の人も忘れてはいけないことは、「優位に立つ人にはそれなりの責任が課され、下になる人にも大事な役割がある。」という大原則である。 上に立つ人は下の人を上手に誘導して、安全を確保したり、方向性を間違えないように導いたり、大事なことを教えたり、気分良く過ごしたりさせなくてはならない。 一方で、下になる人は、やってもらう自分の権利ばかりを声高に叫ぶのではなく、自分の上に立つべき人を可能な限り自分の責任で選択し、一緒に目指す方向性を理解するように努め協力しなくてはならないだろう。 つまり、よくよく考えれば50・50であり、その間に金銭が絡もうが絡まなかろうが関係なく、優位に立つ者だからといって好きなようにして良いということでもなければ、客だからといってなんでも許されるというわけでもないのではないだろうか。 その原則が崩れて、若しくは強制的に崩されてシーソーが一方に傾いた時、問題や事件につながって平和でなくなるようにも思えるのだ。

上に立つ人も、下に居る人にも、それぞれの役割や責任がある。 見下すのでも上目を使うのでもなく、相手を尊重することが出来るか出来ないか、ポイントはその一点のような気がしている。

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