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2006.02.11

Bitterish

溜まっていたLP盤をCDに落とし込む作業は、そこそこ順調に進んでいる。 家事が一段落する午後の時間を利用して、一日3枚ペースで片付けてゆく。 デジタル信号を記録しているはずなのに、買ってくるCD-Rによって出来上がりの音にもの凄い差が生じるのは、どうも納得ができないのだけれども。

LPを買っていた時代は、一枚新譜を買うとその月のお小遣いがほとんど費やされてしまうような状況だったから、本当に欲しいものしか買えなかった。 なので、買ってくるとまずカセットテープに録音して、それを大事に聴き込んでいるものばかりで、おかげで今でも暗譜で口ずさめるものがほとんどである。 鼻歌交じりでのゴキゲン作業だ。 一方、「うわっ、ここのベースラインはこんな風になっていたのか?!」とか、『このピアノのフレーズ、かっこいいなあ』と、誰がバックで弾いているのかクレジットを読み直して、「え?松任谷正隆さん?!」なんてびっくり仰天したり・・当初予測されたとおりに、感性の一部が全開になって気持ちの上ではなかなか忙しい。

そんな状況下に身を沈めているうちに、心の奥で何かを思い出したような気分になってきている。 ・・・これらの曲を聴いていた頃は、ずいぶんと『尖がった生き方』を選んでいたように思う。 自分にも厳しかったし、他人にも多くを求めた。 何事にも気を抜くのが嫌で、ぎらぎらした眼をしていたかも知れない。 近くに居た男性には強い女と見えただろう。 一言で若かったから、と、要約することもできるだろうし、自分が弱い分だけ突っ張っていたんだ、というのも正しいはずだ。 その時代から20と数年余りを経て、いつの間にかずいぶん角が取れてしまった。 余裕ができたのかも知れない。 包容力とか総合力が身について、視野が広がったのかも知れない。 甘える技術を学んだのかもしれない。 それはきっと否定すべきことじゃなくて、人間としては正しい経年的変化なのだと思うのだけれども、あの頃の『尖がった感じ』をもう一度自分に使えないか、とも、思う。 どちらも経験した上で、もう一度エッジを立てたら、この先にもう少し進めそうな気がする。 この10年間が『優しい私』だったとすれば、ここらでまた『尖がった私』になってみたくなった、そんな感じかも知れないのだが。 これは、単に無いものねだりと呼ばれる、終わりの無いサイクルなのであろうか・・??

庭の片隅についにフキノトウが2個、顔を出した。 早速収穫して田楽味噌に混ぜて、フキ味噌に仕立てる。 水彩絵の具の「きみどり」と「しろ」を3対1で混ぜ合わせたような柔らかな淡い色とは対照的に、苦味も香りも立派に自己主張しており、何気なく味見した私の方が「はっ!」とさせられる始末。

晩酌に何となく選んだギルビー社のジン。 間違えてトリプルセックを注いできたかと思うような甘い柑橘系の香りと、びりびりするような辛さ。 いつも飲んでいるゴードン社のとは全く違う、この裏切られる感じがやけに楽しい。

全く違う事柄から、心にも味覚にもたくさんの苦味を抽出して感じ取っている私。 なんだか不思議な気分だ。 この春からは、自分も「ちょっと苦い感じ」でいってみようかな。 できるのかな?

 

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