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2006.03.07

埋葬

出かけた帰りに車を運転しながら、敷地内の雑木林で何かの動物が横たわっているのを発見。 あまりに不自然な横たわり方・・どうやら既に亡き骸みたいだ。 内心「うわー、いやだなぁ。 参ったな。」と、思いつつも、あんなに目立ってしまっては放っておくわけにもいかない。 それに、亡き骸が他の動物にいじられたりでもしたら、目も当てられないし。

覚悟を決めて、裏庭に埋めてあげることに。 大きめの穴を掘ってから、亡き骸を迎えに行った。 SARS騒ぎの時に話題にもなったハクビシンのようだ。 キツネのような顔つきで白い鼻筋。 ふさふさの尻尾。 大きさの割りにずっしりと重たい、太った猫ほどの大きさの亡き骸を運ぶ。 病気だったのだろうか? それとも、早朝の新聞配達の軽トラにでもぶつかったか? 人間がこんな所に家を建てていなかったら、事故で死ぬこともなかっただろうか。 のうのうと暮らしていることが、ひどく申し訳ないような気持ちになりながらの作業だった。

春の花と一緒に土を被せ、小さなお祈り。 自分の中に祈りの言葉と方法を持っていることに、ほんの少し救われた気分になる。 時が経てば、亡き骸も土に戻ってゆくだろう。 それが、自然の摂理というもの。 そう自分に言い聞かせて、気持ちを切り替えようとした。

たくさんの命の犠牲の上に、自分の命があり、生活がある。 生きる上で仕方のない、重たい事実だ。 こんな時には、その重たさを背負いきれなくて、何もかも投げ出して一片の塵に戻りたい。 

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コメント

>自分の中に祈りの言葉と方法を持っていることに、ほんの少し救われた気分になる。 

同感です。
今日はちょうど、それを感じていたところでした。

投稿: かおる | 2006.03.08 01:43

かおるさん、こんばんは。
「自分は相手の為に、今何ができるだろう?」、と、考えて、でも、途方に暮れてしまうような時にも、最後に「相手のことを祈る」という手段を持っていることは、自分にとってとてもありがたいことと言いますか、価値のあることのように思われます。
宗教上、私たちは相手のことを『神に』祈る訳ですが、宗教を持たない方々でも人間はどこかで自然と祈る行為をしていることを思うと、人間の存在そのものが、生まれながらにして、何らかの大きなものに向いている性質のものなのかな、なんていう風にも考えてみたりしますね。

今夜はなんだか考えがまとまらなくて、上手く書けずに申し訳ありません。 伝えたいことのイメージだけはあるんですけどね・・言葉に化かすのが下手みたいです・・。

投稿: リーボー | 2006.03.08 23:06

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