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2006.03.14

問題は何処にあるか

過日、某同人誌上で、小学校で食育の現場に携わっている栄養士さんの文章を読んだ。 給食のスープにおぼろ昆布を入れたら、「髪の毛が入っている」と返されたとのこと。 『さもありなん』な話で苦笑する。

目にしたことの無い『何か』を出された時には、人はそれをどうやって分析するのだろうか。 友人の飼い犬に人間用の食べものが差し出されるのを見ていたことがあるが、まず臭いを嗅ぎ、しげしげと見つめ、また臭いを確かめ、恐る恐る口先にくわえて、舐めたり訝しがったりしながら、ようやく食べる。 それが、安心して食べられるものだと学習した犬は、その場で飼い主にお代わりをねだる。 そんな具合だった。 人間の子供たちはどうか。 傍に大人がいたら、それを食べているかどうかを見るだろうか。 それとも「これは食べられる物?」と尋ねるだろうか。 『写メ』で写した画像を掲示板に載せ、誰かの書き込みを待つだろうか。

どうも最近の人間は、ますます『言葉』に頼る傾向が強くて、自分の力で分析し、自分の力で結論を出し、その責任を負う、その当たり前のプロセスが踏めなくなってきているように思えるのだ。 誰かの言うなりかもしれないし、誰かの価値観の鵜呑みかもしれない。 自分で考えて出した結論なら、責任も取れるだろうが、誰かさんの言葉の鵜呑みだったら、「そうかもしれないと思ってやりましたが、今はそうではないと思います。」みたいなことになって、物事はうやむやのままだ。 ましてや、その問題の根源が自分にあることすら気付かないだろう。

自分の力で分析して考えてみろ。 それが出来ないのなら、勉強するか、お金をかけてブレインを雇え。 それすら出来ないのなら、手を出すな。 ・・落ち着きつつある一連の偽メール問題を見ていて、思っていたことだ。

ちなみに無関係ですが、うらやましすぎます。  

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