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2006.04.26

情けは人のためならず

ここ数日は、義父と接しながら妙に疲れを覚えてしまい、他の事にまわす気力が無くなってしまったような状況だった。

歳をとってくると誰でもそれなりに我侭が出てくるものだが、その部分が強調されてしまっているようだ。 部屋のドアを開けたり、車椅子の方向を変えたりといった自分でできることまで、こちらに「やって」と言うし、リハビリ訓練も「面倒くさい」と言い出したり、挙句の果てに自分で動かせる車椅子での移動さえも、「(車椅子を)押して」、と、きた。 体の調子が良くないのかな、とも考えたのだが、食欲はかえって旺盛だし、「なにか寂しいとか、リハビリの達成感がないとか、気分が乗らないのか?」、と心配すれば、そうでもないようで、結局、以前と比べたら身体的な回復に自信が付いてきたお陰で、気分的に余裕が出てきたという状況と思われ・・。 彼にとっては、歩行器を使って歩行することだけが『大事なこと』なので、それ以外はやりたくないのかもしれない。 回復した証と見れば、ありがたいことなのだけれど、こちらは少々困惑気味だ。

俗に言う「平均寿命」もとっくに過ぎて、もう充分にご長寿なのだし、これから先に社会活動に復帰することももう無いのだから、好きなように甘えさせれば良いじゃないか、と、ひとりの私が言い、もうひとりの私は、いやいや生きている以上は持っている能力を衰退させて良い筈が無いのだから、当然できることは自分でやってもらわなくては困る、と言う。 この二人がいつもせめぎ合っている感じで、気力を消耗してしまう。

仕事として病人に接しているならば、凛として譲らずに自分でできることは自分でやってもらうのに、妙な気遣いや余計な優しさが私の中に出てきて災いする。 困ったものだ。 割り切ればよいのに・・。

多分彼にとって、私は今「いじわるな嫁」だ。 可愛そうだけれど、「情けは人のためならず」、と、自分に言い聞かせているところ。 いろいろと勉強になる。

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コメント

先日、わたしもひとり暮らしの父のところに行ってきて、自立訓練?を見守ってきました。
母が亡くなって3年、食べるものも自分で用意して、頑張っている父です。
でも、最近は包丁を握ることもなく、冷凍のうなぎやチキンライスなどをチンして食べているようです。
野菜を取るように煮物を作って持っていったりしますが、やっぱり、いろんなことが面倒くさくなってきたり、衰えて億劫になっているのでしょう。
なので、最近は父のところに行っても、私が作るのでなく、一緒に料理したりしてます。
先日も菜の花を料理したいらしいのですが、花は食べられるのか?なんて言ってました。
200mlの野菜ジュースの飲み方も伝えてきました。(ストローをはずして、コップに空けて飲んでいたので・・・。取り外したストローがご丁寧に束ねられて、引き出しからたくさん出てきました。)

投稿: かおる | 2006.04.28 22:22

年齢を重ねるにつれ、その人の持っている性質と言いますか、本質的な部分が濃縮されてゆくような印象を受けます。 で、「自分はこんな風なバアチャンになるのかな?」なんて、思い描いたりしますね。 怖いような、諦めのような、なんとも複雑な心境。

確かに料理をせずに年を取って、ある日突然必要に迫られたら、それはそれは面倒臭いことでしょう。 何もしなくてもお腹は空いてしまいますし。 こんなに食べて寝なくては生きてゆけないなんて、ずいぶん人間は効率が悪いものだ、と、私もいつも思っています。

菜の花の『花』の部分の美味しさは、是非お父様にも教えて差し上げてくださいまし!!

投稿: リーボー | 2006.04.29 12:38

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