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2006.05.31

初スイカ

さすがに早すぎるな、とは思いつつも、なんとなく呼び寄せられるように買ってしまった。 こだまスイカではなくて、大玉スイカの4分の1サイズ。 皮が薄いことを除けば、予想以上に甘くて、もう夏本番のスイカの味がしていた。 正直ちょっと驚くほど。

二日続きで青空が広がったことも、強い陽射しも、珍しいように思えてしまう。 良い気分になって昼間からビールを飲んだ。 スイスイ胃袋に納まってゆく感覚も、すっかり夏のもの。 やっぱりこのくらいの気温になると、ビールが美味しい。 

明日から6月。 梅雨を通り越してちょっとずつ夏の気配が増えてゆく。 

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2006.05.30

軒先にマンボウ

大きな甘夏柑が手元にひとつ残っている。 すっぱい。 甘夏の酸味は強くて後味が残るようで独特だ。 たくさんあればマーマレードにでも煮てしまうところだが、ひとつだけだし。 二人で一回で食べきるには、ちょっと大きすぎるし、余らせてしまうのも面倒だし。

厨房で暫しにらめっこしてから、思い出して、懐かしいものを作ってみることに。

甘夏を剥いて大雑把にほぐしてから、蜜と和えるというもの。 たいていは蜂蜜を使うが、今回は梅酒を使ってみた。 足りない甘みは上白糖で補う。 冷たく冷やして、実がちょっとしんなりしたところで、ジュースごと器に盛る予定だ。 軽くマリネのようになってくれたら良いな、と、期待しながら、冷蔵庫で寝かせてある。


久しぶりに朝から青空が広がったので、飾っていた「マンボウのぬいぐるみ」を洗濯することに。 体長20センチ程のぬいぐるみは、元通りの白さを取り戻して、こちらの気分もすっきりした。 本来のマンボウは海面にぷっかり浮いていることが多いらしいが、ウチのぬいぐるみマンボウは背びれの中央にぶら下げて飾るための紐が付いているから、普通の魚と同様のポジションだ。 タオルや靴下なんかに混じって、物干し場の小物ピンチにぶら下げられ、強い風の中をひらひらと泳いでいる。 なんだか、すごく気持ち良さそう!

ずっと雨続きでじっとりと湿っぽい日が続いていたが、やっぱり5月はこうでなくっちゃね。

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2006.05.29

「邦人は無事」という言い方

「日本人は無事です」・・外国で天災や大きな事故が起きたりした時に、ニュースで使われる言葉。 活字のメディアでは「邦人の無事が確認された」となる。

これ、私個人的にはとても引っかかる表現なのだ。 自分達のことしか考えていないような印象で、嫌な感じ。

今問題になっている「愛国心」の欠如から抱く感覚なのだろうか。

細かいことを気にし過ぎだと、指摘されそうではあるけれど。

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2006.05.28

苺を煮る

苺を煮た。

苺ジャムは市販のものが手元にあったから、今回はヨーグルトに乗せて食べるためだけの、ピンポイント的な苺ソース。 ジャムほど煮詰めず、もっとトロッと柔らかく。 レモン汁も使わず、つまりそれだけ砂糖も抑えて、どちらかと言えば苺のコンポートという感じで。 硬さが調節できる所が、手作りならではのありがたみだ。

きれいな赤い色の透明なシロップがたくさん出来たので、牛乳に混ぜてみた。 今ひとつ溶けにくく、若干コップの底に溜まってしまったが、まさに苺牛乳の味になった。 あまりに可愛らしい味に、なんだか笑ってしまう。

消毒したビンに納めて、冷蔵庫の中へ。 春を濃縮して閉じ込めたビンは、きれいに赤く目を惹いている。 真っ白なヨーグルトに乗せたり、アイスクリームに添えたり、少しずつ楽しませてもらうことにしよう。

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2006.05.26

患者側の義務

何回か書いているので、ご存知の方もおられると思う。 私には「蝸牛型メニエール病」という持病がある。 基本的には西洋医学で対応しているが、薬の効きが今ひとつだったり、症状が長く居座るような時は、東洋医学の鍼(はり)を打ってもらう。

この鍼の先生は東洋医学に従事する方にしては珍しく(?なんて言ったら失礼だな。)、科学的に物事を考えることの出来る方で、西洋医学を否定もしないし、逆に併用することで治療成績を上げられないか、ぐらいに考えておられ、また、患者に対しての強引さや一方さも無く、必ず「提案アンド相談」という形で治療をしてくださる。 非常にありがたい鍼灸師だ。

先日、その先生から電話があって、「最近耳の症状で来院する人が目立ってているが、患者さんが病気のことを理解していないケースがほとんどで、あなたのような患者は珍しいから、差し障りの無い程度に『体験談』を書いてくれないか。」、と、言う。 鍼灸院としてのブログに掲載したいとのこと。 まあ、こんな経験でもお役に立てることがあれば・・、と、思って引き受けた。

どうせだから、耳の構造とか、内耳の役割とか、耳鼻科でされる検査の意味や使われる薬など、出来るだけ簡単な言葉を使って書いてあげたら解りやすいかな、と、思い、耳鼻科医とのやり取りなどを混ぜて、症例というよりは経験談という風な文章にまとめてみた。 結構な量になってしまったが、先方で何回かに分けて掲載していただけている。

ブログなのでインターネット利用者には情報の伝達が早い。 あっという間にコメントが付き、私と同様の症状を抱えている患者さんの『生の声』が書き込まれている。(ちなみに、体験談の中の私は、まだ耳鼻科にかかり始めたばかりの状態だ。) 興味深くコメントを読ませてもらっているが、やはり、想像されたとおり、主治医が何を考えて何のためにこの検査をして、その結果何がわかったのかを、ちゃんと理解できていない患者が、あまりにも多い。 当然、自分の耳に何が起こっているのか、今後どうなることが予測されてくるのかも、主治医と共通の認識を持てていない。 だから、受診したのに症状が消えないので、別の病院にかかり直すべきか迷っている。

もちろん医師側の説明責任が全うされていないことによる弊害だとは思うが、ちゃんと説明を求めることや、検査の結果がどうなのかを確認することや、理解できないことを判らないとちゃんと伝えることは、患者側の責任でもある。 自分の体なんだから、自分が理解するように努力する必要は、責任として存在するだろう。

初めて医者にかかる時、いつからどんな風に経過して受診に至ったか、その説明をする時の『人となり』で、主治医と患者の関係はほぼ決まってしまうと言っても、過言ではないように思う。 ちゃんと治りたいのなら、ちゃんと医者に向き合い、ちゃんと自分の病気と向き合い、そして、ちゃんと生活を改善しなくてはならない。 そのプロセスをすっ飛ばして、「お任せしますから治してください。 どうせ聞いても判りませんから。」では、あまりに無責任な話ではないか。

ブログのコメントからも、いろいろと学ぶことは多い。

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2006.05.25

朝の牛乳

いつの間にか晴れれば汗ばむくらいの気温になってきた。 毎朝飲んでいる牛乳も、ちょっと前まではアツアツのホットミルクだったが、最近では人肌程度、若しくは冷たいままで飲んでいる。 濃い紅茶を割ったり、砂糖を入れたり、その時々の気分で飲み方も変わる。 最近では牛乳を飲む害について書かれた著書が売れているようで、世の中的には肩身が狭いようだけれど、子供の頃から「朝に牛乳」の習慣が体に染み付いているためか、飲まないと一日が始まらないような気分で落ち着かない。

昨日、ちょっと出かけてきて、比較的最近オープンしたケーキ屋に寄ってみた。 いくつか見繕って箱に詰めてもらっている間に、ふと焼き菓子のコーナーに並んでいるクロワッサンを見つけてしまった。 なんだかクロワッサンに呼ばれているような気がしたので、ついでにふたつだけ包んでもらった。

残念ながら昨日のうちに食べてしまったケーキの出来は今ひとつで、ちょっと首を傾げる感じだったが、朝ごはんにとっておいたこのクロワッサンはなかなかで、この辺の田舎にしては上出来だ。 大き目のマグカップにたっぷりのミルク紅茶、それにクロワッサン・・ああ幸せ。 パン屋さんではないので、いかにも「ついでに作ってみました」という感じで店に並んでいたから、いつも売っているとは限らないのかもしれない。 またいつか、覗いてみようと思う。

毎日同じように始まる朝。 一日を気分良く過ごすためのきっかけとして、朝に口にするものについて、もっと大事に考えてあげても良いのかもしれない、と、そんなことを考えながら、美味しくいただいた。 

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2006.05.23

読める文字・読めない文字

義父の荷物を片付けている中で、額縁に収められた「書」がたくさん出てきた。 私には書道の心得が全く無いので、書かれている文字が草書だ、というくらいしか解らない。 要するにちんぷんかんぷんで、価値があるのか無いのかも、皆目見当が付かない。 サラサラと毛筆で書かれた優しげな文字は、それだけでなんとなく「良いもの」のような気もしてくるのが不思議なところだ。

汚れた表面のガラスや、額縁を掃除しながら『ますたあ』が言う。
「こんな色紙だったら、僕は『もずく酢』の方が良いな。」

・・『もずく酢』とは、フジテレビの番組『みなさんのおかげでした』の『新食わず嫌い王決定戦』で、対戦相手の嫌いな食べ物を指定する時にゲストが書く色紙の話。 毛筆で食べ物の名前を書いて、自分のサインをつける。 それが対戦の後で視聴者へのプレゼント品になるのだ。

どうせ当たらないんだから、と、冗談で私も何回か応募したことがある。 お気に入りのゲストが出演した時に。 だが、万が一、当たってしまった時のことまで真剣に考えていたわけではない。 実際に「もずく酢」とか「イクラ丼」とか「とろろ汁」なんて書かれた色紙を突拍子も無く飾るのも変だし、来客のたびに「これ、何?」などと突っ込まれるのは必至なことを思うと、それだけで面倒臭さ大爆発だ。 結局しまい込むのが関の山になりそうな気がする。 せいぜい何年か経って見飽きてから、オークションに回すか・・?

『ますたあ』の一言から、頭の中でいろいろ想像してしまった。

50年くらい経って、私たちのひ孫くらいの代・・ある家の中で、若い家族が家の奥の押入れを片付けていて、謎の箱を見つける。 埃を払って蓋を開けると、額縁の中に収められた色紙が一枚。
「何の色紙だ?」
「何だろう??」
「しかも、『もずく酢』ってどうよ・・??」
「誰のサイン?」
「さあ・・??」
考えてみただけでも、笑える光景だ。

読めない書も困るが、『もずく酢』だって困るよ、やっぱり。

この手の種類のものは価値が人によって違うので、本当に難しい。

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2006.05.21

「すてきなあなたに」

このページの右下で本を何冊か紹介させていただいている。 ご存知の方も居られるかと思うが、今読んでいる「すてきなあなたに 5」は、雑誌「暮らしの手帖」の同名のコーナーから抜粋された文章の集まりだ。 巻末の言葉によれば、もう36年も続いているコーナーとのこと。 正に、継続は力なり、である。

幼い頃に母が「暮らしの手帖」を読んでいた期間があって、子供ながらにぱらぱらと読ませてもらった。 当時の私には本編は難しくて、文字がびっしり詰まっている印象が強く、面白いものではなかったと記憶している。 それでも、美味しそうな料理の写真に惹かれて頁をめくる内、唯一内容をちゃんと読みこなせたのが「すてきなあなたに」のコーナーだった。 雑誌の、どちらかと言えば後ろの方で、淡い背景色の紙で印刷されている短い文章たち。 タイトルは必ず手書き文字だ。 日常のなんでもない光景や、ちょっとした出来事を切り取ったような、でも、誰かに「こんなことがあったのよ・・それでね・・」、と、話したかったのであろう内容が集められている。 食べ物のお話が何篇かにひとつ、必ず取り上げられているのも、食いしん坊の私には楽しかった。

大人になってから、中古本屋さんで偶然に「すてきなあなたに」のハードカバーを見つけ、迷わずにその場で買った。 たったの100円。 調べてみたら既に3巻まで、発刊されていたので、「2」と「3」はちゃんと定価で取り寄せてもらった。 それ以降のお付き合いが続いている。

執筆者は複数のようだが、多分入れ替えがないのだろう、内容の選び方も目の付け所も、少々年寄りっぽくなってきたような印象は否めない。 が、それにも増して私が魅力を感じているのは、日本語の使い方や表記の仕方に間違いがないことである。 エッセイに近いので決して堅苦しい表現は用いられていない。 温かい普通の日本語だ。 それでいながら凛とした丁寧さがあり、どこからか上品な感じが滲み出て、丸みのある穏やかな日本語なのである。 トゲトゲとした攻撃性を持たなくても、伝えたいことを力強く伝える、その日本語の使い方に、私はいつも安心して身を任せて読み進めることが出来る。

インターネットを気軽に使うことの出来る世の中になり、ブログで誰しもが発信者として、様々な意見を社会に流すことが出来る昨今ではあるけれど、ブログばかりを読んでいると、時として廃れたような気持ちになることがある。 誰かに読んでもらうための日本語と、日常使いのくだけた日本語の境目がなくなっている。 一部の人がニュアンスだけで分かり合っているような日本語は、読んでいてあまり良い気分ではない。 一方的に価値観を押し付けられているような気持ちになってしまうのだ。 流行を知ることは出来ても、そこに共感は生まれない。 ましてや、文章の構成が明らかにおかしいような場合、読んでも言いたいことが伝わってこないことすら、日常茶飯事的に遭遇する光景。

「『正しい日本語には力がある』、そのことを、ひとりの日本語の使い手として忘れずにいなさい」、と、「すてきなあなたに」シリーズから、ずっと教え続けてもらっているような、そんな気がする。 私のお気に入りだ。

「すてきなあなたに 5」は大橋鎮子編、暮らしの手帖社発行、消費税込みで1800円。

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2006.05.20

食器の趣味

夕食の後片付けをしながら、ふと、気付いた。 普段使いで頻度高く食卓に上がる食器は、ほとんど自分で選んだものばかりだ。

ずいぶん前のことになるけれど、結婚のお祝いや何かのお返しなどで、たくさんの方から色々な食器をいただいた。 ご飯用の夫婦茶碗、お皿やサラダボウル、5客揃いのグラスセット、ペアのワイングラス、カラフェや冷酒のセット、ケーキ皿、銘々皿、急須とお湯飲み茶碗のセット、などなど。 有名な陶器メーカーの物もあれば、俗に言うブランド品もある。 初めの内は目新しさも手伝って、ありがたく使わせていただいているのだが、いつの間にかだんだんと自然淘汰され、使わないものは奥の方にしまい込まれて、自分にとって使い勝手の良い物ばかりが、食器棚の前の方に並ぶようになっている。 そして、何故か、使い勝手の気に入っている食器は、ノーブランドでシンプルなものばかりだ。 自宅のご飯は旅館とは違うので、料理によって食器を選ぶ時にも使い回しが効く物が重宝で、あまりに独特の柄や色使いは、逆に邪魔になる。 また、細かな細工や凹凸なども、洗い物の時には気になってしまうのだ。

難しいものだな、と、つくづく思う。 結婚のお祝いに、私も食器を選んで贈ったことがあったが、その中のどのくらいが、今、戸棚の前の方に置かれて使われているのかを想像すると、あまり自信がない。 大体、プレゼント向きの食器はデザインが優先されているものが多く、私も「自分では買わないような物」をわざわざ選んでいた気がする。

今頃になって、思う。 やっぱり贈り物は、よっぽど相手の趣味を把握している時以外は、現金か消耗品が無難なのかな、と。

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2006.05.18

あれ?違ったんだ

ワタクシ、結構『声』にはうるさい方(ほう)でして。 相手を覚える時に『声』を特徴として捉えることも多く、聞き分ける自信がそこそこあったのですが、今回、全く勘違いしていた『声』が発覚しました。

以前からケンタッキー・フライド・チキンの「ファミリーパック」のキャンペーン期間中だけに使われてきた曲・・ナレーションのバックなのでちゃんと聞き取れていないかとは思いますが、
♪Thank you,thank you・・(中略)・・愛してくれてthank you と、いう唄。

これ、ずっと、フランスから帰ってきたKANさんが歌っているんだと、勝手に思い込んでいました。

ところが、先ほど調べてみたらRaj Ramayya(ラジュ・ラマヤ)という、カナダ人の方らしいです。 しかもこの方、実は他にもドラマの挿入歌や、CM曲などにそこそこ関わっておいでらしい。

なんだか私の触覚が「おもしろそうな人、みーつけた!」、と、ぴくぴく反応していますが、あまりに情報が少なすぎて敬遠しております。

しかし、声を聞き間違えるとはショックだな・・。 凄い似てますって、まだ手術する前のKANさんに。

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2006.05.17

そろそろ苺もおしまい

八百屋さんの店先で、粒が小さいものだけを集めた苺のパックを見かけるようになった。 クリスマスの頃からずっと甘酸っぱい味を楽しませてくれた苺も、そろそろ終盤の季節。 長い間ご苦労様みたいな気分だ。 本来は露地ものの苺といえば5月が旬だったくらいで、ちゃんと季節に合わせて育てられていれば、味も色も香りも一番濃いはずなのだが、実際はそうでもないのが残念だ。 早くから実を収穫しては、追肥をして、また花を咲かせ・・と、さんざん繰り返し働いてきた苺の株は、この時期になると疲れきってしまい、実も大きくできなくなってくるらしい。(農家さん談) それでも、指先ほどの小粒の苺は、なんだか妙に可愛らしく見えて、ついつい買ってしまう。 しかも、大粒のものに比べて格段に安いし、例えばジャムとかどうせ潰してから使うお菓子材料としては、全く問題にならない。

ふと、「あんな食べ方もあったっけ」、と、思いついたことがあり、お昼にやってみた。 一般的な呼び方が解らないので説明すると、深めの器に洗ってヘタを取った苺を入れて→スプーンの背中で丁寧に潰して→ちょっと砂糖を入れてから→冷たい牛乳を注いで→混ぜて食べる、というものだ。 子供の頃には良く作っていたような記憶がるのだけれど、大人になってからはずいぶんとご無沙汰。 じゅわーっと潰してゆく時の感覚も懐かしくて、なんだか楽しくなってしまった。 ピューレのように滑らかにならずに、塊っぽく残っている感じが良い。 苺シーズンのおしまいに、こんな食べ方を思い出せて、間に合ってよかった。

そういえば、苺を潰すための背中が凹んだような形のスプーンというのも、昔は大抵の家にあったはずなのだが。 今は持ち合わせていなくて、普通のデザートスプーンで潰した。 今でも売っているのかな? そういう目で探したことが無かったので、次にホームセンターに行ったら見てみよう。 (用途がピンポイント的な食器って、なんだか妙に購買意欲をそそられませんか? カニ用のフォークとか、エッグスタンドとか。 私だけ??) 

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2006.05.16

結婚の側面

ちょっと前、テレビ東京の「カンブリア宮殿」という番組に、ネットビジネス界でご活躍の若くて著名な二人のゲストが招かれていた。

番組の終盤で進行役の小池栄子さんが、「お二人はご結婚されているんですか?」、と、あっけらかんと尋ねたところ、メイン・インタビューアーを務めている作家の村上龍さんが、腕をさり気なく小池さんの前に出して、内容を遮りながら言った。 「栄子さん、それはセクハラだよ。」 きょとんとしている小池さん。 そこに説明するように村上さんが続けた。 「そういった個人的なことは、あんまり気軽に人に尋ねたりしてはいけないものなんだよ。」 「あっ、そうなんですか。 ごめんなさい。」 素直に謝った小池さんに、ゲストが逆に気を遣って、「いや別に構いませんよ。 僕は妻帯者です。」、と、自ら話す、そんなシーンが流されていた。

確かに結婚していようがいまいが、仕事には直接関係が無い。 でも、世間にはそんなことで価値観を決めようとする人々も確かにたくさん居て、未だに「結婚しなければ一人前とは言えない」などと、訳の解らぬ理屈をこねる人々も、決して少なくは無い。 メモリアにかつて宿泊された、若い男性の営業職の方の多くは、フェイクの結婚指輪をはめていた。 左手の薬指に指輪をしているのとしていないのとでは、お客の、特に初対面での信用度がまるで違うのだそうだ。 そんなことで相手を判断するのも妙な話だと、私などはついつい思ってしまうのだが。

ニュースで、最近人気のレミオロメンのボーカルの方が結婚しておられ、お子さんも居られることが配信されている。 よくある話だが、こんな時、女性雑誌の記事の見出しでは、たいてい『隠し妻、隠し子発覚!』みたいな切り口になってしまう。 聞かれなければ答えなくていい事なんだから、世間に知られなかっただけの話で、別に意識的に隠していた訳でも無かろうに・・。 まるでこそこそ隠れて生活させられていたような印象で、ご家族の心中を思うと、やるせない気持ちになる。 そこそこに顔が知られてしまうと、生活上の不自由が増えるし、病的趣味を持つ人々のターゲットにもなりかねないから、家族を守ろうとして、わざと結婚していることを公表しない人も、このご時世たくさん居られると思う。 それとは別に自分達の考えで、籍を入れない「事実婚」という形式を選択したカップルも、私の周りに複数存在しているし。 

色々な考え、色々な形態が、入り混じっているのだろう。 そして、勝手にそれぞれの人が自分の価値観で、相手に質問を投げかけたり、現実を切り取ってキャプションをくっ付けているだけだ。 コンセンサスが得られない以上、それぞれがちゃんと自分で考えて自分の考え方を持ち、ペアとしてなり家族という一単位としてなりが、ちゃんと納得していることが、何よりも大事なんだと思う。 そして、必要が無いのに、軽々しく相手のプライバシーに足を突っ込むのは、やはり、お節介というものだろう。

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2006.05.14

リスとあの曲と。

このところ、何だかぼーっとしている内に時間だけが経過しているような感覚で、まったく嫌になっちゃう。 それでも普段のハウスキーピング的な用事は、何事も無くこなしているわけだから、無事に平和に暮らせている以外のなにものでもないはずなのだけれど。 ホント、我侭で贅沢な奴。

雨続きのちょっとした晴れ間に、近所のトレッキングコースへ山登りに出かけた。 8km.コースらしく、私の足でのんびり歩いてもちょうど2時間くらいだ。 椎茸を栽培している農家の方が管理に入る以外は、ほとんど登る人もいないので、一応簡易舗装で足元は整えられているが、ほぼ手付かずの里山登りという状態に近い。

椎茸の菌を植え付けた「ほだ木」が、杉林の根元の鬱蒼とした地面に組み合わされて規則正しく並んでいる。 その上に何か跳ねるものが・・。 「ん?」、と、足を止めて良く見たら一匹の日本リスだった。

「あっ」、と、思った次の瞬間に、頭の中に♪“I don't care”って言えるようになるまでずーっと・・と、宇多田ヒカルさんの声が聞こえてきた自分の苦笑を飲み込む。 ふさふさの尻尾の、まるでぬいぐるみのようなリス。 お互いじーっと見詰め合ったまま、たじろぎもせず、暫し風の音を聞いた。

他にも数羽のキジと会い、集団で移動中の名前のわからない小鳥に、パーカーの上にいつの間にかくっ付いていた尺取虫を突付かれたり、あっちとこっちで会話しているサラウンド放送のようなウグイスの鳴き声に囲まれたり、鹿のお尻だけ見たり、危うく道に出て来ている沢蟹を踏みそうになって慌ててみたり。

当たり前のように動物がいて、当たり前のように雨が降り、当たり前のように毎日が過ぎてゆく。 ・・やっぱり、これは贅沢なことなんだろうな、と、思いながら、山の中を歩いてきた。 

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2006.05.10

好き嫌い

基本的には、食べ物の好き嫌いはかなり少ない(と、思っている)。 出されれば、若しくは目上の方にご馳走になるような状況では、何でも残さずに平らげることが出来る。 が、それでも、できればお目にかかりたくないいくつかの食べ物が存在するのも、また事実。 そのひとつがラッキョウの甘酢漬けだ。

一体どうして嫌いなのか、これといった理由が絞り込めないのがまた困った所で、エシャロットとか生のタマネギ等は何の問題も無く美味しくいただくし、比較的味が近いピクルス等の甘酢も美味しい。 なのに何故かラッキョウだけは別扱いなのである。 別にこれといった幼少時代のトラウマも認識が無い。

どのくらいの嫌いさかと言うと、例えばカレーライスのお皿の上に添えてあったら、「うわっ!」、と、思う。 で、特別な思い入れの無いお店だったら、間違いなく残す。 昨夜、偶然テレビCMでラッキョウをぱりぱりつまみながらお茶漬けをすすっている中村雅俊さんを見たが、私にしてみれば、全くもって信じられない光景である。 あんなにたくさんラッキョウを食べることも、ラッキョウがお茶漬けのお供になることも。

現在、我が家で食事を作っているのは私だけだから、当然、私の嫌いなものは食卓に上がらない。 でも、そんな風にしてここ何年もお目にかかっていない食べ物が存在するのも、しゃくで悔しいし、それに、こんなにいい歳をして苦手な食べ物があること自体が自分のポリシーに反している気もするので、一袋買って来てみた。

結果は・・うーん、やっぱり苦手なものは苦手みたいだ。 また何年か後に、リトライしてみますかね。

ちなみに、苦手なものはラッキョウの他に、カンピョウとコーヒー。 カンピョウはそのものの味がほとんど無く、単独でカンピョウ料理として食べられることも無いのに、油揚げや茶巾寿司の口を縛ったりして、「食品としてその存在価値はどうよ?!」、と、思っており、コーヒーは何故か飲んだ後30分ほどで必ず胃が痛くなってしまうのだ。 コーヒー以外の二つについては、日常においてほとんど困った記憶が無いので助かっている。 コーヒー好きの人は、相手もコーヒーが好きだと信じている方がそこそこ居られるので、ちょっと辛いこともあるかな・・。

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2006.05.09

ハワイの赤い塩

ハワイのお土産で、塩をいただいた。 それがまた、非常に美しい色合い。 朱を薄くしたような、ちょっとオレンジがかった優しげな赤い色をしている。 カクテル好きの方にしか通じないかもしれないことをお許しいただいた上で書けば、グレナディンシロップをソーダで割って、ロングカクテルを作った時の色だ。

早速湿らないようにガラスのビンに移して、すぐ使う分はミルに入れ、厨房の出窓に並べた。 あちら側から光を浴びると、塩だから半透明で余計にきれい! 一片が3mm.ほどの粒は、スワロフスキーのビーズほどにお洒落に見える。 私は、調理に関係ないものを厨房に置くことを好まないし、効率重視の人間なので調理に使う小物もステンレスやガラスばかりで、結果としてとても無機質な冷たい空間が出来上がってしまっている。 花も緑も窓の外の借景ばかり。 そこへ穏やかにきらきら光る粒がみっしり詰まったガラス瓶が加わって、一気に華が添えられたみたいだ。 こういうのも、良いもんだな・・と、思う。

お手紙によれば、この赤はハワイの溶岩の色らしい。 きっとモリブデンか何か赤い金属類が微量に混じり込んでいるのだろう。 一粒口に含んでみると、まろやかな印象の味ではあるが、やっぱり塩は塩。 なんだか地球を舐めているような気分になってくる。

仕事で忙しい合間に、こんなきれいな塩を見つけてきてくださったことに敬意を表して、手始めにロコモコを作ってみた。 小さめのハンバーグに半熟の目玉焼き、昨日の夕飯に一切れ残しておいた鱸のフライ。 それをレタスやスライスした新タマネギと一緒に、五穀米ご飯の上に乗せる。 本来はタコ・ソースのところだが、ハンバーグを焼いたフライパンに残った焼き汁に、例の赤い塩を溶かしてからチリペッパーを多めに加えた「塩だれ」にして、全体に回しかけてみた。 マヨネーズを細く搾り出してアクセントに。 気分だけはすっかりハワイと言ったところ。 

雨続きの湿っぽい日。 ハワイの乾いた空気と、まぶしい陽射しに憧れながら、美味しくいただいた。

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2006.05.07

競馬中継に思う

私は賭け事は苦手なので、この歳になっても競馬の馬券を買ったことがない。 それなのに、鍛え上げられたサラブレッドが思いっきり走っている姿はとても美しく感じて、競馬中継のテレビは良く見ている。 毎週見ていればなんとなく解説も耳に入ってくるから、ちょっとは解ったような気になってなんとなく楽しい。

日曜日の午後は毎週フジテレビ系列で「スーパー競馬」という番組があり、若槻千夏ちゃんが危なっかしい感じでテロップを読み上げる姿に、見ているこちら側が、「間違えやしないか」と何故かヒヤヒヤしながら見ているのだが、GⅠ(グレード・ワン)の中でも天皇賞と今日開催されたNHKマイルカップだけは、NHKも生中継してくれる。 NHKの放送には当然ながら競馬新聞の編集長のようなゲストも来ないし、訳の解らない理屈を捏ね回す蝶ネクタイの競馬評論家も来ないし、それになんといってもCMが挟まれることもないから、非常に淡々と進行して『スポーツとしての競馬』というイメージが強く、共感が持てていた。

今日はほぼ同時にNHKとフジテレビが同じ内容の競馬を中継しているので、『一粒で二度美味しい』気分で、リモコンを片手に双方のチャンネルを行ったり来たりしながら眺めていた。 カメラアングルの取り方や、スイッチングのタイミング、アナウンサーの的確さにおいては、やはりNHKが一枚上の感じで、さすがだな・・なんて感心していた。 ところが、である。 ゲストとして招いていた競馬好きという三原じゅん子さんが出演しているらしいNHKの大河ドラマの番組宣伝ビデオを、競馬番組内で堂々と流し始めてしまった。 せっかく格式あるスポーツとしての競馬を楽しんでいたというのに、台無しだ。 あまりに悔しいから、速攻でフジテレビに乗り換えて、続きはそちらで見ていた。

この手法、民法では日常茶飯事的に使われるし、番組宣伝をするのと引き換えに、ゲスト出演を了承するようなことも多々あることなので、「まあ仕方ないな」くらいにしか感じないのだけれど、NHKは確実に一線を引いて、今までは使わなかった手だった。 だからこそ、純粋な内容の番組を客観的に作り上げられていた筈なのに、この有様は何たることか! なんだか凄くガックリ。 競馬の内容だけでは番組としての間が持たないのであれば、フジテレビを見習って調教の様子を事前に取材しておくとか、ジョッキーや調教師のコメントを集めておくとか、せめてそのくらいの事はしておくべきだろう。 ああ、何と情けないこと。 ここ最近の「組織としてのNHKの問題」の改革の結果が、これなのだろうか?? 受信料を払って損した気分になってしまったのだった。 ポリシーや誇りの投売りはご免被りたい。

個人的にはNHKの作るドキュメンタリーを評価しているだけに、NHKにもがんばってもらいたいのが本音なのだが、たかが競馬中継で思いっきり頭を抱えてしまった。 おーい、しっかりしてくれ!

ちなみに・・ここからは余談。
競馬のGⅠレースの出走直前には、競馬場で生の管楽器によるファンファーレが演奏されることになっている。 このファンファーレを演奏を担当しているのは様々な団体で、自衛隊系や消防系、学校の管楽部系など色々らしい。 よって、演奏レベルにも大きな違いがあり、ヘタクソな時は速さが演奏途中で流れてしまったり、出だし初っ端のトランペットが音を外して、聞かされているこちらがカックンとなったり、果てはチューニングそのものが「ん??」などということさえあるのだが、今日はさすがにNHKが冠スポンサーの競馬だけあって、なんとNHK交響楽団の管楽器メンバーが演奏していた。 上手い、さすがに上手い! それはそれは素晴らしい出来栄えで、「こんなに良いファンファーレだったのか!」と、思わず再認識させられてしまった。 JRAさんも儲かっているんだから、毎週このくらい上手な演奏者を呼んでくれたら良いのになあ。

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2006.05.06

摘み草料理

私は「摘み草料理」の正しい定義を知らない。 なので、ここでは「そこら辺に生えている野草を採ってきて料理したもの」、と、思ってくだされば構わない。

庭が無駄に(!)広いお陰で、ありとあらゆる野草が生えてくる。 特にゴールデン・ウィークの頃は、一斉に芽吹いたと思うと、強烈な勢いで我先にと葉っぱを広げてくるので、あれよあれよという間に一面の緑色と化す。 ちょっと気を抜いていると、ワサワサと生い茂ってくる感じだ。 なので、有名かそうでないかはともかく、食べられるものも簡単に見つけることができる。

わらび、ぜんまいの類、のびる、たらの芽、蕗、日本たんぽぽ、アザミ、野芹、田みつば。 このくらいのラインナップならば、何の苦労もせずに集めることができる。 例えば料理の途中で「ちょと青みが足りないな」、と、感じたら、ボウルを抱えて勝手口からさっと庭に出て、ひょいひょいと摘んで来れば事足りてしまう。 これはありがたいことであると同時に、狩猟本能のようなものが満たされるので、ストレス解消にもなっているような気がする。

ちょっと前に食品中のフリー・ラジカルの問題が取りざたされた時、山野草には比較的含有量が多いと問題視された。 ただ、『少量の毒物は薬に等しい』と、私は勝手に思っているし、毎日そればかり食べているわけでもないから、あまり気にせずに使っている。 多分そんなことを気にしていたら、もっと注意すべきことを見失ってしまうだろう。 我々の食生活の元になる食品は、色々な意味で危機的状況にあること極まりないのだから。 まあ、人それぞれの考え方次第。

本来、大型連休中は宿泊産業にとってかき入れ時なので、こちらに移り住んで以来、まさに寝る間も無く過ごし続けてきたわけだが、おかげさまで(?)今年は本業から道草して、一般人並に余裕ある時間を経験している。 摘み草料理の野草たちは、あと一週間もすれば育って硬くなってしまうから、短いタイミングを逃すと食用には不向きになる。 厨房で自分たちが食べるためだけの料理を楽しみながら、季節や自然を満喫させてもらっている・・これはこれで、また「いとをかし」なのだと思いたい。

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2006.05.05

ミニサイズ

静かで穏やかないい天気。 巷は連休らしいが、私にとってはごく普通の一日だ。 玄関先で我が家のルーテシア嬢を洗車してくれている『ますたあ』を覗きに行った。 最近の強風で黄砂や花粉、八重桜の花びらなんかを積もらせていたお嬢様も、カーシャンプーで洗ってもらって、すっきりさっぱりした顔になっている。 水滴を拭き上げてゆく『ますたあ』の横で、竹串や菜箸を使って細部に食い込んだ枯葉なんかをコチョコチョほじりながら、日差しを浴びていた。

ルーフの上に雑巾の糸くずを見つけて、取ろうとしたら動いたのでビックリ! よくよく見たら尺取虫だった。 体長4mm.ほど。 こんなに小さいのに、ちゃんと尺を測りながら歩いている。 可愛いくもあり、けなげでもあり・・。 前足と後ろ足を近づけた瞬間にできる小さなループの隙間に、竹串を通して持ち上げて、その辺の草むらに移してやった。 どちらかと言えば虫全般の扱いは苦手で、ご勘弁いただきたい心境なのだが、小さいというそれだけで、なんでも許されてしまうような、「お得な状況」が存在していた。

家の中に戻ろうとすると、玄関のドアにきらっと光る小さな粒が張り付いている。 2ミリ大の丸いもの・・今度はカタツムリだ。 この辺りではカタツムリも巨大で、一体何を食べて育つのか、殻の直径が5cm近くになるものも見かけられ、「おまえはエスカルゴか?!、ここはフランスか?!」、と、思わずツッコミを入れたくなる事もある。 この2mm.が、やがてあの5cmになるのだろうか?? 恐るべし自然の力。

小さい、と言う表現よりも、ちっちゃい、と言う方が相応しいかも知れないが、ミニサイズのものはそれだけで独特の存在価値を持つように思う。 ちっちゃいと可愛いし、あまり悪い印象を与えない。 保護してやらなくてはならないような、不思議な気分になる。 一寸の虫にも五分の魂とは、こういうことを指すか。

キットカットもレギュラーサイズより、パーティーパックのミニサイズだと、ばくばく食べてしまうし。 ・・って、ちょっと違った。

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2006.05.03

ちょっと変えてみる

もち米に混ぜて炊飯器の「おこわコース」で炊けば簡単にお赤飯が作れるという、お赤飯用の小豆を買ってみた。 レトルトパックに出来上がり3合分入っていて、軽く塩味付きだ。

ところが、「普通のお米で炊き込みご飯にしたら、どんな感じになるのかな?」、なんてふと思いついてしまった。 言うなれば「小豆ごはん」だ。 どう考えても不味くはならなさそうな組み合わせなので、早速試してみることに。

お米を普通に研いで、ウチはガス炊飯器なので吸水させ、スイッチを入れる直前にレトルト小豆を混ぜ、水加減を調整しただけ。

見た目はお赤飯と何も変わらない。 食べてみたら、お豆の味とご飯の味がしっくり馴染んで美味しい! もち米ほど胃に重たくなく、あっさりと食べられるし、他のおかずの味も邪魔しない。 なんとなくヘルシーなイメージなのも嬉しい。

手軽で目先の変わったご飯に、機会があればどうぞ。 ちなみにレトルトの小豆は100円で購入したもの・・値段も手軽でグー!

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2006.05.01

五月

急に来た暑さもなかなかのものだったが、この辺りでは朝から強風が荒れ狂っている。 まるで台風が接近している時のようだ。 ご近所のこいのぼりが凄い勢いで泳いでいるのが見えて、まあ風が無くてぐったりしているよりは元気が良いに違いないのだけれど、遡上のために急流を登る鮭のように見えなくもなく、どこかcrazyな印象さえ受ける。 ばたばたと翻る音が聞こえてきそうだ。

田んぼには水が張られ始めた。 兼業農家が多いこの辺りでは、お休みの日に農作業をする家がほとんどなので、この連休に田植えを済ませてしまうのだろう。 早速水を求めて目敏く集まってきたカエルたちが、けろけろと乾いた通る声を響かせている。

庭ではたくさんのどんぐりの木(色々な種類が混じっている)が、強風にあおられてユサユサ。 このシーズンになると一斉に3~5センチほどの紐状の花をたくさんぶら下げる。 それが風で飛ばされて、車のフロントグラスや窓辺のサッシに積もるのも季節の風物詩だ。 一本だけ洗濯物に張り付いていたりすると、一瞬毛虫かと思ってギョッとしてしまう。 実際、毛虫や尺取虫もいっぱい木から降ってくるので、本当に気が抜けない。 自然が豊かなことは、つまり、ある程度のリスクや不快感も受け入れることを強制してくることを意味する。

昨夜からオケラが鳴き始めた。 ジーッという不思議な音が、静かな夜を余計に深いものにしてゆく。 ゆっくりと春が置き去りにされてゆくような、不思議な夜だ。

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