何を気にするか
立地上どこへ出かけるにも国道を使う。 普段はそんなに交通量の多い国道ではなくて、信号機があっても黄色の点滅だったりするのだが、さすがに夏休み中は他県ナンバー車がガンガン押し寄せて、生活道路としての機能が低下するほどだ。
それで、いつもは気持ちよくピューっと走って通過してしまう場所も、ダラダラ走行を余儀なくされ、おかげで意識していない国道沿いの景色をしげしげと観察する機会を与えられる。 民家の庭先に干してある洗濯物、小さな畑のトウモロコシ、玄関先のヒマワリ、干してある子供用の水遊びプール、風鈴の音、開けっ放しの窓から漏れる電話の呼び出し音。 他所様の日常を垣間見るようで、これはこれで暇つぶしになる。
この時期、庭先に大きな盆ザルを出したりゴザを広げたりした上で、自家製の梅干を乾燥干ししているお宅も多い。 アジやイカの開きを干している家も目立つ。 それにガレージでバーベキューしているご家庭も・・。 歩道を挟んでほんの数メートル離れた向こう側から、肉の焼ける匂いや煙がこちらにも流れ込んできて、ビールのグラスを手に持った大人たちの会話の一部始終まで、まるで手に取るように聞こえてくる。 車内のシートに座った高さとガレージの簡易椅子の高さが同じくらいで、両者の視線もそうは違わないから、バーベキューの輪の中に入ってしまっているかのようだ。 しかも、こちらの道路は混んでいてなかなか前へ進まないし、どこを見て良いのか、見てはいけないのか、窓を閉めた方が良いのか、結構気になってしまったり。
梅干や干物など、わざわざこんなに国道に面した所に広げなくても良いのになあ・・、と、思う。 排気ガスとか埃とか大丈夫なんだろうか?、と、心配なのだ。 ましてや丸見えのガレージや玄関先でのバーベキューは、全く気に掛けていない様子がちょっと不思議。 緑の土地はいくらでも余っているのに、わざわざそんな場所を選ばなくても・・、と、ついつい考えてしまう。
田舎の人はいろいろな意味で「開けっぴろげ」な人も多く、よく言えば純情、悪く言うとマナーとしてはどうよ?で、例えば人の家の庭で男性が立ったまま排尿する光景も、決して珍しくない。 年配の方にとっては、わざわざ家の中に上げてもらってトイレを借りるよりも、庭で済ませてしまったほうが「失礼が無い」ように思っている節も見られるほどだ。 だからこそ人情味が厚いとも言えるのだけれど。
何を気にして、何を開けっぴろげにするか、その感覚は、普段どんな生活をしているかによって大きく左右されるのだろう。 自分の家の畑で自分達の食べるものを作っているこの辺の農家の方々は、残留農薬のことなんか気にしなくて良いのだろうし、国道に面していようが交通量が多かろうが、外でワイワイ食べられればご馳走なのだと思う。 人の目を気にして生きる必要が無いのは、ある意味においては最高の贅沢なのかも知れない。
いやいや待てよ、もしかして全部計算づくな上で、車に乗っている私たちに見せびらかしていたりする?? 「この梅干立派でしょう、私が漬けたのよ」とか、「イカの一夜干しが今夜のおかずだ」とか、「こっちは昼間っからビールだぞ!」とか。 人間関係が狭い分だけ結構したたかな要素も、身につけておられるように見受けられるので。 うーん、だとすると、羨ましそうな顔つきで通り過ぎるのが正しいのかな?
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