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2006.09.29

鯖の味噌煮

鯖が好きだ。 青魚系はどれも好きだが、脂ののった鯖は特に。 刺身でも、酢でしめても、それを押し寿司にしても。 塩焼きに大根おろしの組み合わせも捨て難い。 そして、何といっても味噌煮。 こんな作り方もありますよ、という意味で、アップさせていただく。

「リーボー式鯖の味噌煮」 4人前

材料 鯖      4切れ
    味噌    大さじ6
    砂糖    大さじ1
    みりん   大さじ3
    日本酒   1カップ
    水      1カップ
    長ネギ   1本

1・長ネギは3センチくらいの長さに切る(青い葉の部分も使う)。 鯖は皮の面に切れ込みを2~3箇所ほど入れる。 フライパンまたは大き目の鍋に湯を沸かし、パスタを茹でる時くらいの塩(分量外)を加え、再沸騰したら鯖を入れて、さっと湯通しする。 表面が白くなればよい。 頭の中でゆっくり10数えたらすぐにザルに上げる。

2・ちょっと荒熱を飛ばしてから、鯖の表面の水分をキッチン・ペーパーなどでしっかり拭き取る。 フッ素加工のフライパンを中火で温め、長ネギを空焼きして表面に焼き色をつけながら火を通す。 焼けたら取り出しておく。 そのままのフライパンに鯖を皮を下にして並べ、菜箸やフライ返しで押し付けるようにして焼き付ける。 軽く焦げ目がついたら鯖を裏返して、身の面も同様に焼き付ける。

3・日本酒・水・砂糖・みりん・味噌の順にフライパンに加えてゆき(水はねに注意)、フライパンを揺するようにして均一に混ぜる。 紙の落し蓋を被せて煮る。

4・煮詰まって煮汁がトロリとしてきたら、紙蓋を取り除き、煮汁をスプーンですくって鯖の上に回しかけながら好みの濃さまで煮詰める。

5・鯖を皿に盛り、上から煮汁をかけて、手前に焼いた長ネギを合わせ盛る。

味噌は種類によって塩加減の違いが大きいので、途中で一度味見をして調整を。 好みで根生姜の薄切りを一緒に煮ても良いが、この作り方なら臭みはほとんど感じないので、私はあまり使わない。 出来上がりに粉山椒や七味唐辛子を振っても美味しい。 付け合せの野菜は塩茹でしたゴボウや大根などの根菜類でも合うし、手綱コンニャクもオツだ。

急いで作る場合は、切り身の背骨だけをそぎ取ってから、日本酒と水の量を半分にして、全体を煮絡めるようにすればずいぶん短縮できる。 しっかり焼き付けてから煮るので、火は通っているから心配ない。 「中まで味が沁みている」という具合にはならないが、それはまたそれで鯖の身の味が強く出て美味しい。

新米の炊き立てご飯がすすむ、まさに「キング・オブ・定食のおかず」。 良い鯖が手に入った時にお試しください。

  

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2006.09.28

それは何処なんだろう

またリーボーがとんでもないことを言い出した、と、呆れられるかもしれないが。

昨日は住民検診でバリウムを飲んだので、普段便秘とは縁が遠い私は飲みなれない下剤が大変よく効いて、下痢とトイレの往復で疲労困憊してしまい、夜は渋り腹を抱えながら集中力も切れてダラダラ過ごしていた。 こんな時は眠りにつく準備をするのも面倒で、テレビを見るのもかったるいからと何気なくPCを立ち上げた。

すると立ち上がった瞬間にメールが送りつけられた。 懐かしい友人からのお祝いメッセージ。(実は昨日は誕生日。 そんな日に下痢なんてお世辞にも上品な話ではないが。 苦笑。) すごいタイミングで送信してくれたもんだ!と、嬉しさもひとしおでびっくり。 お礼のメールを打ち込んでいる短い間にも、上手く表現できないのだが「相手と繋がっているような感覚」が自分を支配していた。 もちろん、その間相手の様子を知る術もないし、極端に言えば、今何処で何をしているのかも判らないわけだが、そのような現実の条件を全てスパッと無視した「どこかの場所」で、2人は会話を必要とせずに繋がっている・・そんな感じ。

なんだか勿体無いから、返信を送信してからも、床で膝を抱えたまま何もせず何も考えずに、繋がっているイメージだけを追いかけて、ぼんやりとしていた。 気付いたら1時間弱も経過していて、これまたびっくり。

当然ながらテレパシーで会話しているわけでもなく、意図のやり取りができるわけでもない。 相手だって、もうとっくにPCの前から居なくなって、お風呂に入ったり眠りについたりしているのかもしれない。 でも、そういうことではなくて、魂が直接どこかで逢っているような、信頼しきっているような、妙で変で、でも快適な、他にはあまりない感覚がするのだ。

たまに歌詞の中で「約束された場所」とか「二人しか知らない場所」で「いつも2人は逢っている」と唄っているアーティストに出会うと、もしかしてこんな感覚を言っているのかな?、みんなも同じようなことを感じることがあるんだろうか?、などと思う。 自分でもよく判らないのだけれど、それは一体何処にある何なんだ??

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2006.09.26

表裏一体

すっきりと晴れ上がった青空が広がるのも秋らしくて素敵だが、今日のように肌寒いしっとりとした雨が静かに降り続くのも、また秋のもうひとつの顔のように思う。

『ますたあ』にはコーヒー、自分にはシナモン・ハニー紅茶を淹れて、静かに穏やかに過ごす午後だ。

お恥ずかしながら、初めて辻仁成さんのハードカバーを読んだ。 冷静に時間の経過を正しく追いかけるような、物事の中心から一歩引いて見ているような、均等なバランスを感じるような文体。 主人公の一人が不治の病で亡くなってしまう題材で。 淡々と綴られることによって、読み手の心の中で哀しみが増幅され、非常に効果的な印象だった。 読んだ本では、感情的な表現に冷静さは勝っているように思えた。 文体は料理の器のような物だろう。 中に盛り込まれる品が、より美味しく美しく効果的に見えるような組み合わせが大切なのだ、きっと。

連休にイベントのお手伝いをしてきたことは前にも書いたが、そこで、この市内に暮らす小学生と話す機会があった。 一緒に連れだっていた彼女の母親が鍼治療を受けている間の、言うなれば暇つぶしに話相手をしていたのだ。 学校のことや友達のこと、習い事のこと、恋愛のことなど、こちらには子供が居ないので、日常を教えてもらう感じで。 頭の中で考えるのではなく、動物的な直感に近い判断で物事の本質を見抜くことにおいては、子供は天才的だと思いながら、彼女の話を興味深く聞かせてもらった。 私が育ったのは東京であることを告げると、すぐに、「東京ってなんだか怖い。」
「どうして怖いと思う?」
「人がいっぱい居るから。」
「でも、いろんな人が居て面白くない?」
「うーん・・・いろんな人が居たら、怖い人も居るじゃん。」
「怖い人も、そうでない人も居るかな。 でも、このオバサンは怖い人も良い人も同じだと思ってるからさ。」
「どうして?」
「ほら、お母さんだって優しい時と怒る時あるでしょ?」
「うん。 ・・でもよくわかんない!」
そんな話の中で、以前からの謎が解けたような気がしたのは、つまり田舎の人はたくさんの人間の居る環境の中、ひとりで過ごす機会がないことが、彼らの自立意識を妨げている、若しくは自己を確立できないように見えるひとつの要因なのではないか、ということだった。 大きな集団の中で自分の位置を確認したり、自分の役割を認識する機会が少ないから、結果として「自信がない」のではないか。 まだちゃんと考察できていないけれど。 ちなみに彼女の学年はひとクラスだけだそうである。 好きになるようなカッコイイ男子が居ない、と、ぼやいていた。

このところ、なぜか刺激的な食べ物を体が欲しない。 辛いもの、濃い味の料理をあまり作っていない気がする。 「厚揚げと切干大根の煮付け」なんかでビールを飲んでいると、あー幸せだな、と、しみじみしてしまう。 歳をとるってこういうことなのかな。 鶏のモモ肉が手元にある。 久しぶりにスパイシーなカレーでも煮込もうか、あっさりと「くわ焼き」にでもしようか、そろそろ決めなくちゃ。 

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2006.09.25

「ジャポネ・ゴールド」

セブン・イレブンで見つけたサントリー社のビール。
他の方々のBlogで結構評判がよろしかったので、買ってみたのですが・・。

・・・わたし、これ、ダメだわ。
うーん、バランス悪い感じで、アミノ酸の味がする。(?)
旨味がやたらに濃くて、それに合わせるように苦味もしっかり。
後味は悪くないので、素材は良いのだと思いますが。
香りは薄い。(これは疲れていたときに飲んだせいで、もしかしたら私の感覚が鈍っていた可能性もあり。)

秋っぽい、っちゃー秋っぽくもあるけど・・また買いに行こうとは思わないかな。
やっぱり私の趣味は一般から離れているのかも?!


ところで、RSSリーダーでチェックしてくださっている方々。
夕方に一度アップした記事を削除しました。 ごめんなさい。
このところずっと考えていたことを長い文章で書いたのですが、
一部の方々にとっては非難ともとれるかな・・とか、迷いまして。
(案外平気で普段は書いちゃってますけどね。 苦笑。)
もう少し頭の中で整理がついて、客観的な文章で説得力を持てるような形にまとめられる時が来たら、改めて取り上げようと思っています。
「時が満ちていない」ということで、ご勘弁ください。

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2006.09.24

餅撒き(もちまき)

10年以上前に東京から山の中に引っ越してきて、異なる文化に触れ、たくさんの新しい経験をさせていただいている訳だが、その中のひとつが「餅撒き」。 東京で育ってきた中では、見たことがなかったのだ。

新しく家を建てる際の棟上式などで、家主が一番高い所に登って、小袋に入れた紅白の餅を撒く、というのが一般的なようだ。 そして、ご近所の方や親類などが、投げられた餅を我先にと拾うのである。 と、ここまでは、実際に見たことがなくても知識として頭の中で理解していた。 ところが、である。 この辺りでは棟上式以外にもなにかと「餅撒き」が多い。 たとえば、市が行う行事の〆(しめ)として、また地域のお祭りの最後にも、そして、大きなイベントのおしまいには決まって「餅撒き」で、これがまた異様なほどに盛り上がる。 行事やイベントではプログラムが組まれているから、「餅撒き」が何時にどこで行われるかも事前に知ることが出来る。 30分前くらいになると、「餅撒き」の会場に人が集まり始め、押すな押すなの大騒ぎ。 子供も大人も袋を広げたり、エプロンを持ち上げるようにして受け皿を大きくしようとしたり、みんな形相が変わってくる。 「餅撒き」が始まると、それはもう、凄い勢いでの取り合い!! ほら、軒先に作ったツバメの巣に親鳥が帰ってくると、ヒナが大きな口を広げて目一杯背伸びをしてエサをねだる・・あれが会場一面に広がっていると思えば良い。 恐ろしいというか、私など圧倒されっぱなしだ。

撒かれる物は大抵は紅白の丸くて平べったい小さな餅。 (個別包装のお菓子やキャンディーが混じることもある。) それも、お世辞にも餅としてはあまり美味しくない。 もって帰った所で、焼いて食べるかせいぜいお汁粉でも作るか、そんなところである。 餅が珍しかった時代ならともかく、今では一年中手に入るし、さほど貴重な食べ物とも言いがたい。 それに比べて、あの盛り上がりようは何なのか、ずいぶんとアンバランスな印象を否めない。

まあ簡単に言えば「縁起物」ということなのだろう。 調べてみたら、どうやら神道の考え方に由来している風習だそうだ。 餅を拾って手に入れることは、即ち、ご利益を得るのと同様らしい。 一方で、厄を撒き散らして餅を拾う人に身代わりに持ち帰ってもらう、なんていう意味もあるのを知ると、なんとも妙な気分。

今日は市で「健康福祉祭り」という大きなイベントがあって、某NPO法人のお手伝いに参加してきた。 お祭りの最後は、お決まりのように「餅撒き」であったが、私は、いつも「餅撒き」に集まっているあの群集のパワーを目の当たりにすると、どうも引いてしまうのである。 今日も「餅撒き」には参加しなかった。 お気に入りのロックバンドのライブの盛り上がりの上をゆく、ちょっと怖くなるほどの感じだ。 ・・内心引きながら客観視している不思議な文化のひとつである。

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2006.09.23

毛布に呼ばれまして

ここ数日、とにかく眠い。

特別に疲れるようなことをしているとか、実際に疲れているとか、そんなことはなくて、あまり変わり映えのない通常運転が続いている。 だいぶ涼しくなってきたせいもあるのか、ちょっと油断するとすぐに眠気が襲ってくる。 で、本当にいつでもどこでも眠れる。 自由自在だ。

あまりの眠さ加減に、自分の身体に自分で呆れていたのだが、ふと、「考えようによっては、これは幸せなことかなんじゃないか・・」と、引っ張り出してきた毛布に包まってぬくぬく和みながら思った。

前向き、前向き。 いや、単におめでたい性格かも?!

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2006.09.22

警戒されていない

『ますたあ』がウチの駐車場で野ウサギを見たと言う。 このところ猪が庭をボコボコにほじくり返しているし、鹿もキジも目撃されているし、もうハクビシンも狸も「出るのが当たり前」になってしまっているので(決して餌付けしているわけではありません)、今更ウサギが出たからと言って特別に驚いたりはしないが、あれほど警戒心が強い動物でさえ、ついに庭にやって来るようになったか・・と、感慨深いような不思議な気持ちがする。

秋はエサが豊富だ。 アケビも山栗も柿もたっぷりあるし、自然薯や葛も根を太らせる。 それを目当てに来る小動物が居れば、連鎖的に大きな動物たちも集まってくる。 待ち構えている厳しい冬を前に、みんな充分な皮下脂肪を蓄えておかなくてはならないのだろう。 この時期に食べ物が美味しく感じられるのは、人間だけではないみたいだ。

最近は、多分今までの人生の中で、最も対人関係のストレスの少ない生活をさせてもらっている。 おかげさまで、代わりに身に付けたのは、どうやら『直感』のようだ。 物や出来事の気配を受信(?)することができるようになってきた。 このことを知り合いに話したら、「そういったことが感じられるようになる時は、同時に自分の人間臭い気配を消すことが出来るようになっている場合が多くて、その結果として、仲間だと勘違いした昆虫や動物が集まってきたりするから、事故らないように注意しなさい」と忠告を受けた。 なんだか訳が判らない分野なので、「そうですか」としか答えられなかったのだが、野ウサギの話を聞いて、「なるほど、もしかしたらこういうことなのかも知れないな。」と、密かに納得。 その理論でゆくとムツゴロウさんとかは、人間の気配を消している人なのか??(いえ、ムツゴロウさんがどういった方なのか、詳しくは存じ上げておりません。)

こうして書き込んでいる間にも、目の前の網戸の向こうで、大きなカマキリがカメムシを捕まえて食事を始めた。 美味しく召し上がるのは結構なことですが、そこでお食事なさいますと、カメムシの匂いがこちらに流れてまいりますので、出来ましたら別の場所に移動していただけるとありがたいのですが。 ・・ちょっとは遠慮して欲しい時もあるかな。 動物が来るのは嫌じゃないが、建物の壁に夜中にぶつかって変な音を立てたり、鳴いたり、庭をボコボコにしたりは、あまり嬉しくはないから、適当なバランスで警戒してくれるとありがたいのだが。 どうやらあちらさん達は遠慮知らずでズケズケとしているので、諦めるべきか威嚇すべきか、迷う。 俗に言う害虫に至っては書くべきにもあらず、だ。

ギンモクセイとカメムシの匂いとが絶妙に混じって、頭がくらくらしてきた。 なんだか尻切れトンボで申し訳ないですが、私が退散します・・。

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2006.09.20

全然違うよ

義父がお世話になっている老人施設で、おでかけ行事が企画された。 秋の遠足のようなものだろうと思う。 車椅子生活の人も希望すれば連れて行ってくれるとのことで、大変ありがたい話だ。

「今度おでかけ会があるらしいな。」、と、義父。
「そうみたいね。 行ってみる?」
「うん。」
「たまには遠出もいいよね。 至れり尽くせりで、私たちが連れて行ってあげたのではそうもいかないから、ありがたいじゃない。」
「そうだよな。」
「で、どこに連れて行ってくれるって?」
「ベゴニアガーデン。」
伊豆には天城高原という場所に東急グループが運営している「ベゴニアガーデン」という施設があって、温室の中、見事な色とりどりのベゴニアの花が一年中咲いている。 お年寄りは花を愛でるのが好きな人も多いから、それで選んだのかな?、なんて考えていた。

ところが、だ。 一応参加希望者の家族にも了承を取る為に、施設のケア・マネージャーさんから電話があった。
「20日にみんなで朝霧高原に行く計画を立てまして・・」云々。
あれ?「ベゴニアガーデン」じゃなかったの?

義父は耳が遠い。 きっと補聴器を掛けずにお誘いの説明を聞いていたのだろう。 「ベゴニアガーデン」と「朝霧高原」・・全然違うけれど、確かにイントネーションだけは似ていなくも無い。 なんだか可笑しくて、笑ってしまった。

今日は湿度の低い秋晴れの一日。 おでかけ会は絶好の行楽日和になった。 匂い始めたギンモクセイを見上げながら、「今頃、義父も秋の一日を楽しんでいるだろうか?」とぼんやり思った。

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2006.09.18

甘酢あんのベース

久しぶりに酢豚を作った。 最近揚げ物もあまり作らないのだが、たまに食べたくなるので、衣を付けるタイプの揚げ物は避けるとしても、素揚げやから揚げくらいは時々登場する。

かつては酢豚の甘酢あんもケチャップを加えたようなコッテリ系が好きだった。 このごろはシンプルな味が好みだ。 基本を持っていれば色々な工夫をしても良いし、具材によって増減することもできるので、ご自分の好みの味を見つけてください。

甘酢あんのベース 2人分くらい
 
 酢と砂糖   大さじ3ずつ
 醤油      大さじ1杯半
 塩       ひとつまみ
 水       大さじ4
 片栗粉    小さじ2

水はあれば鶏スープを使ったり、半量を日本酒や紹興酒に置き換えたりすると、美味しさもぐんとアップ。 砂糖の内の大さじ1分をケチャップや苺ジャム、蜂蜜などと置き換えればコクが増す。 黒酢やリンゴ酢などは酸味が少ないので、その際には砂糖を減らし加減に。 オイスターソースなどあれば混ぜても。

材料を全て合わせて準備しておき、肉団子でも鶏のから揚げでも具材を炒めてから、ザーッと回しかけて火を通す。 出来上がりにゴマ油を小さじ1ほど加えるとテリが付く。 揚げ餃子や揚げシュウマイをあんかけにしても、また変わった美味しさ。 千切りの野菜を炒めておいてこの甘酢あんを作り、カレイなどにかけても。

お酢は身体に良いと言われても、なかなか摂りづらい方も多いだろう。 火を通すとツンとした匂いが飛んで食べやすい。 残暑負けしないように摂っておきましょうか。

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2006.09.17

どこまでが下品か

私にはなんと言われようとどうしても譲れないものがあって、それは「海老フライのしっぽ」である。 エビフライを食べた後に、お皿の上にしっぽだけがちょこんと残っているのを見ると、そこそこ親しい相手なら「くれる?」と言って食べてしまう。 当然、一緒に食事している相手が『ますたあ』だったら、もう何も言わずに勝手にフォークを伸ばしている。 香ばしくてからりと揚がったしっぽは、私にとっては何より美味しい部分であり、極端なことを言えば、身としっぽのどちらかを選ばなくてはならないとしたら、迷わずしっぽだ。 自分でも不思議なのは、だからと言って「川海老のから揚げ」とか「沢蟹の姿揚げ」が好きかと聞かれたら、別に取り立てて好きでもないし(『ソフト・シェル・クラブのから揚げ』は美味しいと思うが。)、自らオーダーするメニューではない。 その上、「海老のチリソース煮」や「海老のマヨネーズ和え」などではしっぽもしっかりと残す。 何がどう違うのか、自分でもよく判っていないのだ。

まだ幼い頃は、たまの外食で洋食屋さんに行くと、海老フライのしっぽを必ず残すように言われた。 それがマナーだと言うことだったが、つまり、しっぽを残すことが上品なことで、しっぽまで食べてしまうことは下品なことという教育を授けられたのだ。 だから自宅で母がフライを揚げてくれた時は、「しっぽも食べて良い?」、と、必ず許可をもらった。 母は決して良い顔はしていなかったように記憶しているが、私が好きなことを知っているので、「外では残しなさいね」と条件をつけてから、見て見ぬ振りをしてくれていた。 もちろん家族の中でしっぽを食べるのは私だけで、本当は他の家族のお皿に残ったしっぽも食べたかったのだが、親の悲しむ顔を見たくなかったから、自分の分だけで我慢である。 他の家族のお皿に残ったしっぽを、生ゴミを集める袋にすとんと落としながら、「なんともったいないことをするんだろうか」、と、不条理な気持ちだった。

同様なものに、「シジミのお味噌汁のシジミの身」というのもある。 わたしは子供の頃は「貝好き女」だったので、当然お椀の底に沈む貝から身をほじり出して食べたいのだったが、それは下品とされていて、外食の際はおつゆ部分だけいただくように、ずいぶんうるさく言われた。 シジミの佃煮は美味しいのだから、ダシだけなどとケチなことを言わずに、身も食べさせてくれれば良いのに・・と、いつも思っていたし、何よりも理解に苦しんだのは、「アサリのおつゆ」とか「ハマグリのお吸い物」のアサリやハマグリは食べても良くて、何故シジミだけがだめなのか、だった。 まあ、細かい殻をひとつひとつ指に挟んで身を食べている様子は、お世辞にも優雅とは呼べない気がするので、今となれば納得できないこともないのであるが。

最近では時代が変わって、食材としてのシジミの成分に注目が集まり、健康雑誌に「シジミのお味噌汁」のシジミも残さずに食べたほうが身体に良い、などと書かれるようにもなって、大義名分を得たような気持ちである。 慢性的な食糧不足に悩む国の人々のニュースが流れたり、残飯を出すことは環境に悪いということで、下品の意味合いも変化してきているのだろう。 ただし、今度は私のほうがさほど「貝好き」でもなくなってきたり、面倒臭いな、などと根性が続かずに残してしまったりしている。 今更言われてもねぇ、とか、タイミングが悪いな、とか、そんなことを思う。 ただ、シジミについては大義名分をいただいたが、「海老のしっぽも食べましょう」とは未だに誰も書いてくれないようだ。

猫の食事のように、こそこそと人目をはばかるようにして食べるのもまた美味しさの内、ということだろうか。 手掴みでかぶりつく美味しさと似た様なものを感じて、実は下品は美味しいことなのではないかとも、思ったりするのである。

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2006.09.16

雲を見上げに

朝食を簡単に済ませ、洗濯物を干し終えて、部屋で一息つきながら窓から空を見上げた。 台風が近付いているせいだろうか、上空は風が強いようで雲が緩やかに流れてゆく。 よく見ると低い所の雲と高い所にある雲が二層の分かれていて、色も種類も違う。 それに流れてゆく方向も逆向きだった。 低い雲は東に向かい、高い雲は西の方向に流れてゆく。 背景には秋の透き通った真っ青な空。 とてもきれいな景色で空に見とれていた。 この雲をもっと近くで見たい、と、なんとなく思いつきでルーテシアに乗り込み、標高の高い西伊豆スカイラインへ。

標高900m.近い整えられた道は、山稜を辿るように伸びているので、山側・海側両方向の眼下に壮大な風景が広がり、空は果てしなく続く。 悠々と流れてゆく雲。 遠くに駿河湾と笠雲を被った富士山。 トンボがルーテシアにまとわりつくように飛び交い、二輪のライダー達が気持ち良さそうに走り抜けてゆく。 遠くに見える小さな漁港の町がおもちゃのように見える。 自分のちっぽけさ、人間が作り上げたもののちっぽけさ。 風に吹かれながらとりとめも無くいろいろなことを断片的に想った。 こんな贅沢な場所からたったの15分の所で暮らしているなんて、なんだか凄いことに思えた。

気温は16℃しかなくて半袖では寒いくらい。 ススキが金色の穂を揃えて、山の斜面をきらきらに染め上げていた。 紅葉が染まる頃には寒さが厳しくなることだろう。 心の奥まですっきりと洗われたようなショート・トリップ。  人は時々は、スケールの大きな景色に触れて、自分の小ささを思い出すべきなのかも知れない、と、そんなことを考えた。
  

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2006.09.15

サンマの塩焼きのお供に

なんということも無い、ちょっとした秋の箸休めに。

サツマイモの甘煮

材料  サツマイモ  中サイズ2本
     砂糖      大さじ4
     日本酒     大さじ1

1・サツマイモは1cm厚に輪切りにして、すぐ水にさらす。
2・鍋に水切りしたサツマイモを入れて、ひたひた弱の水と砂糖、日本酒を入れる。
3・始めの5分は弱火で、その後中火にし、沸騰したら落し蓋やキッチン・ペーパーの紙蓋をして、静かにゆらゆらと沸騰するくらいの弱火で20分煮る。
4・サツマイモにすっと竹串が通るのを確認してから、火を止めて、そのまま冷ます。

なんと単純で簡単!それでいてほっこりと優しい甘さ。 冷たくしても美味しい。 保存する場合は煮汁ごと密閉容器に入れて冷蔵庫へ。 数日間は保存可能。 砂糖は三温糖にしたり、一部を蜂蜜に置き換えても。 また、グラニュー糖を使えば上品でクリアな味になる。 煮始めの火加減を弱くすることで、素材の持っている甘味が引き出されるので、それだけがコツだ。

レモン煮という手もあるが、私はシンプルな方が好きでよくこれを作り置きしている。 サンマの塩焼きのように塩味が表面にあるようなおかずとの相性は抜群。 お弁当の隙間にもおひとつどうぞ。

こういうシンプルさだけがとりえのような料理は、電子レンジではなく必ず鍋で煮て欲しい。 そしてちょっとでも日本酒を入れること。 この二つで全然出来上がりが違ってくるので・・。 

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2006.09.14

紅茶の出来は

先日出かけた際、『独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 野菜・茶業研究所 金谷茶業研究拠点』の「紅茶手づくりコーナー」で作った紅茶の完成品が届けられた。 早速淹れてみることに。

見た目はどう見ても番茶だ。 茶葉がヒラヒラしたまま乾燥されている。 しかも葉っぱの形を留めたまんま。 お湯を注いで蒸らしながら待ち、温めたカップに注ぐと、まるで烏龍茶のような色合い。 なぜか草の香りがした。 お茶の香りでもなく紅茶の香りでもなく、草の香り・・。

不味くは無いのだが、これは紅茶じゃないな。 なんか身体に良さそうな新種の健康茶という感じ。 笑える。 そのうちアイス・ティーにして飲んでみよう。

やっぱり紅茶は「作るもの」ではなくて「買うもの」のようだ。


追伸
あの「手鏡事件」の植草教授、こんどは痴漢で現行犯逮捕だとか・・。 経済を解りやすく解説してくれる人だったので、テレビへの復帰を私は望んでいたのだが、これで撃沈かも。 やっぱり『そういう病気』って治らないものなのかな、と、ニュースを読んでがっくり。

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2006.09.13

この人を捕まえたい!

このblogにも検索エンジン経由で、毎日いろいろな「調べ物」をしている方がおいでくださっている(ようだ)。 どんな検索ワードを入力しておられたのかを見ていると、その方の暮らしぶりが手に取るように判って興味深い。

お昼時や夕方は料理関係の検索が増える。 多分主婦の方だろうか。 お昼に何を作ろうか、夕飯のおかずは何にしようか、迷うのはみんな一緒だ。 休日前にはお店の固有名詞や地域名や行楽スポット。 「明日のドライブの下調べかな?」とか。

複数の検索ワードが使われている場合も多い。 「上司 おもてなし 家庭料理 肴」なんて入力されているのを見つけると、もうこれだけでひとつのドラマだな、と、思ってしまう。 ダンナさんの上司が家に来ることになって、なにをご馳走しようか迷っているのだろう。 若い奥さんだろうか。 ・・上手く料理できただろうか。 「ねえねえ、無事におもてなし出来た?」と尋ねてみたくなってしまう。 「バザー お菓子 手作り」とか「お弁当 おかず ピクニック」とかも、光景が目に浮かぶようだ。 すごく人間臭い感じでいいなあ。 どんなお菓子やお弁当ができあがったのだろうか。

昨日の夜中、「熱海 電子レンジ 炊飯器」という検索ワードでおいでくださった方がおられたようだ。 多分このblogでは役に立てなかっただろうと、おおよそ想像は付くのだが、「いったい、どんなことを知りたかったんですか?」と、逆に気になってしまって落ち着かない。 熱海の電器屋さんか、それとも貸し別荘でも探してる??

「こぬか雨 歌詞 ここにはスコールさえもない」・・これは伊藤銀次さんの「こぬか雨」の歌詞を詳しく知りたいに違いない。 この人を捕まえられたら、いくらでも教えてあげられるんだけどな。 伊藤銀次さんのことを語れるサイトは多くないから、なんだか他人とは思えないような、一方的に親密な気持ちになる。

上手くは言えないけれど、インターネットでちゃんと繋がってるんだな、みたいな気持ちがして、心のおくがホンワカしてくる。 妙なものだ。

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2006.09.12

微妙なファン心理

ずっと好きだったアーティストが女性と組んで、二人で新しいユニットを結成して音楽活動を始めたのだが、その女性がどうしても好きになれなくて、私は困っている。 音楽を含めて俗に芸術と呼ばれるものは、言葉で説明すると嘘になるような「生理的な感覚」で好き嫌いが決まる性質を持っているから厄介だ。

ご本人としては新しいパートナー(の音楽センス)にぞっこんで、ライブでも褒めちぎっていたし、「これからも一緒に活動してゆきたいので、よろしく!」なんてハッキリ言っていたから、当分ユニットでの活動が続きそうな勢いだし。 頭では、好きなアーティストの選んだパートナーなんだから、新しいユニットも応援してあげたい、なんて思っているが、作品を聴いてしまうと彼女の声も唄い方も私の趣味とはかけ離れていて、自分から選んで聴く音楽ではないのである。 このギャップはなかなか辛い。

まるで昔の彼氏が知り合いの女性と付き合い始めて、「えーっ?あんな娘と?!」みたいな気分。 もう自分とは縁が切れているんだから関係無い筈なのに、すごく気になってなかなか許せないような。 踏ん切りがつけられないのだ。

お披露目のライブがあるらしいが、結局チケットは取らなかった。 全く往生際が悪い。 新しいアルバムが発売されたら買うだろうか?、買うべきなんだろうか?? あーあ・・困っちゃうな。 

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2006.09.11

とりとめもなく

裏庭に設置しているコンポストの横から、いつの間にかカボチャと思わしき植物が育ち始め、すごい勢いで茎を伸ばし続けている。 元々その辺りは、コンポストの内容を土に戻すために埋め込む作業を繰り返している場所なので、いつ頃食べたどんなカボチャなのか特定できるわけも無く、果たしてどんな実が育ってくれるのか、楽しみではある。

一週間ほど前、雌花が開花した。 もう既に直径7センチぐらいには膨らんできている。 秋に間に合うのだろうか? 園芸の趣味はないし、まめな性格でもないので、カボチャなんて育てた経験も無くて、何もかもが目新しくて面白く感じられる。 解っていないヤツが下手に手出しするよりも、自然のことは自然に任せて・・という感じだ。

これだけ元気に育っているんだから、よっぽどその土地が向いているのだろう。 思うように好きなだけ茎を伸ばしてゆけば良い。 実が大きく育ったら美味しく食べてあげる。 そして、あなたの種をまたその場所に埋めておいてあげる。 もし猪が来て食べてしまっても、きっと種はそこに残るはず。

なんだか遠くから大きな視点でカボチャを見ている自分が不思議だ。


お昼ごはんに『鮭チャーハン』を作りながら、ふと、周富徳さんのことを思い出した。 脱税(でしたっけ?)で世間を騒がせてから、表舞台ではお目にかかっていない。 気になって検索をかけてみたら、料理人兼経営者としては結構ご活躍のご様子で、なんだか安心する。 妙に面白いキャラクターだった記憶があるが、あれを機会に本業に集中できて、逆に良かったのかもしれないと、余計なお世話で考えたりする。 私の『鮭チャーハン』はどちらかと言うと焼き飯のような出来上がりだったが、それはそれで美味しかった。


F1ドライバーのミカエル・シューマッハさんが今期で引退を表明。 「ミカエル」は聖書に出てくる大天使ミカエルにちなんだ名前。 そう、エアウェイブ車のCMで「美輪さん??」と言って見上げているあの美輪さんは、まさに大天使のミカエルを真似ている。 「ミカエル」は英語圏では「マイケル」、そして、「マイケル」の呼び名は「マイク」と略される。 ね、中学校時代の英語の教科書に出てきてたでしょ?! って、どうでもいい話だが。 ・・F1のひとつの時代が終わるような気がして、ちょっと感慨深い。 存在感のあるドライバーって、思ったよりも多くないような気がするので。

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2006.09.10

昨日のおでかけ

昨日はぶらっとおでかけ日。 ただなんとなく大井川へ向かった。

牧の原台地にある、『独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 野菜・茶業研究所 金谷茶業研究拠点』という、正式名称がやたらに長い研究所が一般公開しているというので寄ってみることにする。 (一応リンク張っておきますが、あんまり面白味は無いかもしれません。 こちら。 でもアドレスの『vegetee』というのが、なんだか可愛くて気になる・・。) まあ、要するに日本茶と野菜についての研究をしている所らしい。 とりあえず受付に行ったら「紅茶手づくり体験コーナー」なるものを勧められ、やってみることに。 摘み取った茶葉を、室内で何時間か放置してしおれさせる。(萎凋・いちょうというらしい。) それを丁寧に手で押しつぶし揉んで軟らかくする。(揉捻・じゅうねん) この揉捻作業の体験だ。 大きな盆ザルの上に萎凋の済んだ茶葉が両手に一杯程配られ、それをひたすらにこすり付けるように揉んでゆく。 乾燥していた葉がシナシナじっとりしてきて、お茶の香りを濃縮したような匂いがでてくる。 案外力を入れても葉が破けることもなく、不思議な強さを感じた。 いつの間にか汗が流れ、ふうふう暑がりながらの作業を30分ほど。 発酵はビニール袋に入れて強い陽射しに当てて置けばよいらしい。 で、その後に乾燥を兼ねて加熱したら紅茶の出来上がりだそうだ。 家では電子レンジを使えば簡単とのこと。 「本当にそんな簡単に紅茶ができてしまうのか??」という疑いが最後まで付きまとってしまうのだが・・。 まあともかく、乾燥させて出来上がったものを、後日郵送してくれるとのことで、楽しみに待ちたいと思う。 アンケートに答えたらお茶のペットボトルをくれた。 お茶の苗木もくれると言うが、そちらは遠慮しておく。

牧の原は一面のお茶畑が山の斜面に広がり、ジオラマのような美しい光景だ。 町中の電信柱には「落合式自動茶葉摘み取り機」なる広告が貼り付けられ、なんだか興味を引かれる。 本当にお茶以外には何も植えられていない光景が新鮮だった。

金谷の町を当ても無く眺めながら、蓬莱橋へ。 のんびりと反対岸まで歩いて大井川を横断する。 穏やかな川の光景だが、河川敷の広さを見ると、増水した時の恐ろしさは半端では無いだろう。 反対岸の山の斜面はこれもまた見事な茶畑が広がっている。 ついでなので散歩を兼ねて歩いてみた。 一応遊歩道のように整備されていて、ちょっとしたハイキング・コース。 道すがらまだ新しく見える七福神のコンクリート製石像が配置されていたり、信楽焼きの狸の置物が林の中に設置されていたり、もう、なにがなんだか。 ちょっと歩けるように整備されている所では、この手の七福神をよく見かけるが、いかにも「後付けしました」という印象でありがたみが無い。 蚊やブヨに追いかけられながら山を登り、台地の上の茶畑から眼下の大井川と島田の町を見下ろす。 秋の空にいわし雲。 心が洗われるような光景だった。 蓬莱橋を戻っている途中でちょうど夕日が沈む。 振り返ると茶畑にはまだ残照が残っていた。

大きな赤い満月を見ながらの帰り道、沼津に寄って気になっていた地ビール屋さんへ。 『ベアード・ビール』という。 ネット上で評判が良いのを読んでいたので。 小さなビア・パブが沼津の港の真正面にある。 テイスティングサイズの小さなグラスに、ビールを3種類出してもらって、サラダとタコスで軽い夕食。 私は量販されるビールと、俗に言われる地ビールとでは、評価の基準が全く異なる。 こちらのビールは、確かに丁寧につくれれていて、物腰の柔らかい優しいビールだった。 バランスも綺麗に整っている。 ただ、裏を返せば小さくまとまりすぎている感じでつまらないし、物足りない。 日本人の趣味に合わせ過ぎているのかのような印象。 限定醸造の「ビワのビール」も飲んでみたが、うーん、珍しいけれどビールとしての評価は個人的にはちょっと・・。 もっと「これを作りたかったんだ!!」というような意気込みが伝わってくるビールを、小さなブリュワリーには求めたい。 万人受けするビールだと思うので、お土産には無難かも。 このビールを『嫌い』という人は少ないでしょう。 テイクアウト用瓶詰めや通販も扱っている。 お店でゆっくり時間を過ごし、港を散歩して酔いを醒ます。 夜でも煌々と明るい市場が眩しい。 潮の香りが強かった。

たくさん汗をかいて、支離滅裂に静岡らしさを楽しんだ一日。 それにしても本当に静岡県は東西に広く、その土地によって風土も暮らしの様子も全く違って興味深い。 ある意味ちょっと不思議な土地にも思える。 

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2006.09.09

予告なのか?

紅茶を作ってきました。
淹れたのではなくて、紅茶の茶葉を作ってきました。 作れるなんて驚きです!

長い橋を渡って、山道を歩きながら、蚊に刺されながら、「七福神」について考えました。

気になっていたお店で、地ビールを飲んできました。

今日一日にあったことの中でネタになりそうなものの羅列です。
これらについて明日ゆっくり書くことにしたいと思います。

お風呂に入って、やっと一日が終わった気分になりました。
とりあえず寝ます。 おやすみなさい。 ・・zzz

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2006.09.08

解剖学

(元々どちらかと言うとぼんやりしているタイプなのだが、)どうもいつも以上にぼんやりしていると思ったら、久しぶりに熱を出していた。 掃除をサボってゆっくり寝て、変な汗をたっぷりかいて、あっという間に熱は下がったものの、まだぼんやり感だけは尾を引いている。 風邪ではない様だし何の熱か不明。 大したこともなさそうだ。

学生の頃、解剖学の時間に某大学の医学部にお邪魔して、ホルマリン漬けの大脳をじっくり観察する機会があった。 私の学科では解剖学は必修でも、実際に人体解剖をする必要はなかったのだが、担当教授が「講義だけではリアリティーに欠けるから」との理由で、自分の所属する大学の医学部に便宜を図ってくれたのだった。 上の学年の先輩方の話では、「クラスの何人かが気分を悪くして倒れた」とか「ホルマリンが相当匂うから、目の細かい分厚いハンカチを持っていったほうが良い」ということだったので、私たちも事前に警戒し、食事の内容物が胃に残っていないようにするなど気を遣った。

解剖室は床が洗えるようにタイル張りで、ご遺体の腐敗を防ぐために強い冷房が効いていた。 ガランとした広く明るい部屋に寝台が整然と並べられ、そのいくつかには解剖の途中であろうご遺体にピンと張った真っ白なシーツが被せられていた。 人の形に膨らんだシーツを横目に、部屋の前にある黒板に歩くと、広い机の上に大脳が5つ。 延髄の辺りからスパット切られた、まるでプラスチックの模型のような大脳だ。 確かにホルマリン臭はきつかったが、あまり薄気味悪い印象はなかった。 実物を前に講義を受けてから、「気分が悪くない人は、もっと近付いて見ても良いですよ」、と、教授が言う。 私を含めて何人かが標本を囲むように近付くと、講義の通り、大きさや形に差はあるものの、溝の入り方はどれも全く同じである。 「これは若い男性の脳、これは中年の女性、こっちはお年寄りの女性の、だね。」 教授は言うが、言われなければどれがどれだか表面的には見分けが付かない。 「実際に、脳の重さや大きさは、よほど小さくなければ知的能力には関係しないと言われています。」だそうだ。 死後保管されているアインシュタイン博士の大脳は、一般の平均より小さいそうである。

この時ほど、人間は平等なんだな、と、つくづく思ったことはなかった。 一皮剥けば、みんな同じなのだ。 肌の色だの宗教だの生まれた土地だの血筋だの、そんなことは全て人間が作り上げた言いがかりにしか過ぎない。

こんなに近くで大脳を見る機会は、もう一生無いだろう、そう考えたら、私はとんでもないことを口にしていた。 「先生、これ、触ってみてもいいでしょうか?」 教授は淡々と、丁寧に扱ってくれれば一向に構わない、と許可してくれたので、一礼してからそっと持ち上げてみた。 ホルマリンを含んでずっしりと重い冷たい塊を両手に包みながら、この感覚を死ぬまで忘れないように記憶に刻みつけようと、それだけを考えて緊張していたのを覚えている。 人はみんな平等だ。 この時、私の中にひとつの確固たる価値観が刻み込まれたのを自覚していた。 クラスの中の何人かが実際の大脳に触れ、何人かはそれを見守り、椅子から立てない者、顔色を蒼白にして廊下に出て待っている者もあった。 多分、気分が悪くなる人の方が、正常な感覚の持ち主だろうと思う。 そんな中で、多分これから自分を左右するような価値観を学んでしまった自分とのギャップが、我ながら相当にアンバランスな出来事だった。

「考えていたよりも気味の悪い講義ではなかったな」、と、油断して気を緩めた途端、緊張して気付かなかっただけで、いつの間にか身体の芯まで冷房で冷え切っていて、鼻水が出そうになった。 ティッシュを出して鼻を押さえた。 解剖室を出る時に、いかにもゴミ箱として使われているような雰囲気の大きな蓋付きバケツを見つけたので、ティッシュを捨てさせてもらおうと蓋を開けたら、解剖の際に出たものだろう、人の脂肪の塊が無造作に入っていた。 血の気が頭から引くのを自覚しながら、慌てて蓋を閉めて、そそくさと解剖室を後にした。 同じ身体を持っていても、それを如何にして動かすかは、結局気持ちの持ちようなのだ、と、そういうことも学ばされた。

熱が下がった後は、どこか気持ちもフワフワと頼りない。 ちょうど夢と現実の間で行ったり来たりしているような感覚だ。 何かの拍子にとんでもないパンドラの箱が開いて、忘れていた光景を思い出したりする。 今日はちょうどそんな日。  

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2006.09.06

「畑から百三十年」

飲んでみた。
美味しいよくできたビール。
なんだかどこか懐かしい昔のビールの味がする。
『切れ』がすばらしい。
最近のビールにありがちな『後味の汚さ』が見事に無い。
もうちょっとだけ香りが前面に出ていたら百点なんだけどな・・。
まあ、香りが良いビールは他にもあるけれど、ここまでコクと切れが整ったバランスのビールは他にないから、それで良いんだろう。

3年前のサントリー社プレミアム・モルツとだったら良い勝負。
残念ながら今のプレミアム・モルツなら、私の評価はこっちの勝ち。
もっと高くても買う!

美味しいよ。 ビール好きの方にはおすすめ!

サッポロビールのウェブ・サイトはこちら

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2006.09.04

勝ち目なし

このところ、夕食に最中にクツワムシがやたらと窓に近い場所でガチャガチャ鳴いているので、あまりの音の大きさに私たち人間がお喋りする気を失くして、黙々と食事をしている。 何分か経ってクツワムシが一休みしている所で話が再開し、鳴き出すとまた黙々と。 クツワムシのバックでは例えばスズムシとかコオロギとかも綺麗に響く音で鳴いているのだが、弦楽器対打楽器の音自慢のようなもので、パワーではクツワムシの圧勝である。 あんな小さな身体のいったいどこから、こんな大きな音が出せるのやら。

鹿の初鳴きが響いてきたり、猪があちこちの土をボコボコにほじくり返したり、一斉に何もかもが「秋ですよ、秋!!」と教えてくれているような気分。 いや、そんなに急かされなくても、ちゃんと解かってますから。

山の秋はなんとなく落ち着かない。 この独特のごちゃごちゃした感じも嫌いではないのだが、完全に動物たちにイニシアティブを取られている様で、ちょっと悔しいのだ。 どう考えたって、自然相手に勝てる訳も無いと知っているのに、人間なんてちっぽけなものだなあ・・などと、ついつい考えてしまうのも、秋だから、ということにしておこう。

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2006.09.03

読書の・・

こんなに天気の良い、秋らしい絶好の行楽日和に、家の中でただ黙々と本を読んでいた。 村上龍さんの「半島を出よ」だ。 現実世界に戻れなくて気持ちが悪くなるくらいに、ガーッと集中して。 ・・もう、いやになるくらい描写が細かいから、読んでも読んでも先に進まないような変な錯覚に陥る。 ほぼ丸々一日を費やして、やっと上巻を読み終わったところだ。

目もしょぼしょぼだし、頭もぼんやりしているし、同じ姿勢だったせいか肩も凝ったし。 まったく、なにやってんだか?!

まだ下巻が待ち構えているかと思うと、楽しみでもあり、ちょっとだけ思いやられて憂鬱でもあり。 とりあえず、本の内容を引きずって変な夢を見ないように、ゆっくりとお風呂でリセットしてから寝ますかね。 はあ~。

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2006.09.01

割り切って別ものに

お刺身用の魚を買ってきたのに、思ったより美味しくなくてがっくり・・なんてことがある。 「あそこに行けば美味しいのが買える」というお店を見つけておくのが一番だが、それでもたまにはむらがあったり。 おろしてみたら思ったより脂がのっていなかったり。

白身だったら迷わず昆布〆(じめ)に方向転換。 昆布が身の水分を脱水してくれて、旨味を染み込ませてくれる。 幅の広い昆布が手元になかったら、お刺身の切り身を更に長い方向に切って棒状にしてから、おぼろ昆布を丁寧にほぐして和えて、冷蔵庫で寝かせる。 小鉢のような器に山高に盛り付けて、おぼろ昆布ごといただく。 ちょっとした接客時にも使えて、逆にお洒落っぽいかも知れない。 イカもこの手が使える。 「翁風お刺身」とでも言っておこうか。

青魚系ならタタキ風に。 たたかなくても、細かめに切ってから薬味(ねぎ、しょうが、紫蘇、茗荷等お好みで。)と合わせてざっくり食べる。 ちょっと大胆な気持ちで作ったり盛り付けたりすると、美味しくなることが多いような気がする。

よく売られているマグロやカツオのさく。 それががっかりの味だったら、ヅケにしてしまおう。 醤油と日本酒を1対1。 二人分に対して大さじ1弱ずつくらい。 これをお刺身用に切ったマグロに絡めて冷蔵庫で10分。 盛り付ける時は漬け込んだ醤油は切るようにして身だけを盛る。 海苔をたっぷり敷いたご飯に乗せて丼もオツなもの。 切る時にブツ切りにして漬け込み、同じくらいに切ったアボカドやビニール袋に入れて叩いた長芋と合わせれば、量が増して酒の肴にもグッド。 味が足りない場合には食卓でちょろっと醤油をかける。 漬け込んだ醤油には生臭さが移っているので、使わないほうが無難だ。 お好みでワサビを添えて。 刻み海苔などパラパラ振れば更に美味しい。

せっかくお刺身で食べられる鮮度なら、やはり生で食べたい。 残念なお刺身より、ひと手間かけて別のものに。 これで大抵はごまかせます。(苦笑) 

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