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2006.09.08

解剖学

(元々どちらかと言うとぼんやりしているタイプなのだが、)どうもいつも以上にぼんやりしていると思ったら、久しぶりに熱を出していた。 掃除をサボってゆっくり寝て、変な汗をたっぷりかいて、あっという間に熱は下がったものの、まだぼんやり感だけは尾を引いている。 風邪ではない様だし何の熱か不明。 大したこともなさそうだ。

学生の頃、解剖学の時間に某大学の医学部にお邪魔して、ホルマリン漬けの大脳をじっくり観察する機会があった。 私の学科では解剖学は必修でも、実際に人体解剖をする必要はなかったのだが、担当教授が「講義だけではリアリティーに欠けるから」との理由で、自分の所属する大学の医学部に便宜を図ってくれたのだった。 上の学年の先輩方の話では、「クラスの何人かが気分を悪くして倒れた」とか「ホルマリンが相当匂うから、目の細かい分厚いハンカチを持っていったほうが良い」ということだったので、私たちも事前に警戒し、食事の内容物が胃に残っていないようにするなど気を遣った。

解剖室は床が洗えるようにタイル張りで、ご遺体の腐敗を防ぐために強い冷房が効いていた。 ガランとした広く明るい部屋に寝台が整然と並べられ、そのいくつかには解剖の途中であろうご遺体にピンと張った真っ白なシーツが被せられていた。 人の形に膨らんだシーツを横目に、部屋の前にある黒板に歩くと、広い机の上に大脳が5つ。 延髄の辺りからスパット切られた、まるでプラスチックの模型のような大脳だ。 確かにホルマリン臭はきつかったが、あまり薄気味悪い印象はなかった。 実物を前に講義を受けてから、「気分が悪くない人は、もっと近付いて見ても良いですよ」、と、教授が言う。 私を含めて何人かが標本を囲むように近付くと、講義の通り、大きさや形に差はあるものの、溝の入り方はどれも全く同じである。 「これは若い男性の脳、これは中年の女性、こっちはお年寄りの女性の、だね。」 教授は言うが、言われなければどれがどれだか表面的には見分けが付かない。 「実際に、脳の重さや大きさは、よほど小さくなければ知的能力には関係しないと言われています。」だそうだ。 死後保管されているアインシュタイン博士の大脳は、一般の平均より小さいそうである。

この時ほど、人間は平等なんだな、と、つくづく思ったことはなかった。 一皮剥けば、みんな同じなのだ。 肌の色だの宗教だの生まれた土地だの血筋だの、そんなことは全て人間が作り上げた言いがかりにしか過ぎない。

こんなに近くで大脳を見る機会は、もう一生無いだろう、そう考えたら、私はとんでもないことを口にしていた。 「先生、これ、触ってみてもいいでしょうか?」 教授は淡々と、丁寧に扱ってくれれば一向に構わない、と許可してくれたので、一礼してからそっと持ち上げてみた。 ホルマリンを含んでずっしりと重い冷たい塊を両手に包みながら、この感覚を死ぬまで忘れないように記憶に刻みつけようと、それだけを考えて緊張していたのを覚えている。 人はみんな平等だ。 この時、私の中にひとつの確固たる価値観が刻み込まれたのを自覚していた。 クラスの中の何人かが実際の大脳に触れ、何人かはそれを見守り、椅子から立てない者、顔色を蒼白にして廊下に出て待っている者もあった。 多分、気分が悪くなる人の方が、正常な感覚の持ち主だろうと思う。 そんな中で、多分これから自分を左右するような価値観を学んでしまった自分とのギャップが、我ながら相当にアンバランスな出来事だった。

「考えていたよりも気味の悪い講義ではなかったな」、と、油断して気を緩めた途端、緊張して気付かなかっただけで、いつの間にか身体の芯まで冷房で冷え切っていて、鼻水が出そうになった。 ティッシュを出して鼻を押さえた。 解剖室を出る時に、いかにもゴミ箱として使われているような雰囲気の大きな蓋付きバケツを見つけたので、ティッシュを捨てさせてもらおうと蓋を開けたら、解剖の際に出たものだろう、人の脂肪の塊が無造作に入っていた。 血の気が頭から引くのを自覚しながら、慌てて蓋を閉めて、そそくさと解剖室を後にした。 同じ身体を持っていても、それを如何にして動かすかは、結局気持ちの持ちようなのだ、と、そういうことも学ばされた。

熱が下がった後は、どこか気持ちもフワフワと頼りない。 ちょうど夢と現実の間で行ったり来たりしているような感覚だ。 何かの拍子にとんでもないパンドラの箱が開いて、忘れていた光景を思い出したりする。 今日はちょうどそんな日。  

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