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2006.10.15

真実は何処に

義父と話していると、会話の初めと終わりでは話している内容も登場人物も、いつの間にか変わっていることがよくある。 特にちょっと長い内容を義父一人が喋り続け、こちらが相槌を打っているだけのような場合に多い。 これは認知症のある方と会話しているケースでは、度々起こってくることだと知ってはいるものの、判っていてもやっぱりこちらは混乱する。 「あまり真剣に聞かなければ良い」なんて書いている人もあるけれど、それもちょっと違う気がするので、なるべくセンテンスを短くするような会話に誘導している。 つまり、できるだけ具体的に尋ねたり、話しかけたりするのだ。 「食事はどう?」、と、尋ねるよりも、「お昼ごはんは美味しかった?」という具合。

義父の側から自主的に何かを訴えたい場合には、特に難しい。 車椅子生活の義父は、下半身の運動量が少ないから、どうしても足先に浮腫みが出易い。 で、ゴムの強い靴下は嫌だという事をこちらに伝えたかったようだ。 ところが、いきなり足元を見ながら「痛いんだよな」、で、始まる。
「どこか引っかき傷でも作った?」
「怪我は無いだろう? お風呂上りに着替えた時かな。 お風呂から出ると着替えさせてくれるんだよな。」
「うん。」
「そうじゃなくてさ。」
「そうじゃないの? 着替えたんでしょう?」
「そう。」
「着替えさせてもらう時に、ぶつけた?」
「ぶつけてなんかいないさ。」
「??でも、痛いのね。」
「そう、痛いんだな。 でね、お風呂上りにね、着替えたんだよ。」
「痛いのはどこなの?」
「どこなのかな?」
「・・・(絶句) じゃあ痛いところ手で触ってみて。」

何だか、漫才だ。 義父の言いたいことは何なのか、四苦八苦しながら聞き出さなくてはならない。 すごく精神力と集中力を問われている気分になる。 結局、浮腫んでいるので靴下をゴムのきつくないものに変えて欲しい、という訴えを受け取るまでに、ずいぶんと時間を要した。 それでも、内容が判る時にはありがたいのだが、結局最後まで判らずじまいのことも多くて、義父も大変だろうが、こちらも悶々としてしまったりして。

何だかいつも可笑しくて、そして、同じくらい切ないのである。

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コメント

はじめまして。哲人30号と申します。
以前、高齢者と接する仕事をしていた時を思い出しました。
せっかちの自分は、ついつい苛々しそうで、
それを堪えて、じっくり話に耳を傾けたものです。
御蔭で、他人の話を聴くのが前より上手くなった気がします。

日々の事となると、辛かったり哀しかったりもするでしょうが、
あまり無理をしないで、楽しくやっていける事を願っています。

投稿: 哲人30号 | 2006.10.15 17:04

哲人30号さん、いらっしゃいませ。
コメントありがとうございました。
そうですね、私の心にゆとりがあるときは、穏やかな気持ちで内容を整理しながら会話できるのですけれど、正直いらいらするような難しい時もあります。 結局は、当方サイドの心の問題なので、それを義父にぶつけないようにしてゆくしかないのだと思いますが・・。
そうか、「他人の話を聴くのが上手くなった」ですか、なるほどそれは良いことを伺いました。 その訓練と思うのも手かも知れません。

また気軽にお越しくださいね。

投稿: リーボー | 2006.10.15 17:52

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