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2006.10.02

「美味しさ」と「言葉」 その2

食べ物を紹介するメディアが発信している情報を見ていると、いつも何かとても複雑な気持ちになる。 人がどんなものを食べて、人がどんなものを作り出しているのかは、非常に興味をそそられることに違いないが、評価まで牛耳られているような気分になってしまうのである。 特にテレビでランチの特集なんて見ていると、だんだん息苦しくなってきて、「もう充分です、ごちそうさま。」

グルメ・レポーターというのもちゃんと考えると妙な言葉で、どちらかと言うと、彼らはグルメではなくグルマン(食いしん坊とか食い意地が張っている人とか言う意味になるか。)なのではないかと思う。 よーく観察していると、本当に美味しいものを食べている時と、そうでもないのに美味しそうにしている時があって、どんなレポーターでも、本当に美味しい時には言葉に詰まったり、口数が減って無口になっているのが、とても興味深い。 彼らにとってはお仕事だから、がんばって何とかして料理を褒めているつもりなのだろうが、映像を見れば一目瞭然である。 「大変なお仕事だな・・」と、ついつい同情。 一瞬を切り取るだけの写真や考え尽くしたキャプションならば、まだ誤魔化し様もあるのだろうが、ビデオだとそうもいかないみたいだ。

グルメ・レポーターの喋るたくさんの言葉よりも、「大喰い選手権」に出ていた選手が一斉に食べ始めた時の最初の一杯のほうが、よっぽど美味しさを伝えていると思ってしまった。 美味しさを表現する時に、どうも言葉という手段では不十分な気がするのは、ずっと抱いている感覚である。 美味しさはとても個人的なものであり、目の前で同じ食べ物を実際に分かち合うことのできる相手だけが、その美味しさを理解することが出来る可能性を持っているのだろう。 本来、美味しさなんて人に伝えるものではなく、美味しかったことでもたらされた喜びや幸せを伝えるべきものなのかもしれない、と、思うのだ。 食べ物が主体なのではなくて、食べ物を食べる人が主体・・そのような立場でメディアが発信してくれると、もうちょっとしっくりくる内容の番組が出来るような気もするのだが。

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