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2006.10.05

切なさの扱い方

切ないという気持ちは不思議だ。 何の前触れもなくいきなり押し寄せるように襲ってきて、合理的・現実的な考えを押さえ込み、心の中心に居座ってしまう。 きっかけはいろいろで、例えば音だったり景色だったり匂いだったり、ニュースだったり経験だったり恋だったりもするけれど、胸の奥で雪崩が起きるような感覚はいつも同じだ。 「ヤバイ!」と気付いた時には、もう既に遅い。

高校生の頃は毎日が切なくて、どうしたらいいのかと本気で考えていた。 こんな気持ちのままでこれからの長い人生をすごしてゆくのかと思うと、気が遠くなりそうだった。 それだけ物事への感受性が敏感だったのかもしれないが、自分でくたびれてしまうほどに心に切なさがどっかりと座り込んでいる感じだった。 それからだんだんと大人になって、いつの間にか切なさをコントロールし始めた。 社会生活には切なさは邪魔な場合が多かったし。 だから、とりあえず日々の切なさは圧縮して心の奥の小さな箱に次々放り込んでおくようになった。 いちいち相手をしている暇はない。

切なさの存在を忘れてしばらく経った頃になると、休日の夕方なんかに何かのきっかけでぽっかりと箱の蓋が開いて、勝手に解凍されて、どどどーっと押し寄せてくる。 もうどうすることも出来ないから、切なさを相手にちょっと酔っ払ってみたり、ぼんやりひとつひとつの切なさを思い出してみたり、切ない時に聴きたくなる音楽をかけてみたりしながら過ごす。 切なさに乗っ取られている自分も、不快ではないのが不思議だ。

多分、充電電池みたいなものなんだろうな、と思う。 溜め込みすぎて爆発しないように、時々放電しているんだ、きっと。 切なさを感じなくなったって、別に日常生活に困ることも無いとは思うが、どうも「自分らしさ」を作る原料のような気がするので、やっぱり日々せっせと圧縮しては溜め込んでいる。

夏の終わりから今時分にかけては、溜め込む量がどうも多いみたい。 季節なんて関係なさそうに思えるのだけれども。 これだけ長い付き合いなのに、どうも切なさのことをよくわかっていないみたいで、ちょっとだけ悔しい。

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