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2006.11.06

死って何でしょう?

看護学の授業には「死が差し迫った患者への看護」という項目があった。 死を目前にした生体が示す反応(例えば独特の呼吸であるとか、意識レベルの変化であるとか)を学び、患者本人とご家族とが安らかに死を迎えられるようにサポートするというものである。 例えば日本には「死に水」という習慣があって、亡くなりそうな方の唇を水を含ませた綿で湿らせる(本来は綿から水を吸い取ってもらって飲ませるというものらしい)とか、キリスト教の信者であれば特別な祈りがあるとか、そういったことを初めて知った。

完治を望めないような病を患っている場合、死への道は一方通行なのであるが、一時的に医療処置によって死の淵から離れられる場合もあって、かと思えば、まだ死が予想される段階の病状ではないにも拘らず、あっけなく亡くなってしまう方もあり、科学的には説明がつきかねる事例も多く、当時は「本当に死を司るのは神様だけだ」、と、つくづく思っていた。

私が夜間帯の実習についた夜、昼間急変したものの死の淵から這い上がった患者さんが、ナース・ステーションのまん前の個室に入っていた。 もちろん予断を許さない状態なので、心電図モニターなどで随時状況を監視できるような体制が整えられている。 看護師も頻回に足を運んで観察や管理を続け、まさに気が抜けない。 ところが、ナース・ステーションで記録を書いていた私の目の前を、ふと、別の重症患者さんが通り過ぎた。 「ん?今のは○○さん?!」 廊下の角に背中を見送りながら、あのパジャマは確かに間違いが無いはずだ。 でも、よく考えるとおかしい。 第一、独りで歩けるはずも無いし、ⅠVHと呼ばれる鎖骨の下に埋められた点滴チューブも無い。 モニターのコードも外しているのか? 慌てて追いかけようと立ち上がると同時に、ナース・ステーションの片隅のモニターがけたたましいアラーム音を鳴らし始めた。 ○○さんのモニターだ。 心停止が起きているらしい。 スタッフはバタバタと対応に追われた。 そして、いろいろな処置にも反応することなく、あっさりとお亡くなりになってしまったのだった。 愕然とした。

あの当時は人の死を目の当たりにすることだけでも、私にとっては強烈な体験だったし、あまり不思議にも思わなかったのだが、今から考えるとひどく妙なことだらけである。 私が歩いてゆくのを見たのは、本当に○○さんだったのか? 何故急変した時間と重なっていたのか? 差し迫った死の兆候もなく、言うなればノー・マークの状態で、体の中に何が起こっていたというのか?

死を目の前にしている方の場合、既に意識や反応がなくなっている場合も多いものだが、もしかしたら、そこにまだ魂のようなものが存在している場合と、魂が既に抜けてしまっている場合とがあるのではないか、などと、スピリチュアルなことにはズブの素人である私は、今更ながら思ってみたりしているのである。

万霊節(ハローウィン)も過ぎたことだし・・。 ちょっと思い出して書いてみた。 

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