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2006.11.14

お別れの儀式

所属するカトリック教会の信者さんが昇天され、仏教で言う所の「お通夜」が行なわれたので参列させていただいた。 いくら「キリストを通して永遠の命に結ばれ」、「昇天された方が幸せな場所に昇っている」と信じていても、やはり現世のお別れは辛いことに変わりが無い。 年老いた奥様を見送ったご主人様が、小さく背中を丸めておられるのを見たら涙が溢れてしまった。

基本的にはキリスト教の葬儀は、俗に言う『お悔やみ』とは一線を画すものがある。 故人が神様の元へ戻り、キリストに倣って永遠の命に与り、俗世間に生きる我々の間を自由に行き来しながら必要な支えやメッセージを与えてくださるような存在になる。 つまりは第二の人生の出発点であり、基本的にはお祝いの要素が多い。 これを感覚的に理解できるかどうかは、人によっていろいろだろうと思うけれど、儀式の進行そのものもどこか割り切った、あっけらかんとした雰囲気がある。 仏式の儀式の「お坊さんの読経」は理解が難しいけれど、「神父様による聖書の言葉」は標準語だから意味が解るというのも、敷居が低く感じられる要因かもしれない。 泣きながらも希望を持っている、そんな印象だ。 仏教では「お焼香」だがキリスト教では「献花」。 お花と祈りを故人に手向ける。 花の持つ無邪気な美しさやけなげさや優しそうな印象も、儀式の根本を華やかにすることに一役かっているだろうか。 今日はほんのりピンク色の清楚なカーネーションだった。

お亡くなりになった方は、棺の中で綺麗な美しいお顔をなさっていた。 病や老いの苦しみから解放されて、もう既に伸びやかに晴れ晴れした場所に昇られているのだろうと、参列者を納得させるのには、充分なお顔立ちに見えた。 なんだか、ふと、自分もあんな顔を残して死ねたら良いな、と、思った。

このところ、どういう訳か悲しいお知らせが続いている。 こういうことって続くものだよな、季節の変わり目ってやっぱり何かあるのかな・・とか思いつつ、ちょっと気が滅入り気味・・。

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コメント

卒業式や結婚や転居など、お祝い事であってもお別れは悲しいもの。
ましてや、天国となれば、ちょっとやそっとでは会いにいけないのですしね・・・。

母が亡くなったばかりのときは、写真を見るのが辛かったのですが、最近は写真たてに飾ってある写真に心の中で話しかけたりしてるなぁ・・・。

最近は仏式などでも、生花を使ったお葬式が増えましたね。
今でも心に残っているのは、クリスチャンの先輩が亡くなった時、ピンクのチューリップと菜の花が聖壇と写真の周りに飾られていたお葬式とまだ小学生のお子さんで、大好きだったというひまわりの花で飾られたお葬式。どちらもその方を偲ばせるお花で、なぜかゆらゆら揺れるお花の本当にすぐそばに故人が立って笑って見ている様な気がしました。

投稿: かおる | 2006.11.17 17:41

かおるさん、お久しぶりです。
そうですね、仏式のお葬式でもお花の出番が増えてきたような気がします。 まだ色使いが限られているでしょうか。 菊・カトレア・カサブランカなど・・。

子供の頃はお葬式に参列する機会が少なかったせいもあって、あんまり感じなかったのですが、「お葬式に使われる花」は普段見かけるだけでも「お葬式を連想させる」ようになってしまって、特定のお花には申し訳ないような気分になることもあります。

うん・・時間薬、それから「忘れないこと」が、故人にとって何よりのお祈りなのでしょうね。

追伸
かおるさんのところにはOB会のお知らせは届いていますか? まだでしたらご一報くださいませ。

投稿: リーボー | 2006.11.17 19:59

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