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2007.01.09

悲しき制服

お葬式があった。 (珍しく)ご近所の、ではなく、かつてお世話になった方の、だ。 お子さんがいらして、上のお姉ちゃんが喪主を務める故人の奥様の隣にずっと寄り添っていた。 悲しみに暮れる母を支えているであろう様子は、頼もしかったことに違いないのだけれど、ひとつ大変に残念だったのは、彼女が着ていた高校の制服が極端なミニスカートだったことだ。

誰がどう見ても、あんなスカート丈の制服はありえないから、自分で裾を詰めているのだろうと思うが、座っていれば下着が見えているし(ただでさえあの年代の女の子は、膝頭の位置に気を配ることが難しいように見受けられる)、お焼香で屈めば後からも丸見え。 葬儀には彼女のクラスメイトと思わしき同じ制服姿の女子高校生たちが十人近く来ていて、そちらもことごとく超ミニスカート姿である。 喪服に身を包んだ大人たちの中で、あちらこちらで『なま足』がチラチラしている会場に、思わず閉口してしまった。

中学・高校生で制服のある学校なら、基本的に『制服が正装』だから、制服でお葬式に参列することには何ら問題にならないにしても、あんな丈の短いスカートしか持っていないとしたら、私服の方がよっぽどマシなのではないだろうか。 故人の死を悼み、悲しむご遺族の心に寄り添うためにわざわざ黒い服を選び、煌びやかな装飾をはずしているという、その意味そのものが、彼女たちには全く伝わっていないことが悲しかった。 ああ、自分たち大人は、一体何をしているんだろう、と、そっちに泣きたくなる。

斎場の隅で固まって、賑やかな笑い声を立てている超ミニの彼女たちに、唇に一本指を押し付けて「しーっ」の合図をした。 他人のお葬式の場で説教をたれるべきか、本気で迷っていたのだが、故人の長女があの姿であることを思って踏みとどまった。 悲しみの中で葬儀の段取りや親戚に気を配り、多分いっぱいいっぱいの奥様に代って、誰か親しい親族の方、彼女に教えてあげて欲しい!

人の悲しみに寄り添えない彼女たちが、これからの日本を背負ってゆくのだろうか。 葬儀自体は滞り無く順調に進められたにも拘らず、私は全く違うピントはずれな内容に勝手に一人で頭を抱えていて、葬儀に集中できずにいたのだった。 故人さん、ごめんなさい。

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コメント

頭を抱えたくなる気持ちわかります・・・。
自分の高校生の時の事を考えると、自分も分かっていなかったと思うのですが、その時には周りの大人も世の中の状況もまだ厳しいところがあったのかなと思います。
周りにいる大人がやはり少しずつでも声をあげていく事が大切なのでしょうね。

我が家でも10代の娘や息子と服装や髪型の事で時々言い争いになります。やっぱり、TPOを考えて欲しいし、見ている人(見せられている人と言ってもいいかも)の気持ちも考えて欲しいと思います。

でも、時々、私って頭が固いかしら・・・と自問しつつ。。。

投稿: | 2007.01.09 21:59

続き
紅白のDJ OZMAの演出なんかは笑って見てたんですけどね・・・。

投稿: かおる | 2007.01.09 22:04

かおるさん、いらっしゃいませ。

そうなんですよ、多分葬儀に出席していた生徒さん達には、誰か大人が「行くのなら制服にしなさい」みたいな指示を出したのではないかと思うのですけれど(学校サイドなのか、親御さんサイドなのか判りませんが。)、それが思いっきり裏目に出ていた感じでした。 まあね、「気持ちが大事」ということに変わりは無いのですけれど。

実は昨日下書きしておきながらアップしなかった文章があります。 内容のひとつは「元々学校は師に頭を下げて教えを請う場所であった、という意識の根本的脱落」について、もうひとつは「制服をリメイクするなら、一式余分に「儀式用・正装用」を用意して、そちらはいじらずにおいて、使い分けしたら良いのではないか」ということでした。

ファッションの価値観は、世代間ギャップが大きいジャンルのひとつだと思います。 どこまで伝えるべきか、どこまで尊重できるか、本当に頭が痛いですよね。

DJ OZMAさんはずいぶん話題を提供してくれたようで。 この前の紅白は見なかったんですよ・・ちょっと残念。 問題のダンサーの写真見ただけでもアホ臭くて笑えました! あれもファッションなのか~??

投稿: リーボー | 2007.01.10 16:04

>制服の使い分け
基本的に学校はリメイクを認めてはいないのだと思うけど、いくら注意してもなかなか直らないと息子の学校の先生は嘆いていました。
息子はまだ中学生で、私立のせいか、かなり身だしなみには厳しく、(わが子はネクタイの縞をふざけて数本糸を抜いてしまったため、もう1本買わされました。)今の所、中学生には超ミニはいないけど、高校生にはたくさんいますよ。
親も諦めているのかな・・・。
学校を出る時は長めでも、その後、スカートを上で折るらしいし。
もう一着正装用に用意しろとなると、リメイクを認めたことになってしまうからそれはしないのでしょうね。


>教えを請う意識の根本的脱落
それで感じるのが、先生を敬いたいと思っても、なかなかそう思えない教師も増えているということ。
私の経験では今の所、小学校の話ですけどね。
先生の悪口とか家では言いませんけど、時々、子どもが先生の文句を言ったりした時、先生のフォローが出来ない事もあってこちらも悩みます。
まあ、それでも人にはいろんなタイプがいるという勉強ですから、どうしたら良いコミュニケーションがとれるか、一緒に考えますけどね。

過去には本当に困った先生もいて、何人かの保護者の方と学校カウンセラーの方と校長先生のところに相談に行ったこともありますよ。
次の学期から先生も随分変わったようですが、今でもそのときのトラウマを抱えている子もいるみたい。

少しずつでもいいから、皆が子どもの教育のことを考えないと、やっぱり日本の未来は危ぶまれる・・・。
どうしようもなくなって、上からのお仕着せになったら、それこそ困りますからね。。。

投稿: かおる | 2007.01.10 20:16

なるほどね・・現場の状況はきびしそうですなあ。
ネクタイの糸を抜いたことをちゃんと見分けるのも、ある意味ご立派という印象で、思わず苦笑しました。
世の中どこでも、すごいミニの制服姿を簡単に見かけることが出来ますね。 もちろん学校も保護者も認めていないのだろうと思いますが、諦めてしまったら結局通じないから、ちぐはぐな状態で平行線のまま、というのが現実なのでしょうか。

自分の社会的立場を守るために、根本を忘れてしまっている状況が、最近多いような気がしています。 簡単に訴えられて責任を問われ、多額の賠償金を要求される風潮が、背景に在るのかもしれません。 ・・お葬式の帰りにファミレスに寄って食事をしましたが、たまたまオーダーしたサラダの生野菜が、鮮度を失ってベッタリと腐る寸前のものを提供されました。 で、店員さんを呼んだら、まずホールの人が謝りに来て、続いてホールの責任者が謝りにきて、厨房で作った人が謝りに来て・・もうこっちは面倒臭くなっちゃって、ですね。 問題なのは「お客さんが機嫌を損ねたら困る」ことじゃなくて、「野菜を腐らせた管理方法」だったり「腐りかけの野菜に気付かない作り手」であり「それをチェックできないシステム」なのに、そちらには着手しないんですよね、きっと。 ご機嫌直してちゃんとお金払って帰ってくれたら、もうそれで「済んだこと」になるんですよ。 実はそれでは何の解決にもならないのに、解決できた気になっちゃうんです。 そんなことの積み重ねの歪が、子供たちの環境に吹き溜を作っているようにも見えます。

学校は何年か経ったら学生が卒業してゆきますから、その間だけ波風が立たなければ良いみたいなことを考えてしまう先生や学生当然出てくるでしょうね。 「変な人」とか「困った人」って、職業云々を超えてある一定の割合で存在している気もしますし。 ・・いえいえ、私もその中のひとりなのかも知れませんが。

投稿: リーボー | 2007.01.10 21:48

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