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2007.01.05

「おかめさん」のこと

「おかめ」といえば、あのふくよかな面持ちで「ひょっとこ」とコンビ・・くらいにしか知識が無く、「まあ昔はああいう顔が美人だったのか」の程度の気持ちでしか見たことが無かった。 食いしん坊の私は、おかめ蕎麦がすぐに浮かんできてしまう。

ところが、節分の行事でも有名な京都の大報恩寺(千本釈迦堂のお寺さんと書いた方が早いか)には、おかめさんの悲しいお話が伝えられていると知って、なんとも複雑な気持ちになった。

なんでもご本堂を造営する際、腕の良い職人として棟梁に抜擢されていた長井高次という人が、寄進された大切な柱の寸法を間違えて短く切り落としてしまった。 命を以て償わなければ、と、思いつめていた高次を見て、妻である「おかめ」が、「いっそ他の柱も全て短く切りそろえてはどうでしょう」と提案し、高次はこれを採用して見事なご本堂を作り上げた。 しかし、おかめは、妻の入れ知恵によってご本堂を作ったなどと口走ることが万が一にも起こってはならないと、夫の名声を守るために上棟式を前に自害してしまった・・ということらしい。 高次はおかめに似せた福福しいお面を上棟式のお飾りに付けて、妻の冥福を祈ったとか。 (それで現在でも、上棟式にはおかめを飾る習慣が残っているらしい。)

それがどの時代の話なのかは解らないのだが、ちょっと前まで、日本女性はそれほどまでに夫を立てる生き様を貫いたのか、とか、ある意味においてはそれほど凄い男尊女卑が当たり前に存在していたのか、とか、いろいろと考えてしまったのである。 現在の自分からは失われているような価値観の集約が、おかめさんの話の中には在るような気がして、なんだか複雑な気持ちだった。

別にそれらを優先する暮らし方を選択しようなどと考えているわけではなく、「そういうものをすっかり忘れていたな」という感じだ。 旦那さんを立てる姿勢を、日常生活の中の隠し味のように身に付けているのは、決して間違ったなことではなく、むしろ大事なことのような気がした。 パートナーの存在を大切に扱うことは、時代に係わらず、性別に係わらず、美しいこととして良いに違いない。

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