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2007.03.30

桜の狂気

東京で暮らす気心の知れた友人と、「適当に中間点辺り」のターミナル駅で待ち合わせして、お花見。 出かけるときはどしゃ降りでどうしようかと思ったほどだったが、電車に揺られている間に、雨が上がり、曇りになり、薄日が射し、現地に着いたら快晴でお互いにびっくりするほどの行楽日和に恵まれた。 気温もぐんぐん上がって、タンクトップ姿の女性も。 さすがにそれはやりすぎなのではないかと思うが・・まあ、そのくらいに暖かかったということで。

桜の名所らしく、立派なソメイヨシノの木がたくさん。 着いた時には七分咲きくらいに思われたのに、ふと見上げるとさっきより花のボリュームが増している。
「ねえ、さっきより開いてない?」
「あっ、やっぱりそう? 気のせいかなあなんて思っていた所だけど、そうだよね、花が開いてきてるよね。」
まさに『開花劇場』といった雰囲気で、桜の生命力に圧倒され続けた。

花見客のために設えられた白木のテーブルにお弁当を開いて、花を見上げながらビールを飲む。 幸せ。 今日のメニューは鶏のから揚げ、甘い玉子焼き、菜花のおかか和え、タコのマリネサラダ、チーズ、大学芋、煮ヒジキ入りのおいなりさん、果物少々、それに乾き物、駅で友人が見つけてきたという甘栗。 典型的なお花見をしたかったので、お弁当の中身もありふれたものだが、それでも外で食べるといつもよりも美味しい気がするから不思議だ。 特に甘栗は、ふと気付けば多分ここ10年近く食べていないように思われ、なんとも懐かしく甘い優しい味がした。

桜の花の勢いに包まれ、暖かい陽射しを浴び、気心の知れた相手と食事をし、話をし、ちょっとお酒や甘いものを楽しむ・・どれがひとつ欠けても、きっと今日のこの気分は成立しなかったに違いない。 まるで毎日の生活からこの日だけがぽっかりと浮世離れして、その中に幽閉されていたような不思議な感覚だった。 あれもこれも全ては、桜が仕組んだ幻想だったのだろうか。

実は私はずっとソメイヨシノが好きではなかった。 それは、葉も付けずに枝中を花にして咲き誇る様子に、どこか狂気を感じてしまっていたからで、美しいと思いつつも怖かったのである。 でも、今日、初めて、その狂気に身を委ねてしまったら、なんだか心配していたよりも心地良い感じがして、こんな風になら狂わされてもいいかな、と、そんな想いを発見してしまった。

私の中で、ソメイヨシノを見る目が変わったかもしれない。

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2007.03.27

距離感

雨降り。
春の雨に相応しい穏やかな降りかた。 風も無くしとしとと降っている。 このところの雨は、まるで台風のような嵐ばかりだったから、こんな優しい降りかたをされるとなんだか泣きたくなる。

懐かしい人をちょっと思い出して、今頃どうしているか、と、思う。 まだ東京で暮らしていたなら、きっとひとり傘をさして、顔馴染みの静かなバーにでも出かけてしまいそうな夜だ。

あの時上手く言えなかった言葉が、胸の奥に蘇ってくる。 戻りたい訳じゃなく、それはそれなことくらい百も承知だ。 後になってから初めて理解できることがあったって、構わないさ。 それはきっとお互い様。

あまりにも自然が豊かで人気の少ない所で暮らしていると、こんな切ない夜にふらっと出かけられる場所が見つからなくて困る。 ひとりきりでもなく、かといって誰かとはしゃぐわけでもなく、さり気ない距離感の赤の他人同士がなんとなくお互いを気にしつつ言葉をかけるわけでもない・・そんな、独特の距離感が恋しい。 何処かの知らない誰かのままで居たい時も、たまにはあるさ。

贅沢な無いものねだりだよなあ。 うん、自分でも解ってる。

お風呂にでもゆっくり浸かってリセットしよう。

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2007.03.26

ローヤルの15年

引き続きサントリー・ローヤルの15年物を飲んでいる。 久しぶりに国内メーカーのウィスキーを楽しんでいてつくづく感じるのは、和食に合うということ。 それも煮物に代表されるような、どちらかというとコテコテの「おふくろの味」的な和食。 こんなにしっくりくるとは予想外だった。 単独で飲んでも十分美味しいのだが、あまりに和食と合うので、もっぱら夕食時の晩酌に楽しませてもらっている。 これぞ日本のウィスキーとでも言うべき貫禄で、この役回りを担わせているのは、飲み手としてとても嬉しい気分だ。(作り手に言わせたらどうなのかは疑問だけれども。)

当然ながらお酒にはそれぞれ個性があり、料理との相性もある。 もちろん、中には料理を寄せ付けないお酒もある。 一生かかったって全てのお酒の全ての銘柄を飲むことなんて、どう考えたって不可能なことで、お酒との出会いはある意味偶然のようなもの。 その時は何も感じなくても、何年か経って改めて飲むと「こんなお酒だったのか?!」などと驚くこともあるから解らないものだ。 一期一会とも思えるし、お互いに育ってゆくものとも思えるし。 好みも個人差が大きい。 体質との相性もある。 誰がなんと言おうが、好きなものは好き、そんな感じだろう。

お酒との付き合いは、どこか人間関係に似ているような気がする。 付き合うなら、良い関係を築きたい。 ・・と、酒好きの言い訳。

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2007.03.24

土筆(つくし)

土筆を摘んできた。 いつものようにウォーキングしていたら、日当たりの良い場所に何かにょきにょき生えている。 眼鏡が無いと世界がぼやけている私は、近付いて相手を確かめなくてはならない。 「あれ?こんな所に土筆・・。」 去年まで見かけた覚えがないのに、どうしたことかたくさん生えている。 目が慣れると実は相当な生え具合だった。 やれやれウォーキングの邪魔になるものを見つけてしまった、と、内心思いつつ、狩猟本能を意思の力で封印して1時間みっちり汗をかき、一度家に戻って袋を持参してから出直した。

今度はのんびり歩きながら、活きの良さそうなもの、笠が開いていないものを選んで摘み取ってゆく。 近くで小鳥のさえずりが聞こえる。 あっウグイスも鳴いた♪ イイ感じで春。 あれよあれよと袋一杯集まって、凄く得した気分で帰ってきた。

早速「はかま取り」。 みずみずしい茎(軸?)を傷めないように、丁寧に剥いてゆく。 あっという間に指先も爪も爪の隙間も、アクで真っ黒に染まる。 そうだった、土筆はこれがあるんだった、などとこの段になって思い出しても、もう遅い。 春をいただくためには覚悟を決めてかからねばなるまい・・。

ゴマ油でジャッと炒めて、みりんと醤油同量で手早く味付け。 それだけのただただひたすらにシンプルな一品。 あんまり面倒なことをしていじくり回したくなかったので、「アレに使っても美味しそう、あんな風にしても良いかも」などと自然に浮かんでくる料理方法を心の中で一蹴して、シンプル・イズ・ベストに徹する。 そうでもしないと春の季節に申し訳が立たないような気分がするから不思議だ。

せっかくなので春にお祝いするような気持ちで、いただきもののサントリー・ローヤルの15年ものを開封した。 美味しい! 幸せな春の食卓。

自分の中の価値観が、どんどんシンプルな方向に移行しているのを感じる。 そういう年回りなのだろうか。

あちらにも、こちらにも、土筆の便りが。 世の中、春だねえ・・。 

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2007.03.23

所変わればお店も・・

春の陽気に誘われて、伊東と川奈にまでルーテシア嬢でひとっ走り。 くどいようで恐縮だが、ルーテシアに変えてからドライブが本当に楽! 歳をとってきたら何よりも優先してシートで選ぶべきかも知れない、などと、本気で考えるほどに、ルノーのシートは素晴らしい。 体が本当に疲れない。 全然違う。 毎回車に乗るたび毎に、感動に近いものを覚える。

桜には早く梅には遅い中途半端な季節だ。 家族のためだけに耕しているような小さな畑で、収穫されずに残された大根が、地面の上にニョキニョキと伸びて見事な花をつけている様子も、なかなか春らしくて風情がある。 中伊豆地域よりも空気が穏やかで、春が進んでいる印象を受けた。

旅先など滅多に行かないような町では、何気なく地元の人が利用しているスーパーを覗くのが好き。 地元系の小さなメーカーの食品とか、果物や野菜も珍しいし、日配品と呼ばれるのだろうか、豆腐類や乳製品などはルートが全く違うのだろう、見たことのないメーカーの商品があったりして、なんだかウキウキ・ドキドキする。 そうでなくても普段見慣れている商品が、どのくらいの価格でどんな風に売られているのかを観察するだけでも、そこの土地の様子や住民の生活ぶりが垣間見えるようで興味深い。

鮮魚のコーナーには、パック詰めの切り身の他に、大きな発泡スチロール箱に氷をドバッと入れて一匹物の地場上げされた魚が並んでいた。 茶色に輝くスルメイカ、ぎょろっと睨みつけているような鯖も美味しそう。 その隣に30センチくらいの知らない魚が。 「なんだ、これ?」と、氷に差し込まれている木の札をひっくり返すと「ボラ」とある。 「ボラ・・?」

お恥ずかしいことに、私は一匹物のボラは初めて見た。 ボラと言えば、私の中では「からすみの親」という感覚で、魚としてボラを食べた覚えが無い。 どんな身の魚なのかも知らなかった。 かなり興味を持ったが、ここから家に持ち帰って身を下ろして・・というのもちょっと面倒だったので、しげしげと魚を観察だけさせてもらって、購入は見送ることに。

調べてみると、元々は日本人の食卓に馴染んだ魚で、どちらかといえば高級魚だったらしいが、沿岸部で生息しているために、水質汚染が進んだ昭和40~50年代頃には身に臭みが出て、それをきっかけに人気がなくなってしまったらしい。 残念な話ではある。 ちょうどボラの人気の無い時代に育ってしまったので、どうりでお目にかかった記憶が無かったわけだ。 今では水質管理も良くなって、環境がそこそこに守られるようになったお陰で、釣り人などはちゃんと家に持って帰って美味しく楽しんでいるような魚らしい。 へ~。 (ウィキペディアはこちら。) 今度どこかの料理屋さんでお目にかかれたら是非食べてみたいし、何かの機会があれば料理してみたいな、と、思った。

何故か、木札に「ボラ」の文字を見た次の瞬間、頭の中に『ドナドナ』のサビ部分の曲で「♪ボラボラボーラ、ボーラー」が流れてしまい、春らしい薄ぼんやりした陽射しと相まって、家までその音楽が離れなかったのは、買ってもらえなかったボラの祟りか。

結局はボラの代りに、近くのミカン農家で採れたという清見オレンジを格安で購入して帰ってきて、とても濃い味で香りも甘味も強く、美味しくいただいている。 アシタバ一把100円というのも心惹かれたが、冷蔵庫にネバネバ系の食材がいくつかあったので止めておいた。

目新しい土地でコテージでも借りて、そこの食材で半月ほど暮らし、また別の場所に移ってゆくみたいな生活ができたら楽しいだろうなあ。 と、そんなことをぼんやり思いながら。

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2007.03.20

悔しい気分

普段は低脂肪乳や無脂肪乳を飲んでいる。 たまたま他の牛乳類よりも安かったので、乳脂肪分4.4%という特濃牛乳というのを買ってきて飲んでみたら、「あっ!」と思うくらいに違いを感じる。 美味しい。

自分達用のおやつにケーキを焼くような時にも、バターの量をなるべく減らす。 バターケーキでも蒸しパンに近いような雰囲気になったりする。 ところが、たまたま来客があったので、久しぶりに一般的な配合でカルトカール(粉・砂糖・バター・卵が1:1:1:1)を焼いたら、美味しい。 ちゃんと美味しい。

普段は体のことを考えて意識的に油脂類の摂取を抑えているのだが、こんなに美味しいと癪に障る。

悔しいけれど、油脂類は美味しいんだな、やっぱり・・。

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2007.03.19

意外な穴場?

東名高速道路に『駒門(こまかど)』というこじんまりしたパーキング・エリアがある。 規模も小さいしマイナーな感じなので、正直なところかなり地味だ。

が、寄ってみたら意外と侮れなかったのである。

その1 アメリカン・ドックが妙に美味しい
結構昔から知る人ぞ知る、ここの名物らしいのだが、本当に美味しかった。 高速道路のサービス・エリアには必ずと言って良いほど置いてあるメニューの、アメリカン・ドック。 ご存知の通り、ソーセージに木の棒を突き刺して、ホットケーキのような皮で包んで揚げた物だ。 ここのは皮が美味! ふっくらとしているのに油っぽくない。 大抵、中のソーセージと皮の間に空隙が出来て、スカスカになっていることが多いのに、見事に一体化している。 あらびきなどではないソーセージの安っぽさと、皮のほのかな甘味のバランスもグッド。 胃にもたれずに食べ応えもあった。 また、容器に入ったマスタードとケチャップが好みで掛けられる様になっているが、このマスタードがちゃんとしっかり辛い!(ビネガーの味は薄い。) 普通の感覚で掛けてしまった私は、鼻をすすりながらいただく羽目に・・。 ちなみに、何回も来ている様子のご家族はマスタードのチューブには手を延ばしていなかった・・さすが、良くご存知で。 これは、また食べに行きたいくらいの出来だった。

その2 名水汲み放題
『駒門の水』というらしい。 ポリタンクを持参で多くの方が汲みにいらしていた。 ポリタンクは売店でも扱っている。 その場で飲んでみたが、非常にまろやかな『丸い』印象の優しい水。 これはそのまんま飲んでもとても美味しい。(アメリカン・ドックもこの水を使って作られているらしいが。)

近くなら高速道路に乗らなくても、直接パーキング・エリアに入れるようになっているが、そのための駐車場は無く、第二東名の工事現場と重なって、かなり判りづらい状況になっているので、少々の覚悟が必要かも知れない。

春のおでかけの帰りに小腹が空いたら、覚えておいて損はないように思う。

(ちなみに、上り線側のパーキング・エリアです。 リンクはこちら。)

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2007.03.16

生鱈で

暖かくなってしまうと会えなくなるので、今の内に食べておかなくては・・という気持ちになる。 塩を引いていない生の鱈を名残惜しみつつ、春野菜を楽しむ感じで、三寒四温をお皿で表現するような一品に。

 鱈の蒸し煮   2人分

材料  生鱈       2切れ・・骨を除いて塩コショウ。各2片にそぎ切り。
     固形ブイヨン  1個
     白ワイン     大さじ2・・日本酒で代用可
     バター      大さじ1

     キャベツ     3枚
     小カブ      1個
     タマネギ     小半個
     ジャガイモ    1個
     人参       5cm分
     カリフラワー   小房3個

1・野菜類を切る。 キャベツは芯を残したまま、大き目のざく切り。
            カブは葉を3cm幅、根は6から8つのくし型切り。
            タマネギ・人参は7mm.厚くらいにスライス。
            ジャガイモは5mm.厚に。
            カリフラワーは軸ごと一口大に。
2・大さじ3のお湯(分量外)でブイヨンをゆるめ、白ワインと合わせる。
3・フライパンに野菜類を敷き詰め、鱈を乗せる。 鱈の上にバターを少しずつちぎって乗せる。
4・2のブイヨンと白ワインを回しかけ、蓋をして中火で10分ほど蒸し焼きにする。
5・蓋を開けて加熱の具合を確認し、必要に応じて弱火でさらに加熱。
6・野菜がしんなりして、鱈に火が通ればできあがり。
7・お皿に野菜を敷き、上に鱈を盛り、フライパンに残った汁を鱈の上からかけてソースとする。


春の野菜なら何でも使えます。 菜の花、インゲン、ソラマメ、筍、キノコ類や海老を追加しても。 お好みでハーブを入れても合います。 オレガノやローズマリー、セージなど。 今の時期なので鱈で作っていますが、鶏肉を使っても美味しく出来ます。(から揚げにするくらいのピースに切ったもので。) カリフラワーやブロッコリーは太い軸の皮を厚めに剥いて、5mm厚に切ってから一緒に加熱すると、甘味が出て美味しい! 捨てずに使ってくださいね。

こういう料理は、加熱している間に別の作業が出来るので重宝だったりして。 へへへ。  

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2007.03.15

美味しくいただくという技術

大事な友人のことを書きたい。  お互い遠く離れているし日々のなんだかんだに追われて、なかなか会えないのが実情だが、会うときにはなるべく一緒に食事をするようにしている。 どうしてかといえば、彼女と食事をすると美味しいのである。 お互いそれぞれの家に家族を残して外食するわけだから、意識せずともどこか家族への負い目のようなものがあり、特別豪勢な食事をするわけではない。 予約が必要なお店も、滅多に選ばない。 落ち着いてゆっくりと食事が楽しめればよく、そこに一杯のビールが付けば、もう御の字だ。 そんな一般的なお店で提供される一般的なごはんでも、彼女と食べると美味しい。 それは、彼女の「美味しくいただく技術」がとても高いからだ。

とにかく彼女はよく料理を褒める。 美味しかったら、「美味しいね」とか「うん、美味しい!」とちゃんと言葉に出して笑う。 特筆すべき程美味しくなくても、「こうやって盛り付ければ良いんだねえ」とか「このお皿はきれいだ」とか、「こんな食材が出るなんて、もうそんな季節なんだね」とか、とにかくいい所を見つけて褒める。 で、食べっぷりもなかなか豪快で、パクパクときれいに残さず全部食べる。 遠慮せずにすいすいお腹に納めてゆく様子を見ているだけでも、なんだか楽しい気分になってくる。 彼女がそんな感じだから、こちらも引っ張られて、「あっ、これは面白い味だね」とか「なかなか個性的な香り」などと、全面的に美味しくなくてもなるべく肯定的に料理を受け止めようとする。 そういう気持ちで食べていると、本当に美味しく感じられるようになってくるから不思議だ。 ふたりとも食事が終わる頃には必ず、「主婦なんてさ、誰かが自分のために作ってくれただけで十分美味しいと思うし、家じゃないところで食事するだけでも幸せなんだから、安上がりよねー・・」なんていう話になり大笑いする。

グルメ情報は氾濫しているが、結局は「そんなこと書いてるアンタは、ナンボのもんじゃい?!」だし、最終的には美味しさの基準は個人的好みの問題になってしまう。 美味しくなるためには、店側からサービスされるものだけが要素ではなくて、いただく側の要素も大事だ。 つまり共同作業なんじゃないか、と、思うようになってきた。 食事のマナーや店・店員・他のお客さんへの配慮、体調の管理、もちろん虫歯は治しておくとか、食事や相手との時間を楽しむための個人的な心がけ、そんなものがたくさんあるような気がする。

美味しそうなお店はちょっと検索をかければ、すぐに情報を得ることが出来るけれど、「美味しくいただく技術」は学習して身に付けなければならない。 どちらに価値があるかは50:50だろうが、どちらが興味深いかと問われたら、私は断然後者に傾きつつある。 色々なことを教えてくれる友人に感謝!だ。

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2007.03.13

器と食事

陶芸家の書いた本を何冊か続けて読んでいる。 伊豆にも陶芸家は多い。 ちょっとサブ・アーバンな立地では、必ずと言って良いほど陶芸家が住んでいる。 リゾートと呼ばれるような場所には、焼き物かガラス製品のお店がある。 私は海外の生活事情にあまり詳しくないが、どうも日本は陶芸家の割合が高いのではないか、と、以前から疑問があった。 その上趣味で陶芸を楽しむ人も多いし、生まれてから一度も陶芸をやったことがない人に会うことすら難しいような気もして、日本人はどうも陶芸好きに見える。 その辺りのヒントがあれば、と思って、読んでみているのだ。

浮き彫りにされてきたのは、「日本の食卓に上がっている食器は、他国に比べて種類が多い」ということ。 例えばご飯茶碗ひとつを取り上げても、家族全員が大きさも色も柄も全く同じ茶碗で食べている家は少ない、という事実だ。 お茶を飲むときは湯飲みを使い、コーヒーを入れるならカップ、日本酒を飲むならお猪口、という具合に、使い分けもはっきりしている。 これは海外の国々に比べて、日本に特徴的な傾向らしい。 外国からの観光客が非常に驚くのは、例えば居酒屋や喫茶店で、客に好みのお猪口やコーヒーカップを選ばせるケースであるとか・・。

使われる器の種類が多い上に、それぞれが自分の好みの器を使い分ける、となれば、各々が自分の美意識に基づいて陶芸作品を作っても、それなりに買い手が存在するということになり、ヨーロッパなどに暮らす陶芸アーティストには本当に羨ましがられるのだそうだ。

また、日本人は「自分で作った器で、飲んだり食べたりする」のが大好きな民族らしく、趣味で陶芸をやる場合、器を作り出すことそのものよりも、それを使って飲食することが目的で、「何を作るか」となるとまずは食器らしい。 これも海外では珍しい傾向とのこと。 確かに指摘されると、妙に納得してしまう。

さて、自分の食卓を見ても、洋食器もあれば和食器も使う。 それが同時に並んでいても、何の不思議にも思わない。 洋食器に和食を盛るし、逆も然り。 その上、和食とも洋食ともつかないようなメニューも多いし、お酒との組み合わせも好き勝手で滅茶苦茶だ。 同じメニューを繰り返し食べ続けることも(主食以外は)皆無なわけで、これほど食事内容も器もバラエティーに富んだ国は、他に見当たらないのかもしれない。 そりゃあ陶芸家さんがたくさん居ても不思議はないわな。

色々な文化を受け入れてミックスした結果なのか、各自の趣味や嗜好を尊重した結果なのかよく判らないけれど、良いトコ取りという気がして、なんだかお得な国だったんだな、と、最近にしては珍しくこの国に好感を持ったりしているのである。

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2007.03.11

案外普通にあること

ちょっと前、アメリカで出産まで妊娠に気付かなかったという肥満女性のニュースが話題になったようです。

でも、この手の話は、臨床では案外良く聞く事だったりします。 私も周産期(妊娠・分娩・分娩後の母体と新生児を看る期間)に関わっていたほぼ10年の間に2例ほど経験しました。 印象に残っているのは、後からのケースです。

夜半過ぎ。 腹痛を訴えていた奥様がトイレに座ったまま動けなくなり、ご主人が「これは尋常ではない」と救急車を呼んで、病院に運び込まれました。 超音波で腹部を見ると、なんと映し出されたのは丸々と大きく育った赤ちゃんで・・すぐさま外科から分娩室へ。 あれよあれよという間に、無事出産。 立派な赤ちゃんが産声を上げました。

40を過ぎていたそのお母さんは、生理が来ないのは「もう閉経なんだ」と思っていて、食欲が無いのも「更年期障害のせいだ」と思っていて、最近お腹周りが大きくなってきたのも、体重が増えてきたのも、「閉経すると太るって言うし・・」と、気にも留めていなかったとのこと。

ご主人と小学3年生のお姉ちゃんの唖然とした表情が、忘れられません。

とにかくおめでたいことには違いないのですが、ご家族にしてみれば寝耳に水で、パニックに陥っても不思議ではない状況ですので、スタッフは皆かなり慎重にケアに当たらせていただきました・・。

外来に腹痛や不調を訴えてくる患者さんには、そこそこ「本人が気付いていない妊娠」というケースがあって、そんな方にCTスキャンとかX線造影とかで放射線を浴びせてしまうと大変ですので、医療従事者間には「女性が来たら妊娠を疑え」なんて言う裏原則が、脈々と先輩から後輩へ受け継がれていたりします。

まあ、妊娠に気付かない程の妊婦さんは、それだけ妊娠経過が順調だとも言える訳ですが・・。

ちなみに、妊婦検診を全く受けていない妊婦さんから生まれる赤ちゃんは、どんな感染症を持っているか判らないという理由で、検査結果が出るまでは他の赤ちゃんから隔離されます。 沐浴も別、オムツ交換もガウンを着直して、抱っこしたらその後には厳重な手洗い・・。 扉のついた別の部屋でスヤスヤと眠っている赤ちゃんには何の罪もないわけで、同時にたくさんの新生児を預からなくてはならない立場上、仕方がないことではあるのですけれど、ちょっとばかり心が痛かったりしました。 状態が安定したらすぐにお母さんの部屋に移動して、お母さんに赤ちゃんのケアをしていただきました。 こういうケースでは、赤ちゃんが出来るだけ早く家族の一員となるべく、「赤ちゃんが来た」という実感を持っていただくことが大事になりますので、ね。

分娩を取り巻く環境も、人それぞれ、本当に色々です。

検索をかけてみたら、こんな経験をなさった麻酔医も居られました。(やっぱり「女性を見たら・・」は医療現場ではどこでも引き継がれているみたいですね。)

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2007.03.08

「くいだおれ」

東京の片隅で生まれ育った私は、大阪へはまだ2回しか行ったことがない。 それも一回は学会がらみで、ホテルと会場を行き来していただけなので、実質的には一度きりだ。 火事になる前の夜の法善寺横町を歩いて、『ますたあ』と夫婦善哉を食べた。

東京人が大阪と言われて思いつくものの代表が、あの動く蟹の巨大オブジェと妙にゆっくりした調子で太鼓を叩き続けている「くいだおれ人形」の画像だ。 そのどちらかが画面に映った時点で、頭の中は「あっ、舞台は大阪なのね」と決定付けられる感じ。 昨日の深夜、とあるテレビ番組で、M-1覇者になったことで人気の出たチュートリアルが、東京のゲストに大阪を案内する映像が流れていた。 しっかりと蟹も手足を動かしていたし、「くいだおれ人形」の画像もカット・インされていた。

右から左へ首を動かす「くいだおれ人形」をぼんやり見ていた私は、「あれっ?」っと一瞬考えた。

「くいだおれ人形」が店先にあって客寄せに使われているのは知っている。 お店の名前が「くいだおれ」なのも知っている。 だが、「くいだおれ」が何を扱っているお店なのか、知らないことに気付いてしまった。 お店の前も通ってちゃんとこの目で人形も見てきたというのに、何のお店だったのか全く思い出せない。

「『くいだおれ』って、何屋さんだったっけ??」
「・・あれ?・・さて??」
「全然思い出せないね」
早速検索。

どうも外食のお店らしいが、ビルひとつ下から上まで全部「くいだおれ」で、ファミリーレストランや宴会用の広間、個室の割烹など色々な形態で営業しているようである。 東京で言えば秋葉原にある「肉の万世の本店ビル」みたいな感じか。

くいだおれファミリーレストランで扱っているという、「くいだおれ太郎パフェ」というメニューが目に留まる。 「あ、あの人『太郎さん』だったんだ・・へえ。」 今度大阪に行く機会があったら、食べてこよう。

知っているようでやっぱり知らないものだな、と、少し反省した。

「大阪名物くいだおれ」のHPはこちら。(音が出ます)

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2007.03.07

分散

私の暮らしているところは静岡県下だが、電気は東京電力、で、固定電話の回線はNTT西日本、最寄のJR駅はJR東海である。 ちょうど境界の地域は、なにかとややこしい。

で、電力料金の明細が届く度、東京電力は最近必ず「オール電化」を勧めてくる。 まあ、勧めるのは会社の勝手だから、無視しておけばよいだけの話だが、単純な疑問として、「オール電化の家」にしてしまった時に停電になったらどうするのだろう?、と、心配している。

ここのような過疎の山間部では、台風や雷などで現在でも年に数回ずつは必ず、「しっかりとした」という形容詞が当てはまるような立派な停電が起きている。 ましてや東海地震の影響を受ける地域とされていれば、心配は大きい。 よっぽどの充電設備を備えなくては・・と、思ってしまうのだ。

信頼しているとか、していないとか、そういった価値観の問題ではなく、我が家ではライフラインと呼ばれるものについては、なるべく分散する姿勢を貫いている。 例えば厨房機器にしても、電気とガスのどちらかの供給がストップしても、残りの片方で事が済むようなシステムにしておいた。 確かに基本使用料金を双方に払わなくてはならないのは、厳密に言えば勿体無い話ではあるが、これもリスク・ヘッジであり、保険料と考えると決して家計を圧迫するほどの金額でもない。

なにかひとつのものに全面的に頼るというのは、ちょっと危ないような気がしなくもないのである。 それはエネルギー供給だけの問題ではなく、人間関係を含め、すべての事に当てはまりそうな気がするのだけれど。

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2007.03.06

なんだか嬉しい

お昼ごはんを作っていて、卵を割ったら黄身が双子だった。
・・得しちゃった気分で、なんだか嬉しかった。

作っていたのは、こちら。

名無し丼 2人分

材料  天かす     大さじ4
     独活の芽と皮 1本分
     菜花       4本
     シメジ      3分の1パック
     長ネギ     青い部分一本分
     卵        2個
     丼つゆ     ダシ大さじ6 みりんと醤油大さじ1杯半ずつ
     ごはん

1・丼の具として適当なサイズに野菜を切る。
2・フッ素加工のフライパンに材料の野菜を散らばるように入れて、上から天かすをパラパラ。
3・2の二箇所に窪みを作って卵をひとつずつ割り入れる。
4・丼つゆの材料を別容器で混ぜてから、フライパンに静かに流し入れる。
5・蓋をして中火にかけ、5分ほど加熱。 具材に火が通り、卵の黄身が半熟になったらできあがり。
6・丼に盛ったごはんの上に半量ずつ乗せて、七味を振って、黄身を崩しながらいただく。

別に材料はあり合わせのもので大丈夫。 タケノコ・三つ葉・キノコ類・ゴボウ・イカや小海老等、目安は「天麩羅に使えそうなもの」。 甘めの味付けがお好みなら、丼つゆに砂糖をひとつまみ追加。 もちろん市販の麺つゆを活用しても。 気にしなくても良い方は天かすを増量するとボリュームが出る。

冷蔵庫の庫内整理に便利なお昼です。

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2007.03.05

サプリメント

多分、有資格者としての意見を期待されてのことだろうと思うが、結構な頻度で「○○のサプリメントはどう?」、と、聞かれる。 この「どう?」はなかなか曲者の問いかけで、相手がどんな内容を求めているのか判断しなくてはならないから、こちらも一瞬戸惑う。 「『どう?』ってどういうことで?」と質問させてもらうと、大抵は誰それさんが飲み始めたら調子が良いというので、自分も試そうかと思うが迷っている、といった状況が多い気がする。 こんな時の私の答えは大抵、「興味があるなら試してみたら? で、一週間続けて何も変化がなかったら止めればいいんだし。」だ。

サプリメントも薬も同じだが、何がその人に効くかは実際に使ってみないと評価できない。 しかも、それは一人一人微妙に違っていて、例えば同一成分の薬であっても、A社の製品は効かないのにB社のものは効く、なんていう事が臨床では普通に起こり得る。 医家向けの薬ならそれを処方した主治医が効果を評価することになるので、患者も自覚的に効き目を感じているかどうか、ちゃんと話せば良い。 それ式に考えると、サプリメントや市販薬の類は、飲んだり使ったりした本人が効き目の評価もしなくてはならないのは当然のことである。 他人が使って効いたものが自分にも有効かどうかは、実際に使ってみなくては判らないのだ。

仕事が忙しいシーズンには徹夜に近い状況が続いていたので、『ますたあ』や私も栄養ドリンクを事前に用意していたが、そんなものでも『ますたあ』に効くものと私に効くものは違っていた。 それも金額の問題ではなく、10本600円台で買って来た激安ドリンクでも、効くものは効くのである。 同様に私達は風邪薬も胃腸薬も鎮痛剤もそれぞれ自分に向いたものを使い分けている。

今朝の新聞にコーワから新しく売り出された「パニオンコーワ錠」の大きな広告が出ていた。 売り文句の主成分は医家向けから市販薬に初めてスイッチされたATPである。(・・さあ生物の時間を思い出してください。 人は細胞内のミトコンドリアでクエン酸サイクルを回し、その過程から取り出したATPつまりアデノシン3リン酸を生命エネルギーとして利用しているのでした、よね。) 市販薬のパニオンにはATPにビタミンB群を添加してエネルギー代謝改善剤として売り出されたようだ。 指定された一日量を内服して60mgのATPを摂取できるとのこと。

実は私の耳鼻科の主治医は、私に持病である内耳疾患の発作が起きると、医科向けのATP製剤を処方していた。 こちらは「アデホスコーワ」という名前だが、一日量にして3g・・つまりパニオンの50倍量。 しかし、残念ながらそれだけの量を飲んでいたにも拘らず、耳の発作と同時に常日頃から私の体に起きていた肩こりも霜焼けも疲労感に対しても、何ら改善への良い影響を及ぼさなかったのである。 つまり、私の体には効かなかったのだ。 もちろん主治医に相談の上アデホスの内服は中止された。 そんな経緯があるから、どんなに広告を見てもパニオンは買わない。 だからと言って、決して誰にも効かないということではなく、効く人には効くのだろうと思う。 だからこそ承認されたのだと思いたい。 一般向けのスイッチ薬といっても、それだけでは誰にでも効く理由にはならないことを示す例になると思う。

経済的状況が許されるのであれば、とりあえず試してみて、もし効果が感じられないのであれば、漫然と飲み続けるのは避けるべきだろう。 摂れば摂る程よい、という種類のものではない。 サプリメントと言えども飲み合わせで弊害が起こるケースもあるから、しっかりと知識のある人に相談して、多少面倒くさくてもちゃんと心して、サプリメントとの付き合いをするべきだと思う。 だって他でもない自分の体なんだから。

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2007.03.04

酔拳じゃないんだから

どうも酔っぱらった状態で作る料理は出来が良いような気がする。

ペンションのバー・カウンターが稼動していた頃、私は良くお客様と一緒になって飲んでいた。 そこそこのアルコールなら顔に出ない体質だし、接客中という緊張感も(一応は)あるので、「いかにも酔ってまーす」というへロンヘロンの状態になることはなかった(と思う)が。 お酒を飲むお客様というのは同席している人が飲んでいないと、「自分ばかり楽しんで申し訳ないな」と気を遣う方も多く、『ますたあ』にお酒を勧めてくださったりする。 ありがたいことには違いないのだが、仕事上はちょっと困ったりもするので、私が『ますたあ』の分も引き受けてありがたく頂戴することにしていたのだ。 お客様のおつまみリクエストに応えて、ほろ酔いの状態で厨房に戻り、さささっと何か用意してラウンジに戻る、そんなことが多かった。

予め用意しておけるものなら切って盛り付ければオーケイだが、お酒が進むにつれて深夜になり、なにかガッツリしたものが食べたくなるお客様もそこそこに居られる。 と、なると、酔った頭でこちらも冷蔵庫の中身と相談しながら、そこそこに調理をしなくてはならない。 そんな時に作る『ありあわせの一品』にスマッシュ・ヒットが出ることがあるのだ。

酔っている時は基本的に抑制が解かれているらしいので、作る料理も調理作業も大胆になる。 繊細に計算したりしないから、「まっ、こんなもんでしょ!」なんて言いながら、調味料の分量も火加減も、多分しらふの時と比べたらかなりダイナミックのはずである。 良く「男の料理は美味い」という話を聞くが、それに近いことが起こっているのかも知れない。 例えばステーキ肉を焼くような時には、びくびくと弱火で焼いているよりも、がっーっと強火で焼く方が格段に美味しいように。

夜が白々と明ける頃には、こちらもそこそこに酔っぱらうので、ただひたすらに包丁で怪我をしないように、衛生的に問題がないように、とだけ気をつけて、もう何がなんだかよく判らない状態で作っていたりもして。 そんな時に出したものがお客様に大受けで、次に泊まりに来てくださった時に「またアレが食べたい」と言われても、もう再現不可能だったりする。

海外の料理番組のように、放っておいたらキッチンでグラスを傾けながら料理するタイプの人間なんじゃないかと、自分では思っているのだが、中毒になるのも怖いし、他の用事もそこそこあったりして、普段はしっかりとしらふで作っているから、どうぞご心配なく。 お客様相手に酔っぱらって調理する機会が無くなってしまった今、日を決めてたまには新境地開拓のために、レンジの前で飲みながら作ってみるのも良いかも知れない、なんて、ちょっと考えたりするのだ。

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春のせい

昨夜のメニュー
 ●菜の花ちらし寿司
 ●イカの一夜干し
 ●筑前煮
 ●厚揚げのフキノトウ味噌田楽
 ●レタスとトマトのサラダ
 ●若竹汁
 ●リンゴとネーブルと苺

思いっきり行事食っぽい構成。 あんまり意識していなかったつもりだったのに。 筑前煮は、年齢層の高いお知り合いの集まりがあるというので、差し入れに使った残り物。 ・・と言うか、ついでに自宅分も一緒に煮てしまったと言うべきか。

買って来た菜の花の内の数本を、小さなフラワー・ベースに挿してお雛様の前に飾っておいたら、穏やかな陽気に誘われて、立派に鮮やかな黄色の花を開いてくれた。 ちょっとお人形の顔つきがやわらかくなったような気がした。

ずっと、攻撃的なもの・荒れた感じのものには触れたくないような気分だった一日。 自分の感性がふわっと地面から数センチ浮き上がっているような、妙な感じ。 不思議だ。

 

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2007.03.02

歪みを楽しむ

3月。 花粉症の辛さをこんなにもちゃんと体験することができて、開き直りと嫌味98%も込めて、ありがたい。 春の気配が感じられて、閉ざされて活動性の低い状況からじわじわと季節が進んでゆく、その移り変わりの真っ最中に、建物の中で過ごし、薬の眠気と戦い、あまり遊びもせず外気を避けるように生活するというのは、まさに季節が移り変わる過程を無視しているに等しく、今日のように穏やかないかにも春らしい陽射し・やわらかな風を目の当たりにすると、なんだか浦島太郎のような気分になる。 えっ、いつの間にこんなに春だったのか?、みたいに。 今朝、今シーズン初めてウグイスが鳴いた。 「やばい。」と思った。

学生時代の先輩のご主人が陶芸家を生業としておられ、個展が三島のギャラリーで開催されているというので、髪の毛を切りに行くことと抱き合わせて出かける。 ペンションを開業して間もなくの頃、ご夫婦で来てくださって大きな花器をいただいた。 かなり個性的な作風で、客観的に言うと、高さ70センチ近い作品の中心軸が歪んでいるのだ。 それは技術が悪いのか、それともアートなのか微妙なところ(と私には思えて)で、正直、いただいた時には心の中で判断がつきかねた。 だが、その後の作品の様子などをネットで垣間見ると、どうやらそういう作風らしく、歪みや捻れ、手遊びの跡が残るようなダイナミックな作品を作り出す方のようである。 今回の展示品の中にも、猫とも犬ともつかないような謎の生き物が大口を開けて笑っているような偶像があったり、作品のお地蔵様が置かれたりしている。 多分それらも、やれ猫だ犬だお地蔵様だ、と、概念を作って型に納めようとしているのは、見ている私の方であって、作っているご本人にすれば「好きなように見てくれればいいんですよ」という感じなのだろうと思うけれど。

以前お客様から桜の蕾がついた大ぶりの枝をいただき、どうも他の花器では花器が枝に負けてしまうような感じでバランスが取れないので、がっちりとした件の花活けを出してきたことがあった。 花器の軸の歪みが使いこなせずに困っていたのだが、無骨な、しかし、春の息吹を内部に溜め込んだ力強い桜の枝は、その花器と見事なバランスを作って、驚くほどしっくりと落ち着いてしまったのである。 予想外の展開に戸惑いながらも、その時に思い知らされたのは、自然の造形には直線とか同じ物というのはありえないのが普通なのだ、という当たり前のことだった。 棚の中に同じ形・同じ厚さ・同じ色の食器が何客も揃っている状況は、かなり人工的なものであり、それも上から見れば正円やバランスのきれいな楕円、長方形など恐ろしいほどに計算され尽くした世界である。 そういうものは自然の造形では見ることが出来ず、だからこそ自然はダイナミックな力強い印象を私たちに与えてくれるのだろう。

ギャラリーの店主と話をした。 「こういう作品は、好きな人と嫌いな人がはっきりと分かれますからね、店としても扱うかどうかの判断が難しいんですよ。」と、おっしゃる。 確かにひとつひとつ違うというのは、収納の面で場所を食うし、大量生産も出来ないから流通の流れには乗せられないし、当然値段も高くなる。 つまりたくさん売れるものではなくて、拘って楽しむという趣味の部類に入ってしまう。 景気が落ち込んでいる社会を背景にして、一言で言えば厳しい商品だろう。 先輩のご主人は陶芸家の中ではかなり若い部類に属しているらしいが、「全国にファンが多くて人気があるほうですよ。」とも。 その時だけは「お知り合い」の感覚が蘇ってきて、内心ほっとした。

別にそういうつもりではなかったのだが、気に入った小さな椀を見つけたので、ひとつ包んでもらってきた。 そろそろ自分の生き方も、歪んだままでも善しとするような方向に向かってゆく過程なのかも知れない。 余計なものを削ぎ落として端正に整ったもののクールさが、若い頃からずっと私の好みだった。 でも、いつからか無骨なもののエネルギッシュさに惹かれるようになり、今はどちらも同じくらいに面白い。

森下真吾 陶展  三島市のギャラリー阿吽(あうん)(三島田町駅徒歩3分・055-972-1243)にて3月6日まで。

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