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2007.03.02

歪みを楽しむ

3月。 花粉症の辛さをこんなにもちゃんと体験することができて、開き直りと嫌味98%も込めて、ありがたい。 春の気配が感じられて、閉ざされて活動性の低い状況からじわじわと季節が進んでゆく、その移り変わりの真っ最中に、建物の中で過ごし、薬の眠気と戦い、あまり遊びもせず外気を避けるように生活するというのは、まさに季節が移り変わる過程を無視しているに等しく、今日のように穏やかないかにも春らしい陽射し・やわらかな風を目の当たりにすると、なんだか浦島太郎のような気分になる。 えっ、いつの間にこんなに春だったのか?、みたいに。 今朝、今シーズン初めてウグイスが鳴いた。 「やばい。」と思った。

学生時代の先輩のご主人が陶芸家を生業としておられ、個展が三島のギャラリーで開催されているというので、髪の毛を切りに行くことと抱き合わせて出かける。 ペンションを開業して間もなくの頃、ご夫婦で来てくださって大きな花器をいただいた。 かなり個性的な作風で、客観的に言うと、高さ70センチ近い作品の中心軸が歪んでいるのだ。 それは技術が悪いのか、それともアートなのか微妙なところ(と私には思えて)で、正直、いただいた時には心の中で判断がつきかねた。 だが、その後の作品の様子などをネットで垣間見ると、どうやらそういう作風らしく、歪みや捻れ、手遊びの跡が残るようなダイナミックな作品を作り出す方のようである。 今回の展示品の中にも、猫とも犬ともつかないような謎の生き物が大口を開けて笑っているような偶像があったり、作品のお地蔵様が置かれたりしている。 多分それらも、やれ猫だ犬だお地蔵様だ、と、概念を作って型に納めようとしているのは、見ている私の方であって、作っているご本人にすれば「好きなように見てくれればいいんですよ」という感じなのだろうと思うけれど。

以前お客様から桜の蕾がついた大ぶりの枝をいただき、どうも他の花器では花器が枝に負けてしまうような感じでバランスが取れないので、がっちりとした件の花活けを出してきたことがあった。 花器の軸の歪みが使いこなせずに困っていたのだが、無骨な、しかし、春の息吹を内部に溜め込んだ力強い桜の枝は、その花器と見事なバランスを作って、驚くほどしっくりと落ち着いてしまったのである。 予想外の展開に戸惑いながらも、その時に思い知らされたのは、自然の造形には直線とか同じ物というのはありえないのが普通なのだ、という当たり前のことだった。 棚の中に同じ形・同じ厚さ・同じ色の食器が何客も揃っている状況は、かなり人工的なものであり、それも上から見れば正円やバランスのきれいな楕円、長方形など恐ろしいほどに計算され尽くした世界である。 そういうものは自然の造形では見ることが出来ず、だからこそ自然はダイナミックな力強い印象を私たちに与えてくれるのだろう。

ギャラリーの店主と話をした。 「こういう作品は、好きな人と嫌いな人がはっきりと分かれますからね、店としても扱うかどうかの判断が難しいんですよ。」と、おっしゃる。 確かにひとつひとつ違うというのは、収納の面で場所を食うし、大量生産も出来ないから流通の流れには乗せられないし、当然値段も高くなる。 つまりたくさん売れるものではなくて、拘って楽しむという趣味の部類に入ってしまう。 景気が落ち込んでいる社会を背景にして、一言で言えば厳しい商品だろう。 先輩のご主人は陶芸家の中ではかなり若い部類に属しているらしいが、「全国にファンが多くて人気があるほうですよ。」とも。 その時だけは「お知り合い」の感覚が蘇ってきて、内心ほっとした。

別にそういうつもりではなかったのだが、気に入った小さな椀を見つけたので、ひとつ包んでもらってきた。 そろそろ自分の生き方も、歪んだままでも善しとするような方向に向かってゆく過程なのかも知れない。 余計なものを削ぎ落として端正に整ったもののクールさが、若い頃からずっと私の好みだった。 でも、いつからか無骨なもののエネルギッシュさに惹かれるようになり、今はどちらも同じくらいに面白い。

森下真吾 陶展  三島市のギャラリー阿吽(あうん)(三島田町駅徒歩3分・055-972-1243)にて3月6日まで。

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