桜の狂気
東京で暮らす気心の知れた友人と、「適当に中間点辺り」のターミナル駅で待ち合わせして、お花見。 出かけるときはどしゃ降りでどうしようかと思ったほどだったが、電車に揺られている間に、雨が上がり、曇りになり、薄日が射し、現地に着いたら快晴でお互いにびっくりするほどの行楽日和に恵まれた。 気温もぐんぐん上がって、タンクトップ姿の女性も。 さすがにそれはやりすぎなのではないかと思うが・・まあ、そのくらいに暖かかったということで。
桜の名所らしく、立派なソメイヨシノの木がたくさん。 着いた時には七分咲きくらいに思われたのに、ふと見上げるとさっきより花のボリュームが増している。
「ねえ、さっきより開いてない?」
「あっ、やっぱりそう? 気のせいかなあなんて思っていた所だけど、そうだよね、花が開いてきてるよね。」
まさに『開花劇場』といった雰囲気で、桜の生命力に圧倒され続けた。
花見客のために設えられた白木のテーブルにお弁当を開いて、花を見上げながらビールを飲む。 幸せ。 今日のメニューは鶏のから揚げ、甘い玉子焼き、菜花のおかか和え、タコのマリネサラダ、チーズ、大学芋、煮ヒジキ入りのおいなりさん、果物少々、それに乾き物、駅で友人が見つけてきたという甘栗。 典型的なお花見をしたかったので、お弁当の中身もありふれたものだが、それでも外で食べるといつもよりも美味しい気がするから不思議だ。 特に甘栗は、ふと気付けば多分ここ10年近く食べていないように思われ、なんとも懐かしく甘い優しい味がした。
桜の花の勢いに包まれ、暖かい陽射しを浴び、気心の知れた相手と食事をし、話をし、ちょっとお酒や甘いものを楽しむ・・どれがひとつ欠けても、きっと今日のこの気分は成立しなかったに違いない。 まるで毎日の生活からこの日だけがぽっかりと浮世離れして、その中に幽閉されていたような不思議な感覚だった。 あれもこれも全ては、桜が仕組んだ幻想だったのだろうか。
実は私はずっとソメイヨシノが好きではなかった。 それは、葉も付けずに枝中を花にして咲き誇る様子に、どこか狂気を感じてしまっていたからで、美しいと思いつつも怖かったのである。 でも、今日、初めて、その狂気に身を委ねてしまったら、なんだか心配していたよりも心地良い感じがして、こんな風になら狂わされてもいいかな、と、そんな想いを発見してしまった。
私の中で、ソメイヨシノを見る目が変わったかもしれない。
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コメント
タイトルにびっくりして読んでみた。
ここ1ヶ月ほど三重県の工業地帯にいる。
(週1日帰るか、帰れないかの状況)
花見がしたくなった。
(普段どおりなら週末は山でも、平日の帰宅途中に
飛鳥山で花見をするのが恒例であったりする)
工業地帯の煙突と、そこからあふれる煙
トラックとトレーラーで大渋滞のR23
随分長い出張なので、いつもの花見が恋しいなぁ。
中旬以降になれば、時間が出来そうなら
雪の溶けたお山にでも花見に行こうかと思う
投稿: syumei | 2007.04.01 00:41
syumeiさん、お久しぶりです。
まだ若かった頃に、人がノーマルから精神疾患患者へ変わる瞬間(一般的には『発狂』と言うのでしょうか?)に、二回ほど立ち会う経験がありました。(それぞれ別の方。) それまでずーっと溜めに溜め込んだストレスが一気に爆発するらしいのですが、その「タガが外れたような外界に対する爆発力のイメージ」と「木を花だらけにして咲いているソメイヨシノの印象」とが、私の中でダブっています。 ライトアップされていたり、外灯で浮き上がっている満開のソメイヨシノは、「あなたのパワーを私は受け止めきれない」という意味合いで、怖さを感じるんですね。(救急車で運び込んだ先の病院の精神科の医者に、何故私ばかりがこういう現場に立ち会ってしまうのだろうか、と、ぼやいたら、『多分あなたからは、私の前では本当の自分を出していいのよというような光線が発せられているんでしょう』と言われ、それはまた別の意味で私には衝撃的だったのですけれども。)
大人になってから読んだ渡辺淳一氏の小説で、精神科の女医が「満開の桜は躁(躁鬱病の躁)状態の患者だ」と言っている場面を見つけて、あ、似たようなことを感じている人も居るんだな、なんて思った記憶があります。
先日友人とお花見をしながら、どんどん開いてゆく桜の花を経時的に見ていて、「周りの迷惑を全く考えられない程に狂うことは、実は本人にとっては案外快感なのではないか」、と、そんなことを発見しました。 妙なものです。
お仕事、お疲れさま。 家を離れていると、それだけでいろいろと大変なことでしょう。 工場地帯だと桜の木も少なさそうですね。 無事にひと段落ついたら、自然の豊かなところへぶらりと出かけて、気分転換してくださいね。
投稿: リーボー | 2007.04.01 11:15
私も特にソメイヨシノは苦手でした。
(実家に咲く八重桜は受け入れていましたの。)
で、私も感じます。
「狂気」
そもそも、花というものはグロテスクと思っていたことがあります。
体から出るできものとか、びらんとか、なんかそういうのと同じイメージ…。
家が花見客の多い公園に近いし、桜の花見はその下で繰り広げられる酒宴の喧騒とも重なって、
嫌になってしまうといのもあるのかもしれませんけどね・・・。
投稿: かおる | 2007.04.02 15:23
かおるさんも苦手でしたか。
狂気のイメージが通じているようで、仲間を見つけたような気分です。
花はグロテスク・・気持ちは解るように思います。 写真家の故秋山正太郎氏の花ばかりの写真集をいただいたことがありましたが、私が感じ取ったのはエロスでした。 花は「生々しい」ということでしょうか。
お花見そのものは風情のある行事のはずですが、バカ騒ぎやマナー違反は桜に対して失礼ですよね!
投稿: リーボー | 2007.04.02 16:29