過日、某ドラッグ・ストアで生理用品を買った。 レジの女性店員さんが紙袋に入れようとしたので、「そのままでいいです」と言ったところへ、別の店員さんがもう一人同じレジに入ってきて、キャッシャーを通した篭の中の他の商品をレジ袋に詰めだした。 またまた生理用品用に紙袋を取り出したので、「そのままでいいです」と、もう一度告げる。 すると、怪訝な顔をして「そうですか? じゃあ、こっちの袋に・・」と、今度は不透明なレジ袋を取り出したので、「いえ、そのまんまでいいんです!」。 「・・そうですか・・。」 後から来た店員さんは、最後まで納得していない表情をしていた。 そして、私は他の商品と一緒に、透明なレジ袋に生理用品を詰めて店を出てきたのだった。
私は「そのてのもの」を多く扱う職場で働いていたからかもしれないが、ナプキンとか衛生用品などを隠すという感覚がよく解らないようだ。 納得できていないという表現の方が適切かもしれない。 身体に起こることは自然なことなのだから、そのために必要な道具も堂々と使えばいいと思っているフシがある。
生理用品は見えない袋に入れて客に渡す、という教育が小売店では常識になっているらしく、こちらが断らないとわざわざ別包装されてしまう。 紙袋に入れてから別仕様の不透明なレジ袋に二重に包装されたこともある。 しかし、一方で、商品棚には堂々と並べられているし、コンビニエンス・ストアでは彼女に頼まれたのか、男性が買って行くことも珍しくない。 テレビにだってコマーシャルされている。 何か矛盾していないか?、と、思う。
確かに私が小学校で「初潮教育」を受けた時、年配の養護教諭に「生理用ナプキンは隠すものです。 人目につかないように扱わなくてはなりません。」と、はっきり言われたのを強烈に記憶している。 昔はナプキンも個別包装されていないものがあったので、小型のハンカチで一個ずつ包んでポーチに忍ばせた記憶もある。 生理そのものが古代においては『忌み嫌われるべき汚らわしいもの』として捉えられていたことを思えば、隠そうとする習慣も解らなくもないのだが、今や小学校で科学的に性教育をする時代だ。 月経があるのはごく自然で健康的なこと。 それくらいのことは男性だって十分に理解しているはずである。 ましてや月経に伴う苦痛に配慮して、生理休暇まで設定する会社があるくらいで、男性の協力無しでは済まない世の中になっている。 その中で生理用のナプキンだけが、未だに昔の扱いのままなのは、何か腑に落ちないのだ。
もちろん生理の経血を処理した後のナプキンは、衛生上他の人の迷惑にならないように処理するのがエチケットだし、血を見て気分の良い人はいないだろうから(一部の病的嗜好のある人を除いて。)始末してくださる方のことを考えても、人目につかないような形態で扱わなくてはならない。 それは当たり前のこと。 でも、常識的なこの世のオスの方々は、使われる前のナプキンを見ても安易に発情したりしないだろうし、それ以前の話として、生理用ナプキンだって何十個かまとめてから、きれいに包装されて中身の見えない形態で売られているのだ。 果たしてそれ以上に何重にも包装して人目を忍ぶ理由が、どこにあるのだろうか。 例えば子供用・成人用を問わず、紙オムツを買ったからと言ってわざわざ不透明な袋に入れてもらった記憶がない。 下着類もそのまま透明な袋に入れられることがあるし、ナプキンの隣に並んでいる生理用ショーツも然り。 どこが違って、どこに境界があるのか、よく理解できないのが現状だ。
まあ年代によって異なるであろう、社会の常識として植え付けられた価値観を、急に変えることは難しいだろうから、せめて生理用品を売る店員さんは「見えないようにしますか?」と客に尋ねるぐらいでも良いのかもしれないけれども。 ・・こういう話題をアップしてしまうこと自体、私の恥じらいの無さを曝け出しているのかもしれない。(苦笑) ハイ、ご指摘は甘んじて受け止める所存でございます。
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