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2007.05.18

毛虫の身体感覚

日が暮れたので窓を閉めようとしたら、外に面した窓枠でくつろいでいた(?)大きな毛虫と目が合った。

「うわっ、びっくりした!」、と、思わず声が出る。 あまり見たことのない毛虫で、ふかふかのムートンのような立派な毛皮を身に纏っている。
「この季節にその毛じゃ、暑くない?」 なんとなく勢いで話しかけてしまった。
「そんな立派な毛皮で、一体どんな虫になる予定なの??」
部屋のPCの前に居た『ますたあ』が、私の独り言を聞いていたらしく、合いの手を入れてくる。
「それは、毛虫にしてみれば、答えようのない質問だろうな。」
笑いながらも、なんだかはっとするものがあった。

毛虫は自分がどんな姿をしているのかを、どこまで把握しているのだろうか。 自分の背中に毛がふさふさしていることを知っているのだろうか。 ましてや、自分の親の姿を知らないまま育つのだろうから、変態して成虫になったところで、自分の羽にどんな模様があり、どんな大きさで、何を餌にするのかなんて、知る術が無い。 それでも成虫になれば、何らかの方法で同種の虫を見分けて、パートナーを見つけて、子孫を残す。

それって、なんだか凄いことだな、と、思った。

虫以外でも、親が卵を産み落としてそれっきりの動物、例えば魚とか爬虫類でも同様のことが普通に繰り返されているわけで、自分が大人になった時の姿を知らない動物の方が多いことに、改めて気付かされる。

人間が自分の子供に教育を施すのは、そういった能力を身に付けていたほうが、大人になって社会生活をする段になって、多分有利に物事を進められるだろう、という予測に基づいてのことという意味合いが強いように思われるが、それだって確率論であり絶対的なものではない。 何が起きるか、どうなるかを予測できる部分は限られていて、明日私が目覚める前に死んでいても、生物としては何の不思議も無いのだ。

私は鏡を使わなければ、自分の背中を見ることは出来ない。

努力という言葉抜きで物事を捉えるのは危険と思うが、親が子にしてあげられることの向こうに、親にはどうすることも出来ない部分も存在していて、それを親が割り切ることも時には必要なんじゃないかと、そんなことを考えていた。

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