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2007.06.25

ドウモイさん、マシューさん、荒神様

川上弘美さんの短編集「龍宮」を読んでいて、『荒神様』という単語と数十年ぶりに再会した。 一言で書くと『荒神様』は台所に住んでいる神様なのだが、どうして私がそんなことを知っているのか、自分でもなんだか不思議な気がする。 でも、多分幼児の時代に、母からか祖母からか解らないが、教えられたんだろう。

私の知っている『荒神様』は、川上さんの小説に登場した『荒神様』とは、ちょっと性質が違っていた。私の記憶の中では、清潔好きな神様なので、きれいに掃除してちゃんと片付いている台所では、火災や怪我などの災難から守ってくださるのだが、洗い物を放置していたり、戸棚の物が出しっぱなしになったままにされていると、醤油をこぼしたり、皿を落として割ったりして、悪戯をする神様、である。

実は同様な神様の存在については、イギリスでも聞いたことがあり、1996年に暮らしの手帖社から発刊された「素敵なあなたに 2」の中に、『ドウモイさん』という同様な働きをするイギリスの妖精が登場して、読んでいてびっくりした。 また、看護学生時代には、受け持った患者さんがイギリス文学の翻訳をなさっていた方で、イギリスの子供向け絵本に登場する『マシューさん』というコビトとも神様とも呼べるような存在が、全く同じような働きをすることを偶然教えてくれた。(なので、数年前、タレントの藤井隆さんが、金髪で『マシュー南』というキャラで登場した時には、目が点だったが・・。)

まあ要するに、「台所はきれいにちゃんと片付けておかなければいけませんよ」という、教訓なのだと思うのだけれども、国の内外を問わず、似たような神様が存在しているとする考え方は、なかなか興味深い。 この神様に限らず、いつでも常にあらゆるところに、「人間の力の及ばないもの」が実は存在していて、問題は、そのことに気付くか気付かないかの違いだけなんじゃないか、などという風にも思えなくは無い。

気付くことは、即ち、心がそこに向かって開かれていることであり、同じ現象を見ても、そこから何かを感じ取るか・取らないかの違いが生じてくるのだろう。 同じ現象をあちらとこちらから、それぞれ別々に見ているわけだから、どちらが正しいという議論は不可能で、どちらも正しいし、お互いに相手を納得させだけの根拠を示すことは難しい。 どんなに言葉を尽くしたって、無理なんだと思う。 それでも、何かの拍子に心を開く瞬間がその人に訪れたり、逆に心を閉ざす機会が来たら、あっという間に今までとは反対側の人間に成り得る、そんなものかもしれないし。

神様とか、精霊とか、霊とか、ご先祖の導きとか、そういったものは、万人が共通の認識を持つことは不可能だろう。 だけど、呼ばれ方はどうであれ、気付く気付かないに関係なく、既に、尚且つ勝手に(ここがポイントかな?)、そこに存在しているような感じなのかもしれない。

久し振りに『荒神様』のことを思い出して、そんなことを考えていた。 

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