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2007.07.23

夏休み

雨は降っていないけれど、まるで雲の中で暮らしているような、霧の日が続いています。 夏休みなのに、なかなかカラッと晴れ渡る空が見られず、「らしくない」感じで残念。

さて、諸般の事情により、更新を少々お休みさせていただきます。 次回の更新は8月1日以降になる予定です。 『楽しみ』とは言えない予定の夏休みですが・・。 まあ、時間は持て余すほどに有りそうなので、ネタ探しでもしてきます。

どうぞ、皆様は良い夏休みを! 大人の方々はビールの飲み過ぎにご注意くださいませ。

ではまた8月に・・。

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2007.07.22

いつの間にか

このところ学生時代の同級生の親御さんが、病気で入院したり、緊急手術を受けたりするケースが相次いでいて、なんとも・・・。 ちょうど年齢的に、親の代が『そのような歳』に到達してきたということなのだろう。 重なる時は重なるものである。

急に病人を抱える家族は、いろいろな面で本当に大変なことが解っているから、なんだかいたたまれない様な気分になる。 一方で、多くの場合は、祈ることしかできないのが現実なのだけれども。

変な言い方だが、こんな風に、上の代を見送ってゆく事に、少しずつ慣れていかなくてはならないのが、今の私たちの年齢に与えられている課題なのかも知れない。

自分もついに、そんなことを考える年齢になったか・・・。 不思議な感じがする。

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2007.07.20

お膳立てするのではなく

先日、地域からの回覧板を通じて、カンパ要請が伝えられてきた。 中学校の生徒の保護者たちからである。 ここは山間部の過疎地なので、公共機関のバス運行本数が少ない上に、利用者も多くないので運賃がとても高い。 それにも増して、最寄の駅まで10km.以上の距離があって、移動も、当然通学も大変だ。(大人であれば自分で自動車を運転してしまえば済むところだが、子供となると、塾へ行くにも習い事にも友達と遊ぶにも、親の車で送り迎えしてもらわなくてはならず、本人たちの不便も相当だし、親御さんの負担も大変!) で、部活動などをしていると、(特に体育会系の部では)対外試合に出場することになり、その移動にもそこそこのお金が必要となる。 なので毎年、保護者が地域内の家を一件一件回って、賛同してくれる所から集金してゆく。 回覧板によれば、貸し切りバスをチャーターするのに、前年度までは市が補助金を出してくれていたようだが、それが打ち切られることとなり、今年はより一層のカンパをお願いしたいということらしい。 もちろんカンパは任意である旨が書かれていた。

子供たちにはいろいろな種類の経験の場を、できるだけたくさん用意してあげるのが、大人としての務めだと思っているから、基本的には趣旨に賛同している。 置かれている現状の苦しさも理解できるし、この市の地域財政が逼迫していることも、十分知っているつもりだ。

その上で、ひとつ感じるのは、本人たち、現役の中学校生徒たちの声が、聞こえてこない事への不気味さである。 市が補助金を削減したということは、つまり『それは義務教育の範囲外ですよ』という判断を下したということになる。 それでも部活動を続けたい・対外試合を行ないたいという、それなりの意気込みや熱意が、本当に当人たちに存在しているのか? お金をカンパする上で、それを確かめておきたい気持ちがある。

もっと言ってしまうと、その逼迫した経済事情を、中学生はどこまで知らされ、把握し、その下で『自分たちはどうすべきか』について、自分たちの力でちゃんと考えることができているのだろうか? そこが問題だと思う。

もちろん、中学生が自力で導き出せる回答には、限界があるとは思うけれど、そこを手助け・バックアップするのが、保護者や教諭の役割なのではないかと考える。 初めから環境をお膳立てして整えてしまうのではなくて、子供たちのニーズが何処にあり、どのような手段を以てそれを叶えてゆくのかを、双方が対等に取り組んでゆく過程こそが、大きな学びに繋がるのではないだろうか。

私は正直なところ、保護者からではなく、中学生本人たちからの要請が欲しかったし、直接訴えながら自分たちの足でカンパを集めたって良いのではないか。 それを、保護者たちが手助けすれば良い。 カンパするということは、受け取る側の中学生たちに、人間としての成長を期待し投資することだ。 お金を出してもらう、出資していただくというのは、そんな簡単なことではない、と、彼らが学ぶことのできる絶好の機会だと思うが・・。 どうだろうか。

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2007.07.19

論点

例の「中国のダンボール肉まん」が、結局はやらせだったという報道を、「やっぱりな、やらせ臭いと思ったんだよな」、という気持ち半分と、どこかホッとしたような気分と、微妙に混じり合った気持ちで聞いていた。

あれがフェイクだったのかどうか、本当のところは確かめようが無いとしても、インパクトが強かったのは、内容がキワドイ部分を見事に突いていたからなのではないかと思う。 残留農薬や、いくつかの使用禁止農薬を検出したという理由で、中国産の野菜への不信感が募っていた背景に加え、白いポニーに黒インクで縞模様を書きシマウマとしてテーマパークで見せているとか、白熊にペイントしてパンダに仕立てていたとか、それでなくても模倣品がたくさん出回っていることは、とっくに皆周知していることだし・・そんな状況の中では、「ダンボール肉まん」も、俄かには信じられないが、やっていても不思議じゃないと、ついつい思ってしまう。 その半面で、まさかそこまで・・と言うか、「ついに世の中も来る所まで来たな」みたいな気持ちもあって、そのギリギリの攻防の場所に、あのニュースがストンとはまってしまったのだ。 敵ながら天晴れみたいな気分だ。

もちろん、やってはいけない事は、どうやったっていけないことに違いないにしても、「さもありなん」と捉えられてしまう怖さというものが、後味の悪さとして、私の中に残った。 つまり、あの中国ならそんなことがあっても不思議じゃないな、と、正直なところ思ってしまっていた部分だ。 一度イメージを作ってしまうと、なかなかそれを払拭できなかったり。 相手側からすれば、そこに甘んじて改善努力を怠ってしまったり、そんな関係とでも言おうか。

例えば、仲間が10人くらい寄れば、必ずいつも遅刻してくる奴がひとりくらいは混じっている。 何度も注意しているのに、いつも時間に遅れるから、そのうちに指摘するのにも疲れて「アイツはああゆう奴だから」と、諦めて注意しなくなる。 本人は気にしつつも、皆に甘えて、結局は遅刻し続ける。 で、その人だけ遅刻する事実は、ずっとそのまんま変わらなかったりして。

新潟県中越沖地震が起きた翌朝、柏崎刈羽原発の事故について、私たちはこんな会話をした。 「あれだけの地震だったのに、外部の変電所の火災だけで済んだなんて、それは東京電力の安全技術を高く評価してもいいと思う。」 そう話した私に、『ますたあ』は一言、こう返したのである。 「本当にそれだけだったかは、あと半月ぐらい経ってみないと判らないよ。」 哀しいかな、正しく事態はその言葉の通りに進展し、実は大きな事故が起きていたことが明らかになりつつある。 隠ぺいする体質、情報操作、情報の囲い込み、責任の擦り合い、うやむやなままの現状復帰・・そんなことを、一体この国はどれだけ繰り返せば気が済むのだろう。

どうせ日本はそういう国だから、と、諦めてしまっては、『遅刻してくる奴』と一緒になってしまう。 疲れても、すぐに効果が出なくても、やはり口を酸っぱくして指摘し続けなければならないんだろうな。 そうしなければ、国が国民に甘えてしまう。

自分が今度の選挙で投票することが、どれだけそういう体質改善に繋がってゆくのか、全く自信を持てないままだったが、それでも、私なりにそんな論点から政党と候補者を選んで、期日前投票を済ませてきた。 こんな一票の重さ、しっかり受け止めてくださいね、政治家の皆さん。

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2007.07.18

そろそろ晴れてくれないかな

とにもかくにも、私の住んでいる場所ではずーっと雨が続いている。 地域の天気予報では曇りなのに、ここでは雨。 もう、「洗濯物が・・」とか「布団干しが・・」などとぶつぶつ文句を言うのにもとっくに飽きて、半分開き直りのような、呆れた気分で空を見上げている。

来週、ちょっと肝臓に負担をかけることになったので、今週はビールのペースを落とし、『休肝日』を増やして備えることにした。 私の場合、ビールは大抵350ml.の缶をケース単位で買ってくるのだが、残りが少なくなって、箱の底の方に腕を突っ込んで取り出す頃になると、何とも言えない心細いような寂しいような気分になる。 で、新しいケースを買ってきては、両腕で抱えていそいそと運び込む。 今回は残りの缶が数えるほどなのを知っていながら、補充分を買わずにいるから、いつまで経ってもケースの底に少ないままの状況な訳で、パッとしない気分も持続されている。 「ケースを置いておくから、いけないんだ」、などと、言い訳がましく気付いてしまったから、明日にでも紙ケースを片付けてしまおう。 別に飲まなくてもいつも通りの夕食なのだけれど、やっぱり好きなものが食卓にのぼっていないのは残念。

これでカーッと青空が広がり、夏の太陽がさんさんと射して、気温がぐんと上がれば、我慢しているのが勿体無いような感覚になるに違いないが、おかげさまで当分はどんよりとした日が続きそうな予報なので、これ幸いと思うことにしておきたい。

シーツ洗いたいなあ。 枕カバーも。 バスタオルもぱりっと乾燥させたいな。 しっかりと布団も干して、お日様の匂いの中で寝たいな。 ビールの誘惑はさて置き、そろそろ力強い晴天が恋しい。

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2007.07.15

とても敵わない

台風が去った。 さすがに早朝までは嵐だったものの、予想していたよりも早く雨が上がった。

こんな時に真っ先に雨が終わったことを知らせるのは、小鳥たちである。 その中でもウグイスはダントツで、降り止むやいなやホーホケキョとくる。

本当に不思議だと感心するのは、小止みになっただけで数分後にまた降り出すような場合には、決して鳴かない。 なのに、どんなに雲が低くても、『もうこれ以降は降らない』という状況では、ちゃんと必ず鳴くのである。 ウグイスに限らず、山の野鳥たちは本当に敏感! なので、私も、雨戸や窓を開けるタイミングを教えてもらっている。 そして、教えてもらったタイミングは、はずしたことが無い。 百発百中とは、まさにこういう事を指すのだと思う。

何をトリガーにして雨が上がったことを知るのか。 私には全く想像できないのだけれど、その感受性の強さに、とにかく凄いなあ・・と、感心させられっぱなしだ。

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2007.07.13

たっぷりキノコ

わざわざアップするのもなんだか申し訳ないほどに簡単な常備菜。 ちょっとした箸休めにどうぞ。

きのこの和風マリネ

  • キノコ(お好みのもの数種類を)  合わせて300g
  • 胡麻油                 大さじ1
  • 長ネギ                 1本
  • 醤油と酢                それぞれ大さじ2
  • 砂糖                   大さじ1
  • お好みで唐辛子            1本
  1. キノコはそれぞれ石附を落として食べやすい大きさにほぐすか切る。 長ネギは3cmの長さの短冊切りに。
  2. ボウルに醤油・酢・砂糖・唐辛子を合わせる。
  3. フライパンに胡麻油を熱し、キノコを強火でさっと炒め、更に長ネギを加えて軽く炒める。
  4. 3を1に入れて全体を和える。 容器に移して冷蔵庫で冷やす。

多分一週間くらいは日持ちします。 辛いものが苦手だったら唐辛子の種を抜いたり、入れなくても大丈夫。 キノコが安く手に入った時にでも、作り置きしておくと便利です。              

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2007.07.10

弘法も筆の誤り

血液検査のひとつに「出血時間」というのがある。 耳朶や腕などの皮膚にちょっと傷を付け、そこからの出血がどのくらいの時間で止まるかを調べるものだ。 傷の付け具合が検査技師によって一定でないから、厳密に正確な検査とは言い難いのだけれど、簡単に実施できるので、あまりにも止まらない患者には他の詳しい検査をするという意味での、スクリーニングと言うか大まかな振り落としの為に、行なわれることが多い。

たまたま今日、その検査を受けた。 初老ぐらいの検査技師さんだ。 「耳朶にチクッとやりますから。」 「ああ、じゃあ、ピアスはずさないといけないですね。」と、方耳のピアスを取った。 「じゃあ、いきますね。 ・・・あれ??、ん?? あれ~変だなあ。 血が出ないなあ。(ぶつぶつ) あれ~?」 さかんに首を捻っている。

針を刺したらしいが、こちらは全く痛くない。 それはもしや・・。 「あの~、もしかしてピアスの穴に針通してません?」

「えっ!」と、慌ててメガネをかけ直して、耳朶をじっと見る検査技師さん。 「・・そうみたいです。 すみません、もう一回やります。」 プチッとした痛みが来たので、今度は大丈夫のようだ。 ほっと安心した。

検査が終わって、病院の廊下を歩きながら、可笑しくて可笑しくて、笑いをこらえるのに必死だった。

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2007.07.08

風呂いすから派生して

使っている風呂いすが壊れた。 結婚した時に揃えた内のひとつだったことを思えば、よくがんばってくれたものだ、と、思う。 毎日使うものだからか、「在ることが当たり前」になってしまって、その存在すらちゃんと意識しないほどだったが、いざ無くなってみると損失感は予想外に大きい。

とりあえず、客商売をしていた頃の大浴場から一つ持ってきて使ってみると、あれ?と思うほどに低く、立ち上がるのが億劫だ。 高さや座り心地など、実は椅子によってずいぶん違いそうで、「毎日使うものだけに、これはちゃんと選んだ方が良さそうだ」ということになった。

出かける度に通りかかったDIY店などを覗いて品定めしてみると、当然ながら高さも座り心地も、材質も値段も大きさも様々だ。 『防カビ加工』のものが良いよね、などと話していたのだが、数日前に「防カビ加工製品を調べてみたら、実際の効果が無かった」と新聞記事に書かれ、出鼻を挫かれた。 まあ、それでもだいたいの傾向と種類を頭に入れたところで、今度はネット通販系のサイトをチェック。 なにかマニアックなツボにはまる商品が見つからないかな、と、思って。

ついでにと覗いた東急ハンズのネット通販サイト「ハンズネット」で、「ケロリンの桶」を見つけて盛り上がる。 レモンイエローの鮮やかな桶の底にケロリンと大きくプリントされている、アレだ。 驚いたことには同じケロリン桶でも、「関東向き 深型」と「関西向き 浅型」の2種類が売られている。(値段は一緒で税込み1365円。) 関東と関西では風呂桶の好みが違うのだろうか?! インスタントのカップ麺が、同じ商品でも関東向け・関西向けに作り変えられていることは知っていたものの、ケロリン桶まで違っているとはびっくり。 ちなみに、地元の宿泊業の同業者組合に加盟していた当時は、何年かに一度、ケロリン桶が希望者に無料配布されていた記憶があるのだが。 あれだって大々的宣伝なわけで、ケロリン側が広告宣伝費として負担していたのではないかと思うが、欲しくて買えばそんな値段になるというのも、なんだか腑に落ちない話で。 タダで貰っておいてオークションにでも出せば良かったかな・・なんて、ついついうっかり心の片隅で思ってしまったのは、読まなかったことにしていただきたい。 そういえば、ケロリン桶はあるようだが、ケロリンいすは見たことがないな。

どれも今ひとつの感じなのだが、どこかで手を打たないとずるずるになりそうなので、そろそろ決めなくては、という今日この頃。

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2007.07.06

行方

別に寄付などしている訳ではなくて、たまに葉書やクリスマスカードなどを購入するだけなのだが、年に何回かユニセフからお知らせの郵便が届けられる。 そこにはユニセフが現在どんな活動を行なっているのか、どんな効果があるのか、どのくらいお金がかかっているのか、などの報告がなされている。 もちろん、それを読んでもらって更なる寄付を募るのがユニセフ側の狙いで、お金集めをしたいのが本音だろう。

私がユニセフからステーショナリーを購入するのは、積極的にユニセフの活動にお金を使って欲しいから、というよりは、デザイン性や価格の面で納得できるからであり、こんな僻地でも確実に好みの商品を入手することができるという面での比率が、圧倒的に高いように思う。 その上で、ユニセフの活動内容自体には、別に異議も無いので、それでいいかな、という感じだ。

例えば何か商品を購入するとしても、その会社がそこから生まれた利益を、他の分野で何に使っているのかまでは、いちいち調べていられないし、全て公表されているとも限らないし、「判らないよな・・」である。 あまりにも自分の考えと反することにお金を使っている会社の商品は、なるべく購入しないようにはしているけれども、他社の商品より明らかに優れていたら買わないわけにはゆかないし、市場を独占している状態だったら、他に選択肢もない訳で、言ってみれば「どうしようもない。」

それは、税金とか公共料金とか、年金にも当てはまる構図で、「こういうことに使って欲しい」という支払者側の意思を、一人一人確かめて使うことは不可能だろうし、それを決定する政治家を選ぶと言っても、多数決なのだから、「どうしようもない」部分が多い。

こんなことを言っては身も蓋も無いが、一度支払ってしまったお金は、もう無いもの・戻ってはこないものと考えて、当てにしないものと割り切り、人様にあげたのだ、と思うしかないのかもしれない。 相変わらずすったもんだの年金問題に、『やっぱりな』と、大きな溜息をつきつつ。

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2007.07.05

厚揚げ

最近『冷奴』が続いたので、同じ豆腐系でも毛色を変えて厚揚げの登場。 適当に切ってオーブンで炉端焼き風に熱々に焼いて、ちょろっと醤油をかけて、すりおろした根ショウガでいただいた。 どうせオーブンを温めるんだったら、ついでにナスも焼いて『焼きなす』にしておけば良かったな、と、気付いたが、後の祭りだ。 そろそろ厨房も夏の環境で、火をかけたレンジの前に立つのが、辛くなってきつつある。

焼いた厚揚げは、今日のようにおろしショウガが相棒でも美味しいし、当然大根おろしも。 万能ネギや茗荷を細かく切って大胆に乗せるようにしても。 豆腐系は夏の薬味とよく合うので、使い回しが効いて助かる。 実は個人的には、ねり芥子を付けて食べるのが好きで、時々薬味と併用しながら楽しませてもらっている。

フライパンでよく焼き付けてから、醤油とみりんと砂糖で照り焼き風に絡めても良いし、中華料理は言うまでもないし、カレーの具としてもなかなか相性が良い。 トマトソースが相手でも無難にこなしてしまう、懐の広い食材だ。 ビーフシチュウに入れると抜群なので、機会があったら是非お試しを。

同じ豆腐系でも、ちょっと油で揚げただけで、こんなにも表情が変化するのが面白いと思って、食べながらいつも感心してしまう。 『冷奴』が続いていたら、厚揚げでもいかが?

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2007.07.04

そんなものなのかな

数ヶ月中に小さな手術を受けることになった。 簡潔に書くと、子宮を取る予定だ。

今後どういう方針で行くか、婦人科の医師と相談している中で、医師が「子宮を取るということは、つまり、生理が来なくなり出血しなくなるということになります。」と言うので、即座に「それは、助かります!」と、反応したら、「いや~あ、それが、そう簡単には助からないんですよ。」 「はあ?」 「自分は男なんで『オンナゴコロ』のことは、どうも解らないんですが、子宮を無くしてしまうと、喪失感に苛まされる患者さんが、ね、そこそこ居られるんですよ。」 「えー?!・・そんなもんですか?」 「生理が来る時には『面倒くさい』だの『厄介だ』だのって散々文句言ってたくせに、いざ、来なくなってしまうと急に『来なきゃ来ないで寂しい』って。 それで術後にブルーになって鬱の治療を始める方もあるくらいですから。」 「うわあ、それは嫌ですね。 今はまだ、そんな気持ちになるなんて全く想像もできませんけど。」 「うーん、その時にならないと理解できないものなのかもしれませんよ。 まあ、ね、助産婦さんとか看護婦さんとか、女性の病棟スタッフが話し相手になってくれるとは思いますけどね。 なにせ『オンナゴコロ』には疎いもんで・・。」

早速家に戻ってから検索をかけてみると、確かにそういった患者さんを看護したという看護研究論文がいくつも見つかった。 残念ながら、患者側が自分の喪失感を綴ったページは見つけることができていないが。 世間的にはそういう事例は少なくないみたいだ。

どうせもう役立てる予定もないのだから、とっとと取ってサッパリしたい・・などと、お気楽に考えていたし、早く閉経しないかな、なんてのん気に思っていただけに、そんな感覚は未知の世界で全くの予想外だったので、聞いていてちょっと怖くなった。 そんな時に限って、普段は蓋をしている自分の本性が出てしまうようで。 げげげ。

貴重な経験ができそうだから、自分がどんな風に心理的に変化するのか、半分楽しみに覗いてみたいと思っている。

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2007.07.03

今宵どこかのバーで

「というわけで・・・」

男は今までの経過を自分で締めくくるように言った。                      

「僕は彼女のことが一番好きなのに、彼女にとっての一番は僕ではないんだ。」      

女は同情とも困惑ともいえない表情を眉に忍ばせて尋ねた。

「一番と二番には、どのくらいの開きがあるのかしら。」

「それは人によって場合によって様々だろう。 君だったら?」

女はグラスに視線を落とした。                                    

「そうねえ。」

はぐらかすようにそう答えた後で、女は『あなたが一番です』という一言をホワイト・レディで胃へ流し込んだ。

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2007.07.02

雲の底でボンヤリ

朝から自分自身で呆れるほどにボンヤリしている。

何故だかこんな日が年に一日二日はあって、決して驚きはしないのだけれど、「何か凡ミスをして誰かに迷惑を掛けるのではないか」、「怪我しなければ良いが」、「もらい事故に巻き込まれないようにしなくては」等々かなり心配なので、できるだけ静かに、いつも通りのことだけをやって過ごすようにしている。 とにかく普段のレベルがプラス・マイナス・0だとすると、こんな日は言うなればマイナス10くらいからの出発になるわけで、通常レベルの集中力や効率にするためには、いつもの倍近い出力を精神力・体力に課さねばならず、ジタバタ抵抗すればひどく消耗することも知っているので、諦めてじっと沈んでいる。

ついでに、こんなにボンヤリしていて大丈夫か?ちゃんと元に戻れるのか?、と、不安がよぎる。 今の所では戻らなかった経験は無いのだが、自分で不安になるくらいに『尋常な状態』からはかけ離れているという感じだ。

寝不足、低い雲の中で雨が降ったり止んだりしているどんよりした天気、服用した薬・・何ひとつとっても特別な事ではないのに、全てが錘となって私に絡み付いている感覚。 抑鬱ではないので、気分はハイではないにしても穏やかだし、状況に反してやる気もある。 そして、ちゃんと立派にお腹も空く。 これほどぼんやりしているのに、ばくばくと美味しく食べている自分は、人よりは動物に近いな、と思う。

不思議なものでこんな日は決まって、時間の感覚が狂っている。 ちょっと5分くらいのつもりが、時計を見ると20分も経っていたり、自分を置き去りにしたまま、あれよあれよと言う間に時だけが流れてゆく。 こうして書いている今も、そろそろ夕方なのだけれど、「あれー?もう一日終わっちゃうんだ」みたいな感覚で、自分で納得できないのである。

たまたま先週、ちゃんと下調べもしないで、装丁の第一印象だけを頼りに図書館で借りてきた(たまに新規開拓の為にそんなこともする)2冊のハード・カバーが、とてもよく似た題材を取り上げた小説で、「既に亡くなってしまった、とある人物の背景を主人公が苦労して調べながら、その過程で人生を学んでゆく」といったテーマだった。 片方は新刊、もう片方はほぼ10年前の作品で、当然著者も別々。 一体この偶然は何だろうか。 こんなにボンヤリと頭が廻らない日に、そんな偶然が重なると、誰かあちらの世界の人が私に調べられたがっているのか?、と妙に深読みしてしまう。

とにかく今日が無事に終わるようにだけ、パワーを使おう。 大事な判断は全て明日に先送りすることに腹をくくろう。 しっかり食べて、さっさと寝よう。

 

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