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2007.08.31

夏の疲れ予防メニュー

これなら30分で出来ます。

略式豚の味噌漬け  4人分

  • 豚ロース肉ソテー用(1センチ厚くらい)  4枚
  • 味噌     大さじ4
  • みりん    大さじ1と半
  • 砂糖     大さじ1と半
  • 日本酒   大さじ3
  • ニンニク   1片・・・すりおろす。チューブ入りでも可。

  1. 味噌以下の材料を混ぜ合わせる。
  2. 余裕があれば豚肉の筋を数ヶ所包丁で切る。 逆に急いで作りたい場合は、肉全体をフォークでさして、細かい穴をたくさん開ける。
  3. 肉の両面に合わせ味噌を塗りつけて、10~20分放置する。
  4. 余分な味噌を指でぬぐうようにして、中火のフライパンで両面を焼きつける。 火の通りを早くしたければ蓋を使って蒸し焼きに。 強火にすると焦げるので注意。
  5. 適宜切り分けて盛り付ける。

本式の味噌漬けよりもソテーに近く、味はそこそこ薄めですが、肉の風味が楽しめます。お弁当にも便利かと。 合わせた味噌が余ったら、野菜炒めにでも使ってください。 ただし、肉汁が沁みていますから、冷蔵庫に保管して翌日まで位には使い切ること。 ちょっと焦げ目を付ける気持ちで焼いた方が美味しいです。 心配だったらフライパンに少量の胡麻油を敷いてから焼いてください。

たっぷりの野菜サラダでも添えて、どうぞ。 豚と味噌のビタミンB群をニンニクが補強します。 疲れが出やすい今の時期におすすめ。

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2007.08.30

♪駆け抜けてゆく夏の終わりは

すっかり秋らしくなってきた。 「どこが」とか「何が」ではなく、全体的にじわーっと広がってくる印象で。 その印象を具現化するように、食卓の上にも秋が並び始める。 秋刀魚、梨、巨峰。 ナスも風味が濃縮されてきたみたい。 味付けもそろそろギア・チェンジのタイミングか。

ふと気付けば、目の前に9月。 Off courseの「I love you」を思い出して、頭の中にドッ・ドドッ、という重低音の打ち込みのリズムが流れる。 『心音をイメージしてあの音を使った』なんていうインタビューもついでに芋づる式に思い出したりして。 なんでそんなことをわざわざ覚えているのか、自分で自分に「変なの」と思う。

ぼんやりととりとめも無く、断片的にいろいろなことを思い出しながら、今の自分なりの意味合いを考えてゆくのは、地味だけど興味深い作業だ。 時間が経って、経験値が増えると見えてくるもの・解ってくるものというカテゴリーが確かに存在すると、身に沁みて理解できるようになった。

自分に対して『よしよし』と思える毎日は、悪くないだろう。

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2007.08.29

月が酔うとあんな感じか

天気予報を見て、ほとんど諦めていた月食だったにも拘らず、予想以上に雲量が少なくてラッキー。 雲の切れ間から覗き見する感覚で見ることが出来た。

『ますたあ』は月食の月の赤い色が好きでない、と、いう。 なるほど、柿の実色をした月はどこか生々しい印象で、不気味と言われればそう思えなくもない。 それと同時に、どこか色っぽくもある。 はみ出した光を見ているせいなのか、薄雲がかかっているせいなのか、輪郭もぼんやりしているし、浮腫んでいるような月。 赤い色は膨張色、そんなことも思い出していた。 普段はキリッと胸の奥に突き刺さってくるようなクールな印象の光が、ここまで表情を変えるのも面白い。 これでは知識の無かった昔の人々に、天変地異のサインとされたのも納得だ。

しばらく気にしながら見上げて楽しんでいた後、なんだかんだと片付け物を済ませ、もう一度窓を見ると、月食も終わり、もういつもの月だ。 ほんの数時間だけ、酔っぱらっていた月の姿を見せてもらったような気分になって、なんだか笑ってしまった。 たまにはそんなこともあってもいいんじゃないでしょうか、なんて、胸の中で思いつつ。

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2007.08.28

残念だなあ

氷殺ジェット 製造中止・自主回収決定

あー、使い勝手といい、効き目といい、コンセプトといい、やっと納得できる商品が出たと喜んでいたのも、つかの間の夢となってしまうか。

だってあれだけ「火のある所で使うな」とか「火気厳禁」とか書いてあるのに、まったく何処の何方ですか、事故につながるような使い方をなさっているのは?!

とばっちりを喰わされたようで、どうも納得ゆかない。 ぶつぶつ。

(もっと買占めておくんだったな。)

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2007.08.27

青いパパイヤ

すっかり本州でも市民権を得た感のある沖縄料理。 特に夏場は本領発揮という感じがする。 素材の使い方も独特で、レシピを読んでいるだけでも興味をそそられる。 ゴーヤ、ヘチマ、昆布など身近なのに、自分が普段作っているものとは違う扱いで感心させられる。

昔、同じ職場に勤めていた仲間に、石垣島出身の方があった。 ある日どこかの飲み屋で宴会をやった時、〆のデザートに「パパイヤにバニラアイスを添えたもの」が出された。 彼女は隣に座っていた私にそっと尋ねてきた。 「ねえ、パパイヤ好き?」

「嫌いじゃないかな。 自分ではあんまり買わないけど、出されたら美味しく食べるよ。」 「じゃあ、私のパパイヤ、あげる。」 「いいの?」 「うん良かった、貰ってくれて。 でもアイスは私が食べるね。」 「うん、うん、もちろん。」

彼女は手を付ける前の器からパパイヤだけを器用に私の器に移した。 「パパイヤ嫌い? 石垣島だといっぱい作ったり食べたりしている印象があるけど・・?」 そう聞いた私に、彼女は意外な答えをした。

「パパイヤはね、嫌いじゃないの。 でも、熟して甘いやつはダメ。」

彼女の実家の庭にもパパイヤの木が何本もあり、ごくありふれたことのように花をつけ、実がなって、それをもいできては使っていたそうだが、専ら利用するのは未熟な緑色の実で、炒め物、煮物、サラダの材料としてだったらしい。 「へえ、じゃあ、果物としてじゃなくて、野菜としてみたいな感じ?」 「そうそう。 黄色いパパイヤなんてあっちでは誰も食べないよ。 東京に出てきて、お店で売っているのを見てビックリした。」 意外に思って聞いている私に彼女は続けた。 「だって、あっちでは、黄色くなるまで熟しちゃったら、パパイヤの中は虫だらけなんだもん。」 パカッと割った瞬間、中から虫がワッっと出てくるらしい。 ・・想像しただけでぞっとする。 「だからね、虫がつく前に食べちゃわないと。」 取り損ねられて木の上で熟したパパイヤを、子供の頃に採って食べようとした時に、中から虫がたくさん出てきて、その印象がインプットされるせいか、大人になると誰も手をつけなくなるという話を、彼女は教えてくれた。

私がお店で買うパパイヤは、全てが輸入品だ。 このところ完熟マンゴーの人気が高いが、ちょっと神経質に栽培して、虫の入っていない沖縄パパイヤを栽培したら、いい商売になるのかもしれない。

所変われば素材もいろいろ、使い方もいろいろ、食べ方もいろいろ。 食べることは生きることに繋がっているだけに、奥が深くて興味深い。

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2007.08.26

電話ボックスへのレクイエム

携帯電話の普及に伴い、どんどん姿を消してゆく公衆電話。 たまに駅などで鮮やかな緑色を見かけると、「あっ」、と、わざわざ意識するほどになってきた。 同時にますます見かけなくなってきたのが、電話ボックスだ。 透明な小さな箱型空間にぽつんと設置されている公衆電話。 一時期は犯罪の温床になったりもして、あまりイメージが宜しくないのかもしれない。

電話ボックスは周囲が暗くなると、自動的に蛍光灯が灯る。 人気が無くて心細い真夜中の夜道で、ほぼ等距離で設置されている電話ボックスの灯りに、心の拠り所のようなものを感じて帰ってきた酔っ払いの夜とか、もの想いに眠られずに散歩をした夜明けに、ぼんやり浮かんでいた電話ボックスの印象とか、心の琴線に触れたような光景が、いくつか胸の中にインプットされていて、まさに「若かりし時代における気の利いた大道具」だった。 だから、と、いうわけでもないのだが、見かけなくなってきたのがなんとなく寂しい。 今の人たちにとっては、コンビニの店頭から漏れる灯りが、その代わりを勤めているのだろうか。

同様に、いろいろとイメージを膨らませられる灯りには、自販機もある。 何処ぞの駅前などのように、ただひたすらにずらりと並んでいる光景はいただけないが、例えば真夜中の高速のサービスエリアなど、売店のシャッターが閉まっている外側で、数台だけが煌々と明かりを灯して客を迎えている様子は、昼間の人気が多い様子と対照的なだけに、逆に心もとない夜の様子を浮き彫りにさせて、なかなか趣のある光景だと思う。 たまたま缶コーヒーなどを買っている人を見かけると、勝手にその人の生活の背景を想像したりして、そして、何故か自販機の灯りが、その人の憂いをすべて集約して担っているような、そんな気にもなってくるのである。 単なる妄想癖か?!

8月もあっという間に下旬になり、昼間の暑さは相変わらずだが、朝夕だいぶ過ごしやすくなってきたように感じる。 昨夜はちょっと霞がかった空に、トパーズ色の月が綺麗だった。 公衆電話ボックスも自販機もコンビニも無かった時代の人は、月の光に、私が感じているようなものをインスパイアされていたに違いない、と、そんなことを思った。

それはそれ、これはこれ。 でも、人間の中身なんてそんなに変わってはいないような気もする。

明かりの灯る夜の公衆電話ボックスの、あの折りたたみ式のパシャンとする扉を、開けてみたくなった。 今の私はその瞬間、内部の淀んだ空気に何を感じるのだろうか。

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2007.08.25

晩夏のシュリンプ・サラダ

どこか物憂げな時期。 よく冷やした軽めの白ワインで、ちゃんと手をかけて作ったサラダはいかが。

ちゃんと作るシュリンプ・サラダ    約4人分

  • ブラックタイガーまたは大正海老       200g
  • 白ワイン  大さじ2
  • 塩      小さじ4分の1
  • コショウ   少々
  • レモン    スライス1枚
  1. エビは背わたを取って蓋のできる小鍋に入れ、白ワイン以下の材料を加えて、蓋をして中火にかける。
  2. 湯気が上がったら火を止めて、そのままレンジの上でじっくり常温まで冷ます。 その後で皮を剥き、尾も除く。
  3. 冷蔵庫で冷やしておく。
  • トマト    よく熟して硬いもの  大2個
  • サヤインゲン        100g
  • 塩・コショウ         適宜
  • タマネギ           2分の1個 約100g
  1. トマトは湯剥きまたは包丁で皮を剥き、くし型に切る。(弧の部分の幅が2cm弱くらいに。) 気になれば種を除く。
  2. サヤインゲンは筋を取って茹で、3cmくらいの斜め切りにし、軽く塩・コショウを振る。
  3. タマネギはほんの少し取り分けて、小さじ1量の細かいみじん切りを作る。 残りは全量スライスして水に晒し、水気をよく切る。
  4. すべての材料を冷蔵庫で冷やしておく。
  • ワインビネガー(白)   半カップ
  • 塩              小さじ2分の1
  • 練り辛し(日本辛し)    小さじ1
  • タマネギ(前段階で取り分けておいたもの) 小さじ1
  • ミョウガ           2個
  • 大葉             5枚
  • アンチョビ・フィレ      2枚
  • お好みの油         4分の1カップ
  1. ドレッシングを作る。 ミョウガ、大葉、アンチョビを細かいみじん切りにする。
  2. ボウルに塩、ビネガー、辛しを入れてホイッパーでよく溶きのばす。 混ぜながら少しずつ油を混ぜ込んでゆき、更によく混ぜる。
  3. みじん切りにしたタマネギ、ミョウガ、大葉、アンチョビを合わせる。 ここではコショウは使わないので、注意。
  4. 時間があればドレッシングもボウルごと冷蔵庫で冷やす。

  食べる直前にすべての材料をボウルの中で混ぜ合わせ、器に盛りつける。

よく「引き算の料理」とかそんな表現を耳にしますが、個人的にはサラダは「足し算の料理」だと思っています。 夏場は、副菜としてちょこっと添えるサラダが重宝される時期で、そちらが一般的だからこそ、逆にちゃんと手間をかけて作られたサラダも、また違った印象で美味しいものです。

あまり良い状態のエビが手に入らなかったり、トマトの酸味が強い場合には、ワインビネガーを少し減らしてください。 残ったアンチョビはパスタやピザトーストにでも。 ほぐした焼きナスに和えて冷蔵庫でキンと冷やし、多目の黒コショウを振れば、ちょっと気の利いた肴にもなりますよ。

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2007.08.24

心の中にはY染色体

過日、某病院の外来待合室で、持参した本を読みながら呼ばれるのを待っていた。 多少の融通は余儀なくされるが、基本的に予約制診療なので、待合室はそんなに混み合ってはいない。 私より早く来て待っていたのは、初老の女性一人だけだった。

しばらく経つと、新たに別の初老女性が待合室に入ってきた。 すると、私より早く来ていた先客の女性が、新たにやって来た女性に勢い良く挨拶した。

「あら、こんにちは。」 「まあ、こんにちは。」

この辺りでは『世間が狭い』とでも言えばいいのか、暮らしている人の頭数も少ないし、お店や病院の数も限られているから、都市部での生活に比べて、出先で顔見知りやそう遠くない親戚に出会う確率がやたらに高い。 なので、聞くともなく聞こえてくる会話を耳にしながら、「ああ、このふたりはお知り合いだったんだな」、と、思った。 よくあることだ。

「今日はどうしたの?」、とか、「暑くて大変よねえ、私なんかねえ~・・」のような、意味の無いどうでもいい内容の会話が、途切れることなく続いてゆく。 静かだった待合室に元気なオバサマの声が響く。 あまり使ったことの無い単語だが、こういうのを『かしましい』と呼ぶのだろうか?、と、ぼんやり考えていた。

オバサマの声をBGMにしたまま読んでいた本に引き込まれていた、その時、オバサマの一人が突然言った。

「あれ、私、勘違いしてたわ。 あなた、○○さんじゃないわよね。 来た途端に○○さんだと思っちゃって。」 「あら、私もどなただったかなって、ずっと思ってたんだけどね。」 「あはは。」 「あはは。」

横に居た私の方が、あっけにとられて、思わずそちらを見そうになった。(適切でない表現を使えば、ガン見してやろうかと思った、という感覚。) あははじゃないだろう、このふたりは全く初対面で認識も無いまま、こんなにペチャクチャと話し続けていたのか?! 時計を見てみると、あれから10分近く経過している。

しかも、相手が赤の他人だと判明してからも、今度は認識がないことを出発点にして、「家はどこにある」だの「あのテレビ番組を見たか」だの、有名人のスキャンダルだの、延々とお喋りは続いてゆくのであった・・。

どうしてこんなにどうでもいい内容を、ずっと喋り続けられるのか。 唖然、呆然、ちょっと嫌悪感。 私はこの人たちと同じ女性なのか、と、落ち込むまでは届かないにせよ、心理的ダメージを受けた自覚。

その日の夜、『ますたあ』に外来で出会ったオバサマ達の話をした。 「私も歳をとったら、あんな風になってしまうのかな?」、と、溜息をついた私に、「ならないよ!」の即答を返してくれたことに、救われた気分になった。 身体の方は仕方が無いとして、頭の中までX染色体に乗っ取られてたまるものか!、みたいな妙な反抗心がふつふつと湧き上がってきたような気がした。

あんな時言うのかな、「どんだけ~」って。 あっ、でも、オネエ系の皆さんは「心の中にはX染色体が2つ」か。 もうなにがなんだか。 

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2007.08.23

メカジキで

ちょっとがんばって涼しい時間帯に作っておけば、とっても楽。 冷たいまま、食卓へ。

  メカジキのマリネ   4人分

  • メカジキ       300グラム
  • 塩・コショウ     適宜
  • 片栗粉        適量
  • 長ネギ        1本
  • ショウガ       1片
  • 揚げ油        適宜
  • 米酢         半カップ
  • 砂糖         半カップ
  • 醤油         4分の1カップ
  • ケチャップ      小さじ2
  • 胡麻油        小さじ1
  1. メカジキはひと口大に切って塩・コショウして、片栗粉をまぶす。
  2. 長ネギはみじん切り。 ショウガはすりおろす。
  3. 耐熱ボウルに酢・砂糖・醤油を合わせて、電子レンジで2分加熱。 取り出してケチャップ・胡麻油を加えて、よく混ぜる。 そこへ2の長ネギ・ショウガを入れて混ぜる。
  4. 揚げ油で1のメカジキを揚げ、熱いうちに3に漬け込み、器ごと冷蔵庫で1時間以上冷やす。
  5. 皿に盛り、漬け汁を少しかけていただく。

辛いのがお好みなら、漬け汁にラー油を混ぜても美味しいです。 お弁当や持ち寄りパーティーにも重宝。 お洒落にしたかったら、別に白髪ネギを作って、天盛りにすれば上品な印象に。

そろそろ夏の疲れが溜まってくる頃・・お酢の力を借りましょうか。

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2007.08.22

まっ、いいか

どんなに相手を大切だとか好きだとか愛しているとか言った所で、相手に対して「まっ、いいか」と思えない関係は長続きしない。 それは愛情の深さとは関係なく、もっと動物的な勘に基づいたもののようにも思うが、実は長いスパンで相手との関係を考える際には、こっちの方が重要なポイントだったりもするから厄介だ。

だいたい、「愛してる」だけで相手の全てが好意的に思える期間なんて、そう長くは続かない。 熱が冷めてゆくように、「愛してる」ことが当たり前の日常になるにつれて、盲目的に見えていなかったありとあらゆる「くだらないこと」が気になりだす。 客観的に考えれば大して重要なことでもなく、例えば脱いだ洋服をたたまないとか、メニュー選びに迷って決めるのが遅いとか、赤の他人が聞けば本当にどうでもいいことだったりするのだが、本人たちにとっては一度気になりだすと大問題だったりするのだ。

相当長い年月を別々の環境で、別々の暮らしをし、経験してきたことも学んできたことも別々のふたりが、ある日を境に顔を揃えてみたところで、自分の常識が相手の常識とピッタリ合うはずも無い。 ええっ?!、と、驚き怪しむような相手側の常識に翻弄されることもあるだろうし、それはお互い様だろう。 問題は、そこで自分の捕らえ方を微調整できるかどうかにかかっているのではないか。

驚き怪しみ頭にくるような状態に甘んじていたのでは、イライラが溜まるだけだ。 「自分には受け入れ難いけど、それはそれとして仕方がないのかも。」みたいな感じで、ちょっとだけ譲歩できれば、気持ちの上でずいぶん楽になる筈で、「それも相手の個性のひとつなのかも。」まで来れば大したものだ。

「まっ、いいか」と思える相手とは、実はお互いに、もう相手の存在そのものを肯定している関係に近いから、言いたい事も言えるし、悪態もつけるし、感情もぶつけられるし、開けっぴろげで飾らなくていいから楽なのだ。 「まったくオマエは相変わらずだよなあ」、なんて呆れ顔で言っても、「まっ、いいか」のベースがあれば怖いものはない。

「まっ、いいか」は果てしなくいい加減なようであり、実は人間関係のワイルドカードだったりもするのではないか。 ポーカーにおいての「2」のカードのように。

昨夜、5年ぶりぐらいに、「まっ、いいかの関係」の友人から電話があって、散々喋った挙句に思ったのはそんなことだった。 「まっ、いいか」は時間軸をも超越する価値観なのかも知れない。 「まっ、いいか」、恐るべし。

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2007.08.21

ナメられてるのか?

本人としてはあまりに不本意なので、今まで触れずにおいたのだが、先週連続して3回もムカデに噛まれてしまった。

とはいえ、数年前の夏の真夜中に起きた、例の悪夢のような大ムカデではなくて、それが黒光りしていた「ビックリおもちゃ級」だとすれば、今回のものはすべて「マッチ棒級」クラスで、体長も3cm程度だし、色合いも麦わら色と若草色の中間のようだし、まあ可愛いものである。(いやいや、決して可愛くなんかないのだけれど。) 殺虫スプレーを吹きかけると、体重が軽すぎて風圧に飛ばされてしまい、見失うことになるので、今のところ一番の対処法は、ガムテープで押さえつけて貼り付けてしまうことのようだ、と、こちらも学習した。

小さいといってもムカデはムカデなので、蚊に刺されるのとは違って、そこそこのダメージがある。 一週間くらいは腫れるし、痛いし痒い。 それでも大ムカデにかまれて以来、一応常備しているアンチ・ヒスタミン剤を使うまでには至らなく、腫れても一関節程度の範囲だから、まあ我慢すれば我慢できる程度だ。

噛まれた環境も状況も時間帯もばらばらだし、それにも増して、なんで同じものを食べて同じような暮らしをしている『ますたあ』はスルーされ、私ばかり噛まれているのか疑問だ。 ちょっとそれが悔しくもある。

よく判らないのは、ムカデが私のことを「餌だ」と認識して噛み付いているのか、「敵だ」と思って攻撃しているのかが、理解できない点である。 例えば、無意識の内にムカデを払い除けたりした拍子に噛み付かれているのなら、百歩譲って「仕方ないかな」ぐらいには、思ってあげなくもないのだけれど、もしも、「これはウマそうだ」などという気持ちでかぶりつかれているとしたら、この人間はずいぶんナメてかかられていることになる。 これは人間の片隅に所属している者として、断じて許すわけにはゆかない。

ただでさえ暑くてうんざりなのに、ムカデにまで軽んじられているようで、大人げもなく悔しがっているこの頃。 ウチに来た一見さんは、たいてい「いい所ですね~、緑が豊かで。」なんておっしゃるのだけれど、山暮らしには山暮らしの「『いい所』だけじゃ済まされない部分」もある。 そんなことを思うと「自然環境と仲良く」なんて言葉は、都会の人の台詞だよな、と、つくづく実感したりするのだ。

突き詰めればきっと、人間が地球と仲良くすることなんて無理だ。 本来、お互いにもっと緊張感のある関係に違いない。 私がムカデにナメられたように、そんな事を言うのは、人間が地球や自然環境ををナメてかかっているようで、どうも腑に落ちないのである。

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2007.08.20

「お話中」

1970年代の音楽を聴いていたら、『line is busy』という言い回しが出てきて、瞬間的に、あっ!と思った。 

文字通りに捉えると「お話中」。 そうだよな、電話はlineで繋がっていたんだよな・・、などと、曲とはまったく関係ない部分で思考が脱線してしまったのは、現在の携帯電話はlineで繋がっていないことに気付いたからである。

電話に限らず、例えば電力会社から供給を受けるlineだって、ずっと辿ってゆけば、必ずどこかの発電所まで繋がっているのだし、水道管も然り。 ライフラインなんていう単語もあるくらいで、とどのつまりは「点と点を結ぶ線」だ。 字の如く、本当に細い線で繋がれているとは、意識してみると、実は凄いことのような気がしてくる。 こんな末端の個人の家まで、ちゃんとlineが届いているなんて。

片や、携帯電話のように、技術の進歩によって実際にはlineが繋がっていないものも増えてきた。 例えばテレビやラジオの類。 無線LANだって。 リモコンひとつを取り上げても、「情報を波の凹凸の隙間に乗せて飛ばしてしまう」ものは結構身近にある。 波はある程度指向性を持たせることができるらしいので、「この波を、貴方の方向に飛ばしますから、受信して下さいね。」的な飛ばし方もあるのだろうが、多くは全方向に近く周囲にばーっと飛ばして、「必要な人は、受け取ってください。」と、受信する側の意志で選択するようなシステムらしい。 必要のない人に、必要のない情報が届かないように、利用する周波数(波の周期)を細かく規定しているのは、そのせいだろう。

実際にlineで繋がっているものは、完全に1対1の関係が成立するのに対して、lineで繋がれていないものは、1対複数にも成り得るわけだ。 実はこれ、結構大きな違いなんじゃないだろうか。 責任の根拠とか、客観性とかを論じる場合において、特に。

やがて、ずっと時間が経って、「お話中」を示す言い回しにlineという単語が使われない時代が来るのだろうか。 例えば『air is busy』みたいに?

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2007.08.18

そうじゃないだろう

数日前から、目の前に広がるグラウンドは、少年サッカーチームの合宿で貸し切られている様子だ。

今日の夕方には紅白戦のような試合があったらしく、ゲーム形式の練習を見ながら、コーチ達がピッチへ大声のアドバイスを送り続けている。 その中で、仮名A君という選手が、ボールをキープした時に顔を上げて周囲の状況を把握するように、との注意を、繰り返し受け続けていた。 「ほらA!周りを見ろ!」 「A 顔を上げろ顔を!」 そんなコーチの声が響いている。

「A ボールを持ったらちゃんと周りの状況を確認しないとダメだぞ。」 「はい。」 「ほら、しっかり顔を上げてみろ。 何が見えてる?」 そう質問したコーチに、A君は真面目に答えた。 「山です!」 

・・・ (-_-;)

おいおい、見ているものが違わないか?!

お米を研いでいた私の方が、思わず吹き出してしまった。 コーチ業も大変だな。

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2007.08.16

この暑さじゃ勘違いもするよね

大型スーパーで涼みがてら買い物をしていた。 ちょうど棚の上のほうに陳列されている商品を見比べていたので、注意が下に向いていなかった。

後から、いきなり私の右足に抱きついてきた熱いものがあったので、凄く驚いて、思わず「うわっ!!」と飛び退いたら、幼稚園に入るかは入らないかくらいの子供が、そちらも目を点にして呆然としている。

「ありゃあ、お母さんと間違えちゃったかな?」、と、話しかけたら、遠くから通路を小走りにやってきたお母さん・・「すいません、もうホントに○○ったら、もう!!」  私に会釈をして、子供の手をとり行ってしまった。

お母さんはミニスカート、私はジーンズ。 何を勘違いされたんだか、よく判らないが、こんなことは久し振りだな、と、思って微笑ましく思えるような出来事だった。

子供も大人も、暑くて大変だよ。

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2007.08.15

味の沁みたしらたき

しらたきなんて、よく考えてみれば「どこが美味しいのか判らない」食材なのだけれど、例えばすきやきのように、醤油と砂糖の味が染み込んだしらたきには、他の食材では追いつけない「美味しさの存在感」があるような気がする。

・・と、しらたきのご機嫌をとったところで(?)、急に思いついて作ったベーシックな一品。

しらたきの炒り煮

  • 豚肉薄切り、モモでもロースでもバラでも      300グラム
  • シラタキ、白でも黒でも                1袋
  • ワケギまたは万能ネギ                1束
  • 胡麻油                          大さじ1
  • 赤唐辛子(省略可)                  1本
  • ダシ                           200cc
  • 醤油                           大さじ2
  • 砂糖                           大さじ1と半
  • 七味唐辛子・すり胡麻・青海苔 お好みにより適宜
  1. シラタキはざく切りにして茹でこぼし、水を切っておく。 豚肉は2cm幅に切る。 脂が多い部位を使う場合は、さっと熱湯にくぐらせておくとよい。 ワケギは5cm幅に切る。
  2. フライパンに胡麻油を引いて、輪切りの唐辛子とシラタキを炒める。 中火でじっくりと。 ここでシラタキの水分を飛ばすのがポイント。
  3. 豚肉を加えて引き続き炒め、肉の色が変わったら、ダシ、醤油、砂糖を入れて炒め煮する。
  4. ほとんど煮汁がなくなったところで、味見をし、醤油と砂糖で微調整。
  5. ワケギを加えてさっと炒め合わせる。
  6. お好みで七味唐辛子や炒り胡麻、青海苔などを混ぜ込み、できあがり。

すぐにいただくのではなく、しっかり冷まして味を染み込ませてから召し上がってください。 5の過程で乾燥した粉末状の香辛料を混ぜ込むと、表面の余計な水分が吸収されて、格段に日持ちが向上します。 これはキンピラなどにも使える手。

炊き立ての白いご飯によく合う、日本のおかずです。

ちなみに・・。

昨夜からビールを解禁。 日頃から「私の血はビール」などと勝手にのたまわっている当方において、これは輸血に等しいことです。(笑) ようやく自分の体が自分に帰ってきたような、そんな感覚でした。 濃い目味のピリカラしらたきに、モルツ。 やっぱり夏は、こうでなくっちゃ!

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2007.08.14

走る煮干

山には虫が多い。 なので、当然虫を餌とする動物たちもいっぱい暮らしている。

洗濯物を外へ干しに行くと、気配を感じて一斉にそそくさと逃げて行くのは、「カナヘビ」だ。 コンクリートの上で日向ぼっこをしているのを、見かけることが多い。 こちらが「時間が無い~!」なんてパタパタと走り回っている時に、日光浴している所から顔だけ振り向かれると、「何かありましたぁ?? まあのんびり行きましょうよ。」、なんて、のん気に話しかけられているような気がして、なんとも脱力系イメージのトカゲだ。(いや、そう見えても必死に生きているに違いないと思うが。 イメージが、ね。) よく見ると、つぶらな目が、なかなかチャーミング。

彼らも彼等なりにちゃんと繁殖しているらしく、先週『ますたあ』が子供サイズのカナヘビを見たと言う。 「ちっちゃくて可愛いよ。」、の後に続いたのが、「なんだか煮干が走ってるみたいでさ。」  ん?『煮干が走る?』・・この表現に興味を持ったので、その子供サイズのカナヘビに会える機会をうかがっていた。

そうしたら、やっと会えたのである。 体長4センチくらいの小さなカナヘビ。 おもちゃのような小さな細い足が、パタパタとゼンマイ仕掛けのように動いている。 ぶきっちょさ丸出しでユーモラス。 体の太さと、体長、それに、頭の大きさ、丸いつぶらな目・・確かに全てのバランスが、『ますたあ』の言っていたとおりに、煮干のそれだった。 可笑しい。

体全体で「僕たちは魚類から進化して来たんです」と表現しているようなその姿に、チョロQにも通じるお茶目な感じが上乗せされて、なんとも可愛らしくて、しばし和ませてもらった。

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2007.08.13

私にできること

こんなこともあるのか、と、思ったのは、私が手術を受けたまさにその日、親しくさせていただいていた先輩が、神様に召されてしまったことだった。

もちろんまだ身動きが取れる状況ではなかったから、お見送りの儀式のお手伝いに行く事も出来ず、ただベッドの上でたくさんの管をぶら下げながら、頭の中で祈っていただけだ。 駆けつけられなかった悔しさがないと言えば嘘になる。 「なんでよりにもよってこんな時に・・」、と、呆れる反面、『こうでもしなかったら、あなた、来てくれちゃうでしょ! 私は大丈夫だから、自分のことだけ考えていなさい。』なんて、彼女らしいメッセージを残して逝ってくれたような気もしている。

彼女は私より20歳近く年上だ。 それでも公私に渡り、なにかとお付き合いさせていただけたのは、彼女がとても純粋で、気持ちの上での年齢差を感じさせないような性格だったことによる部分が多い。 若いからという理由だけで見下げたり、軽んじられたりした覚えが一切無いのである。 当然人生の経験値では圧倒的に彼女の勝ちだから、良く彼女を頼ってアドバイスを貰いに行った。 そんな時、多分シリアスな顔つきの私を横に、彼女はいつもケラケラと高い声で笑って、「私の方が貴方に教わりたいくらいよ! 続きがどうなったか、知らせに来てちょうだい!」、とかなんとか言いつつ、私の背中をポンと叩いた。 仕事を離れてからの親の介護という場面でも、彼女と私の境遇は近く、「いつも自分より前を行く先輩」の後姿を追いかけて歩いてきたような気がしている。

その先輩が肺癌で手術を受けた。 発見のきっかけとなったのが、地域の住民検診だったこともあり、「とにかく、何を差し置いても、自分の健康診断を定期的に受けなければダメよ!」、と、力説していた。 口を酸っぱくして何度も何度も、電話の度、手紙の度に、繰り返し繰り返し。 彼女を知る他の人たちにも、同様な力説を繰り返していたと聞く。 肺は元々たくさんの血流が確保されている臓器だから、いざとなると癌の進行も転移も早い。 一度は社会復帰を果たした彼女だったが、時間の問題だったようだ。

故人を美化するのではなく、お世辞でもなく、本当に有能な方だったから、神様はご自分の手元に引き寄せて、手伝って欲しかったんだろうな。 「もうね、あなた、全然のんびりなんてしていられないのよ。 神様に騙されたわ。」、なんてケラケラ笑いながら走り回っている彼女の姿が、夏の真っ青な空に見えるような気がして、思わず目を細めた。 強い陽射しのせいか、少しくらくらする。

私の一連の経過も、発見のきっかけは数年前の住民検診だった。 そして、私は、先輩が残してくれた「健康診断を受けなくてはダメよ!」のメッセージを、半分彼女の置き土産として、半分自分の経験として、残暑見舞いに片っ端から書いているのである。

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2007.08.12

スクランブル

朝ごはんを食べていると、隣接しているグランドの向こう側で、幼い子供たちが「ヤッホー!!」、と、代わる代わる叫んでいるのが聞こえてきた。 大きな声で思いっきり叫ぶような経験は、都市部では難しいのだろうな、と、ぼんやり思う。 思わず「ヤッホー!」、と、叫ばれる場所で暮らしているワタシって、なんだかなあ・・。

夏休みの彼等の非日常と、こちらの日常が交差する、不思議な感覚。

それにしても、今時、「ヤッホー!」なんていう言葉、誰にいつ教わったんだろうか。

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2007.08.11

ダシか毒か?

お風呂は好きなので、よっぽどのことがない限り、毎晩ちゃんとお湯を張ってお風呂に入る。 でも、医者に入浴を制限されることがあり、そんな場合はたいてい何週間というレベルで、シャワーのみで過ごすことを余儀なくされる。

2年前に膝蓋骨を脱臼(膝のお皿が脱臼)をやった際、シャワーだけで体を洗っていた後で、久し振りに浴槽に身を沈めて入浴したら、お湯が白っぽく濁った。 初めは目の錯覚か?、と、思ったのだが、あれよあれよと言う間に、白濁の度合いが増してゆくので、なんだか怖くなってきて、そこそこに切り上げた覚えがある。 まあ、濁るといっても、浴槽の底が見えなくなるほど濁るわけではなくて、うっすらと、まるで「牛乳でも入れました?」、という程度なのだが、それでも、お風呂のお湯が濁ること自体珍しい経験なので、自分の体を怪しんだ。 真っ先にイメージしたのは、博多ラーメンの豚骨スープである・・あたしゃあ、豚の骨か?!(自分の名誉を守る為に書いておきますが、決してお湯が匂ったりはしていませんでしたよ。 ちゃんと、嗅いでみたけど・・苦笑。)

早速『ますたあ』をお風呂場に連れて来て、「濁っちゃった」と、見せると、「ああ、結構良くあるよ、それ。」、と、別に驚きもしない様子である。 彼によれば、例えば風邪を引いて熱を出し、熱が下がってから初めてお風呂に入る場合とか、疲れが溜まっている場合とか、それなりの理由があればそこそこ濁った経験があるらしい。 で、お湯が濁るような入浴ができれば、疲れが抜けると言う。 まるで、デトックスじゃないか、それは。 ちなみに、経験上ぬるめのお湯にじっくり浸かると、より濁り度が増し、効果が期待できるとか。

時々読みに伺っているFUKAWAさん、とおっしゃる方のブログ「出張日誌」の中に、フットバスでデトックスを試した記事が紹介されていたのを思い出した。 足を付けたお湯の色に変化があるらしい。 ちょっと検索をかけてみると、最近では「その人の排出する毒によってお湯の色に違いが現れる」とか、反対に「それはまったくのマヤカシである」、というような記事も、たくさん見つかって(わざわざリンクは張らないが、興味のある方は『フットバス デトックス』辺りでブログ検索をかけてみると宜しいかと。)、とりあえず、お湯の状態が変化するというのは、まんざら珍しいものでもなさそうだということが判った。

カレンダー的には、一昨日から入浴許可を貰っていたのだが、本当に久し振りだったので、今ひとつ自信がなくて、疲れてしまっても・・と思い、カラスの行水で済ませてしまった。 昨夜になって、ちゃんとしっかり入浴して、汗もたっぷりかいてリラックスしたら、案の定、見事にお湯の濁りが見られた訳だ。

一体何が出ているのか? 不思議で仕方が無いが、お風呂のせいか今日は体が軽いのも、また事実。 謎だ。

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2007.08.09

ラタトゥイユ

農家直販のお店に行って夏野菜をたくさん手に入れたので、ラタトゥイユを作った。 夜には鶏の胸肉をソテーして、ラタトゥイユをソース代わりに。 パスタに合わせても美味しいし、温泉卵と一緒にご飯にのせれば丼に。 スライスチーズと一緒にパンにのせて焼いたりしても美味しい。 作っておくとなにかと重宝する。 日が経つにつれて全体の味が馴染んでくるのも、またオツな感じだから、たっぷりとまとめて煮ておくと、日々の献立の組み立てが楽。

夏野菜ならたいていのものは使えるが、ローリエとオレガノは忘れずに。 私は仕上げにタバスコを振って、辛さとお酢の風味プラスする。 カボチャを入れる場合には、傷み易くなるのでご注意を。

ラタトゥイユ

  • セロリ      葉を除いて一本
  • タマネギ     小1個
  • ズッキーニ   1本
  • ナス       2個
  • パプリカ     2個
  • 人参       半本
  • トマト       大き目のもの1個
  • トマト水煮缶   1缶
  • ケチャップ    大さじ2~3
  • 固形コンソメ   1個
  • ニンニク     1片
  • ローリエ     1枚
  • オレガノ     小さじ1弱
  • オリーブ油    大さじ3
  • タバスコ     適宜
  1. ニンニクをみじん切り、トマトは櫛型切り、その他の野菜は全て小さめの乱切りにする。
  2. 鍋にオリーブ油とニンニクを入れて、香りが立つまで熱する。 野菜とローリエ、オレガノを加えて炒める。 全体に油が回り火が通ってきたら、トマトの水煮缶と固形ブイヨンを入れて煮込む。
  3. なべ底を焦げないようにかき混ぜながら、水気が殆どなくなるまで炒め煮する。
  4. 仕上げにケチャップを入れ込み、塩・胡椒(分量外)で調味。 最後にお好みでタバスコを多めに振り混ぜる。
  5. 鍋のまま荒熱を取り、蓋のできる容器に移して冷蔵庫で保存する。

野菜の大きさは、指の第一関節から先くらいを目安に切り揃える。 ベーコンの細切りや、豚モモ肉薄切りを1センチ幅に切ったものなどを加えれば、味に深みが出るしバランスも取れるが、日持ちしなくなるので気をつけること。 生のトマトも使うことでフレッシュな香りに仕上がる。 手元に無ければ省略しても大丈夫。 全体的に少し濃い目の味に作っておくのがポイント。 嫌いでなければ、ローリエも入れたまま保存しておく。

この材料でなくちゃダメ、という性質のものではないので、嫌いなものは他で補ったりして、手元にあるものを活用してください。

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2007.08.07

タダでは起き上がらない

今回の入院について何度かやり取りした数名の方に、揃いも揃って「リーボーは肝が据わっている」というようなことをメール上で指摘されてしまった。 一般の人はもっと驚き怖がるものなのだろうか?、と、首を傾げつつ、よくよく思い出してみると、入院中にも主治医や医療関係者から、「落ち着いている」というようなことを言われていたことに行き着く。

正直なところ、怖いことは何も無かった。 ちゃんと病状も把握できていたし、受けるべき医療行為がいかなるものか、理解できていたし。 情報収集にはネットが偉大な力を発揮してくれた。 これについては、主治医にも感謝すべき部分が多いと思う。 とにかく何から何までちゃんと説明してくれる方だったので、治療の過程を医療従事者と患者で共有できたのだ。 実は、手術中も意識を落とさないままだったので、(もちろん、私が希望すれば、目覚めた時にはすべて終わっている状況で、やってもらうこともできたわけだが、『どちらを選ぶか?』と問われて、私は起きているほうを選んだ。)今から何をするだの、何という名前の薬を何の為に使うだの、今どこを切っているだの、ほとんどライブ状況で教えてもらうことが出来た。 もちろん手技に忙しい状況では、手術室の看護師さんが話しかけてくれていた。 手術中でさえそんな感じだったから、回復期の入院生活においても当然、自分の体で何が起きていて、どう経過することが予想されるかなどなど、細かく理解することができていたのだ。

基本的に、解っていれば余計な不安を抱く必要が無い、という部分で、患者である私の考え方と、主治医の考え方が一致できたのだろう、と、思う。 ただし、当然ながら、(殊、医療分野においては)中には「知らない方が安心できるので、お任せする。」という考え方の患者さんも居られると思うから、その辺りはマッチングの問題なのだろうが。 体のサインとしてあまりよろしくない内容についても、しっかり話してくれる主治医だったので、逆に私としては余計な心配をせずに済んだし、元々前向きタイプなので、「じゃあどうするか?」という段階に、すぐに踏み込むことができたし、患者として何をすればよいか・何ができるのか、どんな情報を看護師さんにフィードバックすれば良いのかの理解も容易だった。 最もありがたいことだったように思う。

とにもかくにも、人生では、たくさんのいろいろな経験をしておかないと損、というような価値観が、私の中にはあって、不調だろうが病気だろうが入院だろうが、その一環である。 せっかく滅多に無い経験ができることを思えば、タダで起き上がってくるのは勿体無い話で、「何でもかんでも、とにかく味わってやろう」みたいな気持ちが、一番正直なところかな、と、いう自覚がある。 その辺りを汲んでくれた(のか??)主治医には、大変感謝の気持ち。

それを、一般的には「肝が据わっている」と表現するのかも知れない、と、ちょっと苦笑しつつ。 妙な患者だったのかな、私・・?? なんだかそっちの方が今頃不安だったりして。 

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2007.08.05

混合病棟にて「システラ」を想う

社会人になってすぐに勤務していた時代の、私の直属のボスは、日本におけるターミナルケア(死に向かう状況にある患者へのケア)の第一人者と呼ばれていた、年老いた修道女だった。 勤務場所が違ったから、毎日顔を合わせたりする事は無かったのだが、定期的に彼女を囲む勉強会(実際にはもっと気楽な茶話会のような雰囲気だった)が催されたり、書類に上司の印鑑をもらう際など、なんだかんだとお世話になって、彼女の考えに触れる機会も少なくなかったと記憶している。

その彼女がいつも言っていたことのひとつに、次のような内容がある。

「死を目前にした時期にある患者こそ、混合病棟で看るべきです。 私は個人的には、ホスピスのように、そういった患者たちだけを集めた病棟運営をするべきではないと考えています。」

彼女が修道女であったという特異性が、この考え方に含まれていることを、加味しなくてはならないと思う。 キリスト教においては、「死」は「永遠の命への入り口」であり、全面的に悲しむべきものでもなく、どちらかといえば「大きな喜び」とか「希望」という意味合いを持たせている。 彼女は、死ぬことも人間が通過すべき自然の経過のひとつにしか過ぎず、特別の扱いをするのではなく、それを本人も、周囲の人間も、自然に受け入れなくてはならない、と言いたかったのではないか。 「死」をタブー視すべきではない、と。 特別扱いするべきではない、と。

過日に入院していた病院では、混合病棟状態で過ごした。 一応設備的には、分娩室や新生児室、授乳室もある産婦人科病棟だったのだが、実際には妊婦さんや産褥婦さんの他に、内科疾患等の患者さんがたくさん入院していたようだったし、救急車で運ばれて来て、そのまま入院となる患者さんもあった。 だから、廊下から聞こえてくる音も、赤ちゃんの心音を捕らえたドップラーの、くぐもったボワンボワンという音もあれば、どこかのお年寄りに付けられた心電図モニターの音もあるし、お腹が空いた新生児の泣き声だったり、それこそ今まさに生まれたてのオギャーという声だったり、「おーい!!」と看護士さんを呼ぶおじいちゃんの声だったり・・本当に様々だった。 はっきりと知らされたわけではないが、亡くなった方もおいでだったようだ。

そんな環境の中で、たった数泊してきただけなのに、様々なライフステージの方が入院していることが、まさに肌で感じられて、いろいろと感じることも多かったように思う。 生まれ来る命、逝く命、それを見守る人々、お世話する仕事人たち。 皆それぞれで、でも、同じ人間で、その多様性の混在こそが人間の社会そのものなんだという気持ちになった。

昔ボスが言っていた言葉の意味を、ようやっと感覚として理解できたような、そんな気になって帰ってきた。 近いうちに彼女の著書を、もう一度読み直してみようと思っている。

彼女の名前は「寺本松野(てらもと まつの)氏」。 ナイチンゲール賞などを受賞したが、もう既に昇天している。 修道女だったから、「シスター寺本」なのだが、私たちは皆、親しみを込めて省略し「システラ、システラ」と呼んでいた。

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2007.08.04

病院給食

入院生活中の病院給食では、期待を裏切られなかったという印象が残った。 私が作っている普段の食事ではなかなか経験できないことも、たくさん体験できたということなのだろうと思う。 決して「すご~く美味しかった!」とか、「何処ぞのレストランのようだった」などという視点ではなく、実は身近なのに食べていないものは結構あるんだな、という感じだろうか。

まず、重湯。 重湯が何かは知っているし、作り方も解っていたが、(記憶の範疇では)実際に作ったこともなければ、自分で食べたことも無い。 だから、小さなコップのような容器にドロリと収まっている乳白色の液体が、一体何物なのか、口に入れるまで解らなかった。 うーん、不思議なものだな、という第一印象。 体調のせいもあったかとは思うが、お米の味も香りも少なくて「味の無い葛湯」に近いと思った。 ちなみに、重湯と一緒に供されたのは、「具の無い野菜コンソメスープの上澄み」と「カルシウム強化グレープジュース」。 妙な話だが、「・・あっ、こんなごはん食べてたら、ほんとに病人になっちゃいそう。」、と、ちょっと焦った記憶がある。 治療食には、食べる人を心理的に病人に作り上げる力が有るな、と、いうことを学んだ。 これって、実は結構ポイントかもしれない。 特に慢性的な疾患で長期に渡って治療食を摂らなければならない方々にとっては。

重湯とまではいかなくても、軟食と呼ばれる、消化器官への負担が少ない食事を食べていた間は、「謎の煮物」「謎の和え物」がたくさん登場した。 煮物はぐずぐずに煮溶けてしまいそうに軟らかくしてあるので、野菜の味は判るのだけれど、何の野菜が入っているのか鑑別が付き難く、一口食べては神妙に味わって分析するといった過程を、ずいぶん楽しませてもらった。 人参とかブロッコリーなどは見ただけでも解るのだが、ジャガイモが混じると、一気に素材の味の輪郭がぼやけるのが、とても興味深い。

和え物が、これまた、なかなかの曲者で、和え衣のベースが解らないのである。 胡麻和え、からし味噌和えくらいなら、判別も容易だったが、「どう考えても、これは『ハッピーターン』の味でしょう?!」という和え物も2回ほど登場し、(それぞれナスとインゲンだったが。)私を惑わせた。 ちなみに廊下に張り出されている献立表によれば「なすの和え物」「いんげんの和え物」・・解決にならずに残念。

多分小学生時代以来食べていなかったメニューとも、数十年ぶりに再会。 「缶ミカン入りシルバーサラダ」である。 春雨を茹でたものと、キュウリ・ハムの薄切りをマヨネーズで和え、そこに缶詰のミカンを混ぜたアレだ。 今回のものはご丁寧に缶パインも入れられていた。 デザート以外の料理においての果物使いには、好みが分かれるところだろう。 例えば「酢豚のパイン」とか「ハワイアン・ピザ」とか「プロシュートとメロン」とか。 完成度の高い「果物使い」はとても美味しいが、何も考えずにただ入れた「果物使い」は辛いものがある。 小学生の頃から「これは正しい料理なのか?」と、首を傾げながら食べていた「缶ミカン入りシルバーサラダ」であったが、いい歳をして食べてみても、「やっぱり合わないよ、缶みかんは。」だった。 まあ、レーズンは入っていなかったので、ありがたかったけれど。 多分これからも、自宅でこれを作ることは無いんだろうな。 次にお目にかかるのはどれだけ先の事になるやら・・などと思いを馳せながら、味わって平らげた。

普段は自分が作って食べているので、人が作ってくださった食事をいただくということは、とても興味深く、美味しい・まずいとは別の観点で楽しい。 限られた食材費のなかで、栄養学的に考慮し、治療の一環として食事を提供するなんて、本当にすごいというか、頭が下がる気持ちになったものだった。   

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2007.08.03

増えてるじゃん

入院することが決まって、その準備の為に真っ先に用意したのが、使いきりパックの「ふりかけ」だった。 「まったく何のための入院なんだか?!」、と、『ますたあ』に失笑されつつも、やっぱりねえ、病院給食はそんなに期待できないだろうから、と。 某N園の「大人のナンタラ」が、様々な種類を網羅していて美味しそ気だったので、それを買って、各種類1パックずつ持ってゆくことに。

さて、実際の食事は、予想していた以上にしっかりと濃い味付けだった上、動かなかったせいか、さほどお腹が空く自覚も無くて、結局「ふりかけ」の出番が一度も無かったのが残念だった。 その上、提供された食事にも、食べ切りパックの味付け海苔やら、柚子味噌やら、減塩だし割り醤油やら、ふりかけも付いてきたり、パン食となればジャムも付いてきて(学校給食で出されていたアレ。)、それらを使わないままに、なんとなく勿体無くて、持って帰ってきてしまった。

なので、持って行った「ふりかけ」の手をつけないばかりか、似たような物のお土産まで貰ってしまった結果となり、なんともおマヌケな始末である。 お陰で、我が家の食卓の片隅には、たくさんの「ご飯の友」が顔を並べ、しばらくは飽きずに楽しめそうな勢い。 『ますたあ』の言葉通りに、「まったく・・」と、苦笑。 しっかり食べて早く回復しなさい、とでも言われてしまったような気分だ。 

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2007.08.02

6時21時のオンナ

いただいていた夏休み、7泊8日のショート・トリップの行き先は、実は病院だったわけで、『患者さん』としての生活を余儀なくされていた。

当然ながらゆるい集団生活だから、「何時に何をする」という一日のスケジュールが決まっている。 お世話になった病院は消灯が21時、起床が6時に設定されていた。 「6時起き」は問題ないにしても、21時の消灯については入院前から懸念していて。 よっぽど風邪で寝込んだりしなければ、21時なんかに布団に入った覚えが無いし、下手をすれば夕食だってまだ食べていない時間だったりする。 しかも、こっちは重い病状でウンウン唸っているような状況ではないので、時間を持て余す事、間違いなし。

テレビに救いを求めようとしていたら、巡回に来て電気を消してゆく看護師さんに、「9時を過ぎたので、眠りましょうかね。」などと、やんわり釘を刺されてしまい、逃げ場がなくなった。

とりあえず最初の一晩、根性で寝たら、意外にも次の日以降は、さっさと眠りに落ちるようになってしまった。 予想外の適応力に、自分で驚く。 案外眠れるものなんだな、人って。

で、無事に退院してきたら、今度はリズムが元の生活に馴染まなくて辛い。 朝は暗い内から目が覚めるし、ろくにテレビ番組も見ないうちに、もう眠くなってしまう。 日常的な夜更かし生活と比べて、どちらが健康的かと問われれば、まあ多分「6時21時」の方なのだろうが、単身で生活しているわけではないから、『ますたあ』の生活パターンと折り合いがつかないと、何かと無駄も増えるし効率が悪い。

退院後の生活指導はちゃんと受けてきたし、日常の留意点もしっかり教えてもらってきたのだけれど、実は今、最も辛いのが、こんなに夜の早い時間に、もう眠くなってしまっていることだったりするのが、妙に可笑しい。

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2007.08.01

ただいま

今日の午後、家に戻ってきました。

ずーっと冷房の利いた、乾燥気味の環境の中で過ごしていたので、まだ下界の空気に慣れていないみたいで。 空気が体にまとわりつくような、不思議な重さを感じます。

まあ、のんびりといきますかね・・。

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