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2007.08.26

電話ボックスへのレクイエム

携帯電話の普及に伴い、どんどん姿を消してゆく公衆電話。 たまに駅などで鮮やかな緑色を見かけると、「あっ」、と、わざわざ意識するほどになってきた。 同時にますます見かけなくなってきたのが、電話ボックスだ。 透明な小さな箱型空間にぽつんと設置されている公衆電話。 一時期は犯罪の温床になったりもして、あまりイメージが宜しくないのかもしれない。

電話ボックスは周囲が暗くなると、自動的に蛍光灯が灯る。 人気が無くて心細い真夜中の夜道で、ほぼ等距離で設置されている電話ボックスの灯りに、心の拠り所のようなものを感じて帰ってきた酔っ払いの夜とか、もの想いに眠られずに散歩をした夜明けに、ぼんやり浮かんでいた電話ボックスの印象とか、心の琴線に触れたような光景が、いくつか胸の中にインプットされていて、まさに「若かりし時代における気の利いた大道具」だった。 だから、と、いうわけでもないのだが、見かけなくなってきたのがなんとなく寂しい。 今の人たちにとっては、コンビニの店頭から漏れる灯りが、その代わりを勤めているのだろうか。

同様に、いろいろとイメージを膨らませられる灯りには、自販機もある。 何処ぞの駅前などのように、ただひたすらにずらりと並んでいる光景はいただけないが、例えば真夜中の高速のサービスエリアなど、売店のシャッターが閉まっている外側で、数台だけが煌々と明かりを灯して客を迎えている様子は、昼間の人気が多い様子と対照的なだけに、逆に心もとない夜の様子を浮き彫りにさせて、なかなか趣のある光景だと思う。 たまたま缶コーヒーなどを買っている人を見かけると、勝手にその人の生活の背景を想像したりして、そして、何故か自販機の灯りが、その人の憂いをすべて集約して担っているような、そんな気にもなってくるのである。 単なる妄想癖か?!

8月もあっという間に下旬になり、昼間の暑さは相変わらずだが、朝夕だいぶ過ごしやすくなってきたように感じる。 昨夜はちょっと霞がかった空に、トパーズ色の月が綺麗だった。 公衆電話ボックスも自販機もコンビニも無かった時代の人は、月の光に、私が感じているようなものをインスパイアされていたに違いない、と、そんなことを思った。

それはそれ、これはこれ。 でも、人間の中身なんてそんなに変わってはいないような気もする。

明かりの灯る夜の公衆電話ボックスの、あの折りたたみ式のパシャンとする扉を、開けてみたくなった。 今の私はその瞬間、内部の淀んだ空気に何を感じるのだろうか。

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