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2007.09.18

海のある光景、山の暮らし

朝、カーテンを開けた時にいきなり青空が広がっているのを見たのは、ずいぶん久し振りのように思う。 光を浴びながら、思わずのびをしていた。

昨日の午後は、ちょっと足を伸ばして西伊豆まで。 峠のトンネルを抜ければあっという間の距離なのに、あちら方面には用事がないので滅多に行かないのが現状。 夏前の大雨で崩落を起こし仮復旧の形で片側交互通行している国道を通り、痛々しい山の斜面を横目で見ながら、「人間の生活の基盤なんて、自然の力に比べたら虚弱なものだよな」と、しんみり思う。

海辺までの長い下り坂を降りるにつれて、どんどん雲が晴れて気温も上昇。 海岸の港町ではまだ夏の光景だった。 じりじりの容赦ない陽射しに汗をたっぷりかく。 磯遊びをする親子、防波堤で釣り糸を垂れる人たち、遠くの観光フェリー、さびれた感じの民宿、すれ違った散歩中の腰の曲がったお年寄り、鮮やかなカンナの花。 どこかで時間が止まってしまったかのような感じでもあるし、いつかのデジャブを見ているような感じでもあった。 物理学には詳しくないけれど、人は心のありようで時間軸に歪みを作り出すことが可能なようだ。

戸田港では、午後の3時から、缶ビール片手にもう「出来上がってしまっている」肉体労働者系の男性が数人、車座になってなにやら喋っていた。 こういう光景は、街中ではかなり浮くし、トラブルを避けるためわざと離れたところを通ったりしてしまうのに、ここでは極々自然な感じで景色に溶け込んでいるのが不思議だ。 海の包容力なのか、眩しい陽射しの開放感なのか、高く透き通った空のせいなのか。 街で暮らす人たちが必要以上にぎすぎすしているのとは正反対の何かが、ここを支配している。 悪くない。 どちらを生活の場として選ぶかと問われたら、微妙なのだけれど。 目に余る「生産性の低さ」を受け入れることができさえすれば、きっと田舎の生活も快適だろう。 海水浴場を囲むように作られた防波堤の上を歩きながら、そんなことをぼんやり考えていた。

昨日たっぷりの汗をかいた服がふたり分、洗濯機の横で小山を築いている。 雨続き高湿度続きで心の中に淀んでいたアクのようなものも、昨日のショート・トリップで汗と一緒に外に出てくれたような気がする。 今日のこの陽射し、この風なら、さっぱりと乾いてくれるはず。 秋の洗濯日和・・さあ、こて初めに分厚いジーンズから外に干しますか。

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