« 丼の上の秋 | トップページ | 濃すぎるよ »

2007.09.08

不思議に思うこと

いろいろな地域で、救急車に乗った妊婦さんが、受け入れ病院を見つけてもらうことができずに、俗に言うタライ回しにされた問題が報道されている。

私の住んでいる地域でも、やっと「来てくれる産科医」が見つかって、なんとか外来が再開されたばかり。 それも独りだけでは、こなせる医療の絶対量に限界がある。 患者として仕事っぷりを見ているだけでも切なくなるような現状だ。 「居てくれるだけでも、ありがたや~」と思わずにはいられない。 どう考えたって、臨床に出て、まさに現場で踏ん張ってくれている産科医の数は足りないだろう。 それを社会的問題にするのは当然の成り行きである。

しかし、一方で、妊娠してから何十週も経過していたり、ましてや臨月に入っているというのに、「かかりつけ医が居ない」とは一体どういうことなのか?!、と、ニュースを見ていて思う。 ちゃんと基本的な妊婦健診を受けているのだろうか?、母子手帳の交付はされているのだろうか?、それにも増して、いったい何処でどのようなお産をしようと考えていたのか? その具体的イメージはちゃんとできていたのか? そこが産科医が足りないことにも増して、大きな問題だと思う。 何故その人たちが受診していなかったのか。 お金が無かったのか、時間が無かったのか、受診すべきことを知らなかったのか、何も考えていなかったのか。 急患受け入れ態勢以外の、妊婦側の原因もしっかり分析して対策を講じないと、大変なことになる。

妊娠や分娩は基本的に自然なことではあるが、一歩間違えば母子共に命取りになることなので、「ちゃんと自然に、順調に経過していること」を確かめてゆく必要がある。 日本でもかつてはお産を巡って命を落とす割合(周産期死亡率と呼ぶ)が高かったが、妊娠経過中に何度か医学的チェックを受けて、自然の経過の範疇からはみ出していないことを確認することが徹底され、また、異常が見つかった母子への管理・治療技術が進歩した結果、命を落とす割合は世界に誇れるほど激減した。 そのプロセスを無視して、いきなり陣痛が来て初対面の病院に運び込まれたのでは、妊婦さんも医療従事者も妊娠経過を理解できていない分だけ、リスクが高まる。 つまり、赤ちゃんもお母さんも命にかかわる危険が高くなることだって当然だ。 そのリスクを病院側に一方的に押し付けていたら、ますます産科医の成り手は減るに違いない。 挙句の果てに訴えられたのでは、身体がいくつあったってもたないだろう。

赤ちゃんは生まれてから自分(たち)の子供になるのではなく、お母さんの胎内で育っている時から、もうちゃんと自分(たち)の子供だろう。 この感覚は妊娠を自覚した一般的な女性なら、誰でも理解できる感覚だと思う。 私の拙い経験においても、言葉を越えた感覚として理解できるものなのだ。 それを人は母性と呼ぶらしい。

妊娠経過を診てもらうことは、自分の身体を守ることに留まらず、宿った命を守るためにもとても重要で、尚且つ親になる立場の人にとって、子供への基本的な義務なのだ、という意識を強く持っていただきたい。

|

« 丼の上の秋 | トップページ | 濃すぎるよ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 不思議に思うこと:

« 丼の上の秋 | トップページ | 濃すぎるよ »