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2007.09.05

「旬」は頭の中に

今日の夕ご飯に並んだものを、冷静に眺めていたら妙な気分になった。

メインのおかずは「戻りカツオのたたき」。 カツオは高知県であがったもの。 そして、その隣には「茹でたトウモロコシ」。 トウモロコシは青森県産。 昨日のうちに煮ておいた「切干大根と厚揚げの煮物」。 素材はほぼ全て近所のものなので静岡県産。 それにちょっとしたサラダ。 デザートのスィートパインはフィリピンからの輸入品。 幸水梨は愛知県のものだ。

今頃カツオなんてなんだかピンと来なくて、魚屋さんの店先でしばらく迷っていたのだが、先だって新物のサンマを食べたばかりだったこともあり、目先を変える気持ちで、期待せずに買ってみたものだ。 しかし、なかなか脂ものっていて美味しい。

トウモロコシもこんな遅い時期に?、と、半信半疑の気持ちだった。 「まあ、この夏最後にもう一度味わっておくか」くらいの気持ちで一本だけ買い、皮をむいて茹でてみると、なかなか立派である。 ちゃんと香りもあるし、出回り期のものに引けを取らない。

昔はそれこそ時期を過ぎたら手に入らなかった食品も、一年中店先に並んでいる。 で、それら全てが美味しくないかと言えば、そうでもなくて案外イケるものもある。 余程路地物のしっかりした野菜などでなければ、良い勝負をしているものも多い。

全て流通のお陰なんだな、と、ぼんやり考えていた。 日本列島だって南北にこれだけの長さがある。 九州で採れていた物が、徐々に北上し、本州最北にたどり着くまでにはそこそこの時間が必要なのは当然で、それらが流通してくれば、今回のカツオやトウモロコシのようになったって、何の不思議もないだろう。 ましてや常夏のフィリピンでは、もしかしたら一年中パイナップルが栽培可能なのかもしれないし、それを輸入してくれば、旬も何もあったもんじゃない。

料理において季節感を大事にしたり、旬の食材を使うようにするのは、栄養の面のみならず、食べてもらう人へのおもてなしのひとつだろうことは認めているけれど、これだけ日本全国の、また各国の食材が簡単に入手できるような流通の時代で暮らしていることを考えると、「旬」は頭の中・記憶の中の感覚であって、味や風味そのものは選びようによって簡単操作できてしまうのではないか、とも、思ってしまった。

こんなご時世に、「旬」を教育しようとする「食育」は苦労が多いだろうな。 教わる側の子供たちは、「旬」をどれだけ肌で感じることができるだろうか。 地産地消でこじんまりとまとまっていた流通の時代でこそ、「旬」の感覚は大事だっただろうが、今、果たして「旬」がどれほど重要なことなのか、正直ピンと来ない気もして首を捻っていた。

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