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2007.11.30

日々の台所仕事

過日、久し振りに「ポークビーンズ」を作った。 ポークビーンズは作る人によって差が大きいメニューのひとつのように思う。 文字通り「豆と豚肉」で作れば、何でも有りといった印象だ。

私のポークビーンズの基本は、白インゲン豆とベーコンとタマネギをトマトソースで煮込んだもの。 今回は薄切りの豚もも肉を一口大に切り、フライパンで別に炒めて、出来上がり直前に合わせることで時間を短縮した。 白インゲン豆はトマトソースで煮込んだら、一晩放置するのが唯一のコツ。 これで味が豆の中まで染み込んで美味しくなる。 たっぷり煮ておいて使わない分は冷凍保存しておくと、ホットドックにパスタに、シチューのベースに、と、重宝する。 ゴロッとソーセージを合わせても美味しい。

ぽってりと煮込んだ豆料理を食べながら、「冬の味がするなあ」と思った。 ウィスキーの水割りによく似合っていた。

半端に持て余していた「梅酒漬けの梅の実」を、ミンスミートに漬け込んでしまおうと刻んでいて、うっかりうっすら酔っぱらったり、このところの山茶花梅雨でカビを呼びそうな干し柿を冷蔵庫にしまい込んだり、なんだかんだと台所仕事が増えている。 美味しく食べられる毎日は、それだけでもシアワセ。

話は飛ぶが・・。

M社で、それだけは楽しみにしている「グラコロバーガー」が、毎年少しずつ美味しくなくなってきて、今年はついに、私の中では『がっかりのレベル』にまで降格。 残念。 好きだったんだけどな~。 ちなみに、「グラコロ」だけでも400kcal.もあるので(、と、いいますか、M社のラインナップはどれも恐ろしい熱量を含んでおりますが)、朝食を形だけに抑えて食べに行きます。 そこまでして食べに行くアホ!

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2007.11.27

落ち葉

先週辺りから、ぽつりぽつりと喪中葉書が届けられるようになった。 形式的な御挨拶状の中にも、それぞれの差出人の一年間が詰まっているような気がして、なにかずっしりとした重いものを感じる。 「日常の中で、本当に喪に服すような生活をしているわけでもないのだから・・」といった、喪中葉書否定派の意見も聞くけれど、喪中葉書を用意しながら昇天した家族のことを改めて想うのは、それはそれで意味のあることのような気がする。 受け取った側も、こうして思い出してもらえただけでもありがたい。

庭の木々の落ち葉が盛りのようで、掃いても掃いても追いつかない。 急に冷え込んだせいか、近所のカエデの紅葉は、例年より色鮮やかできれいだ。 ウォーキングの途中で、狂い咲きしているシャクナゲを3本も見つけてしまい、複雑な心境になった。 季節外れの鮮やかなピンク色の花が、妙に寒々しく感じられる。

車のワイパーにきれいな紅葉が一枚挟まっていた。 かんざしを挿したような姿に、思わず微笑んでしまう。 こんな金属とプラスチックの塊りの無機物の象徴のような車に、紅葉が一枚添えられただけで、人格のようなものを意識してしまうのは不思議だ。

庭に届いた落ち葉の中から色鮮やかなものを選んで、ちょっと集めて来た。 これから書き始めるクリスマスカードに、一枚ずつ同封しようと思っている。 拙い言葉だけでは伝えきれない祈りに近いような想いを、補ってくれることに期待しながら。

早いもので11月も終わろうとしている。 厳しくなってゆく寒さの中で、人と人との繋がりを意識するような時期。 来週からはもう『待降節』。 そろそろ『馬小屋セット』を出そうかな。

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2007.11.26

サービス業って

最近の風潮なのか、自分でもちゃんと分析できていないのだが、どうもサービス業に対して消費者がいい気になって、頭に乗り過ぎているような気がするのである。 サービスは商品であり、その対価をお金として払う構図であるとすれば、サービスを提供する側とサービスを受ける側は、お金を介して立場は対等であるはずなのに、「お金をいただくのだから」と媚びへつらいペコペコと頭を下げ、片や「こっちはお金を払っているんだから」と横柄にふんぞり返っている、そんな関係が強調されているケースが目立つ。 なにかどこか変でおかしいように思えるのだが。

客に気分良くお金を払わせるような工夫をすべきことは、サービスを提供する側の責任だろうけれども、度を越したサービスを提供すれば、経営上自分の首を絞めることになるのだから、それ以上を求められたなら、新たな対価を上乗せして請求するのは当たり前のことだろう。

その為にも、自分たちはどこまでの範囲でサービスを提供できるのか、明確に開示しておく必要があるのではないだろうか。 対応した従業員によってその範囲にぶれがあってはならない。 どこまでがパッケージのサービスで、どこからがオプションのサービスなのかを、消費者と相互理解した上で、サービスの提供を開始できたら理想なのだろう。

サービス業は「媚びへつらう業」じゃないはずなんじゃないか?

昨日、介護施設の家族懇談会に出席しながら、頭の片隅でそんなことをずっと考えていた。(まだ、考えが浅はかなので、引き続きの宿題。) 

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2007.11.25

宿題

義父がお世話になっている老人施設で開かれた、家族懇談会に行ってくる。 昼食の試食会も兼ねていた。 久し振りに「他の人に作ってもらったお弁当」をいただく。 父はいつも不味い不味いと文句を言うので、どんなご飯を出されるのかと構えていたら、とても美味しくて拍子抜け。 不味いのは父の内部にある、他の要因によるものらしいことが判った。 さて、どうしようかな。

午後からずっと、「サービス業の根本にある矛盾」について考えているが、まだ頭の中がまとまらない。

丁寧に作られていると見えた「上生菓子」の鹿の子と練切りを食べたら、出来上がりの見栄えに反して、餡そのものが美味しくなくてがっかり。 食べた人を哀しくするお菓子はいけない。

だからというわけでもないのだろうが、夜になってからは久々の眩暈。 出来れば、右から左へ受け流したい相手。 もう長い付き合いなんだから、そろそろ飽きて出現しなくなってくれればいいのに、そうもいかないらしい。 早くお帰り願いたい。

というわけで、早寝を決め込む。 種々の案件は宿題ということで、そのまんまキャリー・オーバー扱い。

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2007.11.23

ウケました

お昼頃、何気につけたテレビでやっていたので、どこかの雑誌や新聞に掲載されている話かもしれませんが・・。

中国人で、しかも、そこそこに日本語を操れる方を対象に行なわれた試験のようなもので、次のような問題が出題されました。

「『あたかも』という単語を使って、短文を作りなさい。」

すると、こんな答えがあったそうです。

「冷蔵庫に牛乳があたかもしれない。」

・・久々にテレビを見ていて吹き出しました。 すばらしい回答だ!! 花まるあげたいです。

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2007.11.21

沼津にて

我が家の愛車ルーテシア嬢が12ヶ月点検なので、沼津にあるルノーの整備工場まで届けることになっていた。 すると義父がお世話になっている老人施設から連絡があり、同じ日に「遠足」で沼津の御用邸記念公園に連れて行ってくれるという。 整備工場から御用邸記念公園までは1km.ちょっとなので、現地で待ち合わせることにした。 「代車を出します」という申し出を断って、ウォーキングを兼ねて散歩を楽しむことにする。

御用邸記念公園ではちょうど菊花展が催されており、大輪の花をつけた見事な菊や、滝が流れるように小菊を仕立てたものなど、色とりどりできれい。 車椅子の父の目線からは花が近いようで、楽しんでくれていた。 敷地内の高台まで車椅子を押して汗をかきながら、海風に吹かれたり、陽射しを楽しんだりして過ごす。 他の御老人達との会話も楽しみつつ、12時に駐車場に出口へ集合。 「これから回転寿司屋さんでお昼ご飯」という一行のバスを見送ってから、改めて御用邸の建物の内部を見学。 途中の喫茶室で、栗ぜんざいとみたらし団子を『ますたあ』とシェアした。 上品で控えめな甘さ、小豆の香りも上々だし、みたらし団子もほんのり温かく、添えられたほうじ茶まで上等で、そんじょそこらの甘味処よりよっぽど美味しい!

国道沿いを北に歩きながら、行きにチェックした「金山寺みそ」ののぼり旗を追いかける。  小さな醸造所でもあるのかと想像していたのに、建材店の事務所の玄関に、唐突に冷蔵庫を置いて漬物や佃煮などの塩蔵品を扱っているという謎のお店に辿り着いた。 商売熱心な建材店の奥様らしき人が、いろいろ説明をしてくれるのだが、たくさん喋っている割には要領を得ず、何でこんな場所でこんなお店になったのか最後まで判らずじまい。 ・・でも、品物は良さそうだったので、「アサリの浅焚き」と「イカと小海老を甘く炊いた佃煮」を購入。

国道に戻ってしばらく行くと、「天むす・味噌煮込みうどん」の看板に出くわす。 名古屋味が大好きな私たちにはうってつけだ。 早速看板の矢印を頼りに横道へ。 途中で『ますたあ』が見つけた「味噌汁定食」のお店を「なんじゃ?そりゃ??」と気にしつつも、名古屋料理のお店へ。 八丁味噌で茶色に煮込まれた味噌おでん、天むす、トンカツ定食に瓶ビール、という王道の名古屋オールスターズ勢ぞろいで、大満足のお昼ごはんに。 機会があったらまた来て、次は味噌煮込みうどんを頼んでみよう。

国道と海岸線の間に広がる住宅地のくねくねとした路地を、のんびりと腹ごなししながら、牛臥山に登れる場所は無いか探すが見当たらず、「商売上手なお寺」や野鳥公園などを冷やかして、整備工場の方向へ。

大きな旧家の庭先に、ぱっと見100枚は下らないサンマの味醂干しを天日干しして、それを箱にしまっているオジサンを見かけて足が止まる。 なんとなく目が合った。 「少し分けていただけませんか?」 「いやあ、これは売り物じゃないもんでね・・。」 全部そのオジサンが捌いて作り、それを(何故だか判らないが)明日福井にまで持って行く予定だという。 そんな立ち話を聞いていたら、「良かったらあげますよ」と新聞紙に2枚包んでくれた。 申し訳ないので、さっき謎の塩蔵品屋さんで買った「イカと小海老を甘く炊いた佃煮」と交換することに。 「いやあ、そっちの方が高く付いちゃうじゃない」と笑うオジサンに見送られながら、一期一会に感謝する。

整備工場へ戻ってルーテシアを引き取り、スーパーで買い物を済ませてから帰宅。

早速分けていただいたサンマの味醂干しを焼いて夕食に。 これが、今まで干物屋さんで買って食べたどのサンマよりも美味しくて、『ますたあ』とふたりで「う~む・・」と唸ってしまった。 お昼のお店で味噌煮込みうどんを食べる時には、あの家まで足を伸ばして、ポストに御礼の手紙を届けに行こうと、心に決めた。

なんとも食べ物に恵まれた一日。 たまには車を降りて、のんびり歩きながら小さな光景を丁寧に楽しむのも幸せだ。 「ちい散歩」ならぬ「リー散歩」沼津編・・とっても充実したショート・トリップで、めでたしめでたし。

12月3日追伸: 私達が行った「天むす・味噌煮込みうどん」の看板のお店に関する素敵なレポートがあったのでリンクしておきます。 美味しかったですよ! 

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2007.11.20

誰かと思った

朝、いつものようにメール・ボックスをチェックしていたら、「○○○○氏来日中」というタイトルが目に入ってきた。 年末年始のお休みに合わせて海外から話題の人を呼び寄せ、講演会やセミナーを開催することもよくあることだし、現にお知らせ・お誘いメールも受け取っていたので、すっかり『その手』の話だと思って、「○○○○氏?誰だ、それ?」と、最近、専門分野で話題になった論文の著者などを思い出しながら、『講演会に招かれそうな日本人で、海外在住の人』を頭の中で探した。

なかなか思い当たる人が居ないのに、どこかですごく知っているような名前だし・・などと思いつつメールの発信元をよく見直すと、「あれっ?」、そこには高校時代のクラスメートの名前が・・。 「なーんだ!○○君のことじゃないの!!」 同じクラスだった仲間の中には、海外で生活している人が何名か居て、その中のひとりがたまたま日本に帰ってきたから、集まれる人は集まってちょっと飲みましょう、というメールだったのである。 いつもニックネームのようなもので呼んでいたので、フルネームがぴんと来なかったのもあるかもしれないが。

確かに「○○○○氏来日中」のタイトルは、全くその通りに違いない。 でも、そんな風に書くと、どこかのお偉いさんのことかと勝手に勘違いして、身近な○○君のことだとは思いもよらなかった。 日本語のニュアンスって面白いな、と、つくづく思った。

相変わらずの早とちりに、苦笑すること暫し。(いくつになっても学べない・・トホホ。) それにしても、失礼な話だよな、これって。 ごねんね、○○君。

残念ながら、その日は上京できそうに無いが、ちょっと気の早い忘年会を皆が楽しめますようにと、罪滅ぼしの気持ち半分で祈りつつ。

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2007.11.19

すり鉢

久し振りにすり鉢を出した。 きっかけは、これまた久し振りに「白和え」でも作ろうかと思ったからで、とりあえず炒りゴマを擂る。 すりこ木に伝わってくるごりごりとした固い感覚が新鮮で楽しい。 初めはぎこちない気分だったが、ゴマがしっとりと油を染み出してくる頃には、すっかり調子に乗って、もう十分なのにごりごりし続けていた。

固めに水切りした木綿豆腐を滑らかにすってから、味噌と砂糖。 混ぜ込む具は、人参とブロッコリーの軸、白滝、さつま揚げの薄切り。 少し濃い目に煮付けて味を染み込ませて置いたもの。 懐かしい優しいおかずに仕上がった。

どうせすり鉢が手元にあるならば、ついでに・・ということで、山芋のすり流しも作ることに。 皮をスプーンでこそげるように薄く剥いてから、すり鉢の内側を使って直接おろしてゆく。 そしてまたごりごり。 ダシを少しずつ加えながらのばすようにごりごり。 おろし金を使って作るよりも、きめ細かくふんわりとして、つやつやと美人肌のすり流しになった。 やっぱり違うものだな、と、感心するような気持ち。 すり鉢の底力を見た思いだった。

白和えの和え衣 たっぷり2人分

  • 木綿豆腐   半丁
  • 炒りゴマ    大さじ2
  • 味噌      大さじ1
  • 砂糖      大さじ1

白味噌を使う場合は砂糖を減量。 具は前日の煮物の残りを薄く切って流用しても。 この時期は柿の実を具に混ぜるのもきれいだ。

●明日20日、9時から13時までの予定で、もう一度サーバー・メンテナンスのようでして。 ご迷惑をおかけします。 

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2007.11.18

それはちょっと変

「技能五輪国際大会」を見てきた話を昨日書いた。

会場の片隅に外で飲食するためのちょっとしたブースがあり、屋台に近い形態でファースト・フードなどを扱っているお店が軒を連ねていた。 その中に回転寿司屋さんが出店しており、テントの下で例のベルト・コンベアーを回しているのだが、なにか変だ。 近付いてよく見ると、「お皿に乗った握り寿司」が回っているのではなくて、「一人前ずつ折り詰めに詰められた握り寿司」が回されている。 要するに、お弁当箱がそのまま流れているのだった。

・・凄い違和感。

デジカメを持って行かなかった事を悔やんだ。 それでも、会場に来ていたフォーリナーの皆さんは、非常に興味を持ってきゃあきゃあ言いながら、楽しそうに折り詰めを選んでゆく。 やっぱり外人さんに回転寿司は受けが良いみたいだ。

それにしても、私たちはいつの間に、お寿司が回されている光景に見慣れてしまったのだろうか。 そんなことをふと考えていた。

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2007.11.17

見学

沼津で開催されている「技能五輪国際大会」へ出かけてみた。

詳細はリンク先を開いていただければと思うが、極々簡単に素人の印象を書くと、「国際的な『TVチャンピオン』みたい」だ。 与えられた課題を規定時間内に黙々とこなしてゆくことを、選手たちは求められているようで、観客としての入場は無料なのだが、世界各国から集まった若い職人さん達の仕事の最中に、集中力を欠いてしまうのではないかという申し訳なさが付きまとって、ずっと落ち着かない気分だった。 耳栓やヘッドフォンをかけて『自分の世界』を築き、作業に集中している選手も多かったし、「選手に話しかけないでください」「フラッシュをたかないでください」といった張り紙も多く見受けられた。 別に、秘密裏にするようなものとも違う気がするけれども、観客を集めるものでもないような、なんとも中途半端な感じを受けた。

競技の内容は当然ながら専門的で、素人からすればマニアックなので、作業中の選手を見ても、何をやっているのかなんてすぐには理解できないものも多く、逆に、そうではない比較的素人にもわかりやすい「料理」や「製パン技術」などのパビリオンには長蛇の列ができて、観客の入場制限をしていた。 全ての競技に素人向きの解説などがパネル展示されていれば良いのだが、どうもその辺りも中途半端。 その割には各所から会場までのシャトルバスの運営はかなり充実しているし、会場内の観客誘導もそこそこ上手くいっており、大会運営側が観客を歓迎しているのか、それとも仕方なく受け入れているのか、どっちつかずの状況が、こちらにも伝わってしまっているのが残念だ。

クリエイティブな要素を競うものではない大会のようなので、個人的には物足りなさが残ったのは仕方ないとしても、正確な基本的技術の上にこそ、クリエイティブな能力は活かされることを思えば、このような大会にも大きな意味があるのだろう。 それにも増して、黙々と作業に集中している人の姿というのは、それだけでももう既に、どこか神々しいような印象を含んでいる。 一種の美しさのようなものが感じられて、それが最も印象に残ったのが良かった。 まだ頭の中でまとまりがついていないのだが、「人と仕事」に関して、何か忘れていたような感覚を思い出させてもらうきっかけになったような、独特の美しさを感じ取ってきた。

大会運営に携わる方々、選手の方々、お疲れ様です。

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2007.11.16

市販のおせちセット

このくらいの時期になると、どちらでもおせちセットの受注が始まるらしく、ネット上でも新聞の折り込み広告でも店頭でも、重箱の中にきれいに詰められたおせちの写真をたくさん目にするようになる。 年々参入してくるお店が増えているし、種類も増えているように見受けられるので、それだけたくさんの家庭が利用しているのだろうな、と、思う。 忙しいお宅では便利だろう。 そんなものに手間ひま掛ける気は無いけれど、お正月らしいものを食べたい、その気持ちは良く判る。

偶然手に入れたカタログなどをパラパラと眺めながら、「これなら少人数でも食べられそう」とか「このお店なら美味しいんじゃないかな」とか、無責任に楽しみつつ、毎年のように「今年は買ってみちゃおうかな・・」などと迷うのだが、実際はまだ一度も市販のおせちセットを購入したことがない。

冷静になると「やっぱりどう考えても高いな・・」と、思ってしまう。 これだけ色とりどりに美しくおせち料理を揃えることは難しいに違いないが、ウン万円の予算があるなら、家族の好物だけを贅沢に用意しても充分おつりが来そうだ。 今やおせち料理といっても、昔のようなお決まりものの構成ではなく、ローストビーフだのパテだのスモークサーモンだのお刺身だの、言うなれば美味しけりゃあ何でも有りで、ちょっと気を利かせて盛り付ければ来客にだって納得してもらえる時代。 極端な話、お雑煮さえあれば、家族だけの食卓はお正月っぽく成立してしまうのかも知れない。 それに、万が一、味付けなどが趣味に合わなかったら、おせちセットが即『残り物』になってしまうことを思うと憂鬱で、やっぱり踏み込めずに居る。

飽きない程度の量で、作る私に無理が無い程度の品数で、好みの味付けで、トラディショナルなものを、やっぱり今年も作ってしまうことに落ち付きそうな予感。 (ちなみにここ数年はお重に詰めず、飾り皿や銘々盆のようなものに盛り付けている。 その方が管理が楽なもので・・。 それだけでも立派な手抜き?!)

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2007.11.15

なんだかんだと。

このところ、湿度が低いことに加えて比較的穏やかな暖かい日が続いているのを利用して、様々な物を干している。 まだ出番の来ない厚手の冬物コートやダウンの類、いつものローテーションの布団、それに干し椎茸、干し柿、切干大根作り。 当然通常の洗濯物もあるから、物干し場は連日のように満員御礼状態。

まんべんなく風や陽射しが当るようにひっくり返したり場所を置き換えたりと、なんだかんだ気にして世話を焼くことになる。 そこに宅配便の配達のチャイムが鳴ったり、プロパンガス屋さんの定期点検が入ったりして、「あっ、今日はまだ落ち葉掃きをしていない・・」「昨日買ってきた豆モヤシの根っこ取りしなくちゃ・・」 「もうウォーキングの時間! 早く出かけないと夕方になっちゃう。」などとジタバタしているうちに一日が過ぎてしまう印象だ。

特に何があるとか、何かをしているという訳でもないのに、である。 ちょっと情けないような気がしなくもない。

義父の水栽培クロッカスは、予想以上のスピードで白い根を伸ばし続けている。 もう小さな芽も4つ顔を出し始めた。 この分だと結構早く花が付いてしまうかも知れないな、と、思いつつ、このくらい変化が早いと父も見ている甲斐があるらしく、楽しんでくれている様子なので、買ってきて正解だったと思う。

ガスレンジの前の大きなガラス窓の向こう、ふと気付けば一本だけある大きなイチョウの木が、鮮やかな黄色に色付いていた。 こちらの状態に何ら関係なく、着々と季節が進んでゆくことが、頼もしくもあり、ちょっと冷たいようにも感じられ・・いや、全ては私側の問題なのだけれども。

せっかくの穏やかな気候の一日を目一杯活かして使っている、ということにしておこう。

 

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2007.11.13

春菊

鍋のシーズンも到来して、いよいよ春菊の出番。 子供の頃は別に何ということも無く食べていたが、大人になると癖の強い野菜が無性に美味しく感じられるのは何故だろうか。 個人的に一番好きなのは天麩羅かな。

大人でも「春菊は苦手」という方は、そこそこ居られるようだ。 そんな場合でも生のままサラダにすると、案外ぺろりと召し上がっていただけることが多いように思う。 「春菊とは思わなかった!」、と、食べた本人がびっくりしているので、笑ってしまう。

軸から葉の部分だけを摘むようにして、洗いながら水に晒す。 これから甘味を増す大根を細めの千切りにして(千六本と言いますが。)、これも春菊と一緒に水に軽く放して、水の中で双方を均一に混ぜる。 ザッと一度にざるに上げて、そのまま水切り。 器にこんもりと盛りつけ、食べる直前に市販のポン酢醤油を適当に掛け、てっぺんに小さじ1ほどのマヨネーズを乗せて、食べるながら混ぜる感じで。 大根6に対して春菊4くらいが美味しいし、見た目のバランスも綺麗。 軸の部分は和え物やかき揚げにでも。

高校の時、友人宅に泊り込みさせてもらい放送番組を作っていて、夕食に鍋をご馳走になった。 すると、春菊が洗っただけで、全く切らずに鍋に入っていたので驚いた。 「うちではいつもこうなのよ。」と、おばさんが笑っていたが、これがなかなかナイス! 春菊は煮えると鍋の中でしなしなと一塊に固まってしまい、ちょっと摘んだつもりが春菊全体が箸に持ち上げられてしまったり、逆にひらひらと鍋の中を泳いで、春菊を食べた気になれなかったりと、非常に中途半端な印象だったのだが、軸ごとそのまんま使うことで、軸を一本箸で持ち上げれば丁度良い量が付いてくる。 それ以来、私の実家でも鍋物の際は、春菊を切らずに入れるようになった。 軸の中心に白い芯が出来ているような場合は硬いことが多いので、適当に落とすけれど、軸が細くて軟らかそうな場合は洗ってそのまんま。 準備も楽だし、食べる時も良いので、お試しを。

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2007.11.09

立冬を過ぎて

庭の山茶花がぽつぽつと花を開き始めた。 立冬を待っていたように咲き始めるところなんぞ、流石だな。 気の早いメジロが、これまた輪を掛けて待ってましたとばかりに、花に首を突っ込んで蜜を吸っている。 花から花へ身軽に移動する様子にも、しばし見とれていた。

日向の縁側に盆ざるを並べて、椎茸を干している。 この辺りは椎茸農家が多いので、商品価値の低い小粒の、直径2~3cmほどの、可愛らしい椎茸をたくさんビニール袋に詰めたものが、簡単に入手できる。 ひと手間掛けて軸を取り除いてから、日向に並べておけば自家製の干し椎茸の出来上がり、という寸法だ。 このサイズだと、煮物に使う時丁度一口サイズなので、丸ごと使えるのが気に入って、わざとより好んで小さな椎茸を選ぶ。 取り除いた軸は、石附を落としてから繊維に沿って縦に裂き、ダシ取りを兼ねて味噌汁にいれてしまったり、キンピラやかき揚げに。 しこしこした歯応えがあって、笠の部分とはまた違った面白さが楽しめる。

取り付け道路の落ち葉掃きをしていたら、弱々しい蚊が一匹まとわり付いてきた。 あまり気にせずに甘く見ていたのが間違いで、いつの間にか耳朶と小指を刺されていたようだ。 末端の皮膚の薄い所を刺されると、いつまでも痒みが抜けないから余計に悔しい。

みんな少しずつ冬支度。 この雨が過ぎると、また少し季節が進みそうだ。

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2007.11.08

別種のパンケーキ

日本では多分、「パンケーキ」=「ホットケーキみたいなもの」。 だが、私が料理に興味を持った頃、米・欧などでは「パンケーキ」=「クラブ・パンケーキ」「フィッシュ・パンケーキ」を指す事が多く、ランチプレートのメニューでは大抵見かけることが出来た。 これとちょっとしたサラダやピクルスの盛り合わせ、それにコーヒーが付けば、ランチとして完結してしまうような扱いだったから、相変わらず高カロリーな一品ではあるが、私は好きだ。 日本では残念ながらなかなかお目にかかれない。 なので、カロリーを控えめに自作して楽しむことにしている。

 クラブ(フィッシュ)・パンケーキ   8個分

  • カニ(タラまたは鮭)の身      200~250g
  • レモン汁                大さじ1
  • タマネギ                半個
  • 卵                    1個
  • パン粉                 20g程度
  • ジャガイモ(または里芋)      100g
  • 小麦粉                 適宜
  • オリーブ油               適宜
  1. カニは缶詰ならばそのまま軟骨を除いて身をほぐす。 タラや鮭の場合は分量外のワインや日本酒を使って蒸し煮か電子レンジ加熱して、骨と皮を除いて身をほぐす。 ほぐした身にレモン汁をふりかける。
  2. ジャガイモ(または里芋)を茹でるか電子レンジ加熱して、押しつぶしてマッシュポテトを作り、荒熱を取ってから、卵、パン粉、分量外の塩コショウ(あればセロリソルトを加えるとプロっぽい味になる。)を混ぜ込む。
  3. タマネギをみじん切りにして、1のカニ(や魚の身)と一緒に、2に加えて均一に混ぜる。
  4. 3を8等分して小型のハンバーグのように整形し、表面に小麦粉を薄くつけて、オリーブ油を多めに流したフライパンで焼く。 両面にきれいな焦げ目が付いたら出来上がり。

●これに本来はタルタルソースをつけて食べるのだが、レモンを振ってそのまま食べたり、日本のソースやケチャップをかけても良い。 熱量を気にしなくて良いならマヨネーズを添えても。 ●同様に、本来は4の段階で、フライと同じ揚げ衣を付けて炒め揚げのように調理するのが本来の調理方法だが、こんな作り方に変えている。 まあ言うなれば、コロッケと同じようなものとお考えいただければ。

生地が軟らかいので、フライパンの上で何度もひっくり返したりせず、じっくり丁寧に扱って焼くことを、お忘れなく。

休日のブランチにでもどうぞ。

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2007.11.06

1800kcal

このところ『ますたあ』のかかりつけ医の勧めもあって、一日の摂取熱量が1800kcalに収まるように食事を作っている。 糖尿病の患者さんの食事を調整していた時は、1200kcalのご要望が多かったので、それに比べると「随分たくさんの材料を使えるじゃないか」という印象だ。 その上『ますたあ』は朝食を摂らない習慣なので(牛乳だけは飲んでもらっているが。)実質2食とおやつで1800kcalを分配すればよいことになり、3食しっかり食べる私よりもたくさんの量を食べられる。

久々にキッチンスケールと電卓を並べて、横に食品成分表の赤い本と、糖尿病治療食の食品交換表(同じ熱量を他の材料に置き換えるときに便利な重量表)を厨房に持ち込み、頭を使いながらの料理。 別にこういう事は苦にならない性格なので、面白がってやっている。

何日か続けてみて改めて思うのは、やっぱり多いのは油脂と炭水化物だ、と、いうこと。 野菜や果物、肉、魚、乳製品を使う量は、ほとんど普段の食生活に変わりが無い印象だ。 それに引き換え、ご飯、麺類、パンといった主食の穀物と油脂類は、やはり「必要とされている量」に対して「普段食べている量」が圧倒的に多い。 特に調理の過程で使われる「隠し油」・・例えば炒めてから煮込むような料理の、最初の炒めに使う油や、肉や魚の素材そのものに含まれている脂身や脂肪など、は、見落としがちなことがよく解って興味深い。 とりあえず、何も考えずにタラーっとフライパンに流していた最初の油を、ちゃんと計って使うだけでもだいぶ違うのである。

「一回の食事に使う油は、ひとりに付き小さじ1杯までにする。」 この単純なことが、実はとても大事なようだ。

初めはいちいちご飯茶碗をキッチンスケールに乗せていたが、3日目にはしゃもじですくうべき量の感覚が身について、110グラムのご飯(つまりは160kcal)が自然によそえるようになった。 これも体が覚えてしまえば、なんということもない。

栄養管理などと堅苦しく考えると面倒くさいけれど、これだったら出来そうな気がする、続けられそうな気がする、そう思えることがポイントだろうか。

そういう目で、外食産業で出されているメニューのカロリー表などを見ていると、「いったいどんな素材でどんな調理をしたら、こんなに多い熱量になるのだろうか?」、と、首を傾げる。 確かに油脂をたくさん使うと美味しくなるのだけれど、やっぱりそれに騙されてしまう自分が哀しい。 きっと「隠れ油」がたっぷり入れられているんだろうな。

たまたま与えてもらった機会を活かして、新たな視線で外食産業を見ている。 それはそれで、またオツな感じだ。(ちなみに『ますたあ』は糖尿病ではありませんので、ご心配なく。)

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2007.11.05

集団的自分探し

日曜日に民主党の小沢代表が辞任を申し出たニュースが駆け巡った時、「なんだか訳の判らない話だ」、と、思った。 時間が経過するにつれ、背景に関する追加のニュースが報じられて、だんだんと全体像が掴めてきたが、それでも尚どこかぴんと来ない印象は今でも否めない。

例によって『ますたあ』とそんな話をしている中で、腑に落ちたキーワードが、意外にも『自分探し』だった。 自民党も民主党も、政治だけでなく民間の企業も、団体として『自分探し』をしてしまっている構図があるように見えるのだ。 少し前まで『自分探し』という言葉は専ら個人の問題として扱われ、主に転職や職業意識、占いブームなどの話題で使われてきた単語だったようだが、現在の世の中の状態は、まさに『集団的自分探し状態』なのではないか。

病院を例に挙げたい。 本来の目的は、患者の病気を見つけて適切な医療を授け、出来るだけ健康に近い状態を取り戻す事を、専門的技術で手助けすることになるかと思う。 だから、手術の成績がどうであるとか、入院経過が順調に管理されたとか、そのような部分で評価を受けていればよかった。 それがいつからか、病院給食でコース料理を用意するようになったり、プライバシー保護法ができて廊下の名札が消えたりし、患者様はお客様なのだからと恭しい扱いをすることに労力を使うようになった。

もちろん総合的なサービスのどの部分でも、著しく欠けていては問題だろうと思うが、直接健康に対する影響が少ない部分については、どこかで「これでよし」と線を引かないと、本当にきりがなくなる。 その見極めができなくなっているように見えるのだ。 そこに拍車をかけて、消費者側(病院だったら患者側)、利用者側、政治だったら国民側・住民側などが、相手に求める要求が多岐に渡ると同時に、要求のレベルも上がり、「こっちはお金を払っているんだから!」と言わんばかりの状況も、まま見受けられるようになっている。 例えば「モンスター・ペアレンツ」や「クレイマー」と呼ばれる人々はその象徴だろう。 病気が治ったのに、食事が不味かったと文句を言うような場合で、そのちぐはぐさが露呈してくる。

サービスを提供する側としても、もっとああしてあげたい・これもしてあげたいというような部分を充実させることによって、他社と差別化が図れるので、何とかしようと努力するのだが、不景気や健康保険制度の不具合により人員削減を余儀なくされている中でそれが過度になれば、ツケが現場に溜まる。 職員のやるべき作業が増えてそこから医療ミスが起こったら、根本の目的が覆されてしまう。

何をどこまで提供でき、何をどこまで求めてよいのか、お互いのコンセンサスが取れていないのである。

例えば「何が何でも社会主義を実現する、それが我が党の唯一の目的だ。」というように目標が明確ではっきりしていれば、所属党員の意識には共通のコンセンサスがある。 しかし、自民党も民主党も資本主義精神には変わりがないし、争っているのはその具体策や枝葉の末端の問題で、同じ党の党員一人一人の解釈も違えばコメントもちぐはぐになって、訂正や謝罪を繰り返したりしている。 そんな中での党規約遵守に、どれだけの意味があるのか、私にはよく理解できない。

わりと最近立法化された、消費者を保護するという大義名分の下での法律の一部も、このちぐはぐさに拍車をかけているような気がする。 そんなに何もかも、国や企業に求めてしまって良いものなのだろうか?、と、国民であり消費者であるの私の方が首を傾げたくなる気分になることさえある。

明確な到達目標を国民や党員や社員に提示できない国家・政党・企業が、その求心力を失うのは当然だろう。 哀しい『自分探し』の旅は続いてゆくのだろうか。 明確な到達目標を提示できないその原因の一端を、担ってしまわないような努力として、国民・有権者・消費者として出来ることがあるんじゃないか、そんな気がしているのだが、特に殊、政治においては扱う内容が総合的なだけに、かなり難しい。

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2007.11.04

落ち着かない

風邪をひいたようだ。 ちょっと鼻づまりして喉が痛い。 微熱が出たり引っ込んだりしているので、そろそろ正念場だろうか。 なんだか体全体がちぐはぐな感じで落ち着かないし。 ショウガを積極的に摂ってみたり、ぬるめのお湯にゆったり入ってみたり。 あまり無理が必要な時期でもないので、マイペースで養生している。

このところ、夜寝る時にどの布団をどのくらい掛けようか、迷うことが多い。 晴れれば放射冷却で思ったよりも冷え込み、かと思えば、無意識に布団から腕を出して寝ているような日もあり、これもまた落ち着かない感じだ。 だから風邪をひくのか?、と、自分で妙に納得したり。

仲の良い友人達で、冬に温泉にでも行こうかという話が持ち上がった。 受験を控えたお子さんを抱えた家族が複数含まれているので、それが落ち着いてからということになりそうだ。 自分のことではない子供の受験となれば、それこそ落ち着かない年末年始だろう。 そんな時に温泉旅行などとは不謹慎な話かと、遠慮半分で連絡すると、意外にも「ああこれで、憂鬱な時期を乗り越えるためのやりがいが出来た!!がんばれそうな気がする。」、などと、諸手を揚げて歓迎してくれたので、逆になんだか切なくなった。 またそのうち、旅行の相談を言い訳に電話でもかけてみよう。

落ち着かない感じをわざと楽しむ余裕を持って、事故がないように過ごしたい。 ひとつひとつ確認しながらじわじわと進もう、と、思う。 どうぞ皆様もお気をつけて。

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2007.11.01

柿でひと仕事

庭の甘柿が熟してきたので、時が満ちたものからぽつぽつ収穫し始めた。 柿の木には表年と裏年があるらしく、去年は2個しか実らなかったのに対して、今年はやけに豊作だ。

実の中には鳥が突付いて傷が付いているもの、ヘタから雨水が入ってしまったもの、さらにそこに虫が居ついてしまったものなども、当然のように混じっている。 そのまま保存できそうなきれいな状態の実だけを選り分けて、残りは『柿のピュレ』にした。

皮を剥いて傷んでいる部分と種を取り除いてから、適当にスライスしてホウロウ鍋に放り込んでゆく。 全部剥き終ったところで、実から水を引き出すために砂糖をちょっと(鍋に8分目の柿に大さじ3)だけ入れて全体に絡めてから、火にかける。 木べらで焦げ付かないように混ぜ、全体に火を通し、ねっとりと透明感が増したら火を止めて、中身だけをミキサーに。 ガーッと攪拌して(ポテポテ硬すぎて攪拌できない場合は、適宜水を足す。)から、鍋に戻す。 弱火にしてまた木べらで混ぜながら、じっくりと煮詰めて(熱いピュレが飛び跳ねることがあるので、必ず長袖で作業すること!)、最後にレモン汁を大さじ1加えて出来上がり。 アルコール消毒した瓶に詰めて冷蔵庫で保存する。 今日はインスタントコーヒーの大型の空き瓶に、とっちりと2本分出来た。

ジャムのようにするのではなくて、柿の実の持っている甘さだけを凝縮するようなつもりで。 最後のレモン汁は加熱した柿独特の臭みのようなものを消すためで、酸味をつけるためではない。

砂糖と寒天を足せば柿羊羹に。 バターケーキの生地に混ぜるとしっとりと焼き上がるし、くどくない甘味で上品な出来映え。 クッキー生地にも混ぜて使える。 ヨーグルトに添えても。 カレールウや各種ソースやドレッシングの隠し味にも。 変わったところでは『柿のクリームポタージュ』も美味しい。 それにも増して一番のおすすめは、赤味噌と合わせて練り直し、田楽味噌のように使うこと。 ふろふき大根に添えても。 そこにニンニクや豆板醤を混ぜて韓国風にしても美味しい練り味噌になる。

一度にたくさん採れ過ぎたり、いただき物が重なってしまったりしたら、こんな風にして保存しておくと、なんだかんだと春まで楽しめる。 庭に実をならせっ放しの甘柿の木があったら、いかがでしょうか。

 

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