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2008.01.31

うぐいす餅

和菓子屋さんの店先に貼られていた「桜餅」の文字に魅かれ、初めてのお店に足を踏み入れたら、残念ながら期待していた道明寺タイプのものではなくて、和風クレープのような焼き生地にこしあんを包んだタイプだったので、内心「ありゃりゃ、残念・・」と怯んだ。

気持ちを切り替えてガラスケースの中を眺めると、色鮮やかなうぐいす餅を見つけたので、二つだけ包んでもらう。 オーソドックスな餅とあんこときな粉の組み合わせはありふれたものだけれど、きな粉の淡い緑色がなんとも優しげで春らしい気がして、私の好きな季節菓子のひとつだ。

「ちょっとの買い物ですみません。」 「いえいえ。 最近はみんな老人世帯になってしまって、この辺のおばあちゃんたちも一個だけ買いに来ますよ。」 建物は古くて今風の洒落た印象ではないのに、引き戸を開けると意外にも間取りが立派で、羽振りの良かった時代もあったことを思わせる店構えだ。 「和菓子屋は四代目になります。 もう私の代で店を仕舞おうと思っているのでねえ、できることしかやらないんですよ。」と、お店のご主人はご謙遜だが、テボ餡をサツマイモに見立てて焼いたお菓子や、黒いあんこが見え隠れする吹雪饅頭、鶴の子に見立てて形を整えたすあまなど、ちゃんと手のぬくもりが見えるシンプルなお菓子が行儀よく並べられている。 「うちのうぐいす餅にはね、えくぼがあるんですよ。」 掌に一つ載せて見せてくれたうぐいす餅、角の丸い菱形のように整えられた横腹に二つ、確かに小さな窪みができている。 「親指と中指でちょっとだけ押さえるようにすると、こうなる。 鶯のふっくらとした感じが出て、可愛いかな、と思ってね。」 少し照れくさそうに笑うご主人の大きな掌から、昔ながらの薄い包装紙で手際よく包まれた二羽の鶯を受け取った。 二百円。

ぱらぱらと音を立ててあられのような雪が降る今日、朝から「農薬入りの餃子」のニュースが駆け巡っている。 熱いお茶を淹れて包みを開いた。 シンプルな美味しさが、ちゃんとそこにはあった。 『ますたあ』にえくぼの話を伝えながらの午後のお茶。 今までにも増して、何故だかとても春が待ち遠しい気分になった。 ちょっとしたものであっても、人の温もりがあるものはちゃんと美味しい、そんな単純なことが妙に嬉しく思えた。

春が来たら、あの目立たないお店に、また買いに行こう。 華美じゃない、ご主人の手の温もりがある穏やかな和菓子を、分けてもらいに行こう。 

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2008.01.29

お篭り

朝から軽い眩暈と付き合っている。 昨夜遅くに独特の耳詰まり感を自覚したので、「来るナ」と覚悟していたら、予想を裏切らずに律儀にやって来た。 あまりひどくもないので、物静かに、起きて過ごしている。 どうせ外は雨降りだし、焦ってみたところで何も始まらないことぐらい学習済みだ。

眩暈がある時には自分の目の位置が、いつもとずれているような錯覚に陥る。 極端に言えば、ヒラメとかカレイにでもなった気分。 自分が普段、姿勢や立ち位置を決める時に如何に目からの情報に頼っているかを、教えられているような気になる。 こうしてキーボードを打っている間も、ほぼブラインド・タッチでこなしているから出来るようなもので、眩暈がある時に規則正しく細かいものがビッシリ並んでいる物を見てしまうと、勝手に流れ出したり回り出したりするから、すぐに気持ち悪くなってしまう。

とりあえず思い当たる節がないので、「寒さ疲れ」みたいなものかな、と、思う。 食欲もあるし、明日になれば復活できそうな気がする。(患者歴が長いと、こういう勘は良く当たるようになる。 受診が必要かどうかの判別、とか。 ・・あまりの過信も禁物なのだろうけれど。)

これ幸いということで、ゆっくり冬篭りの一日。 明日は晴れてくれるといいな。

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2008.01.27

この時期だけの贅沢

この時期は「霜にあたった野菜」が手に入る。 食材の多くには旬が存在するけれど、それとはちょっと違う意味で、霜にあたることも旬だな、と、思う。

ホウレンソウは背が伸びずに地面を這うような姿に育っているし、白菜は外側の葉やてっぺんが茶色く干からびたり、大根は葉っぱはゴワゴワだし地表に出ていた首の部分はシワシワだし、明らかにどれも見た目は落ちるが、その分だけ中身の方は格別になる。 味も香りも凝縮されている感じ。 甘みも驚くほど増していることが多い。 煮物などいつもの感覚で味醂を使ってしまうと、味見した時に修正を余儀なくされる位に、煮汁が甘くなっていたりする。 恐れ入りました、と、野菜の底力に感服。

寒さから身を守って春に花を咲かせるために、一生懸命蓄えているんだろう。 それをまた、寒い中で収穫してくれた人々のことも思って、益々、美味しく食べてあげなくちゃ申し訳ない、という気分になる。 スーパーで売られているものとは一味もふた味も違う、この時期だけの贅沢だ。

外面ではなく中身で勝負というところも、なんだか共感が持てて、ついつい贔屓してしまっているような気がするが。

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2008.01.25

神様のお考えになること

昨夜、どこから舞い込んだのか、小型の蛾が一頭、お風呂場の壁にとまっていた。 シャワーに驚いて飛び立った挙句、床のタイルに落ちてじたばたしているので哀れに思い、洗顔フォームの容器にしがみつかせて、そのままお風呂場の隅に置いておいた。

今朝になって、残り湯を洗濯に使おうとお風呂場に足を踏み入れると、例の蛾がまだそのままとまっている。 気温が高くなれば勝手にどこかへ行くかな、と、様子を見ていたが、午後になっても一向に飛び立つ気配がない。 このまま夜が来て入浴したら、またじたばたとお湯の中に落ちたりすることになりかねないし、蛾のことを気にしながらお風呂に入るのも落ち着かないし。 そんな風に懸念して、洗顔フォームの容器ごと窓の外へ持ち出し、軽く勢いをつけてわざと飛び立たせて、外へ放してやった(つもりだった)。 蛾はひらひらと飛んで、一番近い場所の庭木の枝に。

すると、その一部始終を離れた木の上から見ていたヒヨドリが、ピィーッと飛んで来たかと思うと、一目散に蛾の元へ直行し、そのままパクリ!

あーあ・・。 私、余計なことしたんだろうか、と、しばし悶々。

悶々としながら、「実はいろんな考え方ができるな、これって。」、とも思った。 どうすれば良かったのかを知っていたのは、多分神様だけなんだろうな。  

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2008.01.23

春を待つ

さすがは大寒、寒さの底だけあって、容赦ない冷え込みが続いている。 降り続くみぞれで積もっていた雪がシャーベット状に緩んできたのを確かめて、それ!今の内に、と、ばかりに、買い出しに出かける。 これが凍りついたらまた車は使えなくなるので、降っている間に。 お昼前だというのに、装備されている外気温計は氷点下を示していた。 「ここも伊豆半島なんですけど・・」、なんて、ついつい愚痴が。

食料品をたっぷり買い込んで、これで当分は閉じ込められても遭難せずに済みそうだ、と、心が解れる。 食べ物が手元にあることがもたらす安心感は、案外大きいみたいだ。

懸念されていた「雪かき後の筋肉痛」は、左の上腕三頭筋に少し。 今のところはそれだけ。 このまま悪化せずにいてくれたら御の字なのだけれど、そんな風に上手く事が進んでくれるのかどうか、自信はない。

冷たいみぞれの中、高校時代の部活動の先輩だった方から、赤ちゃんの写真をプリントした葉書が届く。 ようやくパパになったという喜びがこちらにも伝わってきて、胸の一番奥が温かな気持ちになった。 頭の中で計算してみると、お子さんが成人する時、彼は67歳になるはずで・・。 去年の年末には、別の先輩からも赤ちゃん誕生の葉書が来たが、そちらは73歳になるはずで・・。 うーん、みんな凄いなあ。 意味もなく(いや、厳密に言うといろいろ考えた挙句、お手上げになってしまうのだけれど。)ひたすら唸る。 感慨なのか、あっぱれの気持なのか、自分のここからの20年を考えてのため息なのか、なんだかよく解らない。 とりあえずは、きっとおめでたいことなんだろうな、うん。 単純に「おめでたいこと」として片付けておくのが、一番の正解に違いない。

他人の子供の成長を見て、その早さに愕然として、自分の加齢を振り返ることはよくあるけれど、赤ちゃんたちの写真を見て、雪かきの筋肉痛と共に、「自分はもっと若くいなければいけないのではないか?」みたいに、逆に思った。

季節より一足早く、人間の家庭には春が来た場所もあるみたいだ。 もうしばらくの辛抱かな。 あやかって春を待とう。

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2008.01.22

明日なら自分を許そう

取り付け道路と玄関先の雪かきを終えて、部屋に戻ってきたところだ。

結局たんまり積もってしまい、吹き溜まりでは20cmをオーバーしていた。 正直に言えばここまで積もるとは思っていなかったし、一昨日の夜の一晩だけで雪は止むと勝手に決めつけていたので、苦笑してしまった。 「やられた~!」という気持ち。 油断しているとろくな事がない。 気をつけなければ、な。

ここまで積もると、寒いだなんだと文句を口にする余裕もなく、早速雪かきをこなさなければ閉じ込められてしまう。 良い運動と開き直って、久しぶりに汗をかくのもなかなかオツだと思うことにして。

何か後ろで鳥が騒がしいと思って、ふと振り向くと、雪かきを終えた地面を早速くちばしでほじくり返しながらお食事中の小鳥が、一斉に飛び立った。 まあなんと目ざといこと。 で、こちらが雪かきを再開すると、また後ろのほうでチュンチュンやっている。 はいはい、邪魔する気もありませんから、ゆっくりお楽しみくださいませ・・。 ふかふかに積もった雪の上には、謎の小動物の足跡が点々と残っていた。 あんまり大型のものではなさそうだ。 こんな寒さの中にも、いろんな命の息遣いがしっかり聞こえてきて、心強い気持ちになる。

とりあえず庭先の自家用車が公道に出られるように整えて、今日の雪かきはここまで。 慣れないことをやったので、明日筋肉痛になっていそうで、ちょっと怖い。(あさってになってから筋肉痛が来たら、もっとヤダ!)

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2008.01.21

雪と羊羹とチョコレート

起きたら10cm近い積雪で、午後からまた降り始め、なんだかんだと雪の一日。 これじゃあ溶けないなあ。 気温も低いし。 ・・で、部屋に籠っている。

お茶を淹れて温まりながら、頂き物の虎屋の羊羹を切る。 コンパクトサイズの羊羹が5種類詰め合わせになっているものを、リクエストして送ってもらった。 小さくてもちゃんと「虎屋の味」なのは、流石だ。 ずっしり重たい。 ほかの4種は2箱ずつ入っているのに、唯一ひと箱しか入っていない「珈琲羊羹」。 うーん、不思議な味。 これだけひと箱の理由が、何となく判ったような気がした。

とっくにお茶を飲み終わっても、芥川チョコレートのひとかけを丁寧に溶かしながら、寒さの救いを口どけの甘さに頼っている。 濃い甘さのお菓子は、寒い季節に良く似合う気がする。

いったいどのくらい積もる気だろう。 ちょっと心配。

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2008.01.19

鳥の水飲み

以前、叔父と向かい合って食事を摂った後、薬を飲む私を見て、叔父が急にケラケラと笑い出した。 この叔父は、実家の母の妹の旦那さんに当るので、血の繋がりの無い親戚である。 「なーに?!そんな薬の飲み方して・・!」 「えっ?何か変な事した?」 私にしてみたら、いつも通りに薬を飲んだだけだ。 何がそんなに可笑しいのか想像も付かない。 「だってさあ、水を口に入れた後にわざわざ天井向いてからコックンなんて飲むんだもの!」 相変わらず叔父はケラケラ笑い続けている。

「薬飲む時、上の方見ません?」 「鳥じゃあるまいしさあ、しないよ、そんなこと。 ニワトリとかインコとかが水を飲む時にやってるのは見たことあるけどさ。 何でそんなことするの?」 わざわざ意識したことも無かったので、暫く考えてから、「喉の奥のほうに薬をまとめて、いっぺんに飲み下せるように、かな?」、と、答えておいた。 「普通の人はしないものですか?」、急に自信がなくなって尋ねた私に、即答が戻ってきた。 「しない、しない!」 ・・ここまで断言されては仕方ないので、おずおずと引き下がることに。

ひとしきり大笑いされた後で、叔父が言った。 「死んだ○○(叔母の名前)もさ、そうやってたんだよ。 それでいっつも『なんだそんな鳥みたいな飲み方して。』ってからかってたんだよな。 まさかこんな所にもその血を引いた人が居たとは思わなかったな。」 ちょっと遠い目をしたのだった。

私は『親戚だから・・』という特別視感覚があまり好きではないので、親戚だろうがそうでなかろうが、『その相手個人と私との関係』でずっと生きてきているのだけれど、この時だけは生まれて初めて、「あっ、今はこの叔父の姪っ子でいてあげたいな。」、と、思ったのを覚えている。

残念ながら、自分で選ぶ選ばないに関係なく、「血」というのはさり気ない仕草とか、表情とか、ものの言い方とか、なんということも無いような部分にこそ、しっかりと引き継がれているもののようだ。 誰か私の先祖で、叔父的表現を使えば、「鳥のような薬の飲み方」をしていた人が、どこかにきっとひとり居るんだろうな。 誰だ?それ・・改めてそんな風に考えてみると、妙に可笑しい。

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2008.01.17

初雪

雪が舞っている。

「積もる雪」ではなくて、風向きが変わると一斉に流れるような粉雪。 どうりで底冷えするはず、と、曇ったガラス窓の向こうを気にしながら、ひとつ身震いをした。

朝はお日様も顔を出していたので、洗濯物を外に干したのだが、ものの一時間も経たない内に慌てて取り込むことになった。 初めから完全に乾くとは思っていなくて、どうせ仕上げは室内干しにする予定だったものの、一割でも二割でも水気が飛んでくれれば・・と、期待していただけ分だけ残念な気になる。

さっさと収穫した後で新たに顔を出したフキノトウが、凛とした姿で雪空を見上げている。 「ね、やっぱりちょっと早かったでしょ?」 その辺の落ち葉を一掴み、上に被せてあげた。

センター試験にしても、もろもろの受験にしても、こんな寒さの底で受けさせるのはなんだか気の毒なように思うのも、毎年この時期の恒例。 そうだった、去年もそんなことを『ますたあ』と話していたっけ。

人の勝手な思惑を隠すように、雪が舞い続けている。 夕ご飯の為に何か温かいメニューを考えなくちゃな、と思う、しんと静まり返った夕暮れ時だ。

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2008.01.16

反省中

久し振りに胃もたれしている。 原因ははっきりしていて、昼食のカキフライ定食が明らかに許容量をオーバーしていたためだ。

盛りが良いお店であることも知っていたのに。 しかも、調子に乗って生ビールまで飲んでしまい、付いてきた突き出しが「里芋の含め煮」で、お味噌汁にも大きなジャガイモがごろんごろんしていたし、小鉢の中にはマヨネーズで和えた「マカロニサラダ」。 その上、私はカキフライにはとんかつソースとタルタルソースの両方を付けて食べるのが好きだから、たっぷり添えられたマヨネーズベースのタルタルソースもたんまりといただき、「ごはんは半量にしてください」とお願いするタイミングを逸して、残すのも気が引けて平らげた。 お腹いっぱい。

普段からあまり油を摂らない私にとって、この負荷は重すぎた。 胃があっぷあっぷしているのが判る・・ごめんね、やっちゃったよ。

若い頃はぺろりと平らげても、案外大丈夫で、なんということもなかったような気がするが、やっぱり年とってきたんだな、と、変なところで実感してしまうのが、ちょっと悔しい。

お正月に大病をしていたという昔からの友人からの年賀状が、今頃になって届いた。 どうやら元気になったらしい。 「私たちも、もう無理の利かない年齢です。 お互いに気をつけましょうね。」の文面に、思わず「はい。」と、素直に返事をしてしまった。 ただいま反省中。

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2008.01.15

どんどん早くなる

庭にフキノトウが顔を出した。 「早っ!!」と思って調べてみたら、去年は1月26日に摘んでいる。 それでも「例年よりずいぶん早いようだ」なんて驚いて書いているようなので、今年も記録更新ということになりそうだ。

野生の蕗が何箇所かに分かれて自生しているので、全ての場所を見て回ったが、やはりどこでも同様にフキノトウを出していた。 トリガーが何かを知らないのが悔しいのはさて置き、庭の蕗にとってはもう春なのだろう。 ここ数日の寒さがやけに厳しいだけに、なんだか不思議な気がする。

とはいえ、生えてくれればありがたく御馳走になる。 半分は天麩羅にして塩をパラパラと振り、新鮮な苦味を楽しんで、残りの半分は恒例の蕗味噌に。 気の早い春を楽しみながら、実際の暖かさを待ち望むような気持ちで。

予期していなかったフキノトウの天麩羅は美味しかったけれど、年々早くなっているのがやっぱり心配だ。

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2008.01.12

凍み豆腐もどき

寒い季節の間、なんだかんだと鍋物は重宝だ。 体が温まるし、半端な食材も一気に片付くし。(笑)

で、今期になってちょこちょこと活用しているのが、凍み豆腐もどき。 なんと言うことも無い、安い時にまとめ買いしておいた豆腐を、冷凍庫で凍らせただけのもの。 パックごと凍らせておいて、使う日に自然解凍するだけである。 ちょうど高野豆腐と普通の豆腐の中間くらいの「す」が入って弾力も中間ぐらいになる。

大きな土鍋などで具を煮てゆくと、豆腐を『とんすい』に取り分ける時に崩れてしまったりして、なんだか悔しい思いをすることがあるが、それが一気に解消されるのが嬉しい。 何も考えずに箸で摘んでも崩れない。 そして、味沁みが良いところも気に入っている理由だ。

ただし豆腐そのものの香りは失われている印象があるので、例えばキムチ鍋とかカレー鍋、寄せ鍋やちゃんこ鍋など、比較的味の濃いスープで楽しむ鍋に向いているようにも思う。 使い分けてゆけばそれなりに面白い素材。

わざと凍らせてみるのも面白いですよ。

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2008.01.11

それぞれの思惑

私は煙草を吸わない。 だが、吸っている人にやたらと目くじらを立てるほど、煙草を嫌っているわけでもない。 正直に白状すれば、煙草を吸う人に染み込んでいる残り香のようなものは、私にとっては好きな匂いに含まれる。 もちろん、喫煙の健康上の影響はよく判っているから、勧めたりは絶対しないし、禁煙には諸手を挙げて賛成。 ただ、ますます加速する「嫌煙権の主張」に、ニコチン中毒の人は肩身が狭くて大変だろうな、とも思う。

最近は建物の内部を禁煙にするだけではなく、敷地内を禁煙にする所も増えてきたようだ。 過日、某総合病院に行ったら、今までは喫煙所として設定されていた駐車場の片隅から備え付けの灰皿が撤去され、代りに「当院は敷地内禁煙となりました」という張り紙が残されていた。 ところが、だ。 病院の敷地を取り囲むように、小道を一本隔てて軒を連ねている調剤薬局の店頭に、ことごとく今まではなかった備え付け灰皿が用意された上、ちょっとしたベンチなども新設されている。

これは憶測に過ぎないが、入院患者や通院してくる人の中の喫煙者が、わざわざ薬局の店頭にまで移動して一服してゆくための設備と思われ、なんだかヤレヤレ・・という気持ちになった。 こんな至近距離でぷかぷかしていたら、敷地内禁煙の意味も半減だろう。 薬局にすれば、数あるお店の中から自分の所にお客を呼びたいだろうから、喫煙スペースを作って「どうぞどうぞ」という姿勢だろうし。 なんだかいろんな面で「意味が無いよなー・・」と、思ってしまったのだった。

もっともっと喫煙者の割合が減リ続けてゆけば、こんな矛盾も目立たなくなるのだろうが、過渡期に於いては妙な光景が目立ってしまう。 都市部に対して、まだまだこの辺りでは喫煙率が高いような気もするし。 吸う人も大変、吸わない人も大変、な、世の中に見える。

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2008.01.10

それだけのことです

たまには、と、豆乳を買ってきた。

電子レンジでチンして、直接インスタントコーヒーと少しの砂糖を混ぜて、略式の豆乳カフェオレ。 ちょっと加熱しすぎたみたいで、牛乳と同じように、表面に蛋白質が凝固した薄い膜が張った。

何も気にせず口に運びながら、「あっ、これって湯葉かあ」、と、気がついた。

「コーヒー味の湯葉飲んでるんだ、私・・」

ちょっと妙な気分だった。

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2008.01.08

特発性内耳障害

浜崎あゆみさんが特発性内耳障害で片耳の聴覚を失っていることを告白した、というニュースが、いたるところで取り上げられている。 私も同じ病気、同じ状態なので、なんだか他人事でない気持ちでニュースの行方を追いかけている。

「特発性」という単語は、一般的に言い換えれば「現在の医学では原因が絞り込めていない」ことを指す。 つまり、「なんだか判らないけれど内耳がやられている」、ということ。 ストレスとの因果関係は以前から指摘されているけれど、ストレスが多い人がみんななるという話でもない。 主治医によって、特発性内耳障害という病名になる場合もあれば、メニエール(氏)病と言われたりもするし、状況によってはその前に蝸牛型とか余計な単語がくっついたりもするが、どれもみな原因が判らず、「これをやれば治る」という根治療法が確立されておらず、悪化してゆくケースもあるし繰り返して起こる場合もありうる点では一致していて、病名に係わらず病態もほぼ同じと考えてよい。

内耳というのは、鼓膜の奥にあるカタツムリ型の器官で、感覚器官としていくつかの役割を担っている。 ひとつは「音の情報を受け取って脳に伝えること」、もうひとつは「平衡感覚を感じること」、最後は「回転運動の加速度を感じ取ること」。 なので、ここをやられた状態が悪化すれば、「聴覚障害が出る」「眩暈が起きる(床と天井がぐるぐる回るような回転型のめまい)」ことにつながる。

内耳の中にはリンパ液が満たされている。 このリンパ液が何かの理由で増えてしまい、内側からぱんぱんに膨れると、当然内圧が高まり、その結果繊細な神経がダメージを受けてしまう。 これが「内耳がやられた状態」な訳だ。

一番最初に異常の自覚を感じるのは、耳がぼんやりした感じ(耳に水が入った時の様だったり、トンネルや飛行機の離着陸の際の耳の閉塞感にも似て、耳に綿を詰められてような感じ)、耳鳴り、めまいなどが多く、この最初の段階では「回復させるために有効な治療法」がある程度確立されているので、ここでちゃんと耳鼻科医の診察を受け、適切な治療を受けることが、何よりも大事になる。 めまいが起きれば驚いて、たいていの人は受診するのだが、耳がぼんやりするだけでは、日常生活への影響が少ないので、そのまま受診せずに様子を見てしまう場合が多く、そうこうしている間に手遅れになってしまう・・そこが問題なのだ。 副腎皮質ステロイド剤や利尿剤(尿の量を増やすことで、体内の余計な水分を抜く。)、ある種のビタミンや血液の循環を良くする薬などと共に安静を強要されたりするが、症状を自覚してすぐに受診すれば、多くの人はとりあえず元の状態に戻ることが出来る。

その後は、再発の予防ということになる。 投薬など医師から指示される治療の継続はもちろんだが、自分で自分の生活を見直すことも大事だ。 症状が出たという事は「体がSOSのサインを発した」という意味なので、働き方や食事・睡眠などの習慣を見直したり、心理的に自分にストレスを与えるような癖が無いか、見直す良い機会を与えられたと思って、チェックして出来るだけ改善する姿勢が大事。

それでも、どうしても症状が繰り返し起きたり、治らない場合もあって、そうなると繰り返す度に残念ながら聴力は少しずつ落ちてゆく。 これは「本人が何をした、何をしなかった」のレベルを超えて、そういう病気なのだから仕方ない。 それでも、その頃には病気との付き合い方が判ってくるものなので、それなりに工夫できる点も体得できるように思う。

浜崎あゆみさんは、あれだけ忙しく活躍しておいでだったから、初期の段階で受診の機会を逃してしまったのかもしれないし、安静がどれだけ確保できたのかも判らない。 お気の毒なことだ。

でも、私も片耳の聴力はほとんど無いけれど、とりあえず日常生活に不便は感じない。 頭蓋骨を通じて反対の耳で聴いて補っていたり、健常な耳が以前に比べて敏感に反応して、脳の中で補正回路をかけているらしい。(おかげで急に大きな音に接すると、必要以上に驚いて飛び上がったりするのだが。 例えば風でドアがバタン!と閉まる音とか、他人に近くで急にくしゃみされたりはかなり苦手。) 彼女は歌手なのでモニターの使い方などそれなりに工夫は必要とされるだろうが、やりようによっては何とかできるのではないだろうか。

たいていは片耳だけで済むことが多いものの、稀に両耳に起きる場合もあると聞く。 仕事の忙しさが仇にならないように、工夫しながら、歌手生命を無駄に縮めるようなことのないよう、祈りたい気持ちだ。

経験者として、ひとつだけもう一度強調させて欲しい。 みなさんも耳がぼんやりすることがあったら、とりあえずなるべく早く一度耳鼻科を受診して!!

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2008.01.07

新たな気持ち

どんよりと曇った空の下、朝から庭に出て野草を摘む。 「すずな」と「すずしろ」を除いた5種は、しっかり庭に自生している。 こんなに毎朝真っ白になるほど霜が降りているというのに、表面の枯葉を避けると、瑞々しい深い緑色が顔を出す。 枯葉に守ってもらうように、地面を這うように真横に茎を短く伸ばしながら、健気に春を待っている命を、少しばかりおすそ分けしてもらう。 ひとつの根っこから一箇所の先端だけをちょっと摘み取らせてもらって、株に負担が無いように。 ありがたい気持ち、感謝の気持ちと、申し訳ないような後ろめたい気持ちが混じって、そっとそっとなるべく優しく指先を動かしていた。

蕪と大根は調達できないことが判っていたので、以前手元にあったものを軽く茹でて冷凍保存しておいたものを、解凍して使う。

絞ってしまうとほんのちょっとの量だが、お粥に散らせば緑と白のコントラストが見事だ。 文字通り、命をいただいている気分になって、食べながら、再度ありがたい気持ちが蘇ってくる。 残っていた切り餅も入れて、ほっこりと体も心も温まった。

お正月仕様になっていた冷蔵庫の中身も、これでほぼ片付いた。 がらんとして空間が広がった野菜室を覗いた時に、「あっ、お正月も終わったんだな」、と、思った。

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2008.01.06

原油・原発・豆カレー

寝起きの布団の中で、そろそろ道路も空くだろうからぶらりと出かけてみようかという話になり、気が変わらぬうちにと朝食も摂らずに出発。 西へ向かう。

『ますたあ』が「いつか機会があれば・・」と調べておいてくれた場所へ。 なんと、お茶畑で有名な牧之原台地で、昔原油が採掘されていた場所があると言う。 『ますたあ』は小学校の社会科(今は生活科なのか。)の時間に習った覚えがあるらしいが、当時から社会科を丸投げしていた私は、お恥ずかしいことに全く覚えていない。 新潟の油田は聞いたことがあったものの、こんな太平洋岸で原油が出るとは驚きだ。

相良油田は埋められて一面の茶畑と化している。 その一区画を整備して公園を作り、採掘小屋の復元がなされ、ちょっとした資料館のようなものも作り、一基だけ今でも原油が採掘できる櫓組みが残されていた。 見ると昭和30年に閉山されたばかりとの事で、ほんのちょっと前の話なのだと知り、またびっくり。 人力で採掘していた時の様子などを知るにつれ、「よくこんなことをやっていたものだ」と思う。 地上から空気を送り込むシステムなどちゃちと言うか、あまりに原始的で、「こりゃあ事故も絶えなかっただろうな」と容易に想像が付く。 ちょっと重苦しい気持ちに反して、芝生が植栽された公園内では、地元のお年寄りたちが新春のグランドゴルフ大会をやっていて、のどかな雰囲気が広がっており、救われたような気分になる。

資料館の管理人の方に質問をしたら、「待ってました!」とばかりに管理室から出て来て丁寧に色々と話してくださった。 去年の11月に採取したばかりの、瓶に入れた原油を見せてもらう。 「まだこんなにちゃんとしたのが出てるんですよ。」と、誇らしげだ。 原油としては世界的に見ても類を見ないほど良質であるらしく、製油しなくても、そのまんまエンジンに投入すればちゃんと起動するとのこと。 量が出ないのが本当に残念。 この原油高の折、もしも間違っていたら日本経済を動かしていたかもしれないのに・・。

たくさんの鉱山夫たちで賑わっていたという集落跡を流し、事故で亡くなった方たちの慰霊碑を見つけて頭を下げたりしながら、お茶畑の間をドライブ。

お昼は、まだお正月ということもあってか、惹かれるお店を見つけられなかったので、珍しく「ほっかほっか亭」のお弁当をテイクアウトすることに。 店内で出来上がりを待っていたら、同じく待っていた作業着を着た若い男性が「ダイハツさま~!お待たせしました!!」の声に呼ばれて立ち上がった。 「から揚げ弁当の大盛り、9人前ですね。」 両手にお弁当の山をぶら下げて店を出てゆく姿に圧倒されていたら、今度は「トヨペットさま~!」に、OL風のオネーサンがキャッシャーへ。 11人分で6000円近いお会計らしい。 なんだかこの辺の車屋さん達は、今日のお昼ご飯は皆ここのお弁当のようだ。 私たちもオーダーしたお弁当を受け取って、静波海岸まで移動する道路際に、「あっ、ここダイハツのお店だ。」 「あっ、ここのトヨペットさんだ、きっと!」・・今頃奥の休憩室で、従業員さんたちがお弁当を広げている光景を想像して、思わず笑ってしまう。 お正月からお仕事ご苦労様です。

静波海岸は人気もまばらで、穏やかな海がのどかに広がっていた。 船を遠くに見ながら、海風に当りながらのお弁当は正解で、ひねもすのたりのたりかな、いかにもお正月という気分を満喫。 久し振りのお弁当はちゃんと温かくて、美味しくいただいた。

エネルギー系続きで、浜岡原発の隣にある「浜岡原子力館」へ。 これはよくある科学館みたいなもの。 お子ちゃま方で賑わっていた。 プルサーマルについて判り易く展示されていたが、理想と現実のギャップを知っている大人にとっては、丁寧な解説もどこか空しい。 基本的には「如何に安全であるか」を強調しているのも、どこか哀しい。 現在日本各地で発電している原発の一覧が壁に貼り付けられていたが、新潟県下や浜岡原発など一部を訂正するように、大きなテープが上から貼り付けられ、隠してあるのが生々しく思えた。 走り回りながら空いているブースに飛び込んでは、ちょっとした端末を操作してクイズや謎解きなどを楽しんでいる子供たちを横目に、大人として何を伝えるべきなのか、彼らはここで何を印象に残すのか、頭を抱えたい気持ちになった。 「これで良いのかなあ?日本って。」・・ぶつぶつ。

途中なんとなく通りがかったお菓子屋さんで、なんとなく買ってしまった「生クリームどらやき」のバナナ味とメープルシロップ味を半分ずつ味見したりしながら、帰途へ。

以前からずっと気になっていたのに、立ち寄るチャンスの無かったインド料理店で夕食。 富士の国道一号線沿いに在り、交通量も多くて直線道路でそこそこスピードも出ている場所なので、「気合を入れないと」通り過ぎてしまう。 その上、外装にお金を掛けないタイプの外見と看板で、見ようによっては「ちょっと怪しげな感じ」(失礼。)で、入店に踏ん切りが必要だったのだ。

アラムインドレストラン」では『マトンカレー』と『豆のカレー』をセットで頼み、チャイも。 豆は二つ割にしたレンズマメだった。 久し振りにちゃんとしたインド料理で、辛さもオーダーできる。 何よりも驚いたのはリーズナブルなこと。 東京で食べたら一人3000円近くはとられそうな料理が、1000円程度に設定されているので、驚くやら感心するやら。 他の客が居なかったせいか、インド人の御主人がわざわざ出て来て挨拶してくれた。(ホールは日本人の奥様が担当のようだ。) 以前は沼津の仲見世通りで営業していたらしいが、所用で一年ほどインドに戻り、帰ってきてから改めて開業したとのこと。 わざわざ昔からのファンのお客さんが通って来てくれていると喜んでいらした。 気さくな御夫婦。 スパイシーだがとても体に優しい感じのする料理で、手を抜かずにちゃんと作られている。 ちょっと日本人向きにアレンジし過ぎている気もしなくは無いが、全く抵抗無く美味しく食べられるバランスは見事だと思う。 こういった料理はなかなか都市部を離れると受け入れられないようで、私たちもお店探しに苦労するのだが、ここはまた食べに行ってみたいと思える店だった。

私たちが食事をしているホールの片隅で、御夫婦の息子さんがお正月休みの宿題を片付けていた。 本を5冊も読まなければならないのに、おじいちゃんの家で遊び呆けて、まだ全然読めていないらしい・・。 どうなったことやら。

とりあえず新年一発目のおでかけも、美味しいものに恵まれて、幸せに帰ってきた。 静岡県は大きくて、伊豆半島を出るだけでも雰囲気がガラリと変わるし、習慣や風習も全然違うようだ。 面白いなあ、と、思う。

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2008.01.04

柚子のシャーベット風

まだ余っていたら、こんなのはいかが?

柚子のシャーベット風

  • 柚子       1個
  • グラニュー糖  90g
  • 水        300cc
  • 生クリーム   100cc
  1. 柚子は皮を薄くすりおろして、果汁を絞り種を除く。
  2. 小鍋にグラニュー糖と水を煮立ててから冷ましておく。
  3. 砂糖水に柚子の皮と果汁を混ぜて、冷凍庫で凍らせる。
  4. ミキサーかフードプロセッサーに3を大きく砕いて入れ、生クリームを加えてから均一になるまで攪拌し、もう一度冷凍庫で凍らせる。

だいたい4~5人分は取れます。 案外簡単。 鍋物の後にもグッド!

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2008.01.03

家族色

届けられた年賀状には家族の写真をデザインしたものも多く、興味深く拝見している。 写真を年賀状に使う人は、だいたい毎年使うようなので、ひとつの楽しみは去年の写真と比べること。 お子さんがまだ幼いならば、「一年でこんなに大きくなったんだ!」、と、思うし、だんだん成長してゆくと、両親の身長を追い越していたり、中にはいかにも今風に髪を染めたりきれいにお化粧したりしていたり、大人顔負けのファッションへのこだわりを見て取れたりする場合もあり、「ふむふむ」である。 それに引き換え、親御さんたちの方はだんだんと年配者っぽい顔付き・体付きになってきて、「ああ私も他所様が見たらこんな風に年相応になっているんだろうな。」、なんて思ったりする。

もうひとつは家族という一集団を大まかに捉えるような見方をすること。 体格や姿勢、立ち位置など、よく見るとそれぞれの家族毎にずいぶん特色があって興味深い。 表情もさることながら、一人一人の雰囲気が醸し出す「家族色」のようなものが伝わってくるのである。 子供が親の顔に似ているのは遺伝上当たり前のことだが、元々何の関係も無いはずの親同士(夫婦)がなんとなく似てくるのはどうしてなのだろう。 家族色の原点がそこにあり、それが子供達にも見事に伝わってゆくみたいだ。 ほぼ同じ物を食べ、同じ家で暮らし、話題を共有し、外部から問題が持ち込まれれば家族で関わってゆく、そんなことを繰り返してゆくうちに、似た様な顔付きや似たような雰囲気が作り上げられてゆくものなのだろうな。 不思議だ。

人間の経年変化って面白いものだな、と、年賀状を見ながらつくづく思うお正月。 明日から早速お仕事の方も多いことだろう。 家族との時間で心の中にたくさんのチャージをして、そのエネルギーを仕事として社会に還元してゆく・・。 全く以て奇妙な生き物のように思えなくも無い。

おせち料理も予定通りに片付きつつあって、なんとなく義務をこなしたような気持ちで一安心。 こののんびり感がいかにも三が日っぽくて良い感じだな、と、しみじみする。

初売りを競うように新聞に折り込まれていたスーパーマーケットのチラシに「三日とろろ」という文字を見つけて驚く。 こういうことらしい・・今まで聞いたことも無かったので、へぇ~。 知らない風習がまだまだいっぱいあるなあ。 興味深いのは確かだが、小売店としては『行事のカオス』に取り込もうとする一環か? そうは問屋が卸さないぞ、と、意地を張る私が居て、自分で自分に苦笑した。 なので、今夜のメニューにとろろは登場しない。

昨夜見事に見た今年の初夢。 「誰かの家の火事」と「『ますたあ』の隣で、どこかの窓から富士山を見ている私」。 変な組み合わせだ。 私たちも一緒に写真に写ったら似たような雰囲気を醸し出しているのだろうか?? ちょっと想像し難いけれど。

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2008.01.01

御挨拶

あけましておめでとうございます。

みりんを買ったら付いてきた屠蘇散でお屠蘇を作って、飲んでみました。 甘いお酒は苦手なので、みりんではなく日本酒に漬け込みまして。 「あっ、この香り、何かで知っている・・」、と、記憶を辿って思い出したものは、陶陶酒でした。 体には良さそ気。

御節をつまんだり、おやつにお汁粉の甘さを楽しんだりしています。 午後になってから、ようやく年が変わった実感が出てきたみたい。 なんなんでしょう、このタイム・ラグは・・?

寒いお正月です。 どうぞ皆様も体に気をつけてください。

たくさんの良い事がある一年になりますように。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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