神様のお考えになること
昨夜、どこから舞い込んだのか、小型の蛾が一頭、お風呂場の壁にとまっていた。 シャワーに驚いて飛び立った挙句、床のタイルに落ちてじたばたしているので哀れに思い、洗顔フォームの容器にしがみつかせて、そのままお風呂場の隅に置いておいた。
今朝になって、残り湯を洗濯に使おうとお風呂場に足を踏み入れると、例の蛾がまだそのままとまっている。 気温が高くなれば勝手にどこかへ行くかな、と、様子を見ていたが、午後になっても一向に飛び立つ気配がない。 このまま夜が来て入浴したら、またじたばたとお湯の中に落ちたりすることになりかねないし、蛾のことを気にしながらお風呂に入るのも落ち着かないし。 そんな風に懸念して、洗顔フォームの容器ごと窓の外へ持ち出し、軽く勢いをつけてわざと飛び立たせて、外へ放してやった(つもりだった)。 蛾はひらひらと飛んで、一番近い場所の庭木の枝に。
すると、その一部始終を離れた木の上から見ていたヒヨドリが、ピィーッと飛んで来たかと思うと、一目散に蛾の元へ直行し、そのままパクリ!
あーあ・・。 私、余計なことしたんだろうか、と、しばし悶々。
悶々としながら、「実はいろんな考え方ができるな、これって。」、とも思った。 どうすれば良かったのかを知っていたのは、多分神様だけなんだろうな。
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