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2008.02.29

祈ること

私に何ができるわけでもない。 それを思いきり不甲斐なく感じる。

知っている唯一の手段として祈っている。 全てを御承知の方が、あの人に善き計らいをしてくださるように。

おかしなことだが、祈りは相手の為であると同時に、自分を納得させる為でもあるような気がする。

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2008.02.28

春の眠気

眠い。 とにかく眠い。 呆れるくらいに眠い。 

・・この感じ、体が春モードになろうとしているんだな、と、思う。

逆らわずにあっさりと受け入れて、日がな一日とろとろまどろんでいられたなら、どんなにか幸せだろうか。 なんてことを想像しながら、台所で「新じゃがとじゃこの天ぷら」を揚げていた。

それはそれで美味しかったのが、なんだかちょっと癪な気分だった。

春の女心は微妙か?

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2008.02.27

八丁味噌

普段のお味噌汁は信州味噌系の味噌を使うことが多い。 だが、それとは別に、少量サイズの八丁味噌を見つけると、時々買ってくる。

信州味噌と合わせ味噌にして使うと、普段のお味噌汁とはだいぶ趣が変化して面白い。 どことなく中華料理のテンメンジャンと似た風味があるので、わざと代用して使ってみたりもするし、ドミグラスソースにちょっと混ぜれば、急に味に奥行きが広がって、何日も煮込んだ後のような出来上がりに。 カレーやミートソースも然り。 魚の煮付けの際は、煮汁にほんのちょっと入れると、臭み取りになるし、蒸しパンやケーキ、クッキーの生地に混ぜても面白い。

八丁味噌の持つ酸味が私は苦手なので、単独で大量に使うことはあまりしないけれど、酸味が前面に出てこない程度のちょっとした量を、逆に何にでも使ってしまう。 一度使ってみればすぐにお分かりいただける程、調味料としての底力は強烈で、しかも、和・洋・中なんでもこなしてしまう万能選手だ。

コツは控えめに使うこと、だろうか。 名古屋出身の方はそれじゃあ物足りないのだろうけれども。 使ったのか判らない位に控えめにすると、八丁味噌のポテンシャル・エネルギーを活かせるような気がする。

小さい容器でひとつ手元に置くと、何かと重宝ですよ。

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2008.02.26

恥じらいの文化

学生時代の仲間で箱根へ小旅行してきた。 中には卒業以来ぶりに会うメンバーもあり、もう何が何だか分からないくらいのお喋りと大笑いで、あっという間に時が過ぎていった。 もう中年の域に達して、それぞれなりの苦労も経験も積み上げてくると、相手との距離の置き方が判るので、ベッタリでもなくプライベートを詮索することもなく、かといって隠すわけでもなく、どちらかと言えば開けっ広げに失敗談もできて、非常に気楽な付き合いができるようになった気がする。 良い意味で学生時代には有り得なかった関係だな、と、思った。

他のメンバーは新宿からロマンスカーでやって来たので、箱根湯本の駅で待ち合わせしたのだが、観光客の外国人率が非常に高いのには驚かされた。 それも多分中国からのお客様方。 フリーパスの使い方が分からずに自動改札機で閉じ込められたり、駅員さんに尋ねるために窓口前に長蛇の列が出来たりして、まだまだ日本の観光地は外国人観光客に優しくないのだな、と、思いつつ横目で見ていた。

宿泊した所が大型ホテルの別館だったこともあり、本館の大浴場も利用できるというので行ってみると、そこにもそこそこの中国人宿泊客が混じっている。 会話を耳にしなければ、骨格や顔立ち、髪形など日本人とほとんど分からない印象なのに、洗い場から湯船や露天風呂へ移動するタイミングを見ると、仕草がだいぶ異なっているので興味深い。 日本人は何となく「大事なところ」を隠すように手を前側に移動して、体を丸め加減に小さくしてコソコソと歩くが、中国人観光客は胸を張って堂々と歩いている。 「見てください」と言わんばかりの状況に、こちらの方が思わず目をそらす始末だ。 お国柄って本当に様々。 教育の違いなのか、持って生まれた血のようなものなのか。 すぐ近くに国なのに、不思議なものだ。

一緒に旅行する予定だったメンバーの一人が、家族のインフルエンザで急に来られなくなったので、それを言い訳に「近いうちにまたどっか行こうね。」ということになっている。 「もうまったくリーボーったら・・」などとメンバーに呆れられないように、恥じらいの無いオバサンに成り下がらないように、良い歳を重ねなくては。 

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2008.02.22

良心の適応範囲

以前の私は、「一方的にかけてきたセールスの電話は、興味がなければ途中で切るものだ」という世間の常識を知らなかった。 なので、とりあえず聞くだけ聞いて(ほとんど相手が一方的にまくしたてるケースが多かったが。)、最後に「要りません」とか「買う気はありません」などと答えていた。 しかし、実はこの方法では、「電話を切らないということは商品に興味がある」と相手に思わせてしまって、挙句の果てにしっかり断るものだから、直ちに電話を切るよりも余計に嫌な印象を与える結果を招き、断って受話器を置いてからも嫌がらせで電話をかけてきて、こちらが受話器を取るとすぐ切るようなことを繰り返されたり、と、ろくなことがなかった。

何気なく見ていたテレビのクイズ番組で、「マナー特集」があり、そんな電話は相手の話を聞かずに切ってよいのだと、やっと理解した次第だ。 ・・常識が足りないと言われればそれまでだが、やはり相手が話しかけているのに途中でシャット・ダウンするのは、今でもちょっと勇気が必要だし、身構えて、強い意志の力を動員しなければ出来ない。

たぶん幼少の時代のどの段階かで、「相手が話しているのを途中で断ち切るのは、いけないこと」で、「相手の話に対しての自分の意見は、全部聞き終わってから話し出すもの」という学習をしたのだろうと思う。 それが身に付いてしまっているので、電話を切ってからも後味が悪い。 一方的に電話をかけてきて、しかもこちらの事情など気にする様子もない相手が悪いと言えば悪いに決まっている。 そんなことは重々承知だ。 でも、心の一番奥底の部分で、ちょっとだけ良心が咎めるような感じが残って、すっきりしないのである。

そんな些細なことで一喜ならぬ一憂しているのも、実につまらないばかげたことなのに。 しかも、そんな『やんごとなき』暮らしをしてきた訳でもなかろうに、である。(これはヤワな自分自身に対する愚痴!)

電話をかけてくる相手だって、喋り立てている途中で黙って電話を切られたら、いったいどんな気持ちなんだろう。 それを何十回となく一日中繰り返されていたら、心理状態にダメージを受けるんじゃないだろうか、などと、いろいろ考えてしまう。 そんな非常識な状態が日常的になる仕事なんて、私には絶対勤まらないだろうな。

電話を受けた側も、電話をかけた側も、お互いに不愉快な結果を招くような営業方法は、十分見直しに値するのではないか、と、常々思っているのに、電話は一向に減ってくれない。 はぁ~。

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2008.02.18

春は苦もの

「袱紗合わせ」に続き、精進料理の本を読み進めているが、今度は「春は苦もの」という表現が出てきた。

仏教においては、食事を整えることも食事を食べることも、修行の一種という位置付けということで、当然素材選びからして、その根本が色濃く反映されているように読める。 季節の物で、は、当たり前のこととして、仏さまの道に全身全霊を投げ出すために必要な体力や気力を充実させるための知恵、のようなもの。 それも、ずーっと昔から口伝で引き継がれてきた、その道の皆さんには一種の常識のようなもの。 卵を含め動物性の食材を一切口にしない食事で心身のバランスを保つには、やはりそれなりの工夫が必要とされるのだろう、と、思う。

で、「春には苦いものを積極的に食事に取り入れろ」、と。 フキノトウや菜の花の蕾、ヨモギの新芽に独活、もう少し後になれば山菜の類・・よく思い出せば、どれもみな苦味を持っている。 我が家でもフキノトウを天ぷらにしたり練り味噌と合わせたり、菜の花は今シーズンに入ってからすでに数回楽しんだ。 品種改良されているのか、お子さんでも楽しめるような菜の花で、「もうちょっと苦くても良いんだけどなあ」、と、内心ちょっと文句を言いながらも、瑞々しい青臭さを味わっている。

ちなみに、『夏は酸いもの、秋は甘もの、冬は油もの』だそうだ。 詳しい根拠を問うこともなく、すっと納得できるコンビネーション。

寒さが厳しい間、なんとなく口が遠のいていたビールを、先週あたりから飲みだした。 胃が冷えると辛いので、スローペースでゆっくりと、比較的しっかりしたタイプのビールを楽しんでいる。 本を思い出して「これも『苦もの』か?」などとちょっと考えたが、たぶん意味合いが違うな。

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2008.02.17

解凍中

更新は久し振り。 私にしては長く空いてしまいました。

元気です。 相変わらず(?)いろいろと社会勉強させてもらってます。 深く考えていると、どこからどんな風に文章にしたら良いものか、と、迷ってしまって、結局手を付けずにいることが多くて。 それもきっと、自分の中でまだこなれていないということに他ならないのでしょうね。

一番言いたいことって、ブログに書けないことが多いんですよね。 苦笑。

そうそう、「ご飯」の件。 結局今手元にあるお米とガス炊飯器の組み合わせにおいては、やはり「少量でもその都度炊く」のが美味しいようでした。

寒さは相変わらずで、最低気温も最高気温もたいして変化はありませんが、日差しの加減がどことなく春めいてきたように感じます。 ようやくお雛様も飾ったことだし、受け身で春を待つのではなく、そろそろ少し能動的に春を迎えに行きたいと思います。

皆さんの所にも春の気配、来ていますか?

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2008.02.11

どっちだろうか

意図するところがあって、久しぶりに一度に4合のお米を炊いた。 普段通り飯椀によそってから、しゃもじに残ったご飯粒を摘まんで口に入れて「おっ!」っと思った。 「美味しい・・」

このところ、我が家では1合と半(つまり1.5合)のお米を、毎晩炊いていた。 これで夕飯を食べて、まだ半膳分くらい余る。 余った分は私が朝ごはんに食べたり、冷凍してある程度貯めてから炒めご飯や丼ものなどに使ってきた。 以前から「少量のお米を炊くと、まとめて炊いた時ほど美味しくない」ということは経験上知っていたが、毎日のことで慣れてしまい、その差が判らなくなっていたようだ。 数か月ぶりにまとめてご飯を炊いてみたら、「こんなに違うものか」、と、ショックを受けるほどに差が歴然としていた。

しかしながら、毎回たくさんのご飯を炊いてしまったら、当然ながら食べきれない訳で、それこそ小分けにして冷凍しておき、その度に電子レンジで解凍ということになってしまう。

さて、ここで問題です。 次のうち、美味しいのはどちらのご飯でしょう? A少量でも炊き立てのごはん Bまとめて炊いて冷凍後電子レンジで解凍したごはん

今週は実験の週になりそうだ。

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2008.02.10

袱紗(ふくさ)合わせ

ちょっとした調べ物をしていて、精進料理に関する本を読むことに。 すると、「白味噌と赤味噌を袱紗(ふくさ)合わせにする」、という表記があり、『袱紗合わせって、何??』、と、またもや壁に突き当たる。 肝心の調べ物の答えに辿り着くには、まだまだかかりそうだ。

茶道の嗜みがある方には「袱紗」は馴染み深いかもしれない。 品物を包んだり、進物用のお品の上に掛けたりする、絹でできた小型の風呂敷のような布だ。 現在でも残っている身近な使い道としては、結婚式やお葬式に参列する際に、ご祝儀やお香典ののし袋を包む布、あれである。

すったもんだしながら探ってゆくと、袱紗は表地と裏地の同形の二枚の布を縫い合わせて作られていることから、「同量ずつ5対5で合わせて用いること」を「袱紗合わせ」と呼ぶらしいことが分かった。 つまり、「白味噌と赤味噌を同量ずつで合わせ味噌にして使う」、ということになる。

洒落た表現だなあ、と、なんだか感心してしまった。 こういう表現は若い世代に残してゆきたいな、とも思った。

日本料理独特の言葉に対して、関心が湧いてきている。

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2008.02.08

さんまの当座煮

最近海が時化ているらしく、店先を物色する私に魚屋さんのオジサンが申し訳なさそうにしていた。 週に一度、まとめて食べ物を買い出す現在のパターンにおいて、買い出しの日に魚が並んでいないと結構ダメージが大きい。 こんな時は「振り塩の鮭」や「ひと塩のタラ」などで繋ごうかと思いながら見ていたら、オジサンが「こんなのはどう?」、と、サンマを出してきた。 「こんな時期にサンマがあるんですか?」 「いやいや、これは冷凍品を解凍した物。 今は冷凍技術も発達して、案外バカに出来ないくらい美味しいよ。」 一匹80円だというので、試してみるか、と、買ってみた。

だが、何となく解凍サンマを信用していない私は、塩焼きにして食べるのに躊躇してしまい、迷ってからしばらく食べていない当座煮を作ることに。

サンマの当座煮

  • サンマ      2匹
  • 砂糖       大さじ1と半
  • 醤油       大さじ1と半
  • 日本酒      大さじ1
  • 酢         小さじ1
  • 生姜       1片
  1. サンマはうろこをこそげ、頭を落とし、腸を出してから、水洗いして水気を拭き取る。 4から5つに筒切りする。 ショウガはスライス。
  2. 鍋(できればホウロウ鍋。普通のステンレス製でも大丈夫。)にサンマを並べ、すべての調味料を入れてから、ひたひたになるまで水を入れて、中火にかける。 煮汁が煮立ったら生姜を加えて落とし蓋をし、火を弱火に落とす。
  3. そのまま煮てゆき、煮汁が少なくなったらひたひたになるまで水を足し煮続ける。 骨を除きながら薄味であっさり食べるなら30分、120分以上煮れば骨ごと食べられるようになる。 お好みの時間煮てから、最後に煮汁を煮詰めて出来上がり。

当然ながら、長い時間煮てからしっかり煮詰めれば日持ちもする。 時間をかければ圧力鍋を使わなくても骨まで軟らかくできる。 灯油ストーブを焚いていたら、上でことこと煮るのも冬の味わいなのでは?

煮上げたサンマは予想していたよりもサンマらしいサンマで、魚屋さんのオジサンの話はその通りだった。 これなら塩焼きでもいけたのかもしれない。 魚屋さんにもサンマにも、ちょっと申し訳ない気持ちになった。

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2008.02.07

美味しいんだもん

何故だか、このところお酒が美味しい。 私の場合、夕食のおかずをつまみに飲み始める、俗に言うところの晩酌パターンが多いが、そこそこおかずを食べてご飯に移っても、まだ飲んでいることが、最近多い気がする。 もちろん体調は悪くない。 だからといって絶好調でもなく、何がどう違うのか自分でもよく把握できていない。

寒い時期には酔いを自覚するレベルが上がるようで、自分の酔いに鈍感になりがちなので、飲んだ量を加算しながら「そろそろこのあたりで切り上げないと、食器洗いが面倒臭くなっちゃうな」などと管理することになる。 そうでもしなければ、いつまでもだらだら飲み、だらだら食べていそうで怖い。 そんな時期に限って、やけに美味しく感じられるのも悔しい話ではある。

ちょっと飲み足りない程度で切り上げておくことが、美味しく感じられる状況を持続させるコツだと自分に言い聞かせながら、楽しませてもらっている。

屋根の上の雪がやっと融けたと思ったら、週末はまた雪が降るらしい。 やれやれ・・。 こんなに湿度が高いと、お雛様を出してあげられない。 春はもうちょっと先のようだ。

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2008.02.06

白菜の酢炒り

白菜が美味しいこの時期、ちょっとした箸休めに。

白菜の酢炒り

  • 白菜  5枚分くらい
  • 人参  5cmくらい
  • 椎茸  2枚 干し椎茸なら戻しておく
  • 唐辛子 1本
  • 胡麻油 適宜
  • 酢   大さじ2
  • 砂糖  大さじ1と半
  1. 白菜は葉と軸に分ける。 葉は小さめの一口大に刻み、軸は5cm幅に切ってから繊維に沿って平行に短冊切り。 幅は5mm程度で。 人参は白菜の軸と同じになるように切り揃える。 椎茸は厚みを半分にしてから薄くスライス。
  2. 白菜の葉と軸、人参をボウルに入れ、分量外の塩少々を振り、よく馴染ませる。 数分放置してから水気を軽く絞る。
  3. フライパンに胡麻油と唐辛子を熱し、2と椎茸を炒める。 砂糖を振り入れてさらに炒めてから、酢を加え、水分を飛ばしてほとんどなくなれば出来上がり。 味見して甘さや酸っぱさを調節。
  4. 冷めるまで放置して、いただく。

お好みで柚子の皮の千切りや煎り胡麻を混ぜても。 また、唐辛子はラー油で代用も可。 その場合は胡麻油の量を調節すること。 お子様が居られれば辛くせずに作っても。 味に締まりがないと感じたら、炒める時に分量外の醤油を少々回しかけても。

キクラゲやエノキタケ、竹輪、玉葱、タケノコ等冷蔵庫にある材料で作れます。 数日は日持ちします。 素材の香りを活かすように、出汁やオイスターソースなどはわざと使いません。

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2008.02.03

疲れた

また雪が積もってしまった。 今回も30センチ程。 この冬は雪が多いなあ・・この先が心配。

「恵方巻き」でも作ろうかと思っていたのに、一日雪かきで潰れてしまい、バテバテな上に体も冷え切ってしまったので、急遽「寄せ鍋」に変更。 たっぷりのおろし生姜と七味唐辛子とお湯割りのウイスキーで、ようやく体の芯がほぐれてきた心地になった。 ちなみに、まだこの時間も外は雪が降り続いている。

暦の上の春の到来に対して、冬将軍が意地を張っているようにも思えて、思わず苦笑。

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2008.02.01

過去のもの

財布を取り換えることにした。 普段から二つの財布を使い分けしており、片方は内張りされている布が破け、もう片方はホックが甘くなってきたので、同時に両方共変えることに。

最近はどのお店もポイントサービスのあるお客様カードだの、レジ袋不要のスタンプカードだのを熱心に発行してくれるものだから、お金以外のものでお財布が膨らみがち。(お札で膨らんでくれれば、こんな良いことはないのだけれど。) なので、ひとつは容量の大きい財布を選んで買った。

もうひとつは、なんと15年近く前に大事な方からプレゼントしていただいた財布。 ずっとしまいこんで使えずにいた物だ。 それを引っ張り出してきた。 プレゼントしてくれた主に対して特別な思い入れがあったので、勿体ないような複雑な気持ちが入り混じって、日用遣いに卸す気持ちになれないまま、ずっと大事に保管していた。 特に財布という品物は、濃厚に生活臭が染み付く種類のもののような気がして、そこに相手を押し込めることに抵抗があったのも事実。 多分私にとって、その財布はプレゼントしてくれた相手の分身だったのだと思う。

いざ、財布を取り換えようと決めた時、ふと何の気負いもなく、「そうだ、あの財布を使おう」、と、思った。 一瞬「本当に使っちゃって良いのか?」、と、自問したが、答えは「大丈夫。むしろ使ってあげるべきだと思う」だった。 ちょっとだけ胸の奥がちくっとした。

何か特別な出来事があって踏ん切りがついたわけではなく、15年の月日が自然と二人の関係を変化させていったのだろう。 もちろん今でもプレゼントの主とは頻回に連絡を取っているし、言うなれば「家族ぐるみのお付き合い」みたいな状況だ。 そして、当然その状況を嬉しく思っているし、満足している。

若い頃の想いがひとつ、完全に過去のものになったんだな、と、自覚する。 自分に自分で「よしよし」、と、言ってあげたい気分になった。 時の流れは、クールなようであり、心強いようでもあり・・。 今頃、相手はくしゃみをしているかも知れない。

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