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2008.02.22

良心の適応範囲

以前の私は、「一方的にかけてきたセールスの電話は、興味がなければ途中で切るものだ」という世間の常識を知らなかった。 なので、とりあえず聞くだけ聞いて(ほとんど相手が一方的にまくしたてるケースが多かったが。)、最後に「要りません」とか「買う気はありません」などと答えていた。 しかし、実はこの方法では、「電話を切らないということは商品に興味がある」と相手に思わせてしまって、挙句の果てにしっかり断るものだから、直ちに電話を切るよりも余計に嫌な印象を与える結果を招き、断って受話器を置いてからも嫌がらせで電話をかけてきて、こちらが受話器を取るとすぐ切るようなことを繰り返されたり、と、ろくなことがなかった。

何気なく見ていたテレビのクイズ番組で、「マナー特集」があり、そんな電話は相手の話を聞かずに切ってよいのだと、やっと理解した次第だ。 ・・常識が足りないと言われればそれまでだが、やはり相手が話しかけているのに途中でシャット・ダウンするのは、今でもちょっと勇気が必要だし、身構えて、強い意志の力を動員しなければ出来ない。

たぶん幼少の時代のどの段階かで、「相手が話しているのを途中で断ち切るのは、いけないこと」で、「相手の話に対しての自分の意見は、全部聞き終わってから話し出すもの」という学習をしたのだろうと思う。 それが身に付いてしまっているので、電話を切ってからも後味が悪い。 一方的に電話をかけてきて、しかもこちらの事情など気にする様子もない相手が悪いと言えば悪いに決まっている。 そんなことは重々承知だ。 でも、心の一番奥底の部分で、ちょっとだけ良心が咎めるような感じが残って、すっきりしないのである。

そんな些細なことで一喜ならぬ一憂しているのも、実につまらないばかげたことなのに。 しかも、そんな『やんごとなき』暮らしをしてきた訳でもなかろうに、である。(これはヤワな自分自身に対する愚痴!)

電話をかけてくる相手だって、喋り立てている途中で黙って電話を切られたら、いったいどんな気持ちなんだろう。 それを何十回となく一日中繰り返されていたら、心理状態にダメージを受けるんじゃないだろうか、などと、いろいろ考えてしまう。 そんな非常識な状態が日常的になる仕事なんて、私には絶対勤まらないだろうな。

電話を受けた側も、電話をかけた側も、お互いに不愉快な結果を招くような営業方法は、十分見直しに値するのではないか、と、常々思っているのに、電話は一向に減ってくれない。 はぁ~。

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