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2008.03.31

気が抜けないんだ

思わぬ寒さ。 花冷えと呼ぶのだろうか。

考えていたメニューを急遽変更して夕食は「鍋」に。 と、言っても、もう白菜は手元に持っていなかったので、菜花、春キャベツ、それに新ジャガに新人参・・春の野菜ばかり。 木綿豆腐に挽き肉で作ったつくね。 文字通りの寄せ鍋だ。 もうそろそろ土鍋を奥の方にしまい込もうと考えていたところだったので、「間に合って良かったな」と胸を撫で下ろした。

まだこんな寒い日が混じるかと思うと気が抜けない。

このところ自分を取り巻く環境と格闘している。 何も考えずにぼんやりしていると、もっともらしい言葉でさりげなく提示されてくる内容が、実はとんでもない結果を招きかねない「芽」のようなものを含んでいたりして、気が抜けない。 気を付けてチェックしてゆかないと、将来自分の首を絞めることになってしまう。

♪「自由って何だい? 縦横無尽なルールにあらがって生きることかい?」なんて好きなバンドの曲を心の中で唄いながら、安易に諦めそうな自分を奮い立たせている。

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2008.03.28

分別はゴミだけじゃなくて。

途方にくれちゃった時には、とりあえず片っぱしから、仕方が「ない」ことと、仕方が「ある」こととに分別してみる。

そこまでできればもう半分以上は片付いているんじゃないか、という気もする・・。

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2008.03.27

いいかげんさも楽しみの内

ちょっとした路地を入ったら、無人の野菜売り場に出くわした。 合板パネルと壊れた家具の骨組みを組み合わせた俄か作りの棚に、塩ビのトタンを屋根代りに、茶筒の蓋に貯金箱のような横一文字の切り込みを入れただけの集金箱。 売りものは大根、菜花にサニーレタス、青梗菜、山東菜と、春らしい緑色が並ぶ。 丁寧に泥を落とされ、収められた透明ビニールの内側には水洗いされた後の水滴が残って、みずみずしい感じも春らしさを強調していた。

どれでも一つ100円だそうだが、よく見比べれば当然株の大きさも違い、小さな株はいくつも同じ袋にぎゅうぎゅう詰めされているし、調整の利かなかった半端ものだけを一袋に集めたものもある。 何が入っているのか考えるだけでも楽しくなったので、その半端ものを集めた袋を一つ、わざと品定めをせずに「えいやっ!」と買ってみた。 当たるも外れるもお楽しみだ。

家に帰ってきてから袋を開くと、どちらも小ぶりのカリフラワーとサニーレタス、紫色の茎をした菜花のトウ、ふだん草のような菜っ葉が出てきた。 毎日食事を作っている身としては、ちょこまかといろいろな素材が手に入るのは変化ができて嬉しい。 早速サニーレタスと茹でたカリフラワーをサラダに。 ちゃんと香りがあって上出来の野菜達だった。

先週は全く別件で通りかかった道に、卵の自動販売機を見つけた。 大きな飲み物の自販機に隠れるように設置されていたので、今まで気づかずにいたのだ。 コインを落として自分で扉を開けて中の卵を取り出す。 昔懐かしい感じの赤いネット状のもの(八朔柑が縦に4つぐらい入れられているような、捨てる前にくるくる丸めるとおもちゃのリンゴが作れるヤツ。)にゴロゴロと収められている。 試しに買ってみたら、予想を裏切るほどの美味しい卵で、新鮮さも申し分なし! 色々な地卵を試してきたが、ここ数年内で最も高得点だった。 しかもお値段も銘柄卵ほど高くない。 味をしめて、今週はわざわざもう一度足を運んだ。 今回はSS玉からLL玉サイズまでばらばらに混じって12個入り。 食べ盛りの子供がいる訳ではないので、フライを作るのにL玉の卵を溶いたら余ってしまう・・そんな時にも使い分けできるので、いろいろなサイズが混じってくれていた方が、実は使い勝手が良かったりするから、願ったり叶ったりでこちらも嬉しくなってしまった。

きちんと整えられて美しく、サイズも揃っている商品でないと、流通ラインに乗せるのは難しいのだろうが、食べ物は生き物だから本来個性もあり個体差も大きい筈で、それが自然なのだ。 偶然にも上出来の野菜や卵を手に入れて、そのことを改めて考えていた。 お店に卸せないようなものを無人販売で売っているとしても、そっちの方が美味しい上に何が出てくるかわからないお楽しみも加味されるなら、買う側としては大歓迎である。

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2008.03.24

桜色のきんぴら

散歩の途中で土筆を摘んできた。 一昨日あたりから急に花粉症の症状が軽くなったし、そろそろウォーキングを再開しようかと目論んでいるのだが、とりあえず本当に外に居ても大丈夫かどうかを恐る恐る確認するような気持で、雨上がりの山道を歩いてみたのだった。 少しはグズグズするものの苦しくはない程度で、結局小一時間のんびりと陽の光を浴びて、たくさんの土筆を集めて帰って来た。 これなら本確的に再開できそうで嬉しい。

早速指先をまっ黒に染めながら袴を取り、水に放つと、あっという間にみずみずしさを取り戻してくれた。 パリッと張りが戻ったところでざるに上げ、手早くきんぴら仕立てに。 鍋に少量の胡麻油を熱して、ジャッと強火で炒め、味醂と醤油を同量で味付け。 出来上がりに煎り胡麻を振る。 たったそれだけのこと。

別に際立った味があるわけでもないので、シャキシャキした歯応えと少しの苦みを楽しむだけのことだが、それこそ「今だけしか味わえないもの」であるところが、唯一ありがたい部分かも知れない。 土筆の軸(茎)は加熱すると赤みを帯びて、ほんのり桜色になる。 そこがなんとも春らしくて好き。 

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2008.03.23

解禁でガッツリ

我が家のローカル・ルールで、食欲が増進していて食べても食べてもまだ食べたいとか、食事が終わったばかりなのに何故かまだ何か食べたいような時に、「壊れた」という表現を使う。

で、先週から私は「壊れて」いた。 イースター前はその準備として、食欲も含めて余計な欲求を節制し自粛するような日常を送るようにするのだが、頭で考えていることに相反して、体が欲求不満になっていたのではないかと。(当然、無事にイースターを迎えるまでは精神力で抑え込み、その矛盾も神様への捧げ物とする訳だけれど。) なので、今日晴れて解放され早速ガッツリとお祝いの食事をした。 美味しかったし、心も満たされた。 普段の食事量に対してかなり超過していると思う。 ビールやおやつ、甘いものまでもしっかり。

どうやら「壊れている」時にはなるべく早い段階で一度ガッツリ食べることが、「壊れている」期間を短く終わらせるコツのようだ。 不思議なもので、リセットするための一度のガッツリくらいでは、体重の変動は起きない場合がほとんど。 逆に「壊れている」期間をあまり長く引っ張ると、一度のガッツリでは足りなくてガッツリを繰り返すことになり、余計にこじれて体重がリバウンドする。

食欲が増進する時期と減退する時期があるのは、いったい体が何に反応しているのだろうか、要素がたくさん重なっているようで自分でも掴みあぐねている。 体が求めていると言ってしまえば簡単だが、どう考えても「それは求めすぎだろう!」と突っ込みたくなる場合もあって、言われるがままにはしておけないのが中年女性の実情。 体重そのものは変わらなくても、余計な脂肪が付く場所が変わってくるのが哀しい。

とりあえず今回はこれで収まってくれそうな気がするので、せっかく寝た子ならぬ寝た食欲を起さないように、そーっとしておきたい。

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2008.03.22

イースターを前に

明日はイースター。

キリスト教の信者たちにとっては、クリスマスよりもイースターの方が、どちらかと言えばより意味深い記念日だし、この日に合わせて洗礼を受ける準備を進める方々も多く、新しい仲間が増える時期でもあるので、個人的な準備だけでなく、教会という共同体としてもいろいろな準備を整えてイースターを待ち望んでいる。

まだ看護学生だった頃にも、入院中の患者さんの中でクリスチャンの方々は、当然イースターを指折り数えるようにしていて、自分の抱える痛みや苦痛を捧げ物としながら祈って居られる姿を、よく目にしていた。 もう医学的に死期が迫っているような状態の患者さんが、主治医に「先生、なんとかイースターまではもたせてくださいね。 それさえ過ぎれば、もう何も望むことはありませんから。」と、回診時に息も絶え絶えに、しかしながら、どこかあっけらかんと訴えているのを横で聞いて、イースターが如何に重要な日なのか、驚いたような記憶もある。

今の自分があの患者さんに会っていたら、どんな言葉をかけているのだろうか?、と、時々何の脈絡もなく、突然横顔を思い出すことがある。 もう名前すら思い出せないのに。 あの病室の、あそこのベッドで横たわっていた、あの患者さん。 あの夜にMemoriaに泊まったあのお客さん・・。 そして、そんなたくさんの『あの人たち』に育ててもらったのだな、と、感謝する。

不思議なことに、どんなちっぽけな経験であっても、大抵そこには自分以外の誰かがいる。 会話をしたり、相対していたり、誰かと一緒だったりというだけではなく、頭の中で考えたり、心の中で思い出したりしていることも含めれば、ほとんどいつも独りではない。 宗教的言い回しを使えば、「大いなる力のある方が、自分の為にその人を遣わされた。」ということになるのかもしれないが、そんなたいそうなことでなくても、「独りでは何もできない私でも周囲のたくさんの人が支えてくれている」、と言うくらいは出来るんじゃないかと思う。

穏やかにあらゆることに感謝しながら、今年のイースターを喜びたい。

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2008.03.21

大学芋

少しずつMemoriaのホームページを閉じる作業をしてゆくことになりました。 アクセス解析や実際の電話などの反応を見つつ、段階を追って少しずつ進める予定ですが、「久しぶりにアクセスしたら、無くなっていた!」という状況をなるべく避けるために、当分の間は当ブログのトップページへのご案内を掲げておくことにします。 足を運んでくださっている皆さんには、ちょっとうるさく目障りかもしれませんがお許しください。

先だって、所轄保健所に「旅館業」と「それに伴う飲食店営業」の廃業届を正式に提出してきた。 もうちょっと感慨深いものかな、と、想像していたのに、一番あっけらかんとしているのは自分で、逆に、対応してくれた保健所の職員や食品衛生協会(食品安全の啓蒙活動を食品製造に関わる者が自主的に行うための団体。)の事務担当の方に「残念ですねえ」などと慰めの言葉をいただき、まあお世辞で言ってくれているとしても、どのような反応を返すべきか迷う始末であった。 実質的には休業体制をとっていたので、日常に何の変化がある訳ではないが、これで一区切りついてさっぱりと潔い気分。

保健所の敷地では沈丁花の香りが漂って、清々しさを演出してくれていた。

今日のおやつは久しぶりに大学芋。 ここ最近、サツマイモが安い気がする。 新物のジャガイモに押されて存在を忘れかけていたサツマイモを、思いっきり主役に。 やっぱり大学芋の醍醐味は、かりっとエッジの立ったサツマイモの固さで、それを引き出すには油で揚げなくては・・というのが、私の拘り。 下ごしらえをちゃんとしてから高温で揚げれば、油の吸収量はほんのわずかで済む(はず・・)。

大学芋

  1. サツマイモ300グラムほどを、皮付きのままよく洗って一口大の乱切りに。 切ったそばから水で晒し、全部切り終わったら一度水を取り換えて、ざるに上げる。
  2. 布巾などで丁寧に水分を取り、そのまま表面を乾かすように10分ほど放置。
  3. 揚げ油を用意して中温に熱し、サツマイモを静かに入れる。 強火にして徐々に高温にしてゆき、表面に軽く焦げ色がつくまでコロコロ転がしながら揚げる。 竹串で何個か刺してみて火が通ったことを確認してから取り上げて、しっかり油切りする。 パッドに上げるだけではなく、ペーパータオルの上に移して余計な油を熱いうちに吸収させること。
  4. 鍋に砂糖大さじ3、醤油大さじ1弱、味醂大さじ1、水大さじ2を合わせ、中火にかける。 そのまま煮詰めて、ジワジワとした泡が細かく均一になってジュワーッという感じになったら、揚げたサツマイモを入れて絡める。
  5. 煎り胡麻をたっぷり振って、器に。

煎茶と一緒にいただきながら、ああ日本の味だ、と、思った。 砂糖と醤油の組み合わせって偉大!

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2008.03.18

お願い

御来訪くださる方で、Memoriaのホームページのリンクからおいでいただいている方は、「お気に入り」や「ブックマーク」の設定を、このブログのトップページ

http://memoria.air-nifty.com/column/

 にご変更いただきますよう、お願い申し上げます。

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2008.03.17

爆発

今年は『ますたあ』が軽症なのに私ばかりが重たい花粉症。 出来るだけ室内で過ごし、洗濯ものも当然屋内干し。 外に出なければそれなりに症状は抑えられるので、浴びないことが一番の薬と割り切って篭っている。

お昼ごはんの直後にチャイムが鳴ったので、玄関ドアを開けた。 玄関先で来客の用件を伺っているうちに、いきなりくしゃみが連発し始めてぐずぐずの状態に。 話もそこそこに『ますたあ』に取り次いで、対応を代わってもらった。

それからが大変。 くしゃみの連発→鼻をかむ→くしゃみの連発・・この繰り返しがループに。 慌てて薬を使うが、効き始めるまでの間、ずっと大騒ぎだった。 なんだか訳の判らない蕁麻疹まで出ちゃうし。

堰を切ったかのような花粉症の発作で本人もびっくり! 薬が効き始めて落ち着いてから、どっと疲れが出た。

なんてこったい・・で、ぐっすん。

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2008.03.14

ゼンマイ煮

去年の春に摘んできて作った「干しゼンマイ」が、冷蔵庫の野菜室の隅で眠っていた。 早く食べないと新しいゼンマイが生えてきてしまうな、と、煮物を作ることに。

ぬるま湯で戻してから適当な長さに揃え、一度茹でこぼした。 ふっくらしたところで大ぶりの鍋に移す。 相棒は下茹でしたシラタキと油揚げ。 ほんのちょっとの胡麻油で炒めて、ひたひたのだし汁と砂糖、味醂、日本酒。 しばらく経ってから醤油を加えて、煮汁がなくなるまで気長に炒り煮してゆく。 単純で直球勝負の、お約束通りの「日本の味」だ。

最近煮物を作るのがちょっと楽しくなってきた。 煮初めの薄い味がだんだん煮詰まってゆく過程での、味の変化が面白いのである。 具材から味が煮汁に出てだしや調味料や油分と渾然一体となって、それがまた具材に染み込んでゆく。 それを予想しながら、足し算したり引き算したりして煮汁の味を決めて煮込む。 予想外に甘くなってしまい、出来上がり間際になってから大幅な調整を迫られて慌てたり、逆に一発で考えていた通りの味に仕上がった時の嬉しさはひとしおだ。

最初の味見ではゼンマイから思ったよりも苦味が出ていたので心配していたが、煮詰まって煮汁の味が濃縮されてゆくにつれ目立たなくなり、出来上がりでは苦みをほとんど感じない位になって、ほっと胸を撫で下ろした。 後ろに隠れる味、前面に出てくる味、それも時間差でコロコロ入れ替わって不思議。

煮物は奥が深いな、と、思う。 まだまだ経験が必要みたい。

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2008.03.13

勢い負けした

露地ものの小松菜。 短めで根元が太く、ずんぐりむっくりとしてちょっとユーモラス。

外側の乾いたようになっている葉を剥がし、根っこを取って、根元に入っているであろう細かい土を落とそうとボウルに水を張って漬けておいた。

洗濯物を干し終えて戻ってきたら、短い間に元気を取り戻してしゃきっとしている。 葉っぱも艶やかに勢い付いて、さっきの小松菜とは別物のように。

下茹でしておこうと思っていたのに、小松菜の勢いになんだか圧倒されてしまい、水気を切り、野菜保存用の袋に収めて野菜室に戻してしまった。

べつに情けをかけたわけじゃないんだけど。 急に元気を取り戻した様子が、見ていて嬉しかったから。

素材に負けそうな時は、それは使わない。 料理する人自身が勢いを持っていないと、出来上がったものにも勢いがなくて美味しくないから、ね。 改めて出直してきます。

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2008.03.12

どこまでとすべきか

父の貧血が進んでいて、しかも便潜血が陽性反応を示したというので、主治医が胃と大腸の内視鏡を受けてみたらどうかと言う。 相手が90近い老人でも勧めるくらいに、内視鏡検査が広まり安全性も高まったのかと思うと、元医療従事者としてはある意味感無量ではあるものの、果たしてどこまで言われるままに医療を受けさせて良いものかと、いろいろ考えさせられてもいる。

変な話ではあるが、90歳でも社会でバリバリに責任ある立場にあって社会生産に寄与しており、自立した日常生活を送っているならば、そりゃあ検査を受ける意味もあるだろう。 しかし、父はとっくの昔に働くことからリタイアしていて、しかも脳梗塞で麻痺を抱えて最近では現状認識にも混乱が見られるようになり、介助が必要な生活である。 前処置(例えば下剤使用とか絶食とか、麻酔薬の使用とか・・)の苦痛に耐えられるのか、それをどれだけ本人が認識できているのか、検査結果にそれと引き換えにするだけの価値を置くことができるのか、迷う。

本人はとっくに自己判断を放棄している様子で、医者がやると言えば受けるつもりのようなのだが、一方で「もう自分も年だし、辛いことはされたくない。」などともはっきり言っている。 酷な話かな、と思って今まで口にしなかったのだが、「お父さん自身はどうしたいと思っているの?」と正面から聞いてみた。 本心は、「普段の生活と違うことは全て面倒くさいので、やらずに済むならやりたくない」そうだが、主治医の言うことには従っておくべきだとも思っていて、そのジレンマのようである。 で、「わかんない」とか「任せたよ」とか「困ったな」と言ってフリーズしてしまう。 それも、考えた上での「わかんない」なのか、現状認識力の低下で「わかんない」のか、客観的にも微妙な感じ。

父は脳梗塞になるずっと以前から、どんなに勧めても嫌がって胃ガン大腸ガン検診を受けずにいた人である。 「そういう人だ」と意思を尊重するなら、今回の検査も断固断るべきなのかもしれないし。 受けるならもっと若いうちから受けておくべきであっただろうし、何を今さら・・とも思ってしまう部分もある。 ましてや、内視鏡検査で何かが見つかって、それが内科的治療では対応しきれないものだとして、その治療を受けないとしたら、初めから検査を受けなくても同じことになって、検査に伴う苦痛損という考え方もできなくもないのだし。 定期的に受診もせずに家で寝かせて過ごしていたら、こんな異常も見つからない訳で、そのまま衰弱していったらそれは老衰ということになるのだろうか。 そもそも、どこまでが病気でどこからが老衰なのか、その線引きはどう考えればよいのか。

こんな例えは不適切だと思うが、終末期の患者さんの延命治療をどうするか、とか、重大な後遺症が残ると思われる緊急手術をするかしないか、とか、そんな場合は、家族と医療従事者で十分な話し合いをして、双方が納得する結論が出ても、最終判断は医療従事者サイドがやったことにするのが常識的になっている。 理由は簡単だ。 するかしないのか、どちらで話がまとまっても、家族は後から必ず「あれで良かったのだろうか、あの判断は間違っていたのではないだろうか」と、自分を責めることになるからである。 重大な最終的な局面でなくても、今回の検査を受けるか受けないかは、まさに同じような判断を家族として迫られているな、と感じている。

とりあえず主治医としっかり話し合ってみなければなるまい。

(私は結構クールなので、あまり情緒的にならずにこんなことも書いてしまえるのだけれども、)自分も含めて、人は必ずいつかは死ぬ。 死に向うプロセスを、家族としてどんな形でお膳立てできるのかを問われているような気もして、気が重い。 自分が年老いた時、自分が望む「死に向うプロセス」をどのようにしたら実現できるのか、社会常識や法律が障害になったらどうしようか、などということにも及んで、いろいろ考えてしまうのである。

あー頭痛い・・。

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2008.03.11

♪ほーほけきょ

暖かい風に誘われたように、今シーズン初めての一羽のうぐいすが家の周りを移動しながら鳴いている。 「まだちょっと早いですか? 大丈夫かな?」なんて、まるで気にしているみたいに、控え目に遠慮がちな感じでの♪ほーほけきょ、だ。

花粉の離散には閉口していても、やっぱり春は嬉しい。 寒さで肩を丸めてに過ごしていた季節から解放されて、すっと背筋が伸びるような、顔が上向きになるような、そんな気持ちになる。 別に日常に何か特別な良い事があった訳でなくても。

少しぼんやりしていたのか、図書館から借りてきていたはずの本を所定の場所に見落として、図書館に忘れてきたのではないかと勘違いした揚句、確認の電話を入れて司書さんたちに無駄骨を折らせてしまった。 『ますたあ』の指摘で気付き、慌ててお詫びの電話を入れ直す。 ごめんなさい。 春のせい、花粉症の薬のせいと他の要因のせいにするのは簡単だが、それにしてもなんと単純なミス! 恥ずかしいこと、この上もない。 気をつけなくちゃ。

気合いを入れ直すつもりで姿勢を伸ばしたのに、そこでまた♪ほーほけきょと鳴かれ、かっくんと力が抜けた。 ありがたいような、ありがたくないような、癒し系の春の声である。 

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2008.03.09

不可解な酔い

どうも葡萄からできている酒類に対して、私の体は別格な反応を示すようだ。 ワイン、ブランデー、グラッパ、等々。 もちろん試していないものも数多くあるはずだが、気合いを入れて試してみるほどのことでもないので、機会をうかがっているという感じに近い。

普段から「お酒には強くないが、好き」なので、気軽に飲んでしまう。 あまりいろいろと混ぜたものは好みではなく、蒸留酒でもチェイサーさえあればそのままストレートで飲むことが多い。 それでも普通に食器洗いをして片付け物をやれるくらいの「アセトアルデヒド分解酵素」は持ち合わせているようだ。 なのに、ワインやブランデーを二口も飲むと、「うわっ、酔ったな」という自覚が出てくる。 他のお酒と比べて明らかに酔い方が違っているのが判る。 で、下手をすればあっという間に二日酔い状態に陥ってしまう。 どうやら単にアルコール濃度の問題ではないらしい。 緊張を要する相手と飲んでいると、そんなこともまま起こりがちなので、はじめのうちはそのせいかと思っていたが、気の置けない相手と飲んでいても結果は同じなので、どうやら別の要因がありそうだと気付いた次第だ。

ちなみに「蒸留した後でブランデーの樽で熟成させたお酒」も、体はあまり歓迎していない様子だ。 お酒の知識はそれほど持ち合わせていないので、とりあえずは何でも美味しく飲んでしまうが、「おや?これは・・」と思う酔い方が来たらとりあえずそこでストップする習慣が身に付いてしまい、後からそのお酒について調べてみると葡萄のお酒と関連している。

都市部の、とある有名なパン屋さんのパンを送っていただいたので、早速昼食に御馳走になった。 小さな握り拳くらいのレーズンロール、その中に干しブドウが入っており、見事に速攻で酔ってしまった。 いや、酔った自覚が来た。 たかが十数粒。 確かに芳しい香りはしていたので、多分ブランデー漬けにされていたのだろうと思う。 しかも高温の窯で焼き上げてあるはずで、ほとんど蒸発しているに違いない筈であろうものを。 一体どうなっているのやら。(ちなみにラム酒漬けのレーズンには、体は全く反応しない。)

ワイン・ブランデー専門のセンサーとして、いつか重宝することがあるだろうか? ・・ないだろうな、そんなのきっと。

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2008.03.08

困った

朝日新聞を購読していらっしゃる方が居られたら・・

どなたか、今日の朝刊の4コマ漫画「ののちゃん」の解説をしていただけませんか?

私、どうしても意味が分からなくて、気になっちゃってまして・・。

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2008.03.07

つまみ菜

ビニール袋に無造作にぎっしり詰められて、たいてい百円で売られている「つまみ菜」を見つけると、ついつい買ってしまう。

多くは大根の間引き菜だそうで、よく見るとハート形の双葉と明らかに違う形の本葉がセットになって細い茎につながっている。 本葉がいち二本出た時くらいが、ちょうど間引きのタイミングなのだろう。 大根の葉は大きく育つと硬くなったり筋張ったりするが、つまみ菜はまだホヨホヨとして軟らかく、加熱するとあっという間に容積が激減する。 癖もほとんど無い。 湯通し程度に茹でてからザクザクと切って和え物にしたりお浸しにしたり。 油揚げやさつま揚げといった「ちょっと油っぽい素材」と一緒に煮浸しにしたり、もちろん炒め物やお味噌汁にも手軽にちょいちょい使う。 食卓にもう一皿青味が欲しい時に何かと重宝する素材。

今日のお昼は、モヤシと一緒にささっと炒めてラーメンの上にどっさり乗せて食べた。 しゃきしゃきした歯ごたえも美味しさの内だ。

芽を出したばかりの菜っ葉には、生命力とか意気込みのようなものが集約されているような気がして、惹かれる。 力を分けてもらって、春を過ごしたい。

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2008.03.04

片付け物ごはんの日

冷蔵庫の中に中途半端な食材がたくさん貯まってしまった。 半分使ったブロックベーコン、竹輪が1本半、プレーンヨーグルトが3分の1くらい、プロセスチーズが2枚、冷凍した残り御飯が茶碗1膳分、何かに使おうとまとめて作っておいたゆで卵がひとつ、茹でブロッコリーの小房3つ、菜花が3本・・こんなものがズラーっと。

以前は「ちょっと多いかな」と思っても、「食べちゃえ!」と使い切っていたのだが、『ますたあ』が緩やかな熱量制限を始めてからは、「そのちょっとの油断が積み重なると命取りかもしれない」と考え直して、無理に使い切ることをやめている。 ・・よく、幼い子供が食べ残した食事を、勿体ないからと言って食べているうちに、いつの間にか太ってしまった、というママさんの話を聞くが、まさにそれに似ているかもしれないと思い直してのことだ。

気が向いた時がチャンスと思って、今日は「片付け物ごはんの日」と勝手に決めた。

とりあえずお昼ごはんは、残り御飯とベーコンと人参、タマネギ、大根の葉っぱでケチャップ味の炒めご飯。 キャベツの千切り、竹輪のスライス、サラダ菜(中心部分で、もう一口大の小型の葉しか残っていない)でミニサラダ。 食パン一枚を二つに切って、茹で卵ペーストを乗せてオープンサンドに。 プレーンヨーグルトと紅茶。 なんでもちょっとずつ。 どこぞの安っぽいビジネスホテルの朝食バイキングみたいで、思わず笑ってしまう。 「なんじゃ?この品揃えは?!」という目をしている『ますたあ』が何か言う前に、「今日は片付け物ごはんの日なので、よろしく。」と、予防線を張って。

このお昼だけでもずいぶん半端ものが処分されて、大分気が楽になった。

夜ごはんはお片付けの定番の「鍋もの」を企んでいる。 ひき肉100グラムくらいは肉団子にして5cmちょっとの長ネギをみじん切りにして混ぜ込んでしまおう。 半丁だけの豆腐、白菜の真ん中、使いかけのターツァイ、菜花、みんな入れてしまおう。 中途半端なブナシメジもあったはず。 何よりも「試してみたけれど口に合わなくて残っている麻婆豆腐の素」を出汁に混ぜて片付けてしまえそうなのが、気分的にありがたい。 茹でたブロッコリーは半分使いかけのトマトと合わせればいいや。

これでかなりスッキリする筈。 食事作りは毎日淡々と続いてゆくものなので、たまに意識して片付けてみるのも、また面白い・・ということにしておこう。

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2008.03.03

「今が一番幸せ」

今日3月3日は実家の母の誕生日。 お節句に生まれたから「節子さん」、だそうだ。

何か気の利いたものでも届けてあげたいな、と思って、いろいろ考えてはみたものの、私が住んでいる田舎の山の中よりも、節子さんが暮らしている東京の方が、お店も多いし扱っている商品も各段に多い。 つまり彼女は自分が欲しいものを自分で選んで購入できる環境下にある訳で、尋ねてみても洋服などは「あなた、よかったら着てくれない?」というほど持っているし、デパ地下や新しく開店した美味しいお店などは、私よりずっと早く味見していて、「あそこは噂ほど美味しくなかったのよ」、などと教えてくれる始末である。

仕方がないので、節子さんが大好きなスイトピーの花束をネット通販で手配した。 いろいろな色の花がミックスされているものを。 花は自分の為にわざわざ買う機会がないだろう、と、踏んだのである。 ましてや父が気を利かして、プレゼントに花束を選ぶこともちょっと考えにくいので。

昼前に、早々にお礼と報告の電話が来た。 とても喜んでくれたようで、ひと安心。 こちらも贈った甲斐があったというものである。

「もう78歳よ。」 「早いね、そんなになっちゃった?」 「そうよ、あっという間。」 「色々あったでしょ?(笑)」 「(笑)色々あったわよ、本当に・・。」 ひとしきり笑った後で、母はこう続けた。 「でもね、今が一番幸せ。」

その一言を聞いた瞬間、なんだか急に私が泣きそうになった。 自分がかけた心配の数々を思い出したのも然ることながら、78年間も生きてきた上で、そう堂々と言える母の人生を尊敬したい気持ちが、一気に押し寄せてきた。

「よかったよね、そんな風に言えるってすごく素敵じゃない!」 「本当にありがたいことだと思ってるわ。」

今まではずっと「母と娘」の関係で、もちろんそれはこれからも覆ることはないのだけれど、最近になって一人ずつの女同士の会話が出来るようになってきたように感じている。 だから私の中では、母だけど「節子さん」だ。

今夜は節子さん直伝の「大根の煮物」。 私が幼い頃両親が選んでくれた雛人形にもお供えして、ほっこりとした滋味を楽しもうと思う。 節子さんの素敵な人生に、山の中から乾杯しよう。

きっと節子さんへの何よりのプレゼントは、私が幸せに暮らしていることなんだろうな。 節子さんのためにも、私が良い毎日を送らなくちゃ。 負けていられないな。

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2008.03.02

なったらなったで

冷たい空気が少し緩んできたと思ったら花粉も離散し始めたらしく、昨日からくしゃみの連発を繰り返している。 可笑しなもので、くしゃみが5回以上続くと体の奥が温かくなるのが分かる。 そこそこの運動を伴っているんだな、と、変に感心したりして。

ついこの間まで寒い寒いと文句を言って暖かい季節を心待ちにしていたというのに、春っぽくなったらなったで、また別の文句を言っている。 なんと我がままで勝手なことだろう。 ちょっと自分に嫌気を覚える。

飾ってあるお雛様の穏やかな表情に何か教えられたものを感じて、ずっと見入ってしまった。 受け入れることで初めて得ることができる穏やかさというものが、そこにあるような気がした。

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