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2008.04.30

ちょっとしたズレ

タイミングってあるよなあ・・と、つくづく思う。

タイミングの悪い相手はことごとく悪いし、たぶん相手も同じように感じているんだろうという気がする。

これもひとつの「相性」なんだろうか。

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2008.04.29

場違い

夕方、何気なくつけたテレビで、柔道の試合の中継が流されていた。

それぞれ所属している会社や団体名の刺繍された柔道着を着ている。 選手の中にひとり警視庁の方があったのだが、右袖にオレンジ色の小さな何かが見えた。 何だろう?、と、気になって追いかけていたら、「ピーポくん」だった。 場違いなだけに、余計にカワイイ・・。 刺繍なのかパッチのようなものなのか。

体重100キロを超える屈強な男たちが、体力・精神力の全てを使って大汗をかいている緊迫した試合の中、それがピーポくんであることを認識してしまった私には、警視庁の選手の右腕の周辺だけが、全く別の空気に見えてしまって妙な気分。

キャラクターの影響は偉大だな、と、感心していた。

(試合じゃなくてそんなところを見ていてどうする?!)

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2008.04.27

緑の玉虫色の・・

(これからお食事の方は、今読まない方がよろしいかと存じます。)

いつものようにウォーキングに出かけたら、道端でキラキラ輝く物が。 それも緑色ベースの玉虫色で、太陽の光を細かく虹色に反射させている。 一歩近づく毎に微妙に色調が変化して、大袈裟に言えばオーロラをぎゅっと濃縮したような感じ。 近視の私が、一体何が落ちているのかと思って近づいてゆくと、それはなんと何者かのフンのようである。 そしてよくよく覗き込んでみれば、緑の玉虫色の正体は、コガネムシの固い外側や頭の部分に由来したものが、無数にきっしりと集まって出来たものだった。

一体どれだけのコガネムシを食べたら、こんなフンができるのだろうか。 握り拳を小さくしたような大きさ・・どう見ても鳥ではなさそうだ。 何かの小動物?もしかすると犬くらいの大きさがある動物かもしれない。 よっぽどコガネムシがお気に入りなのか、さもなければ大量発生している場所を餌場としていたのか。

フンと分っても、あまりの美しさに歩くのも忘れて呆然と見とれていた。

家に戻ってから『ますたあ』に、とんでもないものを見つけてしまった、と、話して聞かせると、「見に行ってみようかな」と言う。 もう一度わざわざフンを見に、今度は二人で出掛けたが、残念な事にものの2時間程の間にすっかり乾燥して縮んでしまった上、例の緑の玉虫色もすっかり灰色に退色し、見るからに普通のどこにでもあるフンに成り下がっていた。  日光が当たらない下の部分にだけ、かろうじて少し玉虫色が残っていただけ。 「あー、でも、これがフン全体の色だったら、さぞかし綺麗だっただろうねえ。 残っていた消化液が日光で酸化したとか、化学変化しちゃったのかもね。」

・・ということは、ウォーキングに出かけた時は、まだ排出したてだったということなのだろうか。 一体何のフンだったんだろう。

時々自然はとんでもなく美しいものを見せてくれる。 どんなエメラルドよりグリーントパーズよりも、本当に綺麗だった。

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2008.04.25

ようやく

寒い間ずっと足の裏で頑固に存在し続けた霜焼けが、ついに新しい表皮に入れ替わるようになり、お風呂でふやける度に剥けている。 きれいな境界線でぺろっと取れるので、こちらの気持ちもスッキリ。 長い冬が本当に終わったと今頃になって実感するのも、考えれば妙な話だ。 もう外は新緑の季節だというのに。

なんだか脱皮しているような気分になる。 若しくは羽化か。

ついでに心に溜まったいろんな毒も一緒に剥がれ落ちてくれたらいいのだけれど。

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2008.04.24

ルピシアで『変な客』になる

LUPICIA(ルピシア)という、お茶屋さんがある。 お茶屋さんという表現はあまり適切でないかもしれないが、紅茶・烏龍茶・緑茶を問わず世界のお茶を売るお店で、お菓子やお茶を淹れるための食器なども扱っている。 扱う品数が多いこと、品質が信用できることに加えて、何よりもオンラインショッピングが可能なので、年に何回かは利用させてもらっているお店だ。

都市部を離れると、美味しい紅茶の茶葉を入手するのに苦労する。 そして、美味しい紅茶を提供してくれるお店も無く、結局はネット通販や都市部に住む誰かに頼んで茶葉を取り寄せして、自分で好みに合わせて淹れるしか仕方がない。 山間部の自然にはだいぶ慣れたものの、紅茶は一日に何杯続いても飽きない私にとって、今でもその状況はちょっとキビシイものであることに変わりがない。 インターネットが普及した時代で、本当に助かったな、と、思う。

ルピシアのネット通販でも、当然店頭と同じ茶葉を購入できるのだが、唯一判らないのは「香り」だ。 品種のみならず産地や発酵状態によって香りは微妙に変化する上、水との相性もある。 フレーバーティーでは、例えば同じ「バニラの着香」と言っても香りの濃さやニュアンスは様々だし、アールグレイに至ってはそれだけでも10種類近い茶葉が扱われている。 淹れたお茶の水色は画像でも判る。 でも、香りだけはどんなに説明文が丁寧でも、結局は想像の域を超えることはできない。

東京へ行ってきた際、実際にルピシアのお店に足を運んだ。 店頭には全ての茶葉の見本がアルミ缶に入れてズラーッと並べられており、実際に一つ一つ手にとって鼻を近づけることができる。 ショップのオネーサンに事情を説明して、気になっていた茶葉の香りの印象をその場でメモしても良いか尋ねてみた。 「あー、そうですよね。 どうぞどうぞ。 ゆっくりご覧になっていってください。」 事前にチェックしておいた商品名を探しながら、端から缶を開けてクンクン。 自分の言葉で印象をメモして、お気に入り度も採点し書き込んでゆくという、すっかり『変な客』になって情報を集めさせてもらった。

変な客を店員さんも面白がってか気を遣ってくださり、私につきっきりで、商品名を告げると広い店内のずらりと並んだアルミ缶からすぐに特定して、「これです」と場所を教えてくれる。 「あっ、考えていたより花のような香りなんですね、これ。」 「(香りが)重くないのでフレーバーティーが苦手だという方にも人気があるんですよ。」とか、「それがお好きだったら、きっとこちらも気に入っていただけると思います。」と、ノーチェックだった商品を教えていただいたりしながら、茶葉の話をじっくり。 好きな物に囲まれた空間と時間は、何よりの贅沢だった。

今、私の手元にその時のメモが残っている。 書きなぐった文字の隙間から、記憶した香りがふっと浮かびあがってくる。 やがて時間が経つにつれて薄れてゆく記憶の香りだろうけれど、これで当分は堂々と自信を持ってネット通販を利用できそうだ。 また薄れて来た頃にでも、お店に行って記憶を更新させてもらおう。 変な客に丁寧に付き合ってくださったお店のオネーサンに感謝。

  

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2008.04.22

別に珍しい事でははないらしい

久しぶりに実家に顔を出してきた。 私の実家は練馬区内にある。

最寄りの私鉄駅から住宅地の区画を縫うように歩いていた。 比較的古くからある住宅地なので、小さくても庭のある家がほとんどで、住人の高齢化も進んでいるせいか、たくさんの花が植えられていたり、生垣もそこそこに手入れされている。 ちょうど新緑がきれいな時期で、目を細めながら気分良く歩いていた。

すると、上の方の視界の片隅で、なにやら鮮やかな黄緑色の塊がスーッとよぎった。 「ん?」 ・・新緑の枝でも折れて落ちて来たかとそちらを見上げてみても、高い木はない。 「何だったんだろう? 気のせいかな。」 気を取り直して足を進めたら、どこかの家から「ギャ!」と小さな鳴き声が聞こえて、バタバタと羽音が続いた。 思わず足を止めて振り返ると、体長50センチくらいはありそうかという黄緑色のオカメインコが飛び立って、電線に止まったではないか。 意外な相手のいきなりの出現に思わず足を止めて見上げていたら、別のオカメインコが飛びながら近づいてきて、先ほどのインコの隣に行儀良く並んだ。 ペットショップとか動物園でしか見たことのない鳥が、二羽も並んで電線に止まっている・・私にとってはなんとも場違いな印象で、驚くやら、何があったのか怪しむやら、である。

実家に着いてすぐオカメインコの話をすると、「あら、そう」と素っ気ないリアクション。 おまけに、「セキセイインコは居なかった?」などと言い出す。 よく話を聞いてみると、カラスが少なくなった頃からインコの仲間が増えてきたらしい。 東京都が管理する敷地などに果樹を植えることが多いので、それらの実を食べたり、庭木の花なども餌にしているとのこと。 中には庭に鳥用のえさ場を設けている人もいるので、そこにヒマワリの種などを置いておくと、野生化したインコの仲間がたくさんやって来るらしく、広い公園ではセキセイインコが群れをなしていることも、別に珍しくない光景だそうだ。

夏場の練馬区の気温の高さは有名にしても、インコまでもが住んでいるとなると、光景イメージが俄然熱帯化するように思えて苦笑。 年に何回かは実家に行っているのに、そんな現実は今まで全く知らなかった。 どうしてか判らないが、軽いショックを覚えた。

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2008.04.17

どれもが主役級

今夜のメニュー・・

昨日の内に下茹でしておいた筍を、油揚げと少々の人参と一緒に煮てから炊き込む。 お焦げのこうばしい香りも楽しみの一つだ。 やっぱり春の間に一度は食べておかないと、ね。

白菜の株から伸びた塔をつぼみごとサッと茹でてお浸しに。 あく抜きを済ませたワラビも手元にあるが、山菜ばかり並んでも・・と、そちらは明日に回すことにした。 代りに、粒の細かい新じゃがを電子レンジで「チン!」して、新玉ねぎのスライスとサラダ菜、トマトと一緒にフレンチドレッシングで和えたサラダ。 木綿豆腐にはフキ味噌をのせて田楽風に。 つぼみの先端が花になりかけてうっすらと黄色く色づいた露地もののブロッコリーと春キャベツを、豚もも肉と一緒にニンニクの香りで炒めて、仕上げにオイスターソース。 キャベツは短時間水に放ってバリバリの状態にしておいてから炒めると、歯ごたえも楽しめる。 キャベツだけおしまいにさっと合わせて、わざと半生でお皿に移す。 元気の良かった大根の葉は細かく刻んで、赤だしの味噌汁の実。

食後の果物は「紅ほっぺ苺」。 つやつやと光って、ガーネットの滴みたい。 清美オレンジも瑞々しくて甘い。

窓の外だけじゃなく食卓の上も春真っ盛りだ。 いろいろな食材を楽しめるこの時期は、料理を作っていても楽しい気分になる。 季節のある国に生まれたことを感謝。 ご馳走様です。

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2008.04.16

蛇と重曹の怪

どうしたことか、今日はやたらと蛇に出会った。

蛇といってもおどろおどろしいタイプのものではなく、ヤマカガシという大人しい性格のヤツで、弱い毒は持っているらしいが、人の気配を感じるとスルスルと逃げてゆくので襲ってくる心配はない。

道端で、草むらで、畑の脇道で、竹林のなかで。 一日に全く別の場所で4回も出会うなんて、新記録である。(あんまりいい気分じゃないけれど。) 春も深まった、ということか。

重曹を買った。

箱に書いてある説明を読んだ。 「食品添加物」というのは、判る。 昔で言うところの「膨らし粉」なんだから、まあ当然。 しかし、用途説明の最後に書かれていた一文で目が点に。

「夏みかんなどの酸味の中和には、そのままか水に溶いたものをつけて食べます。」

えっ? ええっ?? 思わず何度も読み返した。 怖いもの見たさ、ならぬ、怖いもの食べたさ、で、そのうち一度やってみるか・・。(?)

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2008.04.15

小女子(こうなご)丼

シラスを乾燥させた「ちりめんじゃこ」の親はイワシ、で、「小女子(こうなご)」の親はイカナゴ。 関西では単に干しただけの「小女子」よりも、甘辛く煮詰めた「釘煮」の方が人気があると聞く。 どちらにしても親が誰であっても美味しいことには変わりなく、新物が出回るこの時期にはついつい買ってしまう。 ビールを飲みながらぽつぽつとそのままつまむのも良いし、大根おろしと盛り合わせても美味しいし、炒めご飯やパスタに入れても良いし、かき揚げに混ぜたりすれば旨みがぐっと増す。

ハイカロリーなことに目を塞げるなら、私が一番好きなのは「バターじゃこごはん」。 あつあつのご飯を茶碗によそって、バターをひとかけ、じゃこを好きなだけ乗せて、黒コショウをガリガリ挽いて、茶碗の中で軽く混ぜながらいただく。 塩味が足りなかったら醤油をちょびっと回しがけ。

ひとり簡単に済ませるのならそれで充分なのだが、家族のお昼ごはんにしたかったので、今回はもっと上品な「小女子丼」に仕立ててみた。 丼の器にごはんを盛って、たっぷりの小女子をご飯の上に散らし、真中に卵の黄身だけをポトンと落とす。 たっぷりの大根おろしを固めに絞って、青紫蘇の葉と共にこちらもご飯の上に。 葉ネギのみじん切りと刻み海苔をこんもり盛って出来上がり。 食べる時に卵の黄身を崩して、醤油を垂らした。

あっさりとした春の味。 どこか遠くの方でおひさまの風味がプラスされている気もして。

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2008.04.14

「出来ること」と「やること」は別

ちょっとした必要に迫られて、「在宅療養支援診療所」というものについて調べていた。 3年ほど前から施行されているシステムで、その目的は長期の療養・治療を必要とされる患者も、家で過ごせるようにする為。(そうすることによって社会的には入院期間を短縮し、急性期の患者に病床を確保することができる。) もうひとつは患者が希望する場合、最期を自宅で迎えることができるようにする為、のようである。 資格を得た診療所が近隣地域の医療機関や訪問看護ステーションなどと連携しながら、往診治療や訪問看護を提供する、と。

「在宅療養支援診療所」に指定されれば、保険点数の上増し請求が可能になるので、「かかりつけ医」になろうと、小規模個人経営医院が生き残り策として資格を得るものの、実際は往診の為の時間や人員を確保できずに看板倒れになっているケースも多く、一年間で一人も「自宅での看取り」をしなかった施設も多い、ということが分かった。

制度としてどんなに志高いものを作り上げても、実際その通りに運用されるかどうかは、また別の問題だ。 現場は現場として常に動いており、そこにはある意味においての自立性が存在するように思われる。 現場の医療従事者にどこまで「やる気」があるか、「やれるだけの力」があるか(体力やネットワークを作る力、経営力なども含めて。)にかかっている現実は否めないのだろう。

それに、一言で「自宅療養」や「自宅で最期を迎えたい」と言っても、ニーズは非常に個人的且つ様々で百人居れば百通りの筈で、どのレベルで良しとするのか、どこまで妥協できるのかも様々。 それを一つの制度で括るのは容易なことではない。 地域による温度差も非常に大きいようだ。

事件はいつも現場で起きているもの、って感じなのかな・・。 はぁ。

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2008.04.13

バターケーキ

このバター不足のご時世においては最も贅沢なお菓子を作っていることになるのかな、なんて頭の片隅で思いつつ、力いっぱいバターを掻き立てていた。 砂糖もバターもたっぷりの「重たい焼き菓子」を食べたかったのも事実だが、集中してホイッパーを動かしたり材料の重量を量ったりして、「余分なことを考えない時間」を持ちたかったのもあった。 無心で作業に集中する状態を作りたかったのだ。

別名の「カルトカール」は仏語で「4分の1」の意味。 砂糖・バター・粉・卵が同量なことから由来しているらしい。(実際には微妙に増減するが。) シンプルで失敗の心配もなく、混ぜ終えたら型に流して焼くだけなので、思い立ったらすぐに出来るところも嬉しい。 いちばん小さなパウンドケーキ型で焼くと、スライスして一日に一枚ずつ食べていっても数日分ある。 これがまた、まるで生き物のように毎日味や状態が変化してゆくのも面白いのである。 出来上がった日はフワフワ感が強くて卵の香りが表面に出ているのに、日が経つにつれてガッシリと固まってくる感じになってバターが際立ってくる。 レシピ本によっては「一週間経ってから食べろ」と書いてあったりもするのだけれど、食べたくて焼くんだからそんなには待ちきれないことが多い。 焼いている最中にオーブンから漂ってくる香りで、もう負けてしまっている。 食いしん坊の性。

最近は市販のケーキを買う場合にも、奇をてらう余りにいじりすぎて着地点が分からなくなっているものに懲りて、なるべくシンプルな「素材の香りが感じ取れるもの」を選ぶことが多くなってきた気がする。 「年取ってきたかな・・」というちょっと後ろめたいような気持を、「いやいや、こういうのをシンプル・イズ・ベストと呼ぶんだ」なんて、自分自身に言い訳しているのが可笑しい。 自分で作る分には、わざわざ珍しい材料を取り寄せして作るほどのものではないから、結果的に非常にシンプルでオーソドックスなお菓子になることがほとんどで、まさに結果オーライ。

自分の為にバターケーキを焼いたのは、多分一年振りくらいなのではないかと思う。 いろいろな意味で、作っても食べても楽しかった。 気を良くしたので、今度はカスタードプリンでも焼こうかな。

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2008.04.12

やっと「ノルウェイの森」

やっと、村上春樹氏の「ノルウェイの森」を読んだ。

ずっとずーっと、「いつかは読まなくては。」または「いつかは読もう。」と、思い続けていたことだけは確かなのだが、「機会がなかった」とも言えるし「機会を作らなかった」とも言える。 なんだか、「ノルウェイの森」も私も、お互いを呼び合っているような感覚がなかったのだ。

上下巻をがーっと一気に読んで、最も感じたのは「川端康成氏と同じ匂いがする」ことだった。 海外受けが好評な理由が少しだけ理解できたような気がした。

好きか嫌いか、と問われたら、個人的には後者である。 ただ、一般大衆と呼ばれる人達に大きな評価を置かれる作品に接しておくことは、きっと意味があるのだろうとも思うので、満足はしている。

それにも増して満足しているのは、永年燻らせていた自分自身への宿題を一つ片付けられたからなんだろう。

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2008.04.11

昨日印象的だった言葉

●「よい子になります。」

愛子さまがご入学だそうで、その際のお言葉。 「よい子」という言葉を随分久しぶりに聞いたような気がして、今でもそんな言葉を使う方が居られたのか、と、驚きにも似た気持ち。 「いえいえ、『よい子』になんてならなくてもいいんですよ。」などとついつい言ってあげたくなってしまった。 音は同じでも濱口・有野コンビの「よゐこ」を思い浮かべてしまうのは、下々の者の哀しさか。

●「未練があります。」

何気なくつけていた「みなさんのおかげでした」で、ゲスト出演していた東国原知事に、石橋さんが「知事、どうですか、そろそろ再婚なんていうのは・・」と振った時に、きっぱりと言い切った言葉。 こういう「男の弱み」みたいなものを真っ直ぐに白状されるパターンに、どういう訳か私は弱い。 ・・思わずグッときた。

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2008.04.10

マイナス票

選挙があって立候補者の中から自分が投票する人を選ぼうとする際に、「この人に!」と決めるのが難しい場合でも、「この人には当選して欲しくないなあ」という人がはっきりしている場合がないだろうか。 私には結構このパターンが多い。

そこで、あったらいいのにと思っているのが「マイナス票」である。 投票用紙に立候補者名を記入する時に、名前の頭に赤ペンで「-(マイナス)」をくっつける。 で、マイナス票の総数を得票数から引き算した上で最終的な獲得票数とし、他の候補者と比較する、と。

どうでしょうかね?、こんな方法。

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2008.04.09

葉書書きの日

友人に葉書を書いた。 返信を溜めこんでいたので、まとめ書き。 必要に迫られて書いている内になんだか書くことが楽しくなってしまい、ついでにしばらく連絡が途絶えている相手にも数枚書いた。

私の書く文字は小さい(細かい)ので、表の下半分と裏全面を合わせれば、相当な文字数が収まる。 相手が年配者の場合は老眼のことを考慮して、ペン先が丸く太くなった万年筆を使って大きな字を書くので必要最低限の内容しか書けないけれど、相手が若い人なら0.1mmのボールペンで「これでもか!」と詰め込んで書いてしまう。

別に定型の封筒80円と葉書50円の差額をケチっているつもりはなくて、それぞれがそれなりに雰囲気が違うから使い分けているだけだ。 便箋の枚数に係らず封筒に納めて封をすればちょっと改まった感じがするものだし、葉書はそれに比べるとラフで気取らない印象。 ご挨拶とか日常の報告とか肩のこらない「普段の言葉」でササッと書く。

郵便以外にもメールや電話でのやり取りもあって、気がつけばどれも使い分けされている。 情報の伝達という目的は同じでも、メールが使えるからといって電話や郵便を使わない訳でもない。 そこには便利とか効率の問題だけではない、言うなれば気分や雰囲気といった曖昧な面白味のような選択基準が含まれているような気がする。 同じ内容を伝えようとしていても、選ぶ言葉も違えば表現も変わってくるし、文字や空間のレイアウトも違ってくるのが不思議だ。

身近にたくさんの選択肢があるのは、管理の面で面倒くさいと感じることも確かにあるけれど、選べる自由を与えられている分だけお楽しみもあるな、と思ったりもするのだ。 

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2008.04.06

偶然

男性の同性愛者のカップルは、日曜日の朝の9時から10時くらいに、二人ともラフな普段着で街をお散歩する習慣がある??

どうも「お見かけ率」が高い気がしますけれども・・単に偶然なのかなぁ?

さて、今日は珍しく献血してきました。 訪ねた先に偶然献血車が来ていたので。 もう自分でも前回がいつのことだったのか思い出せない位でしたが、調べてもらったら14年ぶりだったそうです。 ずっと昔の献血記録がちゃんと赤十字社のデータベースに正確に残されており、驚くやらちょっと怖くなるやらでした。 すごいもんです。 年金記録もこのくらいしっかりとデータ管理してくれていれば良かったのになあ、なんて、ついつい余計なことを考えてしまいました。 苦笑。 今では献血手帳も使わなくなり、磁気媒体のカードによる管理だそうです。 パッと見の印象はスーパーマーケットのポイントカードにそっくり。 無くさないように気をつけなくては。 ちなみに血液の比重は男性並みで、めでたしめでたし。

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2008.04.02

春らしさ

私が暮らしている場所は海抜300mをオーバーする、言わば「局地的高原」なので、静岡とか伊豆といった単語から一般の人たちが想像するよりも、冬ははるかに寒いし春も遅れてやって来る。 日向斜面のソメイヨシノがやっと8分咲きになったかならないかの咲き具合だ。 ヤマザクラはようやく蕾が膨らみ始めた程度で、まだまだ先の様子。

昨日は義父の受診に付き添い、今日は買い物にと二日続けて山を下り、標高の低いいかにも「伊豆らしい気候」の場所へ出かけた。 あちらこちらの桜はまさに満開。 川沿いの土手や学校の敷地、工場の広い駐車場など、5本も立派な木が咲き誇っていれば「ミニ桜の名所」状態である。 犬の散歩をする人、幼い子供を持つママ同士でお外ランチを楽しむ人、他県からの観光客と思われる初老のグループなど、みなそれぞれの形でのんびりと花と陽射しを楽しんでいて、平和でのどかな光景が広がっていた。 遠巻きに眺めるこちらも、何となく目を細めてほっこりした気分をおすそ分けしてもらった。

春なんだな、と、なんだか他人事のようにぼんやりと思う。

お店の駐車場で、ふと頭の上をかすめたものを感じて上を見回したら、もうツバメが軒先に巣作りを始めた様子だ。 一等地の『軒下でありながら、尚且つ看板の出っ張りの上』は取り合いになっているらしく、「僕が先!」「いやいや、私が。」みたいな声が聞こえてきそうな様子で陣取り合戦が繰り広げられていた。 もうそんな季節になったかと、しみじみ見上げていた。

春らしい光景はたくさん目にしているはずなのに、なんとなく春に乗り遅れているような気がするのは何故だろう。 掴みどころのないちょっとしたギャップが存在しているような気がして、自分で自分に戸惑っている。 そんなに不機嫌な状況ではないし、そこそこ優しい自分ではいるような気がするのだが。 不思議な感覚だ。

逆説的に考えれば、こういったアンニュイな状況を包括的にさして、「春らしい」と呼ぶのかもしれない。 それならそれで納得できるかな。

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